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「私なんかが月7万円の障害年金をもらっていいのか」30歳うつ病女性の問いへの答え

2021-06-09 15:30:00 | 日記
下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

郊外に住む3人家族。62歳の父親は3年後にリタイア、60歳の母親は無職、30歳の長女は中学校時代のイジメが原因で、一度も働いたことがない。家計相談を受けたファイナンシャルプランナーは障害年金の受給を薦めたが、「私なんかがもらっていいのか」とためらう。その問いにどう答えるべきか――。
働けない30歳のひとり娘を抱える60代両親の苦悩
ある平日の午後。筆者は郊外の一軒家を訪ねました。ご家族から「ひきこもっている長女本人(30)も同席したいと言っているので、自宅まで来てほしい」との依頼があったためです。
室内のリビングテーブルに座った筆者は、母親(60)と向かい合っていました。しかし、長女の姿はありません。母親は申し訳なさそうに頭を下げました。
「長女も同席するはずでしたが、体調が優れないようで自室で休んでいます。主人(62)は会社へ行っており不在です。相談は私ひとりでもよろしいでしょうか?」
「全然構いませんよ。あまりお気になさらずに」
筆者はそう言い、まずはご家族の状況と家計状況を伺うことにしました。
中学時代のイジメが原因で不安障害、パニック障害、うつ病に
【家族構成】
父親(62歳/会社員)
母親(60歳/無職)
長女(30歳/無職)
※自宅は持ち家(ローン完済)、父親の手取り月収は25万円で家計の収支はトントン。
「主人は継続雇用で働いていますが、今の会社は65歳までしか働けません。そのため65歳でリタイアを予定しています。そうなると世帯収入はかなり減ってしまいます。再就職しなければ毎月約25万円の年金だけです。貯金は退職金を含めて約2000万円ありますが、長女は主人の収入が減ることで月々の家計が赤字になるのではないかとひどく心配しており、お金の不安を口にすることが増えてきました」
マイホームや預貯金もあるので、両親の老後はあまり心配ありません。しかし、両親が他界して年金収入が途絶えると、長女の暮らしは経済的に厳しくなるのは明らかです。
「なるほど。ちなみにご長女は働くことは難しいのでしょうか? 正社員にこだわる必要はなく、パートやアルバイトでも構わないと思うのですが」
その言葉に、母親はより一層苦い顔になりました。
「長女は今年で30歳になりましたが、今まで一度も働いたことはありません。現在の状態では働くことは難しいと思います。お金の不安を主治医に相談したところ『障害年金を請求してみたらどうか?』と言われました」
「長女は障害年金がもらえそうでしょうか?」
「そうなんですね。ご長女のご病気はどのようなものですか?」
「今までいろいろな病院にかかってきました。そこでは、不安障害、パニック障害、うつ病などと診断されました。現在はうつ病で治療を受けていますが、病状はあまりよくなっていません。長女は障害年金がもらえそうでしょうか?」
母親は不安を隠せない様子で、早口でそう訴えてきました。母親に少し落ち着いてもらう必要があると感じた筆者は、できるだけゆっくりと話すように努めました。
「症状の重さなどで、障害年金が受給できそうかどうかはある程度わかります。ですが、実際のところ『障害年金は請求してみないと受給できるかどうかはわからない』というところがあります。それでもよろしければ、私が請求のお手伝いをしますよ」
「はい。ぜひお願いします」
母親は少しほっとした表情を見せました。
「学校を休むなんてとんでもない。ここを乗り越えさせなければ」
障害年金の請求に向けて情報を整理するため、筆者は母親に質問をしました。
「障害年金の場合、初めて病院で診療を受けた日、つまり『初診日』を確認しなければなりません。ご長女の場合、いつ頃になりますか?」
この質問に対して母親は自信なさげに答えました。
「昔のことなのではっきりとした時期は覚えていませんが、おそらく中学生の頃です。当時いじめにあって体調を崩してしまい、病院に連れて行った記憶があります」
当時の状況をもう少し詳しく聞く必要があったため、さらに母親からお話をしてもらいました。
長女が中学生の頃、おなかを下すことが多くなったので近所の内科へ連れて行ったそうです。しかし、そこでは特に異常は見られませんでした。気になった母親は長女に問いただしたところ、学校でいじめを受けていたことがわかりました。
当時、母親は「学校を休むなんてとんでもない。社会に出たらもっとつらいこともある。ここを乗り越えさせなければ、この子は駄目になってしまう」と考えていたので、嫌がる長女を無理やり学校へ通わせてしまいました。
その結果、長女は食欲がどんどんなくなっていき、よく眠ることができない、体がだるい、頭がぼーっとする、勉強に集中できない、といった症状が出ました。結局、中学校へ通うことができない状態まで悪化。そのまま卒業まで学校に通うことはありませんでした。
母親に勧められしぶしぶ通った通信制の高校も行かなくなった
中学卒業後、ひきこもっている長女を心配した母親は、長女に通信制の高校を強く勧めました。母親には「どんな状況であっても、勉強はできたほうが良い」という考えがあったからです。
長女はしぶしぶ母親の提案を受けましたが、もともとあまり乗り気ではなかったので、結局長続きはしませんでした。
そのような長女に対して、時に母親は厳しい言葉を投げかけてしまったそうです。
それに対し長女は「自分は何をやっても駄目な人間なんだ。この世に必要ない人間なんだ」などと叫びだし、自暴自棄になってしまいました。時には母親に暴言を吐いたり、暴力をふるったりすることもあったそうです。その後、複数の病院に通うものの、症状は一向に改善せず、悪化するばかり。
「もっと別の方法で長女に接することもできたはず。しかし、当時の私にはそんな余裕はありませんでした」
内科、耳鼻科、婦人科、心療内科、精神科など十数カ所の病院に通った
母親は一通り話し終えると、室内はしーんと静まりました。しばらくした後、筆者はこう告げました。
「いろいろとおつらいこともあったんですね。ですが、今は前に進まなければなりません。もう少しお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
母親は、どうぞ、と言ってうなずきました。
「障害年金の請求に必要な書類はいくつかあります。その中のひとつに『病歴・就労状況等申立書』というものがあります。その書類には、ご長女が体調を崩してしまった時から現在までの状況を記入していきます。先ほどお話をしていただいた内容を簡潔にまとめていく、というイメージで大丈夫です。なお、通院や入院していた場合は、それぞれの病院名とその期間、当時の治療や日常生活の状況などをできるだけ詳しく記入していく必要があります。先ほど『いろいろな病院に通った』とおっしゃいましたが、思い出せる範囲で構いませんので教えていただけますか?」
すると、母親は数冊のお薬手帳を筆者に差し出しました。
「全部は思い出せないのですが、少なくともこのお薬手帳にある病院には通っていました」
お薬手帳の中身を見てみると、内科、耳鼻科、婦人科、心療内科、精神科など十数カ所の病院に通っていたことが分かりました。
精神疾患を持っている方の場合、病院をどんどん変えてしまうのは珍しいケースではありません。ちょっとしたきっかけで医師が信頼できなくなってしまった、良い病院だったけど遠くて通うのが大変になってしまった、などの理由で病院を変えるのはよくある話です。
音のしたほうを向くと、パジャマを着た長女の姿があった
お薬手帳を閉じた後、筆者は母親に説明をしました。
「障害年金では、最初に受診した病院で『受診状況等証明書』という証明書を書いてもらう必要があります。初診が中学生の頃となると、今から15年以上も前のお話です。当時のカルテは病院に残っていないと思われるので、証明書を書いてもらうことは難しいかもしれません」
「じゃあ、もう駄目なのでしょうか?」
「いいえ。まだ方法はあります。初診日が20歳前であることが証明できれば何とか請求までこぎつけることができます。具体的には20歳前に通っていたと思われる病院に片っ端から問い合わせて、証明書を書いてもらえないか確認を取っていくのです。仮にどの病院でも書いてもらえなかったとしても、20歳前に病院に通っていたことがわかるお薬手帳があるので何とかなるでしょう。さらに、病歴・就労状況等申立書にできるだけ詳しく当時の状況を記入していけば、可能性はゼロではありません」
「病院はたくさんありますが、大丈夫でしょうか?」
「ご心配なく。それは私が何とかします。あとはご長女の意思が確認できれば、私のほうで病院に問い合わせることもできるのですが……」
筆者がそう言うと、ふいにリビングの扉の開く音がしました。音のしたほうを向くと、そこにはパジャマを着た長女の姿がありました。顔は青白く、無表情。そこには感情というものが全く感じられません。筆者は状況が理解できず、しばらく固まってしまいました。
すると、長女はふらふらとした足取りでゆっくりと歩きだしました。体を動かすのも大変な様子で、今にも倒れてしまいそうです。母親はすぐさま立ち上がり、長女のもとへ向かいました。長女と母親は寄り添うようにしてゆっくりとテーブルまで歩を進め、それぞれの椅子に腰かけました。
長女の息からは胃液の酸っぱいにおいがした
親子が椅子に座ったのを確認した後、筆者は長女に向かってあいさつをしました。
長女は軽い会釈でそれに応じ、抑揚のない声で話しはじめました。その声は注意していないと聞き逃してしまいそうなほど小さなものでした。
「自分の部屋を出るタイミングがわからず、ドアの向こう側でしばらくお話を聞いていました。そこで気になったことがあるのですが、もし障害年金がもらえたとすると、いくらくらいになるのでしょうか?」
話をしている間、長女の息からは胃液の酸っぱいにおいがしていました。そこからは、食事も満足に取れていないことが分かります。さぞかし体調も優れないことでしょう。筆者は長女の反応を見ながら、金額の説明をすることにしました。
「初診日が20歳前なので、障害基礎年金の請求をすることになります。障害基礎年金には1級と2級があります。仮に2級に該当すれば、月額換算で約6万5000円がもらえます。さらに障害年金活者支援給付金が月額約5000円上乗せされます。つまり月額で約7万円の収入になります」
「月7万円は大きいですね。でも……」
「障害年金受給が近所にばれてしまうのではないか」と心配する長女
長女は不安を口にしました。
「私は働いていないのに、そのようなお金をもらっても良いものかどうか。また、障害年金をもらっていることが近所にばれてしまい、何か言われてしまうのではないか。それがすごく心配です……」
筆者は長女の不安を払拭するように、あえて毅然とした態度で告げました。
「障害年金は国で定められた制度です。ご病気などにより、日常生活や仕事が制限されてしまった方を支えるものなので、受給することにうしろめたさを感じることはありません。また、受給していることはご本人やご家族から言わない限り、ご近所の方に知られてしまうこともありません。仮に知られてしまっても、別に悪いことをしているわけではありませんから、あまり気にする必要はないと思います」
「そうなんですね。ちょっと安心しました。障害年金の請求をしようかどうか迷っていましたが、請求してみようと思います。お手伝いいただけますか?」
「はい、構いません。大丈夫です。ですが、その前に確認しておきたいことがあります」
長女は、何でしょう、といったそぶりを見せました。
「先ほどお母様に申し上げましたが、添付書類のひとつに病歴・就労状況等申立書というものがあります。その書類に、体調を崩したときから現在までの状況をできるだけ詳しく記入していきます。もちろん記入は私がしますが、その前にご本人やご家族から聞き取りをする必要があります。つまり、ご本人には過去のつらい出来事に向き合っていただくことになってしまう、ということです」
長女は静かに耳を傾けています。筆者は続けました。
「つらい過去を振り返ることで、時には体調を崩してしまうこともあると思います。なので、振り返りは一人でせずに、お母様と一緒にするようにしてください。メモはお母様に取ってもらうと良いでしょう。振り返りに時間がかかっても構いません。ご本人のペースで大丈夫です」
長女はしばらく黙っていましたが、やがて小さな声で答えました。
「分かりました。振り返りには母にも手伝ってもらおうと思います」
母親を見ると、もちろんというように小さくうなずきました。
「では、委任状にご記入をお願いします」
筆者は長女に数枚の委任状とペンを渡しました。ペンを受け取った長女はさっそく委任状を書こうとしましたが、その手は小さく震えています。これでは字も満足に書けそうもありません。それを見た母親は、心配そうな表情で長女に語りかけました。
「あまり無理しなくていいのよ。何だったらお母さんが代わりに書こうか?」
長女は手を前に出して母親を静止しました。
「大丈夫。自分で書く。これくらいはやらせて」
そう答えた長女の目には、覚悟の灯がともっているように感じられました。
母親はすがるように筆者を見やりましたが、筆者は長女の意見に同意しました。
「ご長女がやれそうなことは、できるだけやってもらいましょう。書くのに時間がかかっても大丈夫です。私は待ちますよ」
それを聞いた母親は観念したようで、何も言いませんでした。
長女は時々手を休めたりしながら、長い時間をかけて数枚の委任状を書き上げましました。
委任状を受け取った筆者は、長女と母親に言いました。
「では、これから請求に向けての行動を起こしていきたいと思います。時間と手間がかかって大変ですが、一緒に乗り越えていきましょう」
「はい。お願いします」
わたしたち3人は互いに顔を見合わせ、決意を新たにしました。
浜田 裕也社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー
 
追記:うつ病の初期は他人にはなかなか分かりません。他人から見ればやる気がない、元気がない、怠けていると思いがちです。親族でうつ病にかかった人がいて友達と数人で旅行に行って突然帰りたいと電話があり、せっかくだからもっとゆっくりしていたら良いと返事しましたが、帰ってきました。近くのクリニックに行っていましたが、ある日大きな病院に行くと言いましたので付いて行くと精神科でした。一時間待ちで5分診察です。前の診察から症状はどうなったか順序だてて話してくださいと言われ、先生それは無理ですからカウンセラーを紹介してくださいというともう遅いと言われ、しばらくすると病院に行きたくないというので、その旨病院に電話すると紹介するから入院して下さいと病院を指定されました。その病院は遠いので近くの心療内科連れていきましたら、診察の時に前の病院の先生の名前を出したら今日はこなっかったことにして下さい、お金もいりませんと追いはわれそうになり、こんな時先生の患者さんは何処の病院を紹介しますかと聞くと、なんと車で15分くらいの所に県立の精神病院がありました。そこでは待ち時間は長いが女性の先生の診察(雑談みたい)が毎回30分ぐらいあり1年位でもう来なくてよいと言われすっかり元気になりました。おうさかなおみさんも早く受診し方が良いようです。

裸の女性患者たちをベルトコンベヤー式に…病棟の入浴風景に呆然 看護実習生の体験談から学べること

2021-06-09 13:30:00 | 日記

下記はヨミドクターからの借用(コピー)です

「寒い、もう帰りたい」と患者が…
 医療療養病棟での看護実習2日目、女性患者の4人部屋に行ってみると、4人とも上半身の衣服をきておらず、タオルがかけられた状態だった。予想もしなかった光景で、言葉がでてこなかった。呆然ぼうぜんとしていると、介護職員らは、病室からストレッチャーで浴場へ、手際よく患者を移動させた。浴場に行くと、看護師と介護職員が入浴介助をしていた。一度に2人の患者しか、洗い場に入ることができない。他の患者は裸にされたまま、ストレッチャーの上で順番を待たされている。「寒い、もう帰りたい」と言う患者の声も聞こえてくる。今日は、女性患者の機械浴(歩行や座る体勢をとるとが難しい患者に対し、特殊な浴槽で寝たまま入浴する)の日だったんだ。
 前回のコラムで、看護師によるナラティヴライティング(臨床現場で違和感を覚えた場面での自分の感情を書いてみること)の取り組みの実際について紹介しました。冒頭の文章も、ナラティヴライティングによるものですが、書いたのは、看護師資格はありますが、まだ臨床経験のない大学院生です。看護実習生として、遭遇した臨床現場の実情と、それに対して抱いた違和感を表現しています。
 この実習生は、自分の目の前で繰り広げられた光景を、「まるでべルトコンベヤーのようだった」と書きました。「患者さんはどんなにか恥ずかしい思いだっただろう」と振り返ります。この場面について、臨床経験のある看護師も加わって話し合いました。
「患者を人として扱う」ということ
 「『ベルトコンベヤー』という表現は、患者さんを人として扱っていないということを示しているよね」「入浴は、人の体をあたため、リラックスさせる時間なのに、これでは本来の意味が果たされていないのではないか」「こういう入浴方法は、むしろ患者の安心につながらない」「裸にして待たせるのは、病棟のスケジュール順守が先にある」「医療療養病棟だから、介護度の高い人が多く、スタッフも少ない状況が背景にある」……など、様々な意見が出ました。そして、たとえ、こうした実態を生じさせている様々な要因があったとしても、やはり「患者の人間性を大切にしてかかわっていく」という看護の基本にまずは立ち返る必要があるのではないか、という意見で一致しました。
話を聞こうとすると、「認知症だから、大丈夫」
 次の三つの場面も、別の実習生が現場に違和感を覚えて記述したものです。
<オムツにしてください>
 自宅で転倒して大腿骨だいたいこつを骨折し、手術後は医療療養病棟に入院している85歳の女性患者。足の筋力低下が見られ、移動は車いすで移乗は全介助。排泄はいせつ は、トイレまで移動すれは自力でできるが、失禁してしまうこともあるため、予防的にオムツをしていた。実習が始まって3日たつが、毎日、病棟ではひっきりなしにナースコールが鳴り、看護師も介護職員もいつも忙しそう。私が休憩から戻って患者さんのもとにいくと、患者さんが自分でトイレに向かうところだった。ちょうど看護師もやってきて、患者に「転んだら危ないでしょ。オムツにしてください」と言った。
<ペースト食をすべて混ぜて口へ>
 意識レベルの低い60代の患者への食事介助。看護師は、主食、副菜、デザート等のペースト食を、まずはすべて一緒にまぜてから、無言で次から次へと口に運んでいく。「えっ、全部まぜちゃ、味がわからなくなってしまう」と思った。せめてどんな料理かを伝えたくて、「今日の献立はお魚の煮付け、ほうれん草のおひたし、ご飯です」と話しかけながら、食事介助をやってみたら、「そんなゆっくりじゃ、どれだけ時間があっても足りないわよ」と看護師に言われた。
<認知症だから、大丈夫>
 透析中の患者さんが、何かを言いたそうに周囲を見回していた。スタッフが通るたびに声をかけていたが、発声に困難があり、ほとんど聞き取ることができない。自分にも声をかけてきたので、近づき話を聞こうとすると、看護師から「認知症だから、大丈夫」と言われてしまった。
 臨床現場で実習生が疑問を抱く場面には、共通点が見えます。看護師のかかわる行為のうち、患者を清潔に保つ保清、排泄、食事など日常生活の援助や、患者とのコミュニケーションの場面での出来事が多いのです。今回紹介した四つの場面もそうです。
 実習生は、看護師の一挙手一投足を見て勉強します。看護師が患者へ投げかけた言葉そのもの、あるいは言葉の使い方、患者への向き合い方など。そこに、「患者の人間性が尊重されていない」「羞恥心への配慮がなされていない」といった倫理的課題が含まれているのです。以前の調査で、看護実習を終えた学生に、実習で違和感を持った場面について書いてもらった際にも、似たような場面がたくさん挙げられていました。
患者に近い感覚を持つ実習生から学ぶ
 今回紹介した各場面では、「認知症」「意識レベルの低下」など、意思疎通に困難がある患者だったことも共通しています。認知症を患っていること、意識レベルが低下していることは、患者のすべてではありませんし、患者の人格とは関係のないことです。このような弱い立場の人々の「患者としての権利」をいかに守るか、ということについて、実習生たちが強く意識していることもわかります。
 もちろん、看護師と実習生では立場や責任が異なります。実習生たちは、臨床現場の看護師のように問題の渦中にいるわけではありません。現実と理念の狭間はざまで自分はどうあるべきかと、存在が揺さぶられるような葛藤を経験したこともないでしょう。
 しかしその分、実習生は、現役の看護師と比べ、患者に近い感覚を持っています。そのため、医療現場に潜む課題を、患者に近い目線から敏感に捉えることができるのだと思います。実習生が臨床現場で抱いた違和感は、「どう患者と関わることが倫理的といえるのか」、さらには「看護とは何か」という大きな問いを投げかけ、私たちに考えるヒントを与えてくれるのです。(鶴若麻理 聖路加国際大学准教授)


小室圭さんのような「謝らない人」の特徴 都合の悪いことは抜け落ちる

2021-06-09 11:00:00 | 日記

下記の記事はNEWSポストセブンからの借用(コピー)です

一言「すみませんでした」と言えばいいものを、いつまで経っても謝らない。それどころか自分の都合がいいように話をすり替える。そんな「絶対に謝らない人」が存在する──。
 秋篠宮家長女・眞子さま(29才)と結婚を予定している小室圭さん(29才)は、これまで、母親の元婚約者との金銭トラブルなどに対し、充分な説明をしてこなかった。4月8日に発表した、全28枚にもおよぶ文書で繰り返したのは、要約すれば「自分と母親は悪くない」という内容だった。「“自分が悪いとは決して思わない”タイプの人が一定数います」と指摘するのは、精神科医の片田珠美さんだ。
「罪悪感を覚えることを徹底的に拒否する人がいて、これをドイツの精神科医クルト・シュナイダーは『ゲミュートローゼ』と呼びました。思いやりや良心(ゲミュート)を持たない(ローゼ)という意味です。反省も後悔も、良心がとがめることもないどころか、自己愛が非常に強い」
 そう聞くととんでもない人のようだが、実は政治家や実業家、芸術家などの社会的成功者にも少なくないという。「意思が強く、他人の屍を越えてすら進むことができる人だからこそ、成功するという側面もあります。ただし、それが皇族の親族にふさわしいかは別問題です」(片田さん)
 小室圭さんの場合、アメリカで法律の勉強をしていることも関係しそうだ。認定心理士の脇田尚揮さんはこう分析する。
「謝罪すれば、責任をとらなければならないという側面がある。特に法律の世界ではそうです。あえて謝らないことで責任を回避するという思考もあるのでしょう。そういうタイプは、責めれば責めるほど頑なに謝りません」
 謝らない人の特徴として、片田さんが次に挙げるのが“都合の悪いことはスパッと抜け落ちる”ことだ。
「小室さんの文書からは、専門用語でいう『暗点化』が読み取れます。フランスの神経学者シャルコーが見出したもので、自分に不都合なことが意識からすっぽりと抜け落ちてしまう現象を指します。
 小室さんは文書内で、元婚約者の『返してもらうつもりはなかった』という言葉に23回も言及し、強調しました。しかし実は、その1年後に元婚約者から『返済してほしい』と告げられているのですが、文書ではまったく触れていません。都合の悪いことは、頭の中でなかったことになってしまうのです」
 精神科医の和田秀樹さんは背景をこう読み解く。
「自己愛性パーソナリティー障害の特徴があると考えられます。一般に、幼少期に愛情不足だった人が多いとされますが、違う背景も考えられる。たとえば、過保護なお母さんに“あなたは天才よ”と言われ続けるわりに、勉強もスポーツもそんなにできず、友人からバカにされると、余計に虚勢を張るようになる。それが自己愛性パーソナリティー障害を作り出すことがある」
絶対に謝らない人は、「男性よりも女性に多い」(片田さん)という。
「男性は間違った行動をすれば、会社や組織、ビジネスや社会の関係のなかで断罪され、自分の過ちに気づきやすい環境にあります。一方で早くから家庭に入っていたり、ママ友づきあいや近所づきあいだけで、社会との接点が少なかったりする女性は、間違いに気づきにくく、謝罪の必要性も感じにくい。身近なコミュニティーのなかで『あの人、謝らないよね』だけで済まされることが要因です」(片田さん)
 精神科医の香山リカさんも続ける。
「男性は仕事やお金などで社会的評価を確立して、自分のコンプレックスを払拭することができますが、女性は“同じようなランクの人”とつきあいがちで周囲からの承認を得づらい。“強気の自分”を演じることで、自分のコンプレックスを払拭しようとしがちなのです。だからこそ、女性の方が日常的に人に対して強気になる人が多いのではないかと思います」


寝たきり老人がいない欧米、日本とどこが違うのか

2021-06-09 08:30:00 | 日記

下記はヨミドクターからの借用(コピー)です

 世界一の長寿を誇る日本は、医療技術が進歩したばかりに、高齢者が意識のない状態で何年間も寝たきりになる国でもある。読売新聞の医療サイト「ヨミドクター」でそんな状況に疑問を投げかけ、反響を呼んだブログ「今こそ考えよう 高齢者の終末期医療」。このブログに大幅加筆して、『欧米に寝たきり老人はいない―自分で決める人生最後の医療』(中央公論新社、税抜き1400円)を6月10日に出版する内科医、宮本顕二・礼子夫妻に話を聞いた。(ヨミドクター編集長・岩永直子)
【略歴】
◆宮本顕二(みやもと・けんじ)
 北海道中央労災病院長、北海道大名誉教授。1976年、北海道大卒。日本呼吸ケア・リハビリテーション学会理事長。専門は、呼吸器内科、リハビリテーション科。「高齢者の終末期医療を考える会」事務局。
◆宮本礼子(みやもと・れいこ)
 桜台明日佳病院認知症総合支援センター長。1979年、旭川医大卒。2012年に「高齢者の終末期医療を考える会」を札幌で立ち上げ、代表として活動。

 ――なぜこのテーマで書かれたのですか?
 夫妻「日本では高齢者が終末期に食べられなくなると、点滴や経管栄養(鼻チューブ、胃ろう)で水分と栄養が補給されます。本人は何もわからないだけでなく、とても苦しいたんの吸引をされ、床ずれもできます。栄養の管を抜かないように手が縛られることもあります。人生の終わりがこれでよいのだろうかとブログで発信すると、多くの読者から体験に基づいた切実な意見が寄せられました。これを本にして多くの人に紹介し、高齢者の延命問題を一緒に考えたいと思いました」

 ――ヨミドクターのブログ連載は、非常に反響が多かったです。なぜこれほど関心を集めたと思いますか。
 宮本礼子「多くの人にとって切実な問題となっているからだと思います。たとえば、私の認知症外来は、家族の方も一緒に診察室に入っていただきます。そして、お話しできる患者さんには、『将来、食べられなくなった時に、胃ろうや鼻チューブで栄養を補ってほしいですか』と聞きます。一部の患者さんは『わからない』と言いますが、多くの患者さんは『そんなことはされたくない。そうなったらもうおしまいだわ』と言います。その時、家族も必ず自分の希望を言います。『私も望まない』と言う人ばかりです。『尊厳死協会に入っています』と言う人もいて、皆さん関心が高いです。『自分の親は何年も胃ろうで生きていて切なかった』という人もいます。そういう人は、意思がより強固です」
 「そして、マスコミの影響もあるのでしょう。何年も前から胃ろうの問題はあちこちで取りあげられるようになってきました。また、胃ろうや鼻チューブや点滴の高齢者があまりにも増え、必ず誰か知り合いに使っている人がいます。関心を持たずにはいられませんよね」
 宮本顕二「多くの人が80歳、90歳まで長生きするようになり、寝たきり老人も増えました。同時に、そういう姿を見ている人も増えているのでしょうね。そして、考えるのではないでしょうか、自分の親にはどうするか、自分の場合はどうするかと」
――終末期の高齢者に延命治療が普通に行われる背景に、どんな状態でも延命すべきと思い込んでいる医師が多数いると書かれています。先生方は問題意識を持つ前は、どのような対応をしていましたか。
 礼子「医学生時代は終末期医療の教育を受けませんでした。医療現場では終末期医療について、先輩や同僚と話をすることはありません。そのため、延命に対して問題意識を持つまでは、点滴や経管栄養を減らすとか、行わないとかは考えもしませんでした。むしろ、脱水状態や低栄養にしてはいけないと思っていました。終末期の高齢者だからといって、医療の内容を変えることはしませんでした」
 顕二「僕が研修医の時は患者が亡くなる時まで濃厚な医療をやっていました。たとえば、がん末期の患者が亡くなる時は心臓マッサージをして、同時に人工呼吸器を付けるのは当たり前でした。当然そうするものだと思ってやっていました」
 礼子「ただ、高齢者は体力が違いますから、大腸の内視鏡とか、胃カメラとか、検査に耐えうるかどうかは、考えて決めていました」

 ――患者の家族の方でも、延命医療を望む人はいるのではないですか?
 礼子「最近はいないですが、以前は、家族の中には、『他の家族が着くまでは生かしておいてほしい』と言う人がいて、心臓マッサージを家族が来るまで続けたことがありました。また、最近でも『生きているだけでいいから』とアルツハイマー病の終末期の患者に、経管栄養を希望する家族もいます」
 顕二「家族からの要望は、病気によっても違います。がんだと、結局亡くなるのだから延命処置は意味がないと、家族は思っています。問題はがん以外の病気です。がん以外の病気で亡くなることに納得できない家族が多く、延命処置を望む人は多いですね」

 ――2007年にスウェーデンに終末期医療の視察に行かれて、先生方の意識も変わられたのですね。何が一番印象的でしたか。
 礼子「スウェーデンが初めての海外視察だったのですが、食べなくなった高齢者に点滴も経管栄養もしないで、食べるだけ、飲めるだけで看取みとるということが衝撃的でしたね。脱水、低栄養になっても患者は苦しまない。かえって楽に死ねるとわかり、夫と私の常識はひっくり返ったのです。そして施設入所者は、住んでいるところで看取られるということも、日本の常識とは違うので驚きました。視察先の医師も、自分の父親が肺がんで亡くなった時に、亡くなる数日前まで普通に話をしていて、食べるだけ、飲めるだけで穏やかに逝ったと言っていました」
 顕二「日本では、高齢で飲み込む力が衰えた人は、口内の細菌や食べ物が肺に入って起きる『誤嚥ごえん性肺炎』を繰り返して亡くなることが多いです。誤嚥性肺炎の論文もほとんど日本人の研究者が書いているのです。当時も今も誤嚥性肺炎対策が高齢者医療の重要なテーマです。この誤嚥性肺炎について、スウェーデンで尋ねたら、『何それ?』ときょとんとされたのが衝撃でした。スウェーデンでは、誤嚥性肺炎を繰り返すような悪い状態になる前に亡くなっているので、あまり問題にならないのです。延命処置で病気を作って、かえって患者を苦しめている日本の現状を強く認識しました」
 ――日本の終末期医療とは全く違うと感じたのですね。
 礼子「180度違いました。日本は終末期の高齢者であっても、医療の内容を変えることはありません。一方スウェーデンでは、緩和医療に徹しています」
 顕二「肺炎でも点滴も注射もしない。それは日本とは全く違うので驚きでした。スウェーデンは、当初、認知症治療がどうなっているのかを見るのが目的だったのです。しかし、終末期医療の違いにびっくりして、次のオーストラリア視察は、終末期医療の視察に目的が変わりました」
 礼子「オーストラリアに行った理由は、緩和医療に熱心に取り組んでいる国と聞いたからです。しかし正直なところ、スウェーデンがあまりにも日本と違うことをしているので、スウェーデンだけが特殊な国ではないかと思い、他の国の実態を確かめに行ったのです。そうしたら、日本のほうが特殊な国だった。ただ、よく考えてみると、日本も昔はスウェーデンと同じで、食べられなくなった高齢者はリンゴの搾り汁を口に含む程度で、家で穏やかに亡くなっていました。昔の日本の終末期医療は、今のスウェーデンやオーストラリアと同じであったことに気がつきました」
 顕二「スウェーデンに行った時、研修医の時にお世話になった、ベテランの副院長のことを思い出しました。僕ら研修医はがんがん延命処置をするわけですが、副院長は当時の僕から見たらのらりくらりで何もしない。しかし、僕ら研修医が手を尽くした患者さんが亡くなった時、その患者さんの状況はというと悲惨なのです。血が飛び散って、点滴によるむくみもひどい。だから、看護師が家族をいったん外に出し、患者さんの体をきれいにしてから対面させたものです。一方、副院長が看取った患者さんは皆きれいで穏やかでした。当時の副院長の思いが、今になってわかりました」
 礼子「帰国後に、以前勤めていた病院で報告会をしたんです。その病院は、99歳でも胃ろうを作るし、終末期であっても人工呼吸器をつけたり血液透析をしたりする、スウェーデンとは正反対の病院でした。点滴や気管に入っている管を抜かないように、体がベッドに縛り付けられる患者さんの姿に、『年を取るのが恐ろしい』、『このようなことが許されるのか。医療が高齢者を食い物にしている』と怒っていた看護師もいました。そのためか、私の報告に対して、現場の看護師から称賛の声が上がりました。『私も年を取った時に、こういう亡くなり方をしたい』と。海外視察で、日本の高齢者の終末期の悲惨さは許されないことであることに気づき、この現状を変えるために何かしようと思い始めたのです」
――スウェーデン、オーストラリア、オーストリア、オランダ、スペイン、アメリカと6か国の終末期医療を視察し、その様子が本の中で詳しく紹介されています。無意味な延命治療をしないというプラス面も書かれていますが、必要な治療が受けられないなどの、マイナス面も書かれています。
 礼子「医療は過少でも過剰でもないことが理想ですが、その国の医療制度が反映されるので、その実現はなかなか難しいです。良いことばかりではないです。日本ならば助かる肺炎の患者さんも、この国では亡くなるだろうと思いました。そのため、諸外国のまねをするのではなく、日本の終末期医療のあり方を模索することが大事だと思います。
 顕二「海外の医療状況を紹介している本を読んでみても、いいことしか書かれていない。リハビリが素晴らしい、とか。でも日本のリハビリだって素晴らしいし、決して欧米にひけを取らない。そもそも根本から、終末期医療の考え方が違うということをこの本で伝えたかったんです」
 「延命処置をしないというと勘違いされるのですが、何もしないわけじゃない。延命処置はしなくても、緩和医療には手を尽くす。延命処置をする時間があったら、緩和医療に時間や人を割こうというのが、海外視察を通じて学んだことです」
 ――海外に比べ、日本は終末期の緩和医療はおろそかにされていますか?
 顕二「海外では、がん以外の患者にもモルヒネを使い、痛みや苦しさを緩和することを重視していますが、日本ではあまり使いません。また、日本では延命処置をしないことが緩和医療につながると理解している医療者は少ないです。点滴の針を刺したり、尿道にカテーテルを入れて、つらい思いをさせます。水分も過剰に投与するので、痰たんが多く、痰を吸引する苦しみを与えています。ストレスから消化管出血もよく起こします。誤嚥性肺炎を繰り返し、発熱や呼吸困難が起きます。問題は濃厚な延命処置を行って、患者を苦しめていることに気がついていない、あるいは気がついても目をつぶっていることと思います。その視点に立つと、日本では緩和医療がおろそかにされていると思います」