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「殺すほうが大事です。そっちのほうが、興奮するから」殺人に快楽を覚える“反社会性パーソナリティ障害”

2021-06-27 15:30:00 | 日記

下記は文春オンラインからの借用(コピー)です

 2019年9月、茨城県境町で起きた一家4人殺傷事件。雑木林に埋もれるように建つ一軒家に住む小林光則さん(当時48。以下同)、妻の美和さん(50)がめった刺しにされ死亡。中学1年生の長男は腕と両足を切られて重傷、小学6年生の次女は手に催涙スプレーをかけられ、負傷した。
 茨城県警は5月7日、埼玉県三郷市に住む岡庭由征容疑者(26)を逮捕。事件以前に、岡庭容疑者と被害者家族に接点はなかったと見られている。重大犯罪者の精神鑑定にもたずさわってきた岩波明氏(昭和大学医学部精神医学講座主任教授)は、岡庭容疑者のようなタイプを、日本の司法と医療は「いないこと」にしてきたと指摘する。逮捕された岡庭由征容疑者 
◆ ◆ ◆
 殺人に快楽を覚えるタイプのパーソナリティ障害は、洋の東西を問わずみられ、歴史に残る重大な犯罪者もいます。しかし、私たちの社会はこの事実にこれまできちんと向き合ってきたでしょうか。
 重大犯罪が起こるたび、ジャーナリズムは犯行の異常性を詳しく伝え、世間も騒ぎます。しかし、その関心は一過性で、司法も医療も根本的には何も変わらないまま、次の事件が起こる。そんなサイクルをくり返し目にしてきました。
 茨城一家殺傷事件の容疑者逮捕を機に、今こそこの事実に向き合うべきではないでしょうか。
1回きりの大量殺人と、犯行が繰り返される連続殺人の違い
 複数の人が殺害される事件には、1回きりの大量殺人と、一定の期間をおいて犯行が繰り返される連続殺人があります。両者は似て非なるもので、犯人の特徴には大きな違いが見られます。
 1回きりの大量殺人犯は、多くの場合、激情型の犯行におよびます。たとえば1999年の池袋通り魔事件では、犯人の造田博が東池袋の東急ハンズ池袋店前で「むかついた。ぶっ殺す」と叫び、両手に持った包丁と金槌で通行人を次々と襲い、女性2人が死亡、6人が重軽傷を負いました。2007年5月に最高裁で死刑判決が確定しています。裁判や拘置所での支離滅裂な言動を見る限り、私は造田が統合失調症に罹患していたと考えています。
 2001年に大阪教育大付属池田小事件で小学生8人を殺害した宅間守も、多動性・衝動性、不注意など、いわゆる落ち着きのなさを特徴とするADHD(注意欠如多動性障害)をベースとしつつ、統合失調症を発症していたと考えられます。ただし、どちらのケースでも、精神鑑定では別の疾患の診断が下されました。
 統合失調症の典型的な症状は、被害妄想や幻聴です。宅間の場合には、事件以前の言動から明らかに被害妄想と幻聴が出現しており、実際、精神科でも統合失調症の診断を下されています。日頃から被害妄想や幻聴に悩まされ、本人としてはそれに対抗する形で、凶行に及びました。
殺人が性的快楽と直結
 一方、連続殺人犯は、妄想や幻聴などを伴わず、ある意味、静かに犯行を進めます。
 岡庭容疑者は16歳の時に放火、連続通り魔事件を起こしています。茨城一家殺傷事件の約8年前、2011年11月18日に三郷市の路上で中学3年生の女子生徒を、2週間後には三郷市と隣りあう千葉県松戸市の路上で小学2年生の女児を相次いで刃物で襲っているのです。どちらの被害者も重傷で、一歩間違えれば死亡しかねない事件でした。約8年間のインターバルはあるものの、この2件に連続する形で茨城一家殺傷事件が起きたと考えられます。
 報道によれば、昨年11月に茨城県警と埼玉県警の合同捜査班が、爆弾製造の容疑で岡庭容疑者の自宅を家宅捜索した際、約44キロの硫黄などの薬品に加え、催涙スプレーの購入記録、パソコンから小林さん宅周辺情報の検索履歴などが発見されています。こうしたものが凶行に関連しているとすれば、彼は入念に準備を進めたことになります。雑木林に囲まれた犯行現場 
 米国の元心理分析官ロバート・K・レスラーは、大量殺人犯を秩序型と無秩序型に2分しています。先に挙げた造田や宅間のような1回きりの大量殺人犯は、無秩序型といえます。彼らは緻密な計画は立てず、対象も手当り次第です。それゆえ犯行直後に捕まることが多くみられます。
 一方、秩序型の犯人の多くは、快楽殺人、すなわち殺人そのものを目的として連続殺人を犯します。「週刊文春」(5月20日号)は、高校時代の岡庭容疑者がナイフを靴下の中や机の中、制服の内ポケットに忍ばせ、自慢気に「ナイフ、ここにある。いつか人を殺してみたい」と言っていたとの同級生のコメントを伝えています。また、教室に猫の生首を持ち込み、教室をパニックに陥らせていたとも報じています。それをきっかけに高2で退学してまもなく、岡庭は前述の通り魔事件を起こしました。激情に駆られ、短絡的に犯行に及んだのではなく、彼は殺人そのものを目的とし、慎重に事を運んだと考えられます。
「週刊新潮」(5月20日号)は、岡庭容疑者の少年審判の際の供述調書(後に被害者らが起こした民事裁判に提出されたもの)の内容を詳しく報じています。岡庭は犯行後、凶器の包丁についた血を舐めたこと、それによって性的に興奮し、自慰行為に至ったことなどを供述しています。前出「文春」の記事も、担当検事の「女の子を殺すこととセックスすること、どちらのほうが、大事なんですか?」という問いに対して、岡庭容疑者が「殺すほうが大事です。そっちのほうが、興奮するからというか」と答えたというやりとりを伝えています。彼にとって殺人は性的快楽と直結しているのです。
「発達障害」は誤診の可能性
 岡庭容疑者は、2013年3月、保護処分相当とされた上、関東医療少年院に収容されました。少年院ではなく医療少年院だったのは、精神鑑定で広汎性発達障害の診断を受けたからです。筆者の岩波明氏  
 広汎性発達障害は、現在、自閉症スペクトラム障害(ASD)と呼ばれています。ASDの症状として見られるのは、「コミュニケーション、対人関係の持続的な欠陥」と「限定され反復的な行動、興味、活動」です。ちなみにASDと、先に触れたADHDを主な疾患として包括しているカテゴリーが、発達障害です。誤解している人が多いのですが、発達障害と呼ばれる単一の病気があるわけではありません。
 もっとも、私は岡庭容疑者に対するこの診断に疑問を持っています。報道によると、小学校の同級生たちは彼を「普通の子だった」と口を揃え、他の子と鬼ごっこをしたり、テレビゲームをしたりして遊んでいたとのことです(前出「文春」)。ASDやADHDは生まれつきのものであるため、もしASDであれば、小学校か就学以前から、対人関係の持続的な欠陥や、特別なものへのこだわりといった特徴が現れていたはずです。
 誤って発達障害と診断された例は過去にもあります。たとえば愛知県豊川市主婦殺人事件(2000年5月)では、犯人である当時17歳の少年が、精神鑑定でアスペルガー症候群と診断され、家庭裁判所に認定されました。アスペルガー症候群は、ASDの一部です。
 事件の概要を簡単に説明します。この少年は中学生の頃から人を殺してみたいという思いを抱いていたようです。そして高校生になったある日、殺人の実行を決意。「自分の感情が通じる以外の人で、若者よりは年金問題で社会のお荷物になっている老人がいい」と考え、近所の家に侵入し、64歳の主婦を見つけます。持参した金槌を頭に振り下ろした上、台所の包丁で、被害者をめった刺しにして殺害。逃走したものの、「寒くなって疲れた」と名古屋駅前の交番に一人で出頭し、逮捕されました。
 彼の場合、対人関係の障害は高校時代まで一貫して見られず、限定的、反復的な行動パターンというアスペルガー症候群の診断に必須の項目も確認されていません。それにもかかわらず、裁判所は結局、少年がアスペルガー症候群であるとの診断を受け入れたわけです。
 実はこの事件では精神鑑定が2回行われ、アスペルガー症候群という診断が下されたのは、弁護側の求めに応じて行われた2回目の精神鑑定です。私は、それよりも精神科医の故・小田晋氏が1回目の精神鑑定で下した、「人格障害(パーソナリティ障害)」という診断を支持します。
反社会性パーソナリティ障害とは
 パーソナリティ障害は、人格が正常から大きく偏っているために、本人や周囲に個人的、社会的な苦痛をもたらす障害です。その中でも、特に犯罪との関わりが深いのが、反社会性パーソナリティ障害です。
 その特徴は、「法を破る」「人を騙す」「衝動性や攻撃性」「無責任で向こう見ず」「冷淡で、他人を傷つけることに無関心」「罪悪感がない」などで、以前は精神病質(英語ではサイコパス)と呼ばれました。
 岡庭容疑者も、報道による情報を総合すると、反社会性パーソナリティ障害の症状を示している可能性が高いとみられます。
 過去のケースで岡庭容疑者に近いのは、1997年の神戸連続児童殺傷事件を起こした少年Aでしょう。14歳の少年Aは、まず路上で小学生の女児2人をハンマーで殴り、一人に重傷を負わせ、その1カ月後、再び小学生女児を金槌で殴って死亡させ、同じ日に別の小学生女児を小刀で刺して重傷を負わせています。さらに2カ月後、小学6年生の男児を絞殺、その後、首を切断しました。
 殺人に至るほどの反社会性パーソナリティ障害の持ち主は、欧米に比べると、日本ではあまり見られません。日本で起こる大量殺人では、先ほど挙げた元心理分析官レスラーの分類で言えば、無秩序型で、一時の激情に駆られて一度に複数の人を殺害した後、すぐに捕まるパターンがほとんどです。秩序型の連続殺人はまれです。
 その理由ははっきりしませんが、日本の家屋が狭いことが、一つの要因と考えられます。殺人を快楽とし、何年にもわたって凶行をくり返す欧米の連続殺人犯の多くは、自宅に遺体の一部を一種の「記念品」としてコレクションします。こうした行為はある程度広い家でなければ不可能で、日本の家屋で遺体を隠し続けるのは困難です。こうした住宅環境の違いが、日本では抑止力になっている可能性があります。
「動物殺し」は危険な兆候
 数は少ないとしても、反社会性パーソナリティ障害を示す人が、一定の確率で出現するのは間違いありません。問題は、いかにして殺人を防ぐかです。
 そのためにはまずいち早く危険な兆候をつかまなければなりません。目安の一つは動物殺しです。思春期における性の目覚めと動物殺しが作用し、性的サディズムが殺人へ発展することがあります。少年Aは小5から、岡庭容疑者も中学校に入った頃から小動物を殺し、さらに両者とも何匹も猫を殺しています。


瀬戸内寂聴さん。寝たきり生活、がん手術を経験して

2021-06-27 13:30:00 | 日記

下記はハルメクWebからの借用(コピー)です

88歳から病気がちになり、90代になってがん手術を乗り越えた瀬戸内寂聴さん。2017年(※取材当時)に95歳を迎えた寂聴さんは「病を経験した日々は、老いや死、そして幸福とは何かを考えることの連続だった」と語りました。その死生観とは?
瀬戸内寂聴さん。寝たきり生活、がん手術を経験して
目次
    1. 88歳で圧迫骨折、93歳でがんが見つかりました
    2. 女性の人生には、2度、体の危機がある
    3. 死後のことより、今をしっかり生きることが大切
    4. 書斎の机の上に、うつ伏して息絶えたい
    5. 人として最高の行い「陰徳」を積んだ円地文子さんの言葉88歳で圧迫骨折、93歳でがんが見つかりました
私が住む京都・嵯峨野の冬はとても寒く、ときどき雪が降ります。でも、そんな寒さを感じないくらい、毎日忙しく過ごしています。
月に1度、寂庵(じゃくあん)で行われる法話では、150人ほどの前でお話をします。立ちっぱなしで1時間から2時間、語り続けています。
こうして元気な私ですが、ここ数年、いくつかの病気を経験しました。88歳のとき、背骨の圧迫骨折で半年間、寝たきりの生活を送りました。その4年後には、突然また背中と腰に痛みが走り、腰椎圧迫骨折で入院しました。体の中をいろいろ調べましたら、胆のうがんも見つかりました。
そのとき私は93歳。普通、こんな年になったおばあさんは、手術はしないみたいです。放っておいても死は間近ですから。
でも私は、がんと一緒にいるのはまっぴらでした。ですから「すぐ取ってください!」とお医者様にお願いしたんです。すると「わかりました」と手術をしてくださることになって、胆のうごとすぐ取ってくださったんです。
結局がんを意識したのは、1日だけ(笑)。今振り返ると、あまりにもあっけない「がん告知」と短過ぎる「がん体験」でした。順調に回復し、今もなんともありません。
 女性の人生には、2度、体の危機がある
95歳になって実感していることは、女性の長い人生には2度、体の危機があるということです。1回目は、いわゆる更年期の50歳前後です。その頃合いの女性は、ほとんどといっていいほど、心身を病むんですね。私が出家したのは51歳でしたから、今考えると、更年期の影響だったのかもしれません。
作家の有吉佐和子さんも、あんな明るくて売れっ子ですごく華やかだったんですけれど、ちょうどこの頃、病気がだんだん重くなって、亡くなったでしょう。ただ、50代の頃はお医者さんに行って、注射をしてもらったりすれば、たいていはよくなるものです。
そして2回目が、88歳。この年から「本当の老後」がやってきました。よく後期高齢者になる75歳からが老後とかいう話を聞きますね。でも、私の実感からして87歳までは、多少の不摂生をしても、まだまだ体が丈夫です。でも88歳からは、何が起きるかはわかりません。
死もいずれ確実にやってきます。でもお迎えのときは、自分でいつかはわかりません。お釈迦様は、こうして死を身近に感じながら生きていくことを、人間が抱える根源的な「苦」であると説かれました。このような根源的な哲学を突きつけられるのが、88歳以降だといえるのだと思います。
 死後のことより、今をしっかり生きることが大切
みなさんは、死が気掛かりですか? 法話をしていますと、たびたび「死んだらどうなりますか?」という質問をされます。一番気になることなのかもしれません。
でも、私はいつも「まだ死んだことがないから、わからない」と、答えています。お釈迦様は、死後の世界について、何もおっしゃらなかったからです。大切なのは、今この世で悩み苦しんでいる人を救うことだからと。死後のことを答えてもしょうがないと思われていたようです。
死後の世界について、作家の里見弴(さとみ・とん)先生と対談をしたことがあります。里見先生は当時93歳で、今の私と同じくらいで、親しい友人たちも、次々に亡くなっていっていた頃のことでした。「人間、死んだらどうなるんですか?」という私の質問に、里見先生が即座に「無だ」とおっしゃいました。
三途(さんず)の川があるって、よく言われるでしょう? あれだって、あるのかどうかもわからないんです。川のこっちはこの世、あっちはあの世。あの世には、いいことがあるのよ、なんて言ったりしますけど、わからないです。
だから私、法話では三途の川をこんな笑い話にしているんです。「今はね、高齢者人口が増えて、渡し船じゃ入りきらないからフェリーよ」って。向こう岸には、前に死んだ人が並んでいて、「あら、遅かったわねー」なんて言ってくれて、その夜は歓迎パーティーを開いてくれる(笑)。そんなこと、あり得ないとは思いますけどね。
でもその通りかもしれないし、行ってみないとわからない。なんとでも想像できるでしょう。結局、誰も知らない死後のことより、今という貴い瞬間をしっかり生きることが大切ということです。
 書斎の机の上に、うつ伏して息絶えたい
私の場合、書いているときが、やっぱり生きていることを実感します。背骨が丸くなり、目も片目しか見えなくなり、ペンを持つ指の骨も曲がってしまいました。でも、最期の瞬間まで書いて、命を燃やしたい。もしかしたら、ペンを握ったまま、乱雑極める書斎の机の上にうつ伏して息絶えている。そんな憧れの死に様も、夢ではないかもしれません。
先だって、最後になるかもしれない小説を書き上げました。『いのち』という題名は、書く前から決めていました。今自分が考えていることと、仲が良かった河野多惠子さん、大庭みな子さんとの交流も書きました。
小説『いのち』には、河野多惠子、大庭みな子という2人の芥川賞作家の知られざる最期の姿も記されています。「2人はまた厳しいライバルでした。それも書きました。私だから書けたことかもしれません」
2人とも才能あふれる作家で、私より若いのに先に逝ってしまいました。もうこの世にいない。そう考えること自体、つらいとか、悲しいとか、そういう次元ではないんです。早くあちらへ行き、3人で一晩中しゃべり明かしたい。それくらい大好きな2人でした。
河野さんとは64年ものお付き合いがありました。まだ駆け出しの頃、ご両親から「仕送りを止める」と言われてしまった河野さんの大阪のご実家へ行き、「彼女は芥川賞を必ず取りますよ。続けてやってください」とご両親を説得したこともありました。その後、河野さんは本当に『蟹』で芥川賞を取りました。私たちは感性に加え笑いのツボが一緒で、よく長電話で笑い合っていました。
大庭さんは、私が40代半ばの頃に、『三匹の蟹』で芥川賞を受賞し、「天才現る」と評された作家です。その作品は詩情にあふれ、読後にはいつもおいしいごちそうを食べた後のような満足感がくる。私はそんな大庭作品のファンでした。作品は詩的なのに茶目っ気がある大庭さん。最期はベッドの上でご主人の口述筆記に頼り執筆を続けていました。2人とも波瀾万丈の人生でしたが、好きなことをやりきって、幸せだったと思います。
 人として最高の行い「陰徳」を積んだ円地文子さんの言葉
私にとっての幸福はもちろん書くことではありますが、もう一つ、いろんな人とのつながりもあると思っています。普段は体力の許す限り、年齢や考え方の違う人たちと積極的にお話をするようにしています。誰だって自分と同じタイプの友人と一緒にいるのが心地よいものです。でも、自分と違うタイプの人との交わりを通して、人生という難題を乗り越えるための新たな視点が養われます。
思い出すのは、円地文子(えんち・ふみこ)さんです。円地さんは、源氏物語の現代語訳を私より前に完成させた大ベテラン作家です。私とは全然タイプが違い、周囲の方のために黙って良行を重ねる「陰徳(いんとく)」も積まれる方でした。
あるとき、円地さんは私を呼んで「河野さんの手術費に使うよう計らってください」と、相当の金額を包んだものを私に手渡しました。「ただし、このことは決して人にしゃべらないこと」と、付け加えられたのです。当時、河野さんは自身の病気の手術代がなく困っていました。今振り返ると、円地さんの計らいは、私と河野さんしか知りません。河野さんはどれほど救われたことでしょう。
人間にとって、「陰徳」ほどハードルが高いものはありません。おしゃべりな私にはなかなかできないことです。でも、年を重ねたからでしょうか。私とはまるでタイプが違う円地さんの言葉が今、なぜか軽やかに心に響いてくるのです。

瀬戸内寂聴
せとうち・じゃくちょう 1922(大正11)年、徳島県生まれ。東京女子大学卒業。63年『夏の終り』で女流文学賞受賞。73年に平泉中尊寺で得度、法名寂聴となる(旧名晴美)。92年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、2011年『風景』で泉鏡花文学賞受賞。98年『源氏物語』現代語訳を完訳。


【ロースクール卒業】小室圭さんの“録音データ”に「ドン引き」 竹田恒泰氏が指摘する世間の“違和感”

2021-06-27 11:00:00 | 日記

下記はニッポン放送オンラインからの借用(コピー)です

秋篠宮家の長女眞子さまの婚約者・小室圭さんが、アメリカ ニューヨーク州のロースクールを卒業した。7月にニューヨーク州の司法試験を受ける予定とのこと。
小室さんは、母親と元婚約者男性の金銭トラブルについて、説明する文書を4月8日に公表したが、ニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」では4月に、作家で政治評論家の竹田恒泰氏がこの対応について検証した。これをもとにした「ニッポン放送 NEWS ONLINE」掲載記事を、再公開する。(初出:5月2日)
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旧皇族の竹田家出身で明治天皇の玄孫にあたる、作家で政治評論家の竹田恒泰氏が4月27日(火)、ニッポン放送「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」に出演。秋篠宮家の長女・眞子さまとの結婚問題が世間を騒がせている小室圭さんのこのところの“対応”について検証した。
画像を見る(全5枚)米国に出発する小室圭さん=2018年8月7日午後、成田空港 写真提供:共同通信社
違和感から嫌悪感に変わった「6万字文書」
連日報道されている、秋篠宮ご夫妻の長女眞子様の婚約内定相手小室圭さんの母親ともと婚約者との金銭トラブル。この報道で伝えられている小室さんの対応について竹田氏は苦言を呈した。
竹田)4月8日に、小室さんが文書を公表しましたよね。これには驚いた人がたくさんいると思うのですが、あれは28ページでしたよね?
森田耕次解説委員)A4で28枚で、6万字に及ぶ文書だったようです。
竹田)6万字といったら、下手したら本に近い文書ですよね。私がびっくりしたのは、2年以上前に小室さんが文書を出したことがあったではないですか。そのときの趣旨とほぼ同じなのです。全然違う話が出てくるのかと思いきや同じことで、あれを出して世間がそういうことだったのか、では納得した、という風になると思ったのでしょうか?
森田)相手の男性はもう返してもらうつもりはないと言ったのだ、その録音もあるのだ、というようなことをあの文書のなかでも言っていましたよね。
竹田)この録音のデータがあるというのでけっこうドン引きした人が多いのですよ。とっさに音声を録って、貰ったお金なのか借りたお金なのかということで返さなくていいと言ったではないかと、あの6万字のなかで元婚約者の方の言葉の引用を30回近くしていました。そのような理詰めで、こう言ったではないですか、と畳み込むような感じなのです。それを読んだ人は「どのようなつもりなのか?」と、違和感から嫌悪感に変わった人は多かったのではないでしょうか? 少し解せないのはその4日後に、あれほど解決金は出さないし、貰ったお金は返さないと言っていたのに、解決金を出すと言ってしまったわけです。
増山さやかアナウンサー)これはなぜなのでしょうか?
竹田)あまりにも強いバッシングを受けたのでこれはまずいと気がついたのですかね
増山)考え方を変えたということなのでしょうか。

秋篠宮家の長女眞子さまとの婚約が内定している小室圭さんが、代理人弁護士を通じて公表した母親と元婚約者との金銭問題を説明した文書=2021年4月23日、東京都中央区 写真提供:時事通信社
問われているのは小室氏の“人間性”
竹田)それで解決金を出すと言ったらそれはそれで炎上するわけです。宮内庁長官なんて、6万字読んで「しっかりと書けている」と肯定的な評価をしていましたから、そのあとでそれをひっくり返すような話になってしまいましたよね。この問題の本質なのですが、もはや貰ったお金とか借りたお金など、そのような問題ではないと思うのです。400万円を返したかどうかではなく、何年も問題をこじらせ、小室さんの信頼性というか解決能力のようなものはあるのかという、“人間性”が問われていると思うのです。
人間なら間違いを犯すこともあるとは思うのですが、そのときにどのように対応をするのか。今回金銭トラブルが起きたときに、小室さんが一生懸命に誠心誠意向き合って問題を解決しようとする姿を見ることができたら、これはピンチをチャンスにと言いますか、株が上がったのではないかと思うのです。しかし、やることなすことこのような感じで、みんな「ええ!?」となってしまった。
2018年8月13日、留学先の米ニューヨークのフォーダム大ロースクールに通学する小室圭さん(右)(共同) 写真提供:共同通信社
文書だけでなく誠意を持って説明している姿をみせるべき
森田)解決金だって最初から返すと言っておけば良かったのに、それを後からひっくり返してしまった。後はもう小室さんが記者会見をするなりして、自ら説明をするしかないのではないでしょうか。
竹田)そうなのです。そもそもこれほど国民が疑問に思っていることが、文書だけで落ち着くわけがありません。たとえばZoom会見でも一時帰国でも、あるいはニューヨークでの記者会見でもいいので、いろいろなことを突っ込まれながらもきちんと誠意を持って説明している姿が見えたらかなり違ったと思います。なので、疑問がどんどんと積み重なって今度は嫌悪感のようなものに変わってきてしまっているのではないかと思います。 


脳を鍛えるのも「筋トレ」と同じ? 楽なルーティン作業では活性化しない

2021-06-27 08:30:00 | 日記

下記は日経グッディオンラインからの借用(コピー)です

会話をするときに固有名詞が思い出せず「あれ」「それ」が多くなった。メモなしでは仕事の予定を覚えられない。仕事の意欲も低下気味……これらは年齢とともに進行する「脳の老化」のサインかもしれない。では、40~50代以降の脳にはどのような変化が起きているのだろうか? 脳の老化を防ぐ手立てはあるのだろうか? 脳科学者で公立諏訪東京理科大学工学部教授の篠原菊紀さんに、2回に分けて聞いていく。
写真はイメージ=123RF
イライラしやすいのは「脳のメモ帳」の余白が減っているから?
 人の名前が出てこない、会議や打ち合わせでキレのある発言ができなくなった、ということが増えて「これって脳の老化?」と気になっていないだろうか。日常のさまざまな行動と脳活動の関係をテーマに研究する公立諏訪東京理科大学工学部教授の篠原菊紀さんは、「さまざまなストレスが脳の処理スピードを鈍らせる要因となっています」と言う。どういうことだろうか。
 私たちの脳には、記憶や学習、言語をとりまとめる「前頭前野」という部位がある(下記イラスト参照)。「前頭前野の仕事は、脳の別の場所に格納されている記憶や情報を意識に上げてきて、あれこれ検討し判断すること。いくつかの仕事を同時進行させたり、対話の最中に『俺はそうは思わない』と思いながらにこやかに話したり、揚げ物の料理をしながら味噌汁を作る、といった“やや込み入ったこと”をするときには前頭前野が使われています」(篠原さん)
 前頭前野の働きを篠原さんは「脳のメモ帳」と例えて説明する。なぜなら、その枚数に限りがあるからだ。「実は脳のメモ帳の枚数には限りがあります。1つのタスクでメモ帳1枚使うくらいのイメージだとすると、みなさんそれを3~4枚しか持っていません。つまり、私たちは、これ・あれ・それ・その他、ぐらいの情報しか一度には処理できないのです」(篠原さん)
 そして、仕事のストレスがそのメモ帳の働きに影響するという。「ストレスで気が休まらないという状況だけで、脳のメモ帳の枚数を食うのです。メモ帳が少ないということは、脳の余白がなくなるということ。だから、仕事の処理もうまくいかなくなるし、人間関係もイライラ、ギスギスしやすくなります」(篠原さん)
 もちろん、コロナによる先行きの不安もストレスの1つ。さらに、リモートワークも脳のメモ帳に負担を与えているという。「これまで職場に出かけていたときには仕事と家庭をくっきりと分離することができていましたが、リモートワークでは、会議や打ち合わせと家庭の日常がぐちゃぐちゃに混在し、状況に応じてタスクを時系列で並べ直さないといけません。前頭前野のトレーニングとしては良いともいえますが、日常的にこの状態では脳の働きに支障が生じます」(篠原さん)
 最近頭が働かない……と悩んでいる人は、通常のストレスに加えて、長期にわたるコロナストレスが脳のスムーズな働きを圧迫している側面もある、ということを知っておこう。
(原図=123RF)
ルーティン化した作業では「前頭前野」は使われない
 ストレスはもちろんだが、脳も体の他の機能と同様、加齢とともにその働きが低下する。特に年齢とともに機能低下しやすいのが、先ほどのイラストで示した3つ、「前頭前野」と「海馬」、「線条体」だ。
 「前頭前野」については、次のような認知機能テストでこの部位の機能を見ることができる。
(1)
「さくら」「ねこ」「でんしゃ」という言葉を覚えてください。
(2)
では、次に100から7を5回引いて、それぞれの答えを言ってください。
(3)
「ふじのやま」という言葉を逆から言ってください。
(4)
最初に覚えた3つの言葉を思い出してください。
 「このようなテストを行っているときの脳の活動を見ると、(4)で最初の言葉を思い出そうとするときに前頭前野が働きます」(篠原さん)
 (1)のときには3つの言葉を覚えていても、(2)、(3)と別のことをしているうちに、「なんだっけ?」とよくわからなくなってしまう。
 「面倒臭い頭の使い方ですよね(笑)。こういった、一度に複数のタスクを行うことをデュアルタスク(二重課題)といいます。デュアルタスクを行うときに前頭前野が活性化しますが、前頭前野の機能は40~50代になると落ちてくる。知らず知らずのうちにこの手のタスクを避けるようになることと、年代なりの経験は重ねていますからルーティン化したやり方を好むようになる。ところが手慣れた作業をしているときに脳活動を調べると、前頭前野はほとんど活動していません。また、記憶を保存したり必要に応じて取り出したりする作業を行う海馬も、年齢とともに萎縮しやすくなります」(篠原さん)
 ルーティン化した作業では、3つめの脳の部位、やる気をつかさどる「線条体」も使われなくなるという。
 「ある行動と快感を結びつけるのが線条体で、この部位がやる気の中核といわれています。線条体は運動の開始・持続・コントロールなどに関わり、線条体のすぐそばには報酬系・快感系といわれるドーパミン神経系が走っています。そして、実際に報酬がもらえるときよりも、『これをやったら報酬がもらえそうだ』と予測するときに線条体は最も活性化することがわかってきました」(篠原さん)
 線条体が活性化するときには、本人もドキドキ、わくわくしているという。この仕事をすればこんないいことがある、と思うことができれば、線条体は活性化する。最近、仕事のモチベーションが上がらない……という人は、一見すると効率的な「ルーティン化した仕事」ばかりに偏っていないか、振り返ってみよう。
 線条体は新しいことを学習するときに重要な部位。「リハビリのさなかに線条体の活動を止めると、リハビリによる学習効果がほぼ消失することもわかっています。中高年になると、これ以上新しい学習なんてする必要はない、と思うかもしれません。確かにひと昔前までならば50代ぐらいまでの蓄積で人生を突っ走ることができた。しかし、これからは人工知能(AI)の時代、新規の学習をしなければならない機会は何度も訪れるでしょう。新たな学習をおっくうがっていては、何度も挫折し、線条体の機能低下が進んでしまいます」(篠原さん)
朗報! 年齢とともに高まる脳機能もある
 ややこしい作業をする前頭前野、記憶の引き出しとなる海馬、やる気のスイッチを入れる線条体。このような大切な機能が年齢とともにそろって機能低下していく、と聞くと悲しくなってくる。しかし、「年齢とともに高くなる脳機能があることもわかってきたのですよ」と篠原さん。
 知能に関する研究分野では、生きていくときに必要な知能を、「流動性知性(記憶力など)」、「統括性知性(計画力、マネジメント力)」、「結晶性知性(知恵や知識、経験など)」の3つに分類するという。
●流動性知性 …… 流動性という名の通り、その場その場で何かを覚えて対処する能力のこと。いわゆる脳トレで鍛えようとするのがこの知性。18歳ごろをピークに低下
●統括性知性 …… 企業でいえば社長や役員に求められる知性。現状把握、企画、意思決定などを担う。40代以降、伸びる人と低下する人に二極化する可能性が指摘されている
●結晶性知性 …… 知識や経験に裏打ちされる知能。経験の蓄積が結びつき結晶が出来上がるように伸びていく。年齢とともに伸びていくことがわかってきた
「結晶性知性こそ、年の功といえる脳機能でしょう。興味深いのは、40代、50代で統括性知性が育った人ほど結晶性知性の伸びが大きくなる、ということです」(篠原さん)
 長年の知識や経験の蓄積によって伸びるものには「語彙力」もあるという。「約1000人を対象とした研究によると、語彙力は50代半ばまで上昇し続け、その後もほとんど低下しないことがわかりました(下グラフ)。脳の機能には、年齢を重ねるほど良くなる面もあるのです」(篠原さん)
語彙能力は50代半ばまで上昇し、その後も高く維持される
健康な被験者を対象に「語彙」「処理速度」「推論」「記憶」に関わる4つの検査を行い、得点の年代差を検証した。語彙、処理速度、推論テストは成人1424人、記憶は成人997人のデータを基にした。流動性知性の指標となる「処理速度」「推論」「記憶」は加齢にともない低下したが、結晶性知性にあたる「語彙」は50代半ばまで上昇、その後もほとんど低下しないことがわかった。(データ:Psychological Science 2004; 13:4, 140-144.)
脳の老化を防ぎたい、と思うと文字や数字、形を覚えたり見分けたりする「脳トレ」をイメージするが、篠原さんは、「脳も体の一部ですから、脳のアンチエイジングを望むなら、全身の健康を意識する必要があります」と言う。
 2019年に世界保健機関(WHO)は「認知機能低下および認知症のリスク低減のためのガイドライン」を公表している。
 このガイドラインでは、認知症の発症や進行を遅らせることは可能、とし、世界で現状とりまとめられているエビデンスに基づいて「強く推奨するもの」を挙げている。それが、「運動」「禁煙」「高血圧や糖尿病のコントロール」「バランスのいい食事」などだ。「幸いなことに、体の健康を維持するための行動は、そのまま認知症予防にもつながるのです」(篠原さん)
 運動や食事などの日常習慣が脳の健康のベースにあることを踏まえた上で、次回は、日常の中で脳機能を若返らせていくコツを教えてもらおう。
(グラフ制作:増田真一)
篠原菊紀(しのはら きくのり)さん
公立諏訪東京理科大学工学部情報応用工学科 教授
専門は脳科学、健康教育学、精神衛生学。遊ぶ、運動する、学習するといった日常の行動と脳活動の関連性を調べ、脳トレの教材開発やギャンブル障害の予防、脳リハビリなどの研究を手がける。