下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です
筆者の父は、母が亡くなってからの10年間、八王子の一軒家でひとり暮らしをしていた。単独行動を好んでいた父は独居に向いた人だと、筆者も、筆者の妹も思っていた。料理も好きだし、囲碁やゴルフなどの趣味もある。近所の人たちや母の友人たちが、ときどきお総菜などを持って訪問してくれることも安心材料だった。原付に乗って気ままに出かけ、好きなものを作って食べているだろう、プロ野球を見ながら焼酎を飲んでいるだろう。そう思っていた。
いつのまにか「話をしたい人」になっていた父
異変に気付いたのは父が80歳の、4年前の冬だった。
連絡をせずに、実家へ帰ったときだった。母の姉、筆者の伯母が来ていた。伯母はなぜかそそくさと帰った。10万円がテーブルに置かれていた。
「返してくれたんだよ」「え、貸してたの?」「困ってるっていうから」
キッチンの引き出しに入っている家計の通帳を見る。数回に分けて、数十万円が伯母の口座に振り込まれていた。「おばさん、食べ物を持って来てくれたんだよ」と父は冷凍庫を開けて見せた。業務用のソーセージが大量に入っていた。「食べ物がないと困るからありがたいよ」写真はイメージです
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責められると思ったのか「横浜から八王子まで来てくれるんだよ」と何度も口にする。お金を貸すのは別に悪いことではないから、返してくれているのか聞きたいのだと言っても「この年になると、昔のことを知っている人と話したくなるんだよ」と話を逸らす。
と思ったら「ほら返してくれたよ」と、電話台の引き出しから数万円としわくちゃのメモを出してくる。日付とサインが書いてあるが、金額は合わない。「きちんと返してもらったほうがいいよ?」と言うと「〇〇のおじさんとか××ちゃんとかの話をしたいんだよ」と親戚の名前を挙げていく。
そんなに「話がしたい」人だったっけ、家族とはほとんど話さなかったのに、と思ったが、その「証拠」は、実は家の中にたくさんあったのだった。
ひとり暮らしにはどう見ても大きい洗濯機。使わない部屋にも取り付けられているエアコン。
「どこで買ったの?」と聞くと父は、ここ、と名刺を人差し指で叩いた。〈お困りのことは何でもご相談ください!〉という文字の下に、若男子のイラストが描かれている。八王子市内の電器店だが、近所ではない。「何度も来てくれたから」
生保、電器屋、証券会社…、次々と出てくる契約と買物の痕跡
散らばっている名刺を見る。銀行、保険の代理店、便利屋その他。鉛筆で日付が殴り書きされているものもある。おそらく「来てくれた」日なのだろう。ピアノの蓋の上に積まれている郵便物を見て合点がいった。数社の証券会社や生保から「ご契約情報のお知らせ」が何通も届いていた。
「この人、夏に汗びっしょりかいて、自転車で来たんだよ」
中堅どころの証券会社の名刺を叩いて言う。「そういうの、追い返せないでしょう」
父は退職金を母に1円も渡さなかった。念願のゴルフ会員権を買って、あとは貸金庫に入れていた。わたしたち家族は、旅行どころか休日にファミレスで食事をしたことすらない。
けれど汗だくでやってきた見ず知らずの営業マンに、父は100万円分をぽんと出していた。電器屋が勧める通りに家電を買い、親戚には何度も送金していた。
80になって、父は人を求める人になっていた。お金を、人と繋がる手段として使うようになっていたのだ。
ひとつふたつ打ち明けたら気が楽になったのか、某メガバンクの名刺をつまみ「この人はさあ、何度も来てくれて、お酒が好きで」と笑いながら話し出した。
「え、うちで飲んだの?」「いい若者だよ」
その「いい若者」が父に勧めたのが、豪ドル建ての終身保険だった。払込保険料は900万円、契約時のレートは1豪ドル96.27円。先のことは分からないとはいえ、なんて「安い」ときに契約したのだろうと、苦々しい気持ちと腹立たしさが同時に湧いてくる。写真はイメージです
「いい若者」が勤める銀行の支店へ行ってみた
「いい若者」はもうひとつ、系列の証券会社の口座も開かせていた。100万円分つぎ込まれていた。父に株の知識があったとは思えない。自転車の営業マンにいい顔をしたのと同様、これも言われるがままに買ったのに違いない。
銀行に電話をした。担当者が替わりました、と若い女性の声が言った。保険の件で相談がしたいと告げ、予約を取って「いい若者」がいた支店へ足を運んだ。
応対してくれたのは筆者と同い年くらいの女性だった。父が契約したことはもう仕方がないと思っているが、高齢者が高額の保険の契約をする際に、家族の承諾を得るようなルールはないんでしょうか? と尋ねてみた。
保険証券をあらため「……たしかに、この場合はご家族の承認を得たほうがよかったと思います」と女性は言った。「でも、すぐにご入用というわけではないのなら、このままお持ちになられたほうがいいです」
とても感じのいい女性だった。尻拭い的なことは、こういう親身な雰囲気の女性に担当させているのかもしれない。うまいよねえと思ってしまった。すみませんと言わずに申し訳なさを醸す女性の技術は、すばらしかった。
通販でお菓子やワイン、そしてアダルトビデオも
やがて父は、新聞広告やテレビの通販に電話をかけまくるようになった。実家へ行くと、必ず果物やお菓子の段ボール箱が台所に置かれていた。2ダースのワインを頼んでいたこともあった。ヘルパーさんにお願いして、荷物が届いたら伝票を写メしてもらい、購入先に電話をして返品できるものはし、今後は注文が来ても商品を送らないで欲しいとその都度頼んだ。
「食べるもの、たくさんあるのに」と言うと「ない」と言い張る。「ここにあるよ?」と目の前に差し出しても「ないんだよ。食べ物がないと困るんだよ!」と怒鳴る。よくない兆候だった。
ほどなくして、電話の対象は通販から馴染みのパン屋さんやケアマネさんの事務所、つまり身近な知り合いに移った。遠慮がちにケアマネさんが教えてくれたところによると、数分おきに着信音が鳴る日もあったらしい。あちこちに菓子折りを持って謝りに行った。父のひとり暮らしはもう限界だった。
施設探しを始めた。持病で酸素導入をしているため、看護師さんが24時間常駐している施設を探さなければならなかった。酸素の管を装着するのは、とても簡単だが医療行為なので、介助者がやってはいけないことになっているのだ。11か所の特養に申込書を送ったが、要介護3では予想通りどこからも連絡はなかった。なんとかひとつ、受け入れてくれる老人ホームを見つけた。ひと月の年金をオーバーしてしまう額だったが、背に腹は代えられなかった。写真はイメージです
お世話になっていたヘルパーさんに手伝ってもらい、空き家になった実家の整理を始めた。
新聞の切り抜きや写真などの紙類、雑誌に混じって大量の封書が出てきた。アダルトビデオのカタログだった。宛名は母。消印は数年前。自分の名前で頼むのが嫌で、母の名前で申し込んだのだろう。そのカタログから注文したらしきDVDも、収納にたくさん詰め込まれていた。ため息が漏れた。
そして結婚相談所にも入会していた
「なんでしょう、これ」
小さくたたまれたその紙は領収書だった。〈入会費用の一部として〉13万5000円、日付は27年7月23日。八王子ではなく、隣県の住所。〇〇ブライダル。
ヘルパーさんと顔を見合わせる。「結婚相談所?」えーっ、と2人して声が出てしまう。平成27年7月、父は79歳だ。79歳で入会したってこと?
「すみません、そちらに父が入会した? ようなんですが」
問い合わせると、仲人から折り返させますと言われた。十数分後、領収書の収入印紙に押された印鑑の名前の人から電話がかかってきた。
「北村さんの、お嬢さん?」いがらっぽい咳払い。
「長女です。領収書を見つけまして」
「あー、そうですか」
60代後半くらいの女性だ。また空咳。軽侮が混じっていると感じるのは気のせいか。
「どうして父がそちらを知ったんでしょうか。八王子から遠いですよね」
「こちらからお電話したら、お運びくださったんですよ」
「なぜ電話を? 母が亡くなったことをご存じだったんですか」
「えーと、名簿です、名簿」
ああ、またか。またセールスか。セールス電話や訪問は特殊詐欺とそう変わらないのじゃないかと、何度も思ったことをまた思う。
「お父様、寂しいって。パートナーが欲しいとおっしゃってましたよ」
なんて気持ちの悪いことを言うのだろう。
「そちらのHPに、男性は定職のある方のみって記載されてますよね? 年金生活者を入会させたんですか?」
「年金は定収入ですからね。あのねえ、社会にはお嬢さんが思う以上に、寂しいとおっしゃる高齢の方多いんですよ」
こちらの質問を聞こうとせず、かぶせるように話してくる。自然とこちらも声が大きくなってしまう。写真はイメージです
入会「した」のか「させた」のか?
「父はいつまで入会していたんですか?」
「お支払いいただいたのは入会金だけですよ。本当はそのあと月会費がかかるんですけど、私は厚意で2年間、女性の情報を差し上げてました」
「厚意? 会費も払わない会員に、厚意で?」
「ええ。お父様真剣でしたから」
海千山千の声が苛立ちをかきたてる。ちなみに、筆者はかつてラジオでニュースを読む仕事をしていた。あの頃の滑舌を久しぶりに発揮してやろうじゃないの、と挑発に乗るような気持ちになる。
「当時、父は認知症の症状が出始めていたかもしれないんです。お気づきになりませんでしたか?」
「えっ、お父様とてもしっかりしておられましたよ?」
「それは〇〇さんの判断でしょう? 〇〇さん、専門家じゃないですよね。受け答えの感じで勝手に判断して入会させたんですか。高齢者の入会に際して、それはあまりにも」
「させたんじゃなくて、お父様が自分の御意志で入会されたんですよ」
早く切り上げたいという気配が伝わってくる
遮られて頭に血がのぼる。
「じゃあ、どうして2年で情報を送るのをやめたんですか」
「お手紙を差し上げたんです、退会されますか? って。お返事をいただけなかったのでストップしたんです」
「それでも、丸2年も情報を無料で送ってくださってたなんて親切ですね」皮肉を言わずにはいられない。
「いいご縁があったらと思いましてね。お父様、お嬢さんのことも心配しておられましたよ」笑ってしまった。いくらなんでもそんな場所で、娘の話なんかするわけないじゃないか。
「わたしのことが話に出たのに、高いお金を払う前にご家族に相談されたらどうでしょう、って言ってくださらなかったんですか?」
「それは個人の自由ですよね。知られたくない方もいらっしゃるでしょうし」
このあたりで早く切り上げたいという気配が伝わってくる。
「とにかく、入会金以外のお金はこちらではいただいてないですし、退会された方の情報は消去するのでこのくらいしかお伝え出来ないんです」
「え、情報消去したのに、こんなに覚えていらっしゃったんですか、父のこと」
「お父様、お元気でとお伝えくださいね」
咳払いとともに電話は切られた。
少し前に、ツイッターでこんな内容の投稿を見た。
〈自分の身内が詐欺に合ってないか心配なとき「怪しい電話や訪問はなかった?」と尋ねるより「最近、親切にしてくださってる方いる?」と聞いた方がいいそうです。○○の営業の方がよく話し相手になってくれるとか枝を切ってくれた、というのは危険です。母に今度聞いてみよう。〉
本当に、本当にその通りだ。身にしみて思う。身にしみすぎて、筆者はもう煮びたしのようになっている。
来週、また実家の片付けに行く。もしかしたらあの家にはまだ、父が人と繋がりたかった証拠が埋まっているかもしれない。
それを考えると、すこし寂しくて、すこしこわくて、ほんのすこしだけ、わくわくする。
北村 浩子2021/05/03
genre : ライフ, 社会, ライフスタイル, ヘルス
下記の記事は日経ARIAからの借用(コピー)です
「結婚、出産が当たり前」の価値観で育ってきたARIA世代
初めまして。くどうみやこです。私は、子どもがいない女性を応援する「マダネ プロジェクト」を主宰しています。マダネ(madane) は、人生は「まだまだ」これから!というメッセージと、新しい女性像を意味する「ネオ(neo)」を組み合わせた造語です。
ARIA世代の40代、50代の方は、小さいころから「女性は結婚して、子どもを産むのが普通」と思ってきたのではないでしょうか。私自身がまさにそうで、いずれそういうライフコースをたどるであろうことを疑いもしませんでした。でも実際は、全く違う展開になりました。
子どもがいない女性を応援する「マダネ プロジェクト」を主宰する、くどうみやこさん
寿退社を目指したはずが…仕事の面白さに目覚めた20代
私が社会人になった頃は、まだ女性は結婚したら仕事を辞める人が大多数。私も「目指せ寿退社」という感じで就職しました。
でも、思ったように事は進みません。たまたま機会があって転職することになったのですが、新しい会社は女性の係長や課長がいる、当時としては画期的な職場。広告宣伝の部署に配属され、そこで仕事の面白さに目覚めました。
ところが会社の再編で部署が解体され、営業事務の部署に異動。やりたい仕事はできなくなり、結婚相手もいない……まさに暗黒時代です。そんな28歳のとき、知り合いの紹介でアパレルのプレスで働き始めました。
30歳を過ぎたら「いずれ結婚すればいいや」と焦りなく
アパレルの世界では、今まで会ったことがないようなスーパーウーマンたちが大活躍していました。面接で私を採用した女性役員はいろんなブランドを手掛けてきた人。「今までは大企業の看板で世の中が回ってきたけれど、これからは会社に頼らず、自分で生きていける力を持たないとダメ」と教えられました。
再び仕事にのめり込んでいき、気付いたら30歳を超えていました。30といえば、当然結婚していると思っていた年齢。でも、いざ過ぎてしまったら「いずれ結婚すればいいや」と、逆に焦りがなくなってしまいました
「産まない」と「産めない」は違うことを痛感
焦っていたのは親のほうです。当時、長く付き合っている人がいたので、「あなたたちどういうつもりなの?」と両方の親からたびたびせっつかれました。とうとう彼のお父さんが出てきて、「僕はもうすぐ定年だから、どうか現役のうちに式を挙げてくれ」と懇願されたんです。親たちに背中を押され、というかほとんど突き飛ばされるようにして、急きょ式を挙げました。
結婚を機に湘南に引っ越し、会社は辞めました。アパレルは毎日終電で帰るような激務。ここで一旦、自分がやりたいことを考え直したいと思ったんです。もともとトレンド情報を追いかけるのが得意だったので、2002年に「流行りもの情報サイト kiteru」というウェブサイトを立ち上げました。
結婚しても、子どもはなかなかできませんでした。当時は妊活という言葉もなかったし、フリーになって自分の力を試そうと仕事に軸足を置いたら、結構依頼も来て忙しくなってきた。そうやって35歳が過ぎ、40歳が目前になって、「あれ、私もしかして子どもがいない人生になるのかな」、そんな考えが頭をよぎりました。
思い描いていた人生とは少し違うけど、それもありかな……そんなふうにうっすら思い始めた矢先、子宮の病気が発覚して、子どもを産めないことが決定的になりました。
「産まない」と「産めない」は違う。今までは少ないながらも可能性があったものが、ゼロパーセントになった。その事実を突き付けられて、「ああ、何で今まで真剣に向き合わなかったんだろう」と、大きなショックを受ける自分がいました。
涙を流しながら思いを吐露した女性たち
とはいえ、いつまでもしゅんとしていても仕方がない。生来の探究心で「子どもがいない人生ってどうなんだろう」ということが知りたくなり、いろいろ調べ始めたんです。そうしたら、あまりにも情報がないことに気付きました。
子どもがいない人たちだって居場所は欲しいはずだし、悩みもあるはず。それで、まずは子どもがいない人同士で集まりませんか? と呼びかけました。最初は15人くらいが集まり、子どもがいないことになった経緯や今の気持ち、世の中に対して思うことを話してもらった。そのときに初めて、「子どもがいない人のリアルな本音」に接したんです。
子どもがいない人は職場や友人の中にもいたりしますが、センシティブな問題なので、立ち入ったことまではなかなか聞けないですよね。一人ひとりの話を聞くうちに、「これは私が思っている以上に、みんなすごく傷ついたり、いろんな思いを抱えたりしていたんだ」ということが分かってきて、衝撃を受けました。しかも、多くの人が話しながら、途中から涙を流していたんです。単に「子どもがいない」というだけではとても済まされないことだと思いました。
まだまだ長い後半の人生、先が見えずに不安な気持ちでいる彼女たちが、どうしたら前向きになってくれるだろう。彼女たちの気持ちをすくい上げて世の中に発信することが、私の使命なんじゃないか。そんな思いで「マダネ プロジェクト」は始まりました。
くどうみやこ
大人ライフプロデューサー/トレンドウォッチャー
メーカーの広告宣伝部、アパレルのプレスなどを経て、2002年より「トレンドウォッチャー」として活動をスタート。
下記はAERAdotからの借用(コピー)です
秋篠宮家の長女、眞子さま(29)との婚約が延期になっている婚約内定者・小室圭さん(29)が5月23日、米フォーダム大学のロースクールを無事に卒業した。卒業式はオンラインで行われ、式典には弁護士資格を持つヒラリー・クリントン氏も登場し568人の卒業生にエールを送った。
卒業生のほとんどは名前が読み上げられると、本人の写真とメッセージが画面に映し出されたが、342番目に呼ばれた小室さんの画面には写真もメッセージも表示されなかった。
「小室さんは7月に行われるニューヨーク州の司法試験を受験する予定で、これに合格すれば来年1月ごろには弁護士資格を取得できます。卒業に際して、メッセージも写真もなかったのは本人の希望なのか物理的な事情なのかはわかりませんが、オンラインとはいえ、学生にとっては記念すべき晴れの舞台です。ここに、何も載せなかったというのは、マスコミからの視線、批判を避けたいという気持ちがあったのかもしれません」(皇室記者)
小室さんと眞子さまの結婚が延期になり、ここまで問題が複雑になったのは、小室さんの母・佳代さんと元婚約者Aさんとの金銭トラブルが発端だ。4月には小室さんが金銭トラブルについて4万字に及ぶ文書で説明したが、この文書によってさらに状況を混乱させる結果となった。
「文書を発表した4日後、小室さんは主張を一転させて『解決金を渡す』としたものの、具体的な動きはなく、佳代さんの遺族共済年金の不正受給疑惑も依然として払拭(ふっしょく)されていません。しかも、文書発表の翌日には、秋篠宮家の最側近である皇嗣職大夫が文書の内容について『眞子さまのご意向が大きかった』と明かしたことで、これまで以上に眞子さまへの風当たりも強くなってしまった」(同前)
さらに追い打ちをかけたのが、佳代さんの“フェイク長期入院”だ。小室さんの文書をうけてAさんは「佳代さんは体調が悪く、長期間の入院中と伺っております」とコメントしたが、そのおよそ1週間後、「女性セブン」にしっかりとした足取りで自宅マンションに入る佳代さんの姿をキャッチされた。
「ここまでの流れを見ても、誰も何も納得できないでしょう。一部の皇族の方々からは『もういいかげんにしてほしい』という声が出ています。また『仮に小室さんと結婚して、小室さんが皇室行事に出るならわれわれは一切でない』と厳しい言葉を漏らしている方もいらっしゃるといいます。秋篠宮さまも、娘の結婚という以前に『皇嗣』として、また将来の天皇家としての信頼を回復することを念頭に置かなければなりません。この問題を長引かせてはいけないというお気持ちは誰よりもお強い。そのためにも眞子さまと小室さんは一刻も早く問題をクリアすべきなのですが、眞子さまは結婚を目指して一直線ですから……」(皇室ジャーナリスト)
小室さんはニューヨーク州の司法試験が終わっても一時帰国することはなく、会見の予定もないという。
別の皇室記者は「もしかしたら、結婚を焦らない事情ができたのでは」と話す。
「仮に眞子さまが皇籍を離脱し一般人になった上で小室さんと結婚するという選択をしたとしても、はたして小室家がそれで納得するかは疑問です。女性宮家創設となった場合は男性皇族の配偶者が皇室に加わり皇族となるように、小室さんも皇族となる可能性が高くなります。一部では眞子さまが皇女となれば将来的に15億円が入るので、それまで結婚延期も視野にいれている、との報道も出ています。皇位継承のあり方を検討する有識者会議もスタートしましたから、その成り行きを見ようと考えている可能性あります」
かつて秋篠宮さまがお二人の結婚について述べられた「多くの人が納得し喜んでくれる状況」には、まだまだ程遠い状態が続いている。(緒方博子)
下記はヨミドクターオンラインからの借用(コピー)です
新型コロナウイルス感染症のケアに従事する救命救急センターの看護師が、家族内感染による影響で、「代理意思決定への支援がより一層難しくなっている」と語ってくれました。
80歳の男性。妻、長男家族と同居しており、家族内感染した。長男の妻は症状が軽くホテル療養、孫は無症状だがPCR陽性で自宅療養となった。家族の中で、本人が最も重症であり、入院後すぐに人工呼吸器による治療が開始された。
> 妻と長男はPCR陰性だったが、濃厚接触者とされたため、家族への初回の病状説明は電話により行われた。長男から「ECMO(体外式膜型人工肺=体外循環で肺の機能を代替する機械)を使えないか」という質問があったが、患者の年齢や既往歴から適用ではないことが伝えられた。その後、 腹臥位ふくがい 療法(急性呼吸不全の患者に対する治療法の一つで、うつぶせにして人工呼吸療法を行うこと)など、ECMO以外の積極的な呼吸療法が行われたが改善せず、「昇圧剤をどこまで使用するか」「急変時に蘇生行為を行うか」などについて、家族に意思を確認しなくてはならない時期がきた。
> この時点で入院から2週間以上が経過しており、隔離期間を終了した長男が初めて面会に来院した。本人は薬により深く眠っているため意思疎通ができない状態であった。「人工呼吸器でできる治療は限界で、いつ何があってもおかしくない状態です」という担当医の説明に対し、長男は「苦しくないようにしてほしい」と話した。医療チームとしては、キーパーソンである長男のこの言葉は、緩和ケアへ移行するかどうかを決める重要な意見であった。看護師から「他のご家族も同じお考えですか」と長男にたずねると、「娘(本人の孫)は『自分が感染させてしまった』と毎日悔やんで泣いているし、母(本人の妻)は『何とか良くなる方法はないのか』と言っています」ということだった。さらに長男との話し合いを進めた上、積極的な治療を行わずに、症状などを和らげる緩和ケアに移行することにした。数日後、長男の 看取みと りのもと患者は亡くなった。
面会制限で顔を合わせる機会を奪われ
新型コロナウイルスの家族内感染は、実際に多く起こっています。このケースから、家族内でも現実の受け止め方が違い、家族一人一人へ及ぼす影響は計り知れないことがわかります。重症者がいる場合、家族は自責の念を抱きながらも、本人に代わって、治療に関する「代理意思決定」をしなくてはならない局面にも立たされます。
代理意思決定者になる人は「患者がこの状況下で何を望むか」を考えることが肝要ですが、家族の心情を考えると、冷静に考えることは非常に難しいと思われます。
重大な決定をする人への重圧
代理意思決定には、家族一人一人が患者さんの状況を理解し、納得できるよう、丁寧に話し合いを重ねることが求められます。しかしコロナウイルスの流行によって、このケースのように、家族は濃厚接触者として隔離期間が設定され、重要な話も電話での対応にならざるを得ない状況が出てきています。長男の「苦しくないようにしてほしい」という言葉は、ようやく患者さんと面会できたからこそ、表現された言葉かもしれません。
本来であれば精神看護を専門とする看護師やカウンセラーなどに、本人の妻や孫へのサポートを依頼することが望ましい事例でしたが、面会制限があることによって専門的サポートを行えないことももどかしかったと看護師は語っています。本来なら受けられるはずの、そうしたサポートがないまま家族が亡くなる経験をすることで、妻や孫の自責の念をさらに強くしてしまうことが懸念されました。
家族のそれぞれの思いを受け止めつつ、重大な治療方針を決めなくてはならない長男のことも心配したと言います。看護師が長男へ、「他のご家族も同じ考えですか」とたずねることで、それぞれの家族の思いの一端を垣間見ることはできましたが、それらに対して、「現状では適切なケアができなかったのではないか」と、この看護師は悔やみます。
コロナ流行下で問われる看護師の力
新しい感染症のため治療法自体が確立しているわけではなく、「その時点で『効果的』と言われている治療や薬剤を試し、それを評価することの繰り返しだった」と、看護師は振り返ります。そのため、見通しが厳しいと思われても、緩和ケアに移行するかどうかの判断も難しく、今回のケースでも、医療チームのなかで「積極的治療の継続」と「緩和ケアへの移行」で意見が分かれたそうです。
代理意思決定には、情報の共有やそれぞれの価値観の明確化などが重要ですが、それ以前に、家族などが代理で意思決定できる状況を整えるための支援が求められます。他の家族が異なる考えを持つ場合は、それぞれの精神面へのサポートも必要です。コロナのために以前のようなコミュニケーションがとれない今、家族をどう支えていくか、看護師の力が問われています。(鶴若麻理 聖路加国際大教授)