油断するとあっという間
こんなに大切なことが
知らないうちにどんどん
流されていくとは知らなかった
気をひきしめなくては
油断したまま終わりがきそう
誰かを思い
せつなくなる時
その気持ちを大事にしよう
YouTube
Replus - White Avenue
https://www.youtube.com/watch?v=JQGu6RKuZeY
あのせせらぎのまぶしい
水辺を思いだす
カワセミが見られる場所は、
深い緑に囲まれ、せせらぎは
黄昏(たそがれ)とともに色合い
や輝きが微妙に変化し、それは
神秘できれいだ。
「カワセミって翡翠(ひすい)
と書く。
翡翠色って、カワセミの
羽の色からきている。
尾がきれいな青で、
全体は深い緑。
宝石の翡翠も
その色に似ているから
なんだ」
「よかった、
君と見ることができて、君が
一緒にいたから、見れたん
だ」と彼女を抱きしめた。
「あの鳥が天使なら、
君が誘いだした女神だ」
そう言いながら、
彼女のくちびるをふさいだ。
さあ、
今夜、夢の続きをみよう~。
年を重ねるごとに
純粋になっていけたら
いいな。
YouTube
back number - 「ハッピーエンド」Music Video
https://www.youtube.com/watch?v=hzWDXge2ANM
若者にとって、思うところの
美少女の家を訪ねるのはその
日が初めてだった。
「あんた、誰?」
ドアをあけたのはパジャマ姿の
男だった。
「今のは、兄です」
と言いながら美少女がパジャマ
男を押しのけて奥から出てくる。
「ママー!!」
パジャマ男と入れ替わりに三歳
ほどの幼児が玄関口に駆け込ん
でくる。
「今のは、・・・年の離れた弟
ですの」
美少女は、幼児の頭をこづきな
がら家の中に押しこめる。
「ワン、ワン、ワン!」
最後に、飼い犬が吠えながら
やってきた。
「犬になったお父さんよ!文句
ある?」美少女は、若者の目を
見据えてそう言い放った。
若者:・・・ソフトバンクか?
彼は、中学の同級生だったが、
特別、意識したことはなかった。
お互い社会人になってから。
ある日偶然、日曜の駅前で
ばったり会った。
彼は、もちろん年相応に男っ
ぽく、大人になっていたが、
昔のあどけない素朴な面影
も残っていて、
好感を持ったのだった。
それから時々、メールをし
合ったり、たまに日曜、一緒
に近所の公園などへ行ったり
した。
彼への想いは、徐々につの
っていった。
彼のほうは、気ままに思いつい
た時、ふらりとやってくるので、
はっきりした意志はわからなか
った。
だいたい私たちは、甘い恋人
同士のような会話にはならず、
幼なじみ、同級生の城を出て
いなかった。
クリスマスの日、今までのつき
合いどおり、特に会おうとか
約束もしていなかったので、
迷いに迷った。
今思えば、もっと早く、気づいて
もよかった。
彼は家にいたのだけれど、あきら
かに、私が突然訪ねたことに驚い
たようだった。不審そうな顔をして、
私からプレゼントを受け取り「あり
がとう」と言った言葉に、とまどい
があった。
そして、私に部屋へ上がっていく
ようにとは勧めなかった。
私には、うちひしがれたクリス
マスになった。突然プレゼント
を持っていく好意も、ふたりの
仲にとっては愚かなことだった。
しかし、今夜、おさえ切れぬ想いで
彼のそばまで行き、電話をしたのだ
った。
雪は時として、残酷だ。白くすべて
を覆って、今までの経過や、自分の
想いまで、閉じこめてしまうようで
・・・・。
思えば、それだけの仲だった。私に
は熱い恋心は生まれていたけれど、
彼には、それだけの気もちがなか
ったということ。
寒さを忘れてしばらくながめてい
ると、涙がこみ上げそうになった。
・・もう、会えない。だぶん・・・
彼は、白い雪のベールにはばまれ
て、遠くへ行ってしまった。
ほんの小さな記憶だけれど、かけ
がえのない思い出が、粉々になっ
て舞っていくようだった。
そして、白く、白く、包みこんで
しまう。
週刊誌に、以前、掲載された
たけしと能がきわめて正論で愉快だ
った。
なるべくなら全部書きたいところ
だが、全部書くわけに行かないか
ら抜粋すると、
そもそも彼がお能を見に行ったの
は、「どいつもこいつも浮き足立
つているもんで、少しは気を鎮め
てだな、わびとかさびとかに触れる
のもいいんしゃないか」てんで、
千駄ヶ谷の国立能楽堂へ足を
運んだというわけである。
はじめのうちは眠たくて寝ていた
が「後場(これ後シテでは?)に
入ったら起こされちゃった。
鼓がうるさくて。
で、最後まで一気に見せられて、
いやもうおもしろかったな。
・・・幽玄とか精神文化に関わ
りがあるのが能だとかいわれて
いるらしいけど、全然そうじゃ
ない、あれは昔のロックコン
サートだぜ」
「能の囃子と舞もいいけれど、
能面を使う発想も卓抜でさ、
お面は何も語らないけどすべ
て語るっていうか。
一即多、多即一のサンプルかな。
これが私の感情なんだって表現
を生の顔でやると、それ一個し
かない。
客の想像力が縛られる。ところ
がお面っていうのは一個の感情
表現なんだけど、同時に表現の
消去でもあって、見るものに
よってどうとでもなる」
文句をいえば、謡い(うたい)
の言葉がわかんないのが欠点
だと彼はいうが、
最後には、
日本のガキどもが外国語の
意味もわからず歌っている
のと同じことだ、
要は「ノリ」なわけだから、
お能はM・C・ハマーにだっ
てひけをとらない。ノリ一筋
の馬鹿ばかりでなく、前衛
音楽好きのヤツもどんどん
ファンになっちゃうよ。・・・
と、まあそういった次第なの
だが、私が子供のときからお能
にとりつかれたのも、祖父が
お茶の先生で足さばきが能だっ
たからだ。
能は、今でもノッテ来ると、見
物席でじっとしているのに精一
杯である。
だいたい、一糸乱れず、几帳面
で、見ていてドキドキしないよ
な、踊り出したくならないよう
な演技なんて、何が面白い?
室町時代の世阿弥の頃はみんな
うそうだったに違いないが、
ビートたけしさんの新鮮な眼は、
はからずもお能に一番大切な、
原始的なものをとらえて見せて
くれたのである。
僕は落語家のなりそこないだが、
談志師匠が2流を目指せと、口々
におっしゃていました。
一流になったらお終いだと・・
・・。
『“とっておきの言葉”を言える
のが、幸せな人たちの共通点』
幅60cm、長さ5Mほどの
頑丈な板を思い描いてみてくだ
さい。
もし、この板が平らな地面に置い
てあったなら、その上を端から端
まで歩いて渡ることは、誰にでも
簡単にできるはずです。
では、その板が、天高くそびえ立
つ2つの高層ビルの間にかけられ
ていたら、どうでしょう?
下を覗けば、地上を走る車がおも
ちゃのように小さく見える。
こうなると、大抵の人は足がすく
み、板に足をかけることすらでき
ません。
まったく同じ板なのに、渡れたり
渡れなかったりするのは、私たち
に「想像力」があるからです。
前者は「簡単にできる」と想像す
るからできるのであり、後者は
「落ちたらどうしよう」と想像し
てしまうから、足がすくむです。
この架空の板を”未来へつながる
人生行路“にたとえて考えてみて
ください。
「未来は希望に満ちている」「この
先、楽しいことが待っている」と
思えば、その板を難なく渡れるで
しょう。
ところが、「辛い目に遭ったらどう
しよう」「仕事がうまくいかないかも」
「恋人と別れてしまうかも」とネガテ
ィブな想像で頭がいっぱいになってい
ると、
未来が不安と戸惑いに満ちているよ
うに感じられて前に進めません。
いいことを想像するか、悪いことを
想像するかで、心の状態も行動も、
180度変ってしまうのです。
言い換えるなら、想像力の使い方
次第で、この先の運命を好転させ
ることができるということ。
どんなに辛くて不安なともきも、
「未来は希望に満ちている」「この
先、楽しいことがたくさん持って
いる」という、とっておきの言葉を、
自分に語りかけてみましょう。あと
は一歩一歩、歩みを進めるだけ。
幸せな想像はいつか現実となり、
わたしたちの毎日はステキに
輝きだします。
「うまくいく!」のひと言で、
未来に「安心の橋」がかかります。