昼のうちから、ずっと気になっ
ていた。けれど、彼はこちらに
気づいていない。
貸しボート屋のパラソルの下で、
客がくると手際よく応対し、て
きぱきとポートを渚まで運び、
オールをはめこむ。膝元まで
水に入りながら、海へ客を乗せ
たボートごと押し出す。
特別、目立つ様子ではないが、
時とりの表情があどけなく、さ
わやかだった。
一緒にきていた女友達は、ボート
屋の青年になんて目もくれず、
もっと派手に騒いでいる男だけの
グループなどに周波を送っていた。
特にそのグループのなかのひとり
が、二宮和也に似ているといって。
目当てはその子らしい。
いつもの夏のパターンだ。渚のかけ
ひき。陽気にくり広げる、ノー天気
なゲーム。若さにまかせた、海なら
ではの解放感。
私は、今ひとつ、いつも乗り遅れた
感じでぼんやり水平線をながめ、
寝そべっている。
けれど今年は、最初からそのボート
の青年が、気になり始めた。
みんなの趣味とはズレているの
だろうけど、彼の動きを見ている
のは楽しかった。
私はなんとなく手持ち無沙汰に、
みんなから離れて夕日を見ていた。
海はハレーションがきれいだった。
泳いでいる人影も黒い点になり、
波打ち際は、逆光のシルエットに
なる。
気がつくと、あの彼が、海に入っ
ていくところだった。
今日一日の
仕事から解放されたのか、大きく
伸びをして、波をひとつひとつ
かわしながら、腰のあたりまで
水につかった。
思いがけなく、彼が、目の前の
波打ち際にひょっこり現れた。
いつ戻ってきたのだろう。少し
荒い息をして、腹筋が上下した。
視線が合って、彼はにっこり笑
った。そのまま近づいてくる。
私はあわてて、うつむいて爪先
で砂をいじっているポーズを
作った。
彼は、仕事中の口の利き方より
も気軽な調子で声をかけた。
そばで見ると、糸きり歯がアク
セントのように目立ち、さわやか
な笑顔だった。
「ずいぶん泳ぎ、うまいんですね。
すごく速くて、水すましみたい」
「やあ、まだ宿へ戻らないの?」
「明日、まだいるんでしょ。俺、
午後ヒマだから、ボートただで
乗せてあげる。
いや?女同士のほうがいい?」
私は思わず、違うというふうに
首を大きく振った。
「じゃ、明日ね」
彼は、砂を蹴るように走ってい
った。そのあとを小犬がじゃれ
て、ついていく。
暮れかかった海辺で、そこだけ
スローモション・フィルムのよ
うな絵柄に見えた。
彼はこちらを向いて、手を振っ
た。私も手を振り返し、
・・・水すまし、糸切り歯・・・
と、つぶやき、渚に背を向けて
から、思わずほほえんだ。
・・・・・・・・・・・・・
夏のプロローグ 気がつくと
しなやかに心は踊る
その年のまっさらな思いでづ
くり
ワンショットでいい 飾るシー
ンも
それがいつか 大きく季節を
超え たくさんのドラマを
生むかもしれない
揺り返す波の ストップモーシ
ョンのように
出逢いも 心の中で 一時停止
した情景
出来れば 絵葉書のように
壁のピンで止めたい
胸騒ぎも 予感も 出来れば
凪いだ海のように
おだやかな 包みこむような
恋であってほしい
誘惑ほどに 大げさじゃなく
さざなみほどの
ときめき きらめきの心で・・・