さぽつぴ日記

天然系主人・Sapo(娘)・Tsupi(私)の三人の生活を不定期更新中!

逃避

2020-08-21 15:19:15 | 俳句

以前も書いたが、私の通っている俳句の教室は、入門クラスだ。

前回、キャリア15年以上と言う方ばかりのクラスに入ってしまい、

大変な後悔をしたので、今回は間違いなく入門クラスを選んだ。

たった半年、教室に通っただけの私には、ちょうど良いクラスのはずだ。

 

前回の講座で、

地下鉄の尾灯の赤し夏の果

(ちかてつのびとうのあかし なつのはて)

という句を取り上げて、先生が説明された。

 

俳句としては成立している。

でも、点が入らない。

なぜか。

それは、地下鉄にキカンがないから。

地下鉄を書いて失敗する人は多い。

難しい題材に挑戦するな!とは言わない。

でも、よほどの覚悟もなく挑戦するのはいかがだろうか。

 

いつもはやんわりと話をされる先生の語調が硬い。

よほどやってはいけないことなのだろうか。

でも、私には意味がわからない。

「何のこっちゃ?」

・・・である。

まず、「キカン」(漢字に変換もできない)って何?

・・・である。

 

先生に、

「よくわからないのですけど」

と聞きたいのだけど、他の皆さんは、

「うん、うん」

と頷きながら聞いているので、わからないのは私だけなのだろう。

 

続けて、先生が、

「この句はどなたの句ですか?」

と言う。

そして、私は、おずおずと手を上げる。

 

教室が終わってから、他の方にうかがってみると、

半分の方は、もう十年以上、このクラスに通っているとのこと。

残り半分は、長く先生の句会に通っている方々だそうだ。

 

マジか・・・

 

である。

 

「へたくそ!」

って言われるのはいいんだよね。

上手くなりたくて行ってるんだから。

でも、わからないことをわからないと言えないのはつらい。

かと言って、みなさんの邪魔になるのもつらい。

 

それなら、だ!

入門クラスを5年続けた人は、初級クラスに移るというのは、どうだろうか。

それが無理なら、せめて半数は正真正銘の入門者にしてもらえないだろうか。

 

・・・なんて、逃避している時間はもうないのだった(苦笑)

次の講座はもう目の前。

がんばって俳句書くぞ。

おう。

(・・・と、力なく言ってみる・・・笑)

 

おっと、写真を忘れていた。

今日は、少し涼しくなれる(?)写真かも。

この前、小樽に行ったときに撮った写真なんだけど、

赤丸をつけたカモメをアップで撮ったら、

 

 

目がね、開いてるの。

怖っ・・・。

背筋がゾーーーってなっちゃった。

 

・・・って、また逃避してないで、

俳句書きましょうね、自分(笑)

 


『風死す』

2020-07-26 17:04:32 | 俳句

夏は暑いから夏だ。

・・・と言うわけで、私は夏の暑さが大好きだ。

「北海道に住んでいて、暑さ言われてもねぇ~」

と言われそうだけど(笑)、

愛知に住んでいたときも、埼玉に住んでいたときも、

やっぱり私は夏の暑さが好きだった。

 

タイトルの『風死す』は、夏の季語。

「夏の真っ盛り、それでなくても暑いのに、

風がぴたーっと止んでしまって、

息苦しくって、耐えがたい・・・。」

といったイメージ・・・だと思う。

 

去年の夏、俳句を始めてすぐこの季語に出会った。

(7月に始めたので、まさにその季節だったので)

何だか意味が分からない季語が多い中(笑)、

これは実感を持ちやすくて、とっても気に入った。

そのときに詠んだ句がこれ↓。

 

風死せる背の子の傾る八合目

(かぜしせる せのこのなだる はちごうめ)

 

背中に子供を背負って山を登っていたのだけど、

八合目あたりまで来たら、風が止まってしまって、

暑さで背中の子供がグターっとしちゃって、

暑いわ、重たいわ、ったら、もう無理!

と言った感じ。

子育てあるあるっちゃああるあるだ。

 

さて、暑い話のあとは、涼しげな写真をアップしておこう。

 

昨日の北海道大学の大野池。

夏、この池に入ると、北大生は単位を落とすそうだ。

そして、その呪いを解くためには、

冬、凍った大野池を渡り切らなくてはならない・・・とか(笑)

 


消極的なウソ

2020-06-22 15:02:57 | 俳句

先週、新しい俳句教室に初めて参加した。

前の教室が2月までで、3月から新しい教室に通うはずだったのだけど、

ずーーーっと休校だったので、6月にして初めての参加となった。

前回の失敗に懲りて、今回は「入門クラス」だ。

前回の俳句教室選びの失敗は こちら (笑)

 

うちの教室は、ひとり2句詠んで、無記名で提出するシステム。

それを、全員で鑑賞したり、好きな句を選んだりする。

それから、先生が批評したり、アドバイスしてくれて、

最後に、

「この句を詠んだのは誰ですか?」

と言われて作者が名乗るシステムになっている。

(句会形式・・・と言われるヤツです)

 

今回、私が詠んだ句の一つは、

「でで虫の諭されてなほそこにをり」

 

でで虫=かたつむり

なほ=なお の旧仮名遣い

をり=おり の旧仮名遣い だ。

 

先生の批評は、こうだった。

 

”でで虫の” の ”の” がいいですね。

この ”の” は、 ”の” と書きながら、

”でで虫” と ”諭されており~” を繋ぐ役割をするわけではありません。

”でで虫” と ”諭されており~” との間に ”切れ” を生む働きをしています。

つまり、”かたつむりは諭されてもそこにいる” 

ということを言っているのではないのです。

かたつむりではない誰か、本人なのか、あるいは他の誰か、が、

諭されてもなほそこにいるのです。

お上手な句です。

この句を書かれた方はどなたですか?

 

私は、めっちゃ名乗りにくかった。

そんなに褒められちゃったら、ほんとに名乗りにくい。

 

だって、私は、

”かたつむりが「危ないよ」って言われてもまだそこにいる”

っていう子供の頃の思い出をそのまま詠んだだけなのだから。

 

「はい・・・」

とおずおず手を挙げた私。

もちろん、

「それ、本当にかたつむりの話しです」

とは言えず。

積極的に、じゃないけど、ちょっぴり嘘ついちゃった。

ははは・・・。

 

俳句は、

「詠む人が半分を、読む人が半分を作る」と言った方がいらしたが、

感性豊かな人が読むと、良い句になったりするのだなぁ~。

 

・・・次回、頑張ります(笑)

 

かたつむりの写真でも載せようと思ったのだけど、

手持ちがなかったので(笑)、

先日見た変な形の雲の写真を載せておこうっと。

 

よし!

次回は「夏の雲」で詠もう。

・・・って、夏の雲は、積雲とか積乱雲とかだって!(笑)

 


詠もう

2020-05-14 15:24:22 | 俳句

今日は俳句の話しなのですが、いつも以上の長文になりそうな予感・・・。

どうぞお時間のある時にお読みください。

 

さて、本文。

去年6月から今年1月まで私が通っていた俳句教室は、長く通われている方が多かった。

俳句教室の話はこちら

短い方でも14年。

ド素人の私が見ても、良い俳句を詠まれる方が多かった。

中には、〇〇〇新聞の文芸欄(俳句)によく選ばれているという

すごい方(Aさんとしよう)もいらした。

先生にその話を聞き、

「へぇ、〇〇〇新聞にそんなコーナーがあったのか!」

と教室から帰り、古新聞を探して読んでみると、あった!あった!

Aさんの句が載っていた。

そのとき、Aさんの句を選んでいたのが『源鬼彦さん』だった。

 

それからしばらくして、月刊誌『角川 俳句』を読んでいると、源さんの句が載っていた。

全文は覚えていないのだけど、

「蜘蛛が図書館の入り口に一匹いる。まるで図書館の守衛のようだ」

と言うような内容だったように思う。

それまで、俳句って何を詠むものなのか、見当もつかずにいた私が、

「俳句って詩(ポエム)なのか?」

と思ったのは、この句との出会いがきっかけだった。

 

私は思った。

「源先生に選んで欲しい!」

そして、珍しく「良い句を書きたい!」と頑張り、3句書いて新聞に投稿した。

・・・で、結果はボツだった。

今思えば、俳句を始めて数か月。

世の中そんなに甘くない(笑)。

 

でも、これをきっかけに、私は真面目に俳句を詠みだした。

「いつか源先生に選んでもらう」

という目標に向かって精進した。

しかし、その後、源先生は新聞の選者をお休みされたため、私の句を見て頂く機会は当面なくなった。

 

去年の終わりごろ、教室の先生の勧めで、

某俳句協会某支部の俳句大会に応募することになった。

教室の生徒さんはみんな応募する。

ほぼ強制(笑)

でも、この大会、選者40人ほどの中に、源先生がいる。

先生に選んでいただきたい一心で頑張った。

 

結果は今年の4月に届いた。

私の句は賞をいただいた。

『賞』は、その句を選んだ選者の数で決まる。

多くの方に選んでいただけたのは嬉しい。

でも、源先生は、私の句を選んでくれてはいなかった。

悲しい。

ひたすら悲しい。

 

あとは、源先生が新聞の選者に戻られるのを待つしかない。

それまで頑張って俳句を詠もう。

 

そう思っていた。

 

だけど、それは叶わぬ願いとなった。

今日の朝刊に、源先生の訃報が載っていた。

 

頑張ろう。

頑張って俳句を詠もう。

いつか天国から先生に選んでもらえるように。

 

楽しみにしていたライラックは、まだ五分咲き。

私の俳句が満開になるのはいつのことだろう。

 

源先生のご冥福をお祈りします。


色へのこだわり

2020-04-17 16:19:54 | 俳句

仕事でちょっと面白い出来事があった。

ロゴのデザインだったのだけど、依頼してくれた方のこだわりどころが面白かった。

 

「ロゴの背景、チャコールグレーでお願いします」

と言われた。

「グレー(灰色系全般の意味)でお願いします」

と言われることはあっても、

「チャコールグレー」と色の名前で指定されるのは珍しい。

もちろん、私は「チャコールグレー」を知らないので調べた。

(いや、もちろん とか、どうだろう・・・)

 

・・・でさっそくチャコールグレーで作ると、

「このチャコールグレー、もう少し明るめでお願いします」

と言われた。

 

「チャコールグレーが明るくなったら、もうチャコールグレーじゃないよ」

 

と思いながらも、背景を少し明るい色に変えると、

「もうちょっと茶色に寄せてみてもらえます?」

と言われ、

さらに、

「もう少し思い切って明るめにしてもらえます?」

と言われた。

 

「OKです!このチャコールグレーでお願いします!」

と言われてできたロゴの背景は、もちろん、もうチャコールグレーではなかった。

 

 

もちろん、

「これはもうベージュグレイですよ」

などとは言わない。

できあがりに納得してもらえれば、チャコールと呼ぼうが、

ベージュと呼ぼうが、赤と呼ばれたって構わない(笑)

 

・・・と言うわけで、私は普段、色の名前なんて考えてはいない。

「グレー」は「グレー」でOK!

赤に寄っていようが、薄かろうが、濃かろうが、もう全部「グレー」って思ってる。

唯一、色の名前を考えるのって、俳句を詠むときくらい。

(仕事のときじゃないんかい・・・笑)

 

去年の夏、北大植物園でほおずきを見たときに、赤の違いにちょっと感動した。

そのときに詠んだ句。

 

鬼灯の赤緋赫と犇めけり

(ほおずきのあかあかあかとひしめけり)

またもや「見たそのまんま」の句(笑)

 

赤も緋も赫も、どれも「あか」と読むが、それぞれ違う色。

詳しい説明は、

 

・・・是非、調べてみて下さい・・・(笑)