久しぶりに大学時代の友達と話し、刺激的な意見をもらった。
そう思えるのは、率直に間違っていたら批判をしてくれるからなのと、
今という瞬間をとても大切にして頑張っているからだ。
アメリカに来ていいことに一つはみんなお互いを尊重しているということ、
人にはそれぞれ異なる考えがあり、自分を違う考えも大切にしようということ。
でもそうするとあまり批判的なフィードバックがが少ないように思える。
でも、大学で2年間半同じクラスだったせいか、
お互いに率直にそれは違うんじゃないとか、
それはこうでしょと言いあえる。そこが嬉しい。
そのおかげでずいぶん自分の考えが歪んでいるところも見つかった。
一つにはアメリカの大学院で勉強しているという自負が自分を傲慢にしていた。
また色々と余計なことまで考えすぎて、勉強に集中出来ていないこともそう。
そして話が実体験に基づいていなくて、誰かの話の押し売りになっていて、
話が空虚になっているなど(これは北大の建築でもよく言われた決まり文句)と。
また一番印象に残った言葉は「自分の純度を上げる」ということ。
これは僕がいつも人と違ったことをしていたいという風に僕が言った時に、
それが目的になっていると指摘されて気づいた。
僕の中では人と違っていたいというのが目的となっていたけど、
そうではなくて本当はもっと自然体の自分に近づくこと
(自分の純度を上げること)が目的だったのだ。
いつの間にか方法と目的が反対になっていたりしたことに気づいた。
改めて誰かしっかりとした理由で批判をしてくれる人がいるのは嬉しいと感じた。
僕たちはまだ何もしっかりとできていない、確たる信念というものからもほど遠い、まだ発展途上だ。
だからこそこれからしっかりと止まることなく成長していきたい。
そう思えるのは、率直に間違っていたら批判をしてくれるからなのと、
今という瞬間をとても大切にして頑張っているからだ。
アメリカに来ていいことに一つはみんなお互いを尊重しているということ、
人にはそれぞれ異なる考えがあり、自分を違う考えも大切にしようということ。
でもそうするとあまり批判的なフィードバックがが少ないように思える。
でも、大学で2年間半同じクラスだったせいか、
お互いに率直にそれは違うんじゃないとか、
それはこうでしょと言いあえる。そこが嬉しい。
そのおかげでずいぶん自分の考えが歪んでいるところも見つかった。
一つにはアメリカの大学院で勉強しているという自負が自分を傲慢にしていた。
また色々と余計なことまで考えすぎて、勉強に集中出来ていないこともそう。
そして話が実体験に基づいていなくて、誰かの話の押し売りになっていて、
話が空虚になっているなど(これは北大の建築でもよく言われた決まり文句)と。
また一番印象に残った言葉は「自分の純度を上げる」ということ。
これは僕がいつも人と違ったことをしていたいという風に僕が言った時に、
それが目的になっていると指摘されて気づいた。
僕の中では人と違っていたいというのが目的となっていたけど、
そうではなくて本当はもっと自然体の自分に近づくこと
(自分の純度を上げること)が目的だったのだ。
いつの間にか方法と目的が反対になっていたりしたことに気づいた。
改めて誰かしっかりとした理由で批判をしてくれる人がいるのは嬉しいと感じた。
僕たちはまだ何もしっかりとできていない、確たる信念というものからもほど遠い、まだ発展途上だ。
だからこそこれからしっかりと止まることなく成長していきたい。