Carpe Diem

シンシナティ大学で都市計画を勉強していた、ある大学院生の物語。現在はマンハッタンで就活。

NY-1-

2012-03-15 18:05:36 | daily life
春休みを利用してNYにきた。運良くシンシナティからニューヨークまでチャイナタウンバスという片道30ドルで出ていたので、それを使って12時間もかけてやってきた。日本からシカゴまで飛んだ時の12時間に比べてバスということで開放感があり、そんなに大変な感じがしなかった。シンシナティを夜の10時に出て、ニューヨークに着いたのは12時間後の朝の10時だった。



今回の旅はあまり事前にきっちりと予定を決めずに、見たいものを見よう、そしてやりたいことをやろうとかなりフレキシブルな予定で始まった。それでも10年前にテロにあったWTCは必ず見たかったのでニューヨークに到着後早速目的地へ!まだほとんどの建物は工事中であったが、運良くMemorial Reflecting Absenceだけは見ることが出来た。そこには今も亡き人のためにバラが刺さっていたりした。そのメモリアルを一周ゆっくりと歩いた。その名前の中に数人の日本人の名前を見つけた。また以前に友人が知り合いの一人をここで亡くしたということを思い出した。3000人近くの優秀なそしてかけがえのない命が亡くなってしまったのだと改めて実感させられた。









その後はマンハッタンを見れるだけ見ようと思い、ひたすら歩いた。マンハッタンの建物は本当に一つ一つが独特だけど、周りの建物としっかり調和しながら建っている。かなり以前に建てられた建物も大切に使われていることが分かるぐらいまだ輝きを放っていた。またそこを通る人たちもみんなお洒落でどこか凛とした雰囲気をまとっている。全てのものを見たくて本当にひたすら歩いた。









そして最後に見たのが、ずっと見たかったエンパイアステートビルディング。この建物は1931年に建設されてからWTCビルに抜かれるまでの40年間、ニューヨークで最も高いビルとして君臨し続けたからだ。また村上春樹の小説にも出ていたので頂上から一度、マンハッタンの全貌を見てみたかった。86階までは22ドル、頂上の102階まではさらに15ドル必要となる。頂上から見たマンハッタン島は本当に美しかった。こんな小さな島に、たった200年あまりの間に、こんなにも超高層建築を密集させた人間の偉業に驚かざる終えなかった。




君の知らない物語 -Cincinnati.ver-

2012-03-15 17:22:53 | daily life
震災から一年後の日に、日本人や日本に興味のある学生で集まって何かしよう。
そういうことで3月11日の夜、アメリカ時間の0-2時の間にシンシナティ大学の
日本人学生を中心に、といっても10人ぐらいで集まり、今回の震災の経験をシェアし、
日本時間の14:46に黙祷を捧げた。
当初は赤十字とかにみんなからお金を出し合って募金しよう、そういう感じだった。

そんな中、友達の一人がそれだけだと全然大した金額にはならないから、
そうじゃなくて大学でチャリティー募金をしてはどうだろう、そんなアイデアを出してくれた。
僕にとっては思ってもみないアイデアだった。
去年は震災後はずっと上海で東日本の震災の募金をしたいと考えていたけど、
震災の2か月後には誰も募金活動をしていなく、
結局僕は全く何もできずにふがいない思いをしていただけに、
今回のアメリカで震災に対して募金を募るというのは僕にとって小さな一つの夢だった。

その目標が出来たら、じゃあそれをどう実現していくかそう会話が進んでいった。
募金箱を作ろう、Tシャツを売ろう、おにぎりを作ろう。本当に色んなアイデアが飛び交った。
また話を進めているうちに、JASSという日本に興味のあるアメリカ人と日本人のサークルが
すでに3月の後半にチャリティー募金を計画していることをアメリカ人の友達が教えてくれた。
また4月の3週目には各国の文化の祭典であるワールド・フェスタというイベントで
日本の料理を、文化を、アメリカの学生に体験させることができるお祭りがあることも。
そうやって一気に話に熱が付いた。
かき氷をやろう、チョコバナナをやろう、日本の伝統衣装を着よう、ソーラン節を踊ろう。
大学のメールで情報を発信しよう、お祭りをやろう、いや縁日だろ!、などなど。

また学校側からの許可もおり、やる日程も場所も決まり、
あとは実際にどうやって情報を発信していくか、その段階になった。
そして数少ない日本人の学生も少しずつではあるけど集まってきた。
いまシンシナティ大学で一つの物語が動き始めようとしている。





テストとその後

2012-03-15 17:06:07 | study abroad
先週の週末からテスト勉強が、ようやく昨日終わった。
こっちではまったくテストを準備するという時間がなく、
通常の授業が終わった後の次の週からテストという感じだ。
その間もレーポートなどの課題もありつつ。
あとはテストの内容も先生によって大きく異なる、
というのもすごく新鮮だった。
特に一つの教科の平均点はクラスで50パーセントもいかないんじゃないか、
そんなのに思えるほど難しいのもあった。
そんなことを考えながらコンスタントに課題が出て、週末のパーティ以外では
まったく休む暇のなかった3か月がもう終わろうとしている。

春休みは10日ほどの短い休みだけど、せっかくだからどこかに行こう。
そうだ、ニューヨーク(と出来たらワシントン)に行こう。
土曜日のNY行きのバスのチケットは取ったけど、まだ宿と日程は考え中、
いつワシントンに行くかもまだ未定、いつ戻ってくるかも分からない。
大学が始まるまでには少なくとも戻ってこよう。
ずっと計画を立て続けていた3か月間が終わったのだから、
自由にやりたいことをやっていこう。
なるべく何のも縛られない休みを楽しもう。
アメリカの経済の中心のニューヨークと首都のワシントン、
どんな出会いが待っているんだろうと考えるとワクワクせずにはいられない。

東日本大震災から一年

2012-03-10 17:23:22 | daily life
3月11日、あれから一年が経とうとしている。
東日本大震災が残した影響はとても衝撃的だった。
地震、津波、そして原発の問題、
それらの傷跡が消えることはしばらくないのかも知れない。

また、その大震災に対して、世界各地から、
日本の各地からの応援や支援には感動せざるをえなかった。
世界中から多くの応援のメッセージが届いた。
タイのスラムの貧しい所からも、日本のためにはとのことで数万円も集まった。
シンシナティでも日本人女性の方々を中心とした支援団体が結成された。
日本では多くの草の根的な活動が各地で起った。
日本が、そして世界が、被災地のために一丸になったそんな気がした。
でも個人的には何ができたのだろうか。
数千円の募金と、数日のボランティアだけだった。
自分に対して一種の無力感を覚えずにはいられなかった。
世界中の日本にはまだ来たこともない人が被災地を応援し、
募金しているなかで自分はこれしか出来ないのだろうか、
そう感じずにはいられなかった。

また被災から日が経つにつれて、
その時の強烈な印象が薄れてしまっていくの感じられた。
あれから一年後、まだ34万人もの方々が仮設住宅で暮らしている。
まだ原発の問題もまだまだ解決していない。
完全な復興には20年、30年かかると聞いたことがある。

あれから一年後の、
2012年3月11日 14時46分18秒

あの時覚えた感覚が薄れていかないように、
もう一度原点に戻ろう。
いまは無力でもきっと将来は何かできるように。






決議案

2012-03-08 17:53:24 | study abroad
アメリカの政治の一部をみた、そんな気がした一時間だった。

以前に都市計画学科の修士一年の代表に選ばれて以来、初めての大学全体の会議に参加する機会に恵まれた。その会議には各大学院の学科の生徒会から最低一人は会議に参加しないといけないということと、他のメンバーの都合が合わないということで僕が行くことになった。

場所は大講堂のようなところで、学部生を中心とした議員のグループと、先生方のグループ、そして大学院生のグループで構成されていた。全体で100人いるかいないかという感じだった。そして今回の会議のテーマはキャンパスの喫煙法の決議案の一部の変更について採択するかどうかだった。その一部というのはキャンパスを"smoke free"にするか"tabaco free"にするかという、かなり細部のことだった。それに対して学部生、大学院生、先生方がそれぞれ意見を述べ合い、一時間の会議の最後には議論をもとに投票するといったものだった。結論は原案の"tabaco free"が採択された。

僕にとってはこういった経験は初めてなので色々と新鮮で学ぶことが多かった。アメリカでのキャンパス法について、生徒会の役割について少し理解が深まった。また何よりも自分の反省として、もっと政治のシステムを勉強しなければならないこと、一個人としての意見をはっきり持つことなどと、色々反省する所も多かった。