“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

安倍安保と地方

2014年09月22日 12時56分11秒 | 臼蔵の呟き

すばらしい主張、意見です。このような新聞の主張が堂々とされていることこそが戦後民主主義、そのすばらしさではないかと思います。長文の主張もうなずけます。このような新聞社こそが経営的にも栄えて欲しいものです。全国紙であることに胡坐を書き、歴史改ざん、政治反動を煽動するようなs、y紙との知性の差、マスコミとしての使命感は比べるべくもありません。

<信濃毎日新聞社説>政権にもの申す気概を 安倍安保と地方

 下伊那郡阿智村に昨年開館した満蒙(まんもう)開拓平和記念館は、戦前の日本が進めた旧満州への移民政策の歴史が分かる全国初の施設だ。世界恐慌による農村の疲弊といった背景から、旧ソ連軍の侵攻による悲劇的な結末まで満蒙開拓の歴史が体験記や資料展示などで理解できる。

 先日、初めて訪ねた。最初に目に留まったのは当時のポスターだった。国が作り、村に送ってきたものだという。「労務動員」「国民精神総動員」…。たけだけしい言葉が並ぶ。国が戦争に向けて市町村や国民を従わせようとする姿勢がにじみ出ている。

 記念館は飯田日中友好協会が中心になって構想し、村も土地を貸与するなど協力した。

 前村長の岡庭一雄さんは「記念館は平和の尊さ、戦争の悲惨さを後世に伝えることが本来の目的だけれど、今の政治状況にも思いをはせる場所だ」と話す。今年2月の村長退任式で、岡庭さんは憲法が真に生きる国、村づくりの重要性を訴えた。

   <戦争を支えた歴史>

 阿智村の戦争による犠牲者は881人。434人が兵士で、開拓団の犠牲者は447人に上る。記念館によると、村民を中心とした開拓団の入植は県内では最も遅い方で、本隊が渡ったのは敗戦の3カ月前だった。このころ軍部は対ソ戦で満州のほとんどの地域を放棄する方針を決め、軍の主力は既に南方へ移っていた。

 開拓団は詳しいことを知らされていなかった。ソ連の参戦は団員には寝耳に水で、悲惨な逃避行を余儀なくされ、多くの犠牲者を出すことになった。

 「もし事実がきちんと知らされていたら、自発的に開拓団を送るようなことにはならなかったかもしれない」と岡庭さん。それだけでない。村は徴兵事務や物資の供出、勤労動員など、国の方針に従って戦時体制を下支えした。

 そんな歴史を知っているからこそ、時の政府が恣意(しい)的に秘密を指定でき、国民の知る権利が侵害される恐れがある特定秘密保護法は認められないという。秘密法の廃止を求める住民グループに参加するなど、岡庭さんは今も積極的に発言している。

 安倍晋三政権は、国会で深い論議もせず、数の力で秘密法の成立を強行した。憲法9条を空洞化させる集団的自衛権の行使容認も強引なやり方だった。道徳の教科化や教育委員会制度の見直しなど、特定の価値観の押し付けや政治介入を招きかねない教育改革も進めている。

 安倍政権の政策によって中央への集権化が強められ、地方自治の弱体化が進んでいくとみる長野県内の首長は少なくない。

 上伊那郡中川村の曽我逸郎村長もその一人だ。東京の広告代理店を辞め、村へ移住。合併問題が焦点になる中、反合併の立場から村長選に担がれて当選した。

 現在3期目。政府に対しては忌憚(きたん)ない発言を続けている。秘密法も集団的自衛権の行使容認も村議会で厳しく批判した。

 式典などで国旗に一礼をしないことに批判の声もあるが、「一定の態度に従わせようとする空気はよくない」と主張。国民のための国でなく、国のための国民にするような風潮には、今後も声を上げていく考えだ。

 地方自治は戦後民主主義の土台の一つである。なのに、現実は心もとない。地方に影響を及ぼす国の施策を政府と地方の代表が対等な立場で話し合う「国と地方の協議の場」が法制化されたのはわずか3年前。民主党政権下だった。今も開かれているけれど、地方が要望を述べる場の域を出ない。安全保障の大転換について腰を据えて議論する気配もない。

   <末端組織ではない>

 行政学が専門で、後藤・安田記念東京都市研究所の新藤宗幸理事長は「地方の首長は戦前のように政府の末端組織のマネジャー感覚でいる人が多いようにみえる。地方の視点から中央に対抗する姿勢が必要だ」と指摘する。

 地方の議会や首長から秘密法や集団的自衛権の行使容認など「安倍安保」に批判的な声が相次いでいる。特に県内は目立つ。こうした動きに対し、自民党の幹部からは「日本人であれば慎重に勉強してほしい」との声が出た。地方の懸念をよそに、上から目線の姿勢は明らかだ。

 集団的自衛権を行使するための根拠となる法整備は来年の通常国会から本格化する見通しだ。国のやり方に「ノー」を突き付け、軌道修正させることは不可能ではない。市町村の首長や議会はかつて国家にからめ捕られた負の歴史を忘れずに、その時々で政権に言うべきことを言う気概を持ってほしい。地方自治の足腰を鍛えることになるはずだ。


スコットランドの住民投票

2014年09月22日 10時59分31秒 | 臼蔵の呟き

なかなか面白い考察です。

<毎日新聞>危機の真相 諦める事なかれスコットランド      熱血と計算高さと                  はま・のりこ

 スコットランドは独立国となるか。住民投票の結果は「ノー」だった。実に残念。この間、このテーマを巡って、二つの記憶が筆者の頭の中を去来した。

 記憶その1は、多感なりし少女時代のものだ。1960年代前半、イギリスで暮らし始めて間もない頃、両親につれられてスコットランドの旅に出た。バス旅行の途中でティータイムストップがあった。ホテルの喫茶室で給仕してくれた陽気なおばちゃんが、「この小さいお嬢ちゃんには何を差し上げましょうか?」と言ってくれた。

 その時思った。「ああ、やっぱりスコットランド人はこういう英語をしゃべるんだ。テレビと同じ!」

 記憶その2は、90年代初めのものだ。前記の少女時代以来、久々のロンドン暮らしが始まった頃だ。前職だった三菱総合研究所の駐在員事務所長として、何とか仕事の体制が整い、面白そうなシンポジウムに出かけてみた。欧州連合(EU)内における地方自治のあり方を議論する会合だった。

 自決心旺盛な地域共同体の代表たちが、各国からスピーカーとして登場した。その中に、現スコットランド民族党党首で自治政府首相のアレックス・サモンド氏がいた。何しろ、今を去ることほぼ四半世紀近く前の話だ。サモンド氏の体重は、今のほぼ半分弱といったところだったろう。あの時に比べて、すっかり体形は丸っこくなった。だが、独立スコットランドをうたい上げるその舌鋒(ぜっぽう)の鋭さは、今もあの時も変わりはない。

 熱さと計算高さが絶妙に絡み合う。このしたたかなスコットランド魂を、サモンド氏が長きにわたって体現してきた。その成果が、ついに今回の住民投票として結実した。まさかここまでくるとは。これが、「国境の南側」の人々(スコットランド人たちは、イングランド人たちをこう呼んできた)の思いだ。そもそも住民投票が実現すること自体について、彼らは「まさか」感を抱いていた。いわんや、否定されたとはいえ、かくも独立支持派が勢力を持つとは、およそ想定していなかった。

 征服者と被征服者の違いはかくのごときものだ。征服した方は、被征服者の痛みを容易に忘れる。被征服者の思いは、時を超えて受け継がれていく。過去は忘れよう。かつて征服者だったイングランド人がいくらそう呼びかけても、かつて独立国だったスコットランドの人々は、神経を逆なでされるばかりだ。

 基地や原発などの迷惑施設は、なぜ特定の地域に集中配置されるのか。その見返りとして、カネさえ出しておけば何とかなる。「最後は金目でしょ」。為政者たちは、なぜそのように思うのか、この間のスコットランド模様を見守りながら、このような少々別のテーマにも思いが及んだ。

 必ずしも、スコットランドが英国政府に金目で小突き回されてきたとはいえない。だが、住民投票が「まさか」の方向に行く気配を感じて、「国境の南側」が示したパニックぶりをみていて、ふと、前記の連想が頭をよぎった。「国境の北側」の人々の思いの深さとその思いの性質について、南の衆はやっぱり感受性が鈍い。

 ところで、今回の住民投票には一つの面白い特徴があった。スコットランド在住者なら、誰でも投票権があった。何も、スコットランド生まれの生粋のスコットランドっ子である必要はなかった。イングランド出身者であろうと、他の欧州諸国からの移住者であろうと、かまわない。住民投票だから当然といえば当然だが、なかなか合理的だ。これもまた、スコットランドらしい。常識と熱血のバランスが程よい。

 そして、非スコットランド人の在住者たちは、かなりの割合で独立支持側に入ったらしい。確かな数値を持っているわけではないが、現地からの口コミによれば、どうもそうなった模様だ。一寸の虫が五分の自決心を輝かせることに、非スコットランド人の在住者たちもエールを送った。

 ちなみに、大陸欧州系のスコットランド在住者の中では、ポーランド系住民のウエートが高い。ポーランドといえば、現代史の中において、まさに自決のための闘いが絶えなかった国だ。当初はドイツを相手に。そして、やがては旧ソ連を相手に。文字通り、命がけで祖国の独立を奪還する闘争に挑んだ。そのポーランド人たちがスコットランド在住者となった時、独立支持に票を投じたとすれば、それは大いに納得がいく。

 もっとも、同じポーランド精神が、別の形で表れたケースもあった。スコットランドに住み始めてまだ半年のあるポーランド人は、今回の投票に参加することを遠慮した。その彼いわく、「これはスコットランド人にとってあまりにも重要な問題過ぎる」(18日付英フィナンシャル・タイムズ紙)から、新参者の外国人が投票するのは差し出がましいというわけだ。

 この心意気もなかなかいい。民族自決の思いを共有するものたち。その同志精神は爽やかだ。粘り強きスコットランドよ、どうぞまた捲土(けんど)重来を。

== ◇はま・のりこ    同志社大教授。


円安の加速と国民生活の窮乏

2014年09月22日 05時57分10秒 | 臼蔵の呟き

通貨の価値が、高くなることは、その通貨を持つ国の経済的な力が強いことを示しています。したがって、輸出を主力とする企業以外には、原料安、原油安、低電気料金などがもたらされ、国民生活は物価安などによる恩恵がもたらされます。

ところが、安倍、自民党政権、御用学者の多くは、多国籍企業、大手企業の代理人のために、国民生活がどうなろうと関心がなく、通貨安競争を仕掛けて、株高、大手企業の輸出支援に血道をあげています。0金利で、格式市場に資金を導入し、株高を演出しています(富裕層と大手金融機関だけが利益を手にしている)。しかし、多国籍企業、輸出型企業はすでに生産拠点を海外に移転しているために、円安のメリットは多くなく、為替変動による販売金額の増加のみが表面化しています。まともな経済学者であればそのくらいのことは理解しているはずですが、円安誘導でガソリン価格は170円、灯油は100円とんでもない価格まで高騰しても、政治は全く関心なし。アメリカでこのような価格上昇があれば騒動になるくらいの価格でも、安倍、自民党政権、自民党型政治集団は、国民生活の窮乏など関心がありません。本当に亡国の自民党、自民党政権です。何かにつける薬はなく、退陣させるしか選択の余地はありません。

<北海道新聞社説>円安の加速 副作用への警戒怠るな

 円安が急速に進んでいる。

 米連邦準備制度理事会(FRB)が利上げの時期を早めるとの観測から、14日の東京外国為替市場の円相場は1ドル=108円台と約6年ぶりの円安水準となった。米国の景気回復を受け、円を売ってドルを買う動きは強まっている。円安ドル高は当面続くとの見方が市場で根強い。

 円安は輸出企業の収益を押し上げるものの、内需型の企業には原材料費の上昇などにより経営を圧迫する要因となる。このまま賃金が増えずに物価だけが上がる事態になれば、個人消費をさらに冷え込ませ、景気の足を引っ張りかねない。

 政府・日銀は円安の副作用に十分な目配りが必要だ。とりわけ、中小零細企業や地方経済に及ぼす影響に警戒を怠ってはならない。

 1カ月ほど前まで安定していた円相場が急激に変動しているのは、日米の金融政策の違いが鮮明になってきたためだ。FRBは市場に資金を供給する量的金融緩和をこれまで徐々に縮小しており、10月の次回会合で緩和策を終了する方針を示した。事実上のゼロ金利から利上げに踏み切る時期にも強い関心が集まっていたことも見逃せない。

 対照的に日本は日銀による追加金融緩和も取り沙汰され、しばらくは超低金利が続く見通しだ。このため日米の金利差が広がるとの思惑は高まっている。

 本来なら日本経済にとって円安は輸出増につながるはずである。だが現状では必ずしも追い風とは言いきれない。

 多くの製造業が円高対策として海外に生産拠点を分散させているためだ。その結果、思うように輸出は伸びず、貿易赤字を膨らませる一因にもなっている。 さらに懸念されるのは、輸入に頼る小麦粉や大豆を使う食品をはじめ、ガソリンや灯油、軽油などのエネルギーが値上がりしやすくなることだ。

 特に家計の負担は看過できない。消費税増税も重なり物価が上昇しているにもかかわらず、実質所得は目減りしているからだ。

 道内の場合は輸出産業の割合が低いうえ、エネルギー関連の支出が多いため、過度の円安がもたらす影響はより深刻と言えよう。

 脱デフレには物価上昇に見合った賃金の持続的な上昇が必要だ。

 政府・日銀は円安誘導を経済再生の手段に位置づけているが、目先の円安・株高に浮かれず内需拡大にこそ力を入れるべきである。

 

<毎日新聞社説>円安の進行 負の側面を警戒しよう

 

 かつて日本経済への朗報とされた円安が、ここへきて不安材料になっている。外国為替市場の円相場は対ドルで約1カ月間に7円近くも値下がりし、6年ぶりとなる1ドル=109円台を記録した。

 

 日銀の黒田東彦総裁は「大きな問題があるようには思っていない」と容認しているが、産業界や国際金融の専門家の間では、負の側面を警戒する声が目立ってきた。円安を促してきたアベノミクスだが、副作用にもっと目を向けるべき時だ。

 

 急激な円安・ドル高の最大の理由は、日米間で鮮明になってきた金融政策の方向の違いである。

 

 米国の中央銀行、連邦準備制度理事会(FRB)は、景気下支えのために続けてきた量的緩和を来月で終了する。一方、日銀の量的緩和は出口が見えないばかりか、追加策を期待する向きすらある。量的緩和を終えたFRBは来年半ばにも利上げすると見られており、より高い利回りのドルに人気が集まるとの思惑からドル高・円安になっているのだ。

 

 株価に注目すれば、円安は引き続き朗報のように映る。日経平均株価は6年10カ月ぶりの高値だ。ただ、世界的なカネ余りを背景にした米欧の株高に連動している面が大きい。

 

 好調な株式市場に対し、実体経済の調子は、日米欧とも芳しくない。日本の場合、消費増税の影響が懸念される中、食品から燃料まで輸入品の物価高につながる円安が、消費や企業収益を一段と圧迫するのではないかと心配されている。

 

 気がかりなのは、円安をもたらしている構図が当面続きそうな点だ。

 

 米FRBは、来月で量的緩和を終了しても、ゼロ金利は「相当な期間」維持すると説明する。だが、金融政策を決めるメンバーの政策金利見通しを見ると、来年半ばあたりから着々と金利を上げ、2年半〜3年で4%前後まで戻す道筋が透ける。

 

 もちろん経済の動向が左右するためシナリオ通りに進む保証はないが、このままでは日米の金利差は開き続ける可能性が高い。

 

 最も警戒すべきは、円安が日本の長期金利の高騰(国債価格の下落)につながる可能性だろう。一段の円安は貿易赤字をさらに増やし、慢性的な経常赤字を招く恐れがある。巨額の財政赤字を抱えた日本が経常赤字も増やすことに市場が注目した時どうなるか。国の借金(国債)の返済能力が不安視されれば金利が急騰し、日本経済に大打撃を与える。

 

 円安による物価高でインフレ率の目標を達成したとしても、経済が元気になっていなければアベノミクスは不合格だ。だからといって追加の金融緩和は一段の悪い円安を招くばかりで、論外である。