すばらしい主張、意見です。このような新聞の主張が堂々とされていることこそが戦後民主主義、そのすばらしさではないかと思います。長文の主張もうなずけます。このような新聞社こそが経営的にも栄えて欲しいものです。全国紙であることに胡坐を書き、歴史改ざん、政治反動を煽動するようなs、y紙との知性の差、マスコミとしての使命感は比べるべくもありません。
<信濃毎日新聞社説>政権にもの申す気概を 安倍安保と地方
下伊那郡阿智村に昨年開館した満蒙(まんもう)開拓平和記念館は、戦前の日本が進めた旧満州への移民政策の歴史が分かる全国初の施設だ。世界恐慌による農村の疲弊といった背景から、旧ソ連軍の侵攻による悲劇的な結末まで満蒙開拓の歴史が体験記や資料展示などで理解できる。
先日、初めて訪ねた。最初に目に留まったのは当時のポスターだった。国が作り、村に送ってきたものだという。「労務動員」「国民精神総動員」…。たけだけしい言葉が並ぶ。国が戦争に向けて市町村や国民を従わせようとする姿勢がにじみ出ている。
記念館は飯田日中友好協会が中心になって構想し、村も土地を貸与するなど協力した。
前村長の岡庭一雄さんは「記念館は平和の尊さ、戦争の悲惨さを後世に伝えることが本来の目的だけれど、今の政治状況にも思いをはせる場所だ」と話す。今年2月の村長退任式で、岡庭さんは憲法が真に生きる国、村づくりの重要性を訴えた。
<戦争を支えた歴史>
阿智村の戦争による犠牲者は881人。434人が兵士で、開拓団の犠牲者は447人に上る。記念館によると、村民を中心とした開拓団の入植は県内では最も遅い方で、本隊が渡ったのは敗戦の3カ月前だった。このころ軍部は対ソ戦で満州のほとんどの地域を放棄する方針を決め、軍の主力は既に南方へ移っていた。
開拓団は詳しいことを知らされていなかった。ソ連の参戦は団員には寝耳に水で、悲惨な逃避行を余儀なくされ、多くの犠牲者を出すことになった。
「もし事実がきちんと知らされていたら、自発的に開拓団を送るようなことにはならなかったかもしれない」と岡庭さん。それだけでない。村は徴兵事務や物資の供出、勤労動員など、国の方針に従って戦時体制を下支えした。
そんな歴史を知っているからこそ、時の政府が恣意(しい)的に秘密を指定でき、国民の知る権利が侵害される恐れがある特定秘密保護法は認められないという。秘密法の廃止を求める住民グループに参加するなど、岡庭さんは今も積極的に発言している。
安倍晋三政権は、国会で深い論議もせず、数の力で秘密法の成立を強行した。憲法9条を空洞化させる集団的自衛権の行使容認も強引なやり方だった。道徳の教科化や教育委員会制度の見直しなど、特定の価値観の押し付けや政治介入を招きかねない教育改革も進めている。
安倍政権の政策によって中央への集権化が強められ、地方自治の弱体化が進んでいくとみる長野県内の首長は少なくない。
上伊那郡中川村の曽我逸郎村長もその一人だ。東京の広告代理店を辞め、村へ移住。合併問題が焦点になる中、反合併の立場から村長選に担がれて当選した。
現在3期目。政府に対しては忌憚(きたん)ない発言を続けている。秘密法も集団的自衛権の行使容認も村議会で厳しく批判した。
式典などで国旗に一礼をしないことに批判の声もあるが、「一定の態度に従わせようとする空気はよくない」と主張。国民のための国でなく、国のための国民にするような風潮には、今後も声を上げていく考えだ。
地方自治は戦後民主主義の土台の一つである。なのに、現実は心もとない。地方に影響を及ぼす国の施策を政府と地方の代表が対等な立場で話し合う「国と地方の協議の場」が法制化されたのはわずか3年前。民主党政権下だった。今も開かれているけれど、地方が要望を述べる場の域を出ない。安全保障の大転換について腰を据えて議論する気配もない。
<末端組織ではない>
行政学が専門で、後藤・安田記念東京都市研究所の新藤宗幸理事長は「地方の首長は戦前のように政府の末端組織のマネジャー感覚でいる人が多いようにみえる。地方の視点から中央に対抗する姿勢が必要だ」と指摘する。
地方の議会や首長から秘密法や集団的自衛権の行使容認など「安倍安保」に批判的な声が相次いでいる。特に県内は目立つ。こうした動きに対し、自民党の幹部からは「日本人であれば慎重に勉強してほしい」との声が出た。地方の懸念をよそに、上から目線の姿勢は明らかだ。
集団的自衛権を行使するための根拠となる法整備は来年の通常国会から本格化する見通しだ。国のやり方に「ノー」を突き付け、軌道修正させることは不可能ではない。市町村の首長や議会はかつて国家にからめ捕られた負の歴史を忘れずに、その時々で政権に言うべきことを言う気概を持ってほしい。地方自治の足腰を鍛えることになるはずだ。