イスラム国のテロ事件との相関関係を見ています。テロ事件の最初は、アメリカブッシュ政権です。彼らの蛮行こそがこの世界をテロの応酬と、報復の連鎖をもたらしたことこそが指摘、糾弾されなければなりません。
<FT>川崎市の少年殺害事件とイスラム国の相関関係因果関係までは分からなくても、対策方法がそこから見い出せる( 伊東 乾 )
<記事内容>
川崎で発生した中学1年生の殺害事件、被害者の少年の13歳という年齢を見て彼は21世紀になってからこの世に生を享けた命だったのだ、と気づき、改めて考えさせられています。
非常に良くない意味で、今回の事件には最近のいくつかの国際的な社会傾向がオーバーラップして見える気がするのです。
例えば、報道される「頚動脈まで達する深い首の傷」といった表現に「イスラム国」の蛮行を想起した方も少なくないのではないでしょうか?
あるいは、遺体の膝には砂利などの上に長時間ひざまずかせるとできてしまうあざが残っていた、検束具が使用されていた、といった断片的な証拠から、先月目にしたオレンジ色の服を着た中東の日本人人質の姿勢とかなり類似した姿勢を強要した、凶行の状況が垣間見えてきます。
実際「犯人はISの影響を受けた可能性」といった識者の見方などを伝えるメディアもありました。しかしここで「犯人がISの残虐テロの模倣犯か否か」を問題にしても、私は意味がないと思っています。それはしかし、両者が無関係であると言いたいわけではありません。むしろ逆です。
川崎の少年事件と「イスラム国」のテロ、この2つの間に因果関係を立証しようと思って、まず不可能であることは、科学研究や統計に少しでも触れたことがあれば誰にでも分かることです。
そうではない、両者の間にはあきらかな「相関」がある。残忍な手口の類似性、その「相関」をこそ、私たちは問題にせねばならないと思うのです。
3.11 哲学熟議、それとは無関係に・・・
元来の予定では今回は東日本大震災から4年目を迎える3月11日に行う予定の「哲学熟議」<次世代エネルギーへのソフトランディング・・・原子力・イスラーム・中国/原油そして・・・>に関する話題と書くつもりでした。
しかし、私たちにとって真に意味があり、また事件の再発防止にも役立つのは原因探しやその実証の有無では、実はありません。
例えば、国際政治におかしな陰謀説を唱えても、あまり事態の改善にはつながらない。そうではなしに先入観なしに物事を公正に眺めるとき、統計的に有意と言える関係が見出せるかが、力ある対策に結びつくと思うのです。
因果と相関を分別する
分かりやすい例を挙げて、この「因果性」と「相関」の関係を考えて見たいと思います。
例えば、いまここに2つの社会調査の結果があるとしましょう。1つは、
データA 朝晩のラッシュアワーは電車の利用客が多い
ことを示しているとします。また、
データB 電車内での痴漢事件の発生率は朝晩に多い
ことを示していると考えましょう。この2つが仮に正しいとして、そこから、
「朝晩は電車の利用客が多い」から「痴漢事件は多く発生する」と言えるでしょうか?
単に善男善女だけが乗った電車であれば、どれだけ利用客が多かろうと、それだけで痴漢事件は増えないはずです。幼稚園のスクールバスがどれだけ混んでも、また仮に園児同士の喧嘩などはあっても、混雑そのものから直接痴漢事件が発生してくることはない。
問題は、朝晩に電車の利用客が多いとき、その中の一定の割合で、痴漢を働く危険性のある人が電車に乗り込んでくる、そのリスクが増大するから、痴漢事件が増えるわけです。
つまり上の2つのデータAとBの間には直接の「因果関係」はないけれど、一定の「相関」があることが分かる。ではそれを見たうえで、事件発生の真のメカニズム、「不特定多数の中に痴漢を働く人が一定割合含まれている可能性がある」ことに焦点を当てて対策を立てれば、事件の再発防止に有効な施策が打てるはずです。
この場合、加害者となる「男性」と、被害者となり得る「女性」が身体的に接触する確率を減らしてやれば事件を未然に防ぐことが期待できます。かくして、朝晩のラッシュアワーの時間帯に「女性専用車両」などを設ければ、再発防止に役立つ、という有効な対策が考えられる・・・。
と、いま、やや簡略化してお話しましたが、因果性ではなく相関の観点からを見ることで、具体的なアクションプランに直結する対策が検討できるわけです。実際、社会現象、いや実際には自然現象や生理的な現象でも同様で、私の研究室ではむしろ長年後者の相関を取り扱ってきました。
3.11以降の未来を考える
東日本大震災、そして福島第一原子力発電所事故から4年が過ぎつつある現在、様々な問題が新たに発生、あるいは明るみに出て、対策が検討されています。
多くの問題でしばしば「因果性」の立証が検討されるのは、もっぱら「責任」の追及と関連しているように思います。
つまり、ある問題が明らかになったとして、その原因を作ったのが電力会社である、あるいは飛散した放射性物質である/そうではない・・・といった因果性の弁別がカギになるケースが確かにある。
しかし、因果性の立証は必ずしも容易なことではありません。科学的に考えてそのメカニズムを立証できない、という場合が決して少なくはない。
しかしそうではない、別の問題解決の方法、あるいは少なくとも事態改善への近道が存在します。それは、慎重かつ正確な統計解析によって「相関」を立証することです。
「相関」は数理的な手続きですから、結果は否定のしようがありません。ちょっとおかしな裁判官などが、鼻薬を利かせられたような判決を書くことができないのが「相関」の主張です。それを「因果性」までがんばってしまうと、かえって否定されてしまう危険性がある。
データCとして「ある地域である事態が発生した」ことが示され、データDとして「その時期以降にかくかくしかじかの症状が有意に増えた」という事実が示されれば、相関社会科学的な手続きによって、私たちは間違いなく「被害を拡大させない方策」、例えば痴漢対策における「女性専用車両」のような「統計的リスク回避」の対策を採ることができる・・・。
こう書けばお分かりいただけるかと思いますが、実は金融工学の確率モデルも、全く同様の足場の上に成立していることも、ご存知の方はよくお分かりのとおりです。
川崎事件の「相関」を見失ってはならない
ここまで幅広に見たうえで、再び冒頭の川崎少年事件に戻って考えてみましょう。
「この事件の加害者がイスラム国のテロに影響を受けた」かどうかは、率直に言って立証のしようがありません。
今後、容疑者が逮捕され、取調べが進む中で、そのような調書が取られるかもしれないし、取られないかもしれない。あるいは実際にはテロ画像の影響を受けていながら、それが潜在意識下の現象で、本人が自覚していない、といったこともあり得るでしょう。
しかし、相関の考え方は、そうした主観による揺らぎでぶれることがありません。
「犯人は被害者に手ひどい暴行を加えている」
「膝には長時間河川敷にひざまずかせた形跡を示す内出血が確認される」
「頬など顔面に鋭利な刃物による傷跡が残っている」
「頚動脈に達する深い傷が首の後ろから横にかけて残っている」
書き続けるのがためらわれるような、こうした一つひとつの特徴の「相関」の有無をこそ、私たちは直視するべきだと思うのです。
中東のテロと川崎の少年事件の間に因果関係は存在しないか少なくとも立証はできないでしょう。しかし悪質な犯行の手口に一定以上の共通点。相関が見出されるなら、私たちは統計的な再発防止・・・「女性専用車両」と同様に隔離などいろいろ考えられます・・・の方法を講ずることが可能なはずです。
私たちの暮らす21世紀第2ディケイドの国際社会は、個人の精神を非常に荒れすさんだ風土に晒している。これは間違いありません。
小学校で教師のいない間に中東のテロ画像を子供たちが見てしまい、保健室に何人かかつぎ込まれた、といった報道を目にすることは決して珍しいことではない。
原因の究明と責任の遡及も重要な仕事です。が、それ以上に社会的な波及効果の大きい再発防止の観点からは、因果性以上に相関の観点から物事を見るのが有効です。
そういう大人の分別が、荒れた精神風土を少しずつでも健康なものに戻していくこと。犠牲者の冥福を心から祈らずにはいられません。