“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

憲法を守る道を行く

2014年01月06日 08時00分19秒 | 臼蔵の呟き

民主党政権の誕生で、自民党型政治からの転換が期待されました。しかし、現実の政治は亜流自民党型政党である民主党は選挙公約を自民党、公明党から攻撃されて、ことごとく保護にし、選挙民である国民の激怒を買いました。政治は誰のためにあるかを証明するような歴史の流れでした。何を言おうが、選挙で多数派になり、政治権力を握ってしまえば、何をよろうが勝手であるとする民主党菅、野田、自民党安倍などに共通する政治的モラルです。この政治的退廃は、自民党型政治に一貫して流れる思想でもあります。

昨年の消費税税率引き上げと大規模な経済対策、異次元の金融緩和などは、多国籍企業、大手企業の経済的要求から出されたものですが、同時に、国民の失業への怨嗟、景気を好転させて欲しいとの願いを逆手に取った安倍流の姑息な対策でした。これらが、日本経済の基本的な問題、矛盾を解決するものでないことは多くの識者が指摘するとおりです。このような子供だまし的な対策で日本経済の基本的な矛盾が解決可能であるとすれば、何年と続くデフレ、経済停滞、貧富の格差拡大、為替の円高などは説明がつきません。

自民党型政治経済の矛盾を打開する方策は、従来型の政治、政策では出来ないことを物語っています。アメリカに依存することーーー普天間基地問題、TPP交渉参加、新自由主義経済。利益至上主義による政治経済―――法人税率の引き下げ競争、その穴埋めとしての消費税率の引き上げ、公共投資による慢性的な人為的景気対策—これらによる国家財政の大幅な赤字、国債残高の急激な悪化などは政治経済政策がもたらす当然の結果であり、その結果から逃れるすべはありません。

これらすべてをひっくるめて、安倍、靖国派が目指すのが戦争できる国づくり、これが彼らの言う「美しい国」作りということです。その最大の障害である平和憲法、憲法9条の改定である、その縛りを投げ捨てることこそが、彼らの最大の政治目的です。だからこそ、歴史認識の改ざんを行い、自存自衛などと言いくるめる侵略戦争否定発言を繰り返しているのだと。第一次大戦、第二次大戦を経て、人類が到達した歴史的な進歩から全く学ぼうとせずに、国家神道に基づく歴史観、天皇を中心とした国家作りなど復古的な歴史観に彩られた政治が暴走するか中で、平和憲法を守ることが新たな歴史的な意義を持つ政治課題になろうとしていることを示しています。読売、産経などの右翼的なマスコミを除く多くの念頭社説が憲法を守る意義を強調することは、安倍、靖国派の危険性が差し迫ったものであることとを感じているからに他ならないと思います。

<社説:東京新聞>

 安倍晋三政権は今年、憲法改正まで突っ走るのでしょうか。不安がよぎります。選挙の公約とはいえ、本当に国民はそれを受け入れたのでしょうか。

 吉田茂邸が全焼しました。二〇〇九年のことで、神奈川県大磯町に屋敷がありました。日本国憲法が公布、施行されたときの首相で、戦後日本を長く牽引(けんいん)した、「ワンマン宰相」です。総ひのき造りで数寄屋風の「吉田御殿」は、多くの人々が「大磯参り」を続けた政治の舞台でもありました。炎上のニュースを知って、詩人で作家の辻井喬(堤清二)は「惜しいことに」と感じました。

◆吉田茂が怒っている

 西武百貨店などセゾングループの総帥でもあった人です。吉田死去後に首相の佐藤栄作から「大磯の吉田邸を君のところで買わんか」と頼まれ、「お引き受けします」と即断した思い出があるのです。池田勇人、三木武夫、宮沢喜一、大平正芳ら、首相経験者とも付き合いがありました。

 吉田邸の建物と庭を思い出しつつ、辻井は回顧録「叙情と闘争」(中央公論新社)の中で、こう考えを巡らせていきます。

 <今日の保守政治の堕落にあの世の吉田茂が烈火の如(ごと)く怒っているのではないか(中略)だから燃えてしまったのだ>

 吉田が戦時中、東条英機ら軍閥の無謀な戦争計画を批判して、憲兵隊に逮捕されたことも、辻井は回想します。

 <僕の考えからすれば、平和憲法とその思想を高く掲げることによって独立国家への道を歩むしかないと思うから、その道は細く険しいのかもしれない>

 <憲法九条を変えて軍備を持ってしまうことは、吉田茂の残した宿題に正面から答える道ではないように僕は思う>

 つまり、今の保守政治に「堕落」の烙印(らくいん)を押し、憲法九条の改正に反対する意思表明です。

小さな穴から広がる

 安倍政権は憲法改正を公約して誕生しました。自民党の改正草案は、自衛隊を「国防軍」とする名称変更だけではありません。交戦権の否認条項を削除し、国際協力という名のもとに、戦争に参加することが可能な条文です。

 自由や権利についても、「責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」とします。明治憲法と同じ留保付きの人権保障なのです。復古そのものです。

 国家権力を縛るのが憲法の役目なのに、逆に国家が国民を縛る改正草案です。先進国の憲法ではありません。

 昨年に強行可決された特定秘密保護法は、この草案中にも「機密の保持」と明記があり、実質的な改正に向け、脈を打ち始めていると考えてもよいでしょう。

 <政治家の系譜を辿(たど)ってみると、吉田茂を源流とする流れと、戦前のナショナリストの流れにいる岸信介の系譜、この二つがあるように僕には見える>

 辻井はそう観察します。岸を祖父に持つ安倍首相がどちらに属するかは自明です。「戦前のナショナリストの流れ」を引き継ぐ政治家が膨張しているようにも思われる今日の政治状況です。終戦前に生まれた国会議員は六十八人にとどまり、戦後生まれは六百五十四人にも達します。最高齢の石原慎太郎氏でも終戦時には、十二歳の少年にすぎません。

 東京新聞(中日新聞東京本社)社会部編の「憲法と、生きる」(岩波書店)では、政界引退した自民党元幹事長の古賀誠氏が、自衛隊の海外派遣について警告しています。

 <たとえ小さな穴でも、一つあけば広がっていく。先の戦争のときもそうだった>

 戦争で父を亡くした古賀氏の政治哲学です。彼は「吉田茂を源流とする流れ」にいた一人です。こうした政治家は、今や少数派になったのでしょうか。

 辻井は実業家として、「池袋サンシャインシティ」を開発します。占領下では「巣鴨プリズン」があった場所です。A級戦犯の容疑者として、岸は三年間、ここで幽囚の日々を送りました。郷里の山口県から離れる前に、旧制一高の恩師から「自決」を促す短歌をもらいます。でも、岸はこんな歌を返しました。

岸信介は「聖戦」の認識

 <名にかへてこのみいくさの正しさを来世までも語り残さむ>

 「みいくさ」とは聖戦です。あの戦争に反省さえしません。安倍首相も国会で「侵略戦争の定義は定まっていない」と答弁しています。祖父から同じ歴史認識を受け継いでいると感じられます。

 辻井は昨年十一月に亡くなりました。彼が「細く険しい」という平和憲法を守る道に、私たちは立ちます。


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