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政治により、国家の方向、国民の生活は大きく変化させられます。その政治は議会制民主主義制度によって、規定されています。一応、国民主権のもとで、選挙を行い、国民の意向を反映した議員による議会が構成される。実態は、政権公約、選挙公約すら知ることが出来ず、政党の離合集散の結果、各政党の政権公約、政策を知り、理解することすら出来ない関係になっています。今回の選挙期間中で、自分の家に入った政党の製作宣伝紙は、日本共産党2回、民主党1回でした。自民党、公明党、維新の会他の政党の宣伝物は最後までありませんでした。政党宣伝カーは日本共産党、未来の党の2政党です。自分はインターネット、その他の手段で、各政党の政策を知る対応をしました。それなりに知ることが出来ました。しかし、高齢者、若年者が政党の政策を知る機会はほとんどなかったと思います。また、各政党、政策に質問をぶつけるような機会は皆無であったと思います。
このような選挙制度による選挙結果が、本当に議会制民主主義を保障しているといえるのでしょうか。投票率が低下し続け、政治に関心を持てない状況を政権自らが改善しようとしていません。自民党型政治よって、選挙制度の改悪を繰り返し、自民党、自民党型政治家、政党には都合が良い制度に改悪されその結果、国民生活は劣化し続けているといえます。
<衆院選投票日に考える 歴史に学ぶ「明日」を>東京新聞社説
私たちの立ち位置、日本の将来、世界への貢献。「災後」初の国政選挙では、未来の日本人から有権者の選択が凝視されている気がしてなりません。
「この国のかく醜くもなりぬれば捧(ささ)げし命ただ惜しまるる」
先の大戦で夫を亡くした九十二歳の女性の歌。今回の選挙戦で、この歌を随所で披歴したのは石原慎太郎日本維新の会代表ですが、維新の会や自民党が「改憲」「国防軍」などを公約に掲げたことに中国、韓国だけでなく米国からも懸念の声があがりました。
生きていたら歌の女性より三歳年下の旧陸軍特別攻撃隊員・上原良司氏は六十七年前の「遺書」に次のように書いています。
◆自由主義こそが本性
「私は明確に云(い)えば、自由主義に憧れていました。日本が真に永久に続くためには自由主義が必要であると思ったからです。これは、馬鹿(ばか)な事に聞えるかも知れません。(中略)しかし、真に大きな眼を開き、人間の本性を考えた時、自由主義こそ合理的なる主義だと思います」(岩波文庫新版「きけわだつみのこえ」)
一九四三年、上原氏は慶応大学生から特攻隊員になり、東京・調布飛行場で短期の訓練を受け、四五年五月、沖縄沖で米機動部隊に突入して戦死。二十二歳でした。
昨年、調布市内で開催された「上原良司と特攻隊」展で辞世の句(春雨や思ひすてたる身も散るる)とともに展示された「訓練ノート」を見ました。「自分は全体主義ではない。自由主義を信奉する」との記述に、検閲した上官が「全体主義の重要性」を朱筆で細かく書き加えています。鉄拳を加えられたか、間もなく出撃だからと大目に見られたかは分かりません。
彼が自由主義を信奉したのはイタリアの哲学者・歴史学者ベネデット・クローチェ(一八六六~一九五二)の影響でした。
◆未来に託した「散華」
クローチェは同国上院議員に当選した頃はムソリーニ支持でしたが、次第に反ファシズムに転じムソリーニ攻撃を強めます。「自由な心が欠如していれば、どんな制度も役に立たない。自由な心が存在すれば、どんな制度もそれぞれの時代と場所に応じて立派に役立つ」と強調しました。
三九年に出版された「クロォチェ」(羽仁五郎著、河出書房)に上原青年は、もう一つの願いを託しました。本のところどころに鉛筆で付けた○印の活字をたどると「きょうこちゃん 僕はきみがすきだった」と読めるのです。
早稲田大学生から学徒出陣で陸軍に入営、四四年にフィリピン海上で戦死した吉村友男氏(二十二歳)もクローチェの影響を受けていました。「クロォチェは批判ということを一番大切にしました。歴史の正しい批判を現実に活(い)かすことによって、人々が幸福になれるのだと考えていました。これは(中略)私たちの生活にも言えると思います」(「きけわだつみのこえ」から)
若者たちは「自由」「愛」「批判」などが尊重される社会を自らの命と引き換えに実現することを夢見て散華していきました。「愛する日本を偉大ならしめられん事を、国民の方々にお願いするのみです」(上原氏の「所感」)
昨年の東日本大震災は、敗戦以来の大変革期が来たことを私たちに告げました。エネルギー革命の主役だった原発が震災で制御不能に陥り「技術万能」神話が崩壊しました。少子高齢化に伴う人口構造の劇的変化は、戦後の高度成長をもたらした「三種の神器」(終身雇用、年功序列賃金、企業別労組)では乗り切れないことを教えます。国・地方の財政赤字は三年前の政権交代で減少するどころか、結局は増税で国民に付け回しという事態に直面しています。
尖閣諸島など領土問題で近隣国との緊張が高まり、打開の糸口すら見えません。最近の右傾化ムードは日本を覆う閉塞(へいそく)感の打破を狙った焦りとも受け取れます。大震災を機にもろもろの弱点や硬直した体質が一気に露呈し、政党政治が的確な対応能力を失っている状態です。今回の多党化選挙も政党政治の劣化現象の一端を映し出しています。
だが歴史が教えるように政党政治を見捨てては、もっと悲劇的になるでしょう。四〇年、斎藤隆夫氏(民政党)の反軍演説を境に各政党が軍部の前に膝を折り、解党して大政翼賛会という全体主義に突っ走った苦い経験を再現してはなりません。
◆立ち位置を考えながら
過去を振り向けば将来の予測に役立つのと同様に、五年後、十年後、二十年後の日本に自らの身を置いてみて、いま日本が立つべき位置はどこかを冷徹に考えながら投票所に向かいましょう。
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