アメリカによる核兵器開発、核実験で多くの周辺住民、周辺で操業されていた漁業者が被爆し、死に至ったことに強く抗議したいと思います。この地球から核兵器、無差別殺戮兵器を廃絶するために各国政府、国民が努力することを求めたいと思います。
広島、長崎への原爆投下、死者、アメリカによる水爆実験で被爆し、死亡された方々に対して心より哀悼の意を表します。おろかな戦争遂行者である天皇制政府、日本軍、大政翼賛会で戦争を支持し、遂行した軍国主義者の犯罪と責任はどのような時間が過ぎようとも消し去ることは出来ないことを自覚すべきです。また、日本軍による侵略で略奪、殺害された中国、朝鮮、アジア各国の人々にもお詫びをしたいと思います。
<第五福竜丸被爆事件>
1954年3月1日の朝、アメリカは太平洋沖のビキニ岩礁で水爆実験を行いました。この水爆は広島に落とされた原爆の千倍以上もの爆発力を持っており、死の灰(放射線降下物)は指定された「危険区域」をはるかに超えて広がりました。
その頃、遠洋まぐろ漁船だった第五福竜丸は、ビキニ岩礁の東160kmの海域へ漁にでかけていました。船の乗務員は巨大な火の玉を目撃し、大きな音を聞きました。そしてその3~4時間後「死の灰」が降ってきて、死の灰を浴びた乗務員全員がその直後から急性放射線症状になり、1954年9月23日には、無線長だった久保山愛吉さんが亡くなりました。
また、港へ帰りつく漁船のマグロから放射能が検出され、「原爆マグロ」と呼ばれて、四百五十七トンもの魚が捨てられました。国内には放射能の雨がふり、実験の被害は広がっていき、平和なくらしがおびやかされました。
第五福竜丸のエンジンの歴史
その後、第五福竜丸は名前を変えて大学の練習船となり、1967年に廃船、そして船体は、ゴミ埋め立て地である「夢の島」に捨てられていた。埋められんとしている船を見てある青年が1968稔3月の朝日新聞に投書した。「沈めてよいか、第五福竜丸」投書は人々の心を動かし、保存運動が広がって、ついに1979年に東京都立第五福竜丸展示館が開館され船体は保存される事になりました。
一方、エンジンは練習船が廃船になった後も貨物船に取り付けられて使われていましたが、1968年7月に、横浜から神戸への航行中、第五福竜丸の故郷、和歌山県古座町に近い三重県御浜沖で座礁し海に沈んでしまいました。
しかし、このエンジンを第五福竜丸とともに保存したいという市民の熱意により、1996年12月に海底から引き揚げられました。
<関連資料>
事件当時、魚のはらわたを食べた人が健康被害に苦しんだと伝えられており、これは放射性物質が内臓に蓄積されやすいことからおこったものと考えられます。「プランクトンを小魚が食べて、その小魚を大型の魚が食べてという食物連鎖で放射能が魚体内で濃縮される。体内に入って蓄積がすすむと内臓から魚肉のほうへと汚染が移っていくので、3・4月に取れた魚よりも、8月、9月、10月、11月に取れた魚のほうが危なかった。だんだん食べるところに放射能がまわってくる」これは漁民の被害の実態を長年にわたって調査してきた市民団体「高知県太平洋核実験被災支援センター」事務局長の山下正寿氏の談話です。
<東京新聞社説>ビキニ60年「死の灰」は今も、の怖さ
米国が太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で日本の漁船が「死の灰」を浴びた惨禍から六十年。被ばくした元乗組員や周辺の島民らの苦悩は今も続く。核は許されない、その思いを新たにしたい。
東京・井の頭線渋谷駅の連絡通路に巨大壁画がある。岡本太郎さんの「明日の神話」。水爆さく裂の瞬間がマグロ漁船「第五福竜丸」とともに描かれた代表作だ。
「福竜丸」は一九五四年三月一日、中部太平洋のマーシャル諸島で行われた米国の水爆実験で、放射能を含む「死の灰」を浴びた。威力は広島に投下された原爆の約千倍。二十三人の乗組員は全員急性放射線障害を発症し、四十歳だった無線長の久保山愛吉さんが半年後、入院先の東大病院で亡くなった。生き残った多くの人もその後肝臓がんなどで亡くなり、生存する七人も病魔と闘っている。
水爆実験で被災した日本漁船は福竜丸だけではない。米ソ冷戦下、四八年から五八年まで行われた実験は六十七回に及び、日本政府の調査では少なくとも八百五十六隻の被ばくが判明している。福竜丸の被ばく後も実験を知らない漁船が海域で操業していた。
しかし、福竜丸が強調される一方で、他の被災漁船の乗組員の被ばくは軽視され、事件は矮小(わいしょう)化された。五五年に米政府が日本政府に支払った慰謝料は、汚染魚の買いとりや廃船費などに充てられたが、乗組員の健康について追跡調査などは行われなかった。
ビキニ事件は広島、長崎の原爆投下に続く核被害として、核廃絶運動の原点となりながら実態は明らかにされず、九五年に施行された被爆者援護法の対象にもならなかった。一部の被災漁船の乗組員の調査ではがんによる死亡が多発し、内部被ばくによる晩発性の障害に苦しんでいた。
何の補償も、救済もない。差別や偏見を恐れ、被ばくの事実を語れずに生きてきた。仲間を失い、高齢になって健康調査に協力を申し出た人も出ている。時間との闘いだ。ビキニの被害は今も続く。忘却してはならない。
死の灰で苦しむのは実験地にされた太平洋の島民も同じだ。米国の進める帰還政策に従う間に甲状腺異常や白血病などが広がった。福島原発事故の被害も過小評価し、同じ轍(てつ)を踏んではならない。
大切なふるさとを奪い、健康や生活を壊す。生きる権利を蝕(むしば)む核-。この問題とどう向き合うのか。静かに考えてみたい
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