「「息長氏は秋永氏である。」の顛末記」記事一覧
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少子化を適正化する。抜本的な方法。
(2023-01-06 | 日記)
昨今の日本の情勢を観ていますと、政治・経済とも右肩下がりの不安が過ります。これか... -
ホツマツタエに書かれている『新治ニハリ宮』は、やはり日田市に在った。と、考えられます。(わたくしの説が裏付けられました。)
(2022-10-23 | 古代史)
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倭建命(日本武尊)から紐解く、ホツマツタエのサカオリの宮。
(2022-03-01 | 古代史)
暫くぶりにブログに向かいます。 本年(令和4年)正月、わたくしと妻が信仰してい... -
『対馬』から『倭』へ、大勢の『神官』等が遣って着た場所の行方。
(2021-04-07 | 古代史)
わたくしは、四川省三星堆、『蜀』の『太守』をしていた高躬・高幹親子等が、南方の海... -
菅原道真は、大宰府では亡くなってはいない。可能性があります。(阿蘇氏を考える。)
(2021-02-24 | 古代史)
令和3年2月7日NHKのドラマ『麒麟がくる』の、明智光秀の生涯を描いた番組が終っ... -
‘’正田のばあさんは、気が狂った‘’の解釈を考察しました。今上天皇は息長氏を受け継いでいる。と、考えられます。
(2020-08-25 | 古代史)
本日は、皇統の柱と為った、息長氏(秋永氏)が今日迄続いているのか。を、わたくしの... -
倭イと、俀タイの違いを考察しました。
(2020-06-01 | 古代史)
『倭の五王』については、『宋書』にて、讃・珍・済・興・武と、記述を成され、西暦4... -
倭の由来と、豊受大神の正体。
(2020-01-01 | 古代史)
中国の三国志記、『魏書』第30巻『東夷伝倭人条項』に記述された『倭』の部分が、日... -
わたくしの考える葛城氏。
(2019-12-03 | 古代史)
歳を重ねてくると、脳の海馬が剝がれて幼少の昔の事を思い出します。 ... -
『アッツと驚く為五郎。』 『蓋鹵王』に為った 『加須利君』(市辺忍歯別王)と思われます。
(2019-11-06 | 古代史)
『アッツと驚く為五郎』と謂う浪曲『石松の代参』のセリフがありますが、古代史の世界... -
第2代天照大神(向津姫・瀬織津姫)の墓は、朝倉市山田に在ります『長田大塚古墳』である。と、考えられます。
(2019-10-17 | 古代史)
仮説は、点であり空想であります。点と点が繋がり、線になり、線と線が繋がり、面と為... -
『大蔵姓田尻氏正統系譜』から、導かれます笠縫氏と阿部仲麻呂の出身地。
(2019-09-18 | 古代史)
わたくしの説では、 『息長氏=秋永氏』で有ったのであれば、豊受大神以後、次のよ... -
斯くして、『日本國』が誕生した。天武・持統の努力。
(2019-04-22 | 古代史)
『敏達天皇』が、新羅から遣って来た『法興王』である。と考えられます根拠を申し上げ... -
『蘇我稲目』は、『敏達天皇』(法興王)の事ではないでしょうか。
(2019-03-29 | 古代史)
前回のブログより、何んとなく頭の思考がスッキリしないので、(此れは、わたくしの先... -
漸く、『アメ ノ タリシホコ』の正体が解明できました。 『多利思北狐』とは、押坂彦人大兄皇子(蘇我馬子)であります。
(2019-02-13 | 古代史)
第29代欽明天皇(天国排開広庭天皇・斯帰斯麻天皇=シキシマテンノウ=久留米の城島... -
田主丸町唐島にいた、コンキ昆支王が第24代仁賢天皇の事で、昆支王の子『牟大』が百済第24代東城王と、考えられます。
(2019-02-05 | 古代史)
日本書紀・古事記を鵜吞みにして、歴史を信じている人には、正しい歴史は解明出来そう... -
川原宮を考える。武烈天皇・天智天皇の正体。(武烈天皇は武寧王に為った。天智天皇は武寧王の末裔。と考えられる。)
(2019-02-02 | 古代史)
日本書紀に拠りますと、 斉明天皇は斉明7年7月24... -
佛教の伝播は、欽明天皇期では無くて、雄略期である。
(2019-01-14 | 古代史)
伊藤正子さま。と謂う、 若年から長年に渡って古代史... -
聖徳太子の墓所は南大分の『千代丸古墳』と思われます。
(2018-12-04 | 古代史)
朝倉の志波政所に在ります、真言宗普門院は天平19年(747年)に、第45代聖武天... -
朝倉長田志波に在る、『日鷲神社』から導かれる『天太玉命』と『猿田彦』の関係。
(2018-09-08 | 古代史)
2018年9月3日、古川清久さまから、「朝倉志波に在る、宝満宮を調査した所、脇宮...