満州~別府出身の秋吉敏子と伴に、大分が誇るジャズピアニストの辛島文雄氏が平成29年2月24日に亡くなりました。わたくしと同じ昭和23年生まれで、音楽好きの、わたくしとしては、寂しい想いで、残念です。しかし、豊前宇島のSPレコード愛好家の辛島昌夫氏は健在であります。
この大分豊後宇佐郡辛島郷発祥と謂われます『辛島=韓島=加羅島=唐島』氏は、息長帯姫(神功皇后)と八幡神(応神)を宇佐神(比咩大神=豊玉姫と玉依姫=記・紀では姉妹として扱われていますが、本当は伯母『豊玉姫』と姪『玉依姫』の関係と考えられます。)に持ち込んだ。と謂われており、辛島氏と息長氏の関係が興味を持たれます。
辛島氏はスサノオ(雲南省白族系=新羅系=辰韓系帰化人)にルーツがあり、五十猛命の末裔とも考えられています。
実は、わたくしの父の出身地である福岡県久留米市田主丸町以真江地区は、以前は、竹野郡タカノゴオリと、称して、『河会邑カワイムラ』と、謂います。
ホツマツタエでは、賀茂建角身命(豊玉姫の弟で、息長氏=秋永氏です。)が、ニニギネ(瓊瓊杵尊)から、『カワイの國』を賜った。と述べられています。
『川会邑』は、別名『唐島』と謂います。バス停も『唐島』と有ります。『河会カワイ小学校』も在ります。此処には秋永氏=息長氏(家紋は丸に違い鷹羽)が十数軒程あり、
百済25代武寧王は筑紫の各羅島=唐島で生れたとされ、田主丸『唐島』の息長氏(秋永氏)集落で産まれた事に考えられます。この周辺には、勿体島もったいしま・八丁島・扇島・浮羽島と謂った『筑後川の島』の名前があります。
と謂うことは、息長氏(天皇家)と百済王室の関係が認められ、今上天皇の平成13年12月23日=68歳誕生日の記者会見での発言である『百済王室に日本皇室は関係している。』は、正しい考察発言と考えられます。
続日本紀では第50代桓武天皇(737年生~806年没)の御母上『高野新笠』(和ヤマト氏)は武寧王の末裔と記述され、百済25代武寧王の子であります百済第26代聖王が仏教(仏像)を第29代欽明天皇(久留米市斯帰島宮)と蘇我稲目=斯末氏(本拠地は大分市葛木~東院~向原~古国分)に勧めた理由と、
磐井=石井の乱(磐井=石井が新羅と結んで、天皇家の百済への派兵を妨害した為に第26代継体天皇(福井息長氏=秋永氏)が物部麁鹿火に命じて磐井=石井=日田市石井地区が本貫地と想われます。此処には古墳時代のガランドヤ・穴観音等が幾つか残っています。を誅した事件)の真相が紐解けました。
倭でのスサノオ系新羅人対大己貴命(後に、和邇氏高木神派と組み、スサノオ派と戦い勝利したものと考えられます。)・神産巣日神・白氏・狗呉・賀茂氏系と、草部吉見・高木神・秦氏・袁氏・和邇氏系、つまり雷神と風神の争いが、馬韓・辰韓・弁韓の韓半島に最新のアイテムで有ります『鉄』を求めて、新羅(呉の太白系に雲南省白氏=大幡主=スサノオ派)と大伽耶(南粤ナンエツ系秦氏=草部かやべ=阿蘇氏)・金官伽耶(大己貴命派)を創る結果を生み、やがて伽耶(加羅)=狗邪韓国=倭の西北端の国(後漢書に拠る)は百済に近付き、新羅(白=斯蘆)=日田上宮王家派と対峙する事になります。