「「息長氏は秋永氏である。」の顛末記」記事一覧
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猿田彦は、やはり景行天皇であった。
(2018-03-12 | 古代史)
埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した金錯象嵌の剣の文字と、熊本県玉名市和水町の江... -
日本武尊の東國征討に疑義あり。正しい『伊勢』は綺宮=基宮=基山宮だった。
(2018-02-14 | 古代史)
わたくしの説では、ホツマ伝の解釈から景行天皇時代=崇神天皇時代=スサノオ時代=ア... -
崇神はスサノオで有った。と考えられます。
(2018-02-02 | 古代史)
前回のブログにて、「豊玉姫は、『日高彦火火出見尊(兵主命)』と一緒に韓國へ渡って... -
本当の笠縫邑の場所と、日高彦穂穂出見尊の正体。
(2018-01-17 | 古代史)
わたくしの出身地久留米市から、鳥栖市~基山・小郡~甘木・朝倉~浮羽・吉井~田主丸... -
ホツマ伝から、スサノオは景行天皇時代の人物であった。と考えられます。
(2017-11-01 | 古代史)
前回のブログで スサノオは、国東半島杵築市熊野に在ります『真那井』の『朝日宮』... -
今、ホツマ伝が面白い。(ホツマが伝える日本古代史の解明。)
(2017-10-04 | 古代史)
わたくしの考えでは、豊受大御神(西暦206年頃)の司った『ホツマ國』とは九重町~... -
北朝鮮の真の狙い。
(2017-09-15 | 日記)
昨今の世界情勢は、北朝鮮の核開発実験・ミサイル開発に依る、東アジア地域の不安定... -
崇神の父親は開花ではなく、日高彦穂穂出見尊(孝元天皇)であった。と考えられます。
(2017-08-28 | 古代史)
此れまでのわたくしの考えは、『倭の大乱』の切っ掛けの推察は、 スサノオを追放... -
天照大神は二人居た。やっと解明したニギハヤヒの正体。
(2017-07-10 | 古代史)
ホツマ伝の伝承を信じますと、アマテル(天照大神 斎名ワカヒト)は男性である。と考... -
ゆふいんに豊受大神は居た。ハイキ神の本質は蛭児である。と考えられます。
(2017-07-01 | 古代史)
平成29年6月11日(日)に古川清久さんより、杵築・豊後高田の神社めぐりを... -
高天原(ゆふいん塚原)の丘から出土した、青龍神(祈願石)の意味する事。
(2017-05-29 | 古代史)
平成24年9月12日のブログ『猿田毘古命の棲んで居た場所』の調査の折、『天間』の... -
百済第25代武寧王の生まれた場所。
(2017-03-13 | 古代史)
満州~別府出身の秋吉敏子と伴に、大分が誇るジャズピアニストの辛島文雄氏が平成29... -
級長津日子命はスサノオと同一人物であった。と考えられます。
(2017-02-06 | 古代史)
佐賀県唐津市呼子の加部島に田島神社があります。この神社は宗像神社辺津宮(宗像市田... -
ミカシキの場所を考える。
(2016-10-31 | 古代史)
わたくしの説では、豊玉姫の弟が賀茂建角身命で、賀茂建角身命は、瓊瓊杵尊から『カワ... -
西暦667年迄王都は九州に在った。(蘇我氏は志賀氏の事であります。)
(2016-06-04 | 古代史)
わたくしの説では、葛木氏は大分市の葛木が本貫地と為っています。此の葛木氏の流れに... -
百嶋由一郎氏の神社考古学研究が齎した、猿田彦の正体。卑弥呼の正体。その2
(2016-02-27 | 古代史)
この百嶋さまの考えが正しければ、わたくしは、日子坐王は、孝霊=景行=長髄彦=草部... -
百嶋由一郎氏の神社考古学研究が齎した、猿田彦の正体。卑弥呼の正体。その1
(2016-02-25 | 古代史)
わたくしの説では、崇神天皇(神武天皇)が、久留米市大善寺玉垂宮にて『下照比賣命』... -
『継体天皇』の御陵は福岡にあった。内倉武久さま説を検討する。
(2015-09-15 | 古代史)
さて本日は、 我が息長氏(秋永氏)の先祖第26代継体天皇とその子であります第2... -
西暦240年頃、息長水依比賣命(辛國息長大姫大目命)に由って『護摩焚き』が齎された。と想われます。
(2015-09-11 | 古代史)
仏教が中国に齎されたのは紀元前2年~紀元67年頃とされ、当時は仏陀のことを浮屠(... -
天皇家(皇室)には『袁氏』(漢族)の血が這入っている。と考えられます。
(2015-08-23 | 古代史)
2015年7月12日(日)わたくしの秋永氏(息長氏)の本貫地であります、(福岡県...