「「息長氏は秋永氏である。」の顛末記」記事一覧
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欠史八代の歴代天皇が師木(城島)県の娘を娶った理由を考える。
(2012-10-30 | 古代史)
わたくしの頭に引っかかる疑問のひとつに欠史八代の王が師木県の娘を数多く娶っていま... -
欠史八代の天皇系図の不整合を考える。
(2012-10-08 | 古代史)
古代史を勉強して、如何しても疑問が消えないものの一つに天皇系図とその他の姓氏の系... -
その後の天忍穂耳命の行方。
(2012-10-04 | 古代史)
高天原(由布院)に居られた(須佐之男命の子と想われる)正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は... -
第2代綏靖天皇の墓地探し。
(2012-10-01 | 古代史)
9月15日土曜日所用が在って大分市に出かけました。3時間程時間が空きましたので葛... -
ゆふいんに在った高天原から見えてくるもの。(記紀から消された東倭王朝。)
(2012-09-25 | 古代史)
古事記においては、 高木神と天照大神は葦原中国が平定された報告を受け、正勝吾勝... -
高天原の高木神の思いと執念。
(2012-09-24 | 古代史)
物事を考える場合、スタートを間違えば論理の展開が在らぬ方に向かい、とんでもない結... -
『猿田毘古神』の棲んで居た場所。
(2012-09-11 | 古代史)
9月8日土曜日の夕食時のテレビニュースで(隣町の)安心院町にて、『安心院ぶどう祭... -
『高天原』を考える。2 湯布院町塚原高原~由布院盆地と考える事が出来る。
(2012-09-09 | 古代史)
まず、記紀での記述にて参考になるのは、「天降り」と述べられた箇所が多く、『高天原... -
『高天原』を考える。1
(2012-09-06 | 古代史)
この間まで歴史の「レ」の字も知らなかったわたくしが、斯うして秋永氏のルーツを求め... -
『名草戸畔の場所は大分県玖珠郡玖珠町森であった。』と考えられる。
(2012-08-24 | 古代史)
暫く頭を休めていましたが、久しぶりに筆を執る事にします。 ... -
息長氏元祖の天之御影神で推察される、その後の邪馬台国。
(2012-06-14 | 古代史)
こうして、欠史8代は九州王朝であった。と謂うことで論を述べて来ましたが、姓氏系図... -
卑弥呼は宇那比姫命(宇奈岐日女命)で間違いない。と思われます。
(2012-06-09 | 古代史)
最近、天之御影神の事を考えています。 天之御影神は息長氏の元祖で、日本には最初... -
消費税増率を考える。2
(2012-05-31 | 日記)
日本では、鎌倉時代(1192年)から江戸時代(1868年)まで700年弱続いて来... -
消費税増率を考える。
(2012-05-25 | 日記)
消費税増率を考える。 秋永祥治 昨今の日本の政治の話題は、消費税を将来... -
姓氏を推考するポイント。
(2012-05-12 | 古代史)
須佐之男命は、正式には建速須佐之男(たけはやすさのおのみこと)と謂います。このお... -
宇佐公康氏の伝承は正しかった。神武天皇は若木入日子であると考えられる。
(2012-05-07 | 古代史)
ゴールデンウィークの間、神武天皇について、真実の歴史を目指してあれこれ考えが湧き... -
記紀の捏造と『狭穂彦王の乱』を読み解く。
(2012-04-27 | 古代史)
時が経てば、名前(呼び名)が変化する事がありますが、 記紀には随所に捏造された... -
神武天皇を再考する。3
(2012-04-24 | 古代史)
開花天皇の妃は、4人、子は5人(男4人女1人) 崇神天皇の妃は、3人、子は12... -
神武天皇を再考する。2
(2012-04-22 | 古代史)
(古事記を読んで、)わたくしの感じる神武天皇は、余りにも詳細に描写されており、他... -
神武天皇を再考する。1
(2012-04-20 | 古代史)
こうして欠史8代は九州に居られたと謂う考えで、次々にブログを書いていますと、次第...