とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

土門拳写真記念館のアジサイ公園

2024年07月06日 | 日記

 酒田市に広大な面積の飯盛山公園がある。その中心は広い人工池で、白鳥が羽を休める場所でもある。その岸辺にはドコモモ・ジャパン(日本におけるモダン・ムーブメントの建築)23年に選ばれた「土門拳記念写真館」がある。土門拳は酒田市出身の写真家で、作品の全てが酒田市に寄贈され昭和58年に展示写真美術館として建設された日本初めての写真専門美術館である。
 池の廻りに広大な散策道がある。その外側の小高い丘に135種類のアジサイが1万本植栽されている。アジサイ公園として親しまれ大勢の市民が訪れている。アジサイには少し遅れた訪問ではあったが訪れると、たくさんの保育園児やディサービスの人たちで賑わっていた。所々のベンチで休憩してる人などなかなかの風情であった。再訪問を掻き立てられる景勝地である。

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荘内南州会「えらぶゆりまつり」

2024年06月29日 | 日記

 酒田に西郷隆盛を祀る南州神社がある。庄内藩は佐幕派で戊辰戦争は新政府軍と最後まで戦った。その時の弾痕が杉林の杉に残っているとされる激しい戦いだった。敗れた庄内藩の敗戦処理に西郷隆盛が寛大な措置したことから、旧藩士らは西郷を慕うようになり交流を深めていった。西郷隆盛を祀る南州神社が篤志家によって建立され、遺徳を後世に伝える「庄内南州会」が設立された。
 その南州会による初めての「えらぶゆりまつり」が26日から始まった。十数年前から西郷隆盛が流刑になった沖永良部島か「ゆり」の球根が送られていた。球根は神社周辺に地植え等をしていたが、参拝者らに美しい「ゆり」を鑑賞してもらい西郷をもっと知ってもらおうと、その球根を計百鉢ほどに植え替え「えらぶゆりまつり」が企画された。
 南州神社の西側に西郷と菅実秀向き合った銅像と記帳所がある。記帳名簿には全国からたくさんの記帳があり西郷隆盛の遺徳が現在にも伝え継がれている実感が伝わる。

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豊な海を目指して

2024年06月22日 | 日記

 山形県遊佐町にすごい男がいる。桝川鮭漁業生産組合組合長であり、山形県鮭人口孵化事業連合会会長も兼務する尾形修一郎である。遊佐町は鳥海山の伏流水が至る所で溢れ出ており、清流で名高い牛渡川がある。鮭の遡上で人工ふ化事業は江戸時代からともいわれている。彼はそれを引き継ぎ温暖化で危なくなった孵化事業を先進地の北見・宗谷管内に技術を学び2016年に指導を受けて先端技術の詰まった孵化場を完成させた。巨額の投資だった。「日本海を豊かな海にしたい」が彼の壮大な夢だった。
 孵化場新設の4年後、孵化場は遡上する鮭の豊漁に沸いた。例年の2~3倍の鮭が帰ってきたのだ。すでに不漁に悩む各地の鮭産地から卵の融通が求められて700万個前後の卵を出荷して仲間を救った。全国さけます増殖振興会会長の鈴木俊一(現財務大臣)さんから表彰されている。
 孵化場の新設に合わせて石碑も建立されていた。めじかの故郷 桝川孵化場が正面で揮毫は友人で元酒田副市長、書家の中村護さんである。裏面は尾形組合長の理念を私が短文で書いたのが石碑になっている。私の名前を刻みたいと以前からつぶやいていたが、昨日出来たと連絡あったので訪れた。恐縮の限りである。石碑は永久に残る重さがある。

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酒田港で漁火まつり

2024年06月15日 | 日記

 酒田はイカの街として別の顔がある。全国でもトップクラスの水揚げ量を誇り港町のシンボルとなっている。コロナ禍以外は毎年「イカ釣り船団出航式」が10艘以上も集結し賑やかに開催されていた。しかし、近年のスルメイカ漁は不良が続いており山形船団でも廃業船が出るなど打撃を受けている。好漁場である大和堆周辺は違法操業の外国船が押し寄せ、トラブル寸前となっている。
 出航式が見送られる中「第1回酒田港漁火まつり」が酒田本港で開催された。本県中型イカ釣り船団の半数以上が能登地方の会社が所有する船であることから応援しようと実施されたもので、県漁協とサカタント運営会社が共催したものである。来場者は漁船の漁火がともる中、イカなどの海鮮ものに舌鼓を打っていた。県漁協の専務は「出航式はないが、イカの街酒田を盛り上げよう。石川県を元気づけよう」とあいさつした。
 売上金の一部を石川漁協に寄付される事になっている。

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月山花笠ライン

2024年06月08日 | 日記

 国道112号線は山形市中心街を起点に一部山岳地帯と鶴岡を経由する酒田までの県管理国道である。しかし、山形自動車道のミッシングリンクである峠越えは、112号が国直轄自動車専用道路として併用されている。併用部分には長大な月山第一トンネル、第二トンネルがあり、傾斜もきつく急カーブの連続で山形自動車道としての全線開通は見通せない。
 しかし、112号線山岳地帯の景観は素晴らしい。西村山郡西川町大字月山沢の周辺道路は、月山花笠ラインと呼ばれ「日本の道100選」に選ばれている。その花笠ライン沿線に寒河江ダムがあり、そこに高さ112メートルまで噴射する日本最大の噴水がある。10時より一時間の間隔で大噴水は上がる。国道112号だけに親しみを感じる高さである。湖畔には休養所や水をテーマとする博物館などの施設もあり大勢の観光客で賑わっている。

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羽黒山の大鳥居

2024年06月01日 | 日記

  出羽三山とは羽黒山、月山、湯殿山の総称で、それぞれに過去、未来、現在と見立てられ、三山廻ると「生まれ変わりの旅」として信仰をあつめている。松尾芭蕉の「雲の峰 いくつ崩れて 月の山」奥の細道の大きな目的地のひとつがここだったと言われている。伊勢神宮に祀られている「天照大御神」は太陽の神様で、「月読命」(つきよみのみこと)が月山に祀られている事から人気を呼び「西の伊勢参り」「東の奥参り」と言われる程に参拝者が絶えなかったと伝えられている。
 三山山頂にそれぞれの神社はあるが、羽黒山頂に「三神合祭殿」の大社殿がある。羽黒山頂まで2446段の石段をのぼって行くのだが、今はバスでもマイカーでも行けるようになった。羽黒山の国宝五重塔を含め一見の価値はある。
 羽黒山に向かう県道「羽黒街道」が鶴岡から東に伸びている。この街道に東北一を誇る大鳥居がある。これは昭和4年に山形市の篤志家より寄贈されたもので、老朽化が進み4年前に新しく建設され、ここから延びる神域、神路坂を守っている。

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ミッキーマウスがやって来た

2024年05月25日 | 日記

 伝統ある酒田まつりのパレードにミッキーマウスとその仲間たちが加わり、どこから湧いたのかと思われる若者で沿道は埋め尽くされた。天気が小雨模様で心配されたが、パレードの時はピタリと止んだ。2台のステージカーから軽快なリズム音楽に合わせたキャラクターのお手振りダンスに黄色い声が飛んだ。ミッキーマウス、ドナルドダック、グーフイーなど。
 今年の祭りのメーンストリートは大通り商店街に移った。4車線道路の2車線を観客用に開放し、1キロあまりの沿道は人で埋め尽くされた。大通り商店街をクロスする形の中町商店街は日和山公園まで続いている。そこは出店の通りである。身動きできないほど祭りを楽しむ人で溢れていた。
 酒田まつりの本祭りは5月20日である。酒田の官庁街と言われる本町通りは、本間家本邸、銀行、市役所、商工会議所等が並び、大通り商店街の南をクロスして東西に延びている。5月20日の本祭に本町通りのまっすぐ西方に太陽が沈むように設計されていると聞いている。粋な街づくりをした先人に頭が下がる。

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東北電力初「鳥海南バイオマス発電所」

2024年05月18日 | 日記

  日本の経済を支える電気の存在は大きい。原子力や化石燃料に頼りきっていた日本は転換を余儀なくされ、遅まきながら太陽光発電、洋上風力発電、バイオマス発電などに力点を移し始めた。その中でも大容量の発電可能な洋上風力が注目され、北風の強い青森、秋田、山形の日本海沖が適地として調査が進んでいる。いずれも消滅可能性の市町村80%以上を抱えた県である。山形県北部、遊佐町沖の洋上風力発電事業は業者選定の段階まで進み、間もなく建設の槌音が聞こえるようになる。
 それに平行して、遊佐町鳥海南工業団地に、東北電力では初めての木質バイオマス発電「鳥海南バイオマスパワー」が工事を終えて試験発電となる。ほぼ完成した内部を視察させて頂いた。そのスケールの大きさには驚いた。酒田港に輸入された木質ペレットを運ぶ20トントレーラーが15台並んでいた。港に着いた1万トン船のペレットをこれで運ぶのだ。港から数キロはある。国道7号線は大丈夫なのか。
 これだけの装置で出力は52、000kWである。しかし、地球温暖化に対するささやかな答えでもある。

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旭日中綬章を拝受

2024年05月11日 | 日記

 昨日10日、恐れ多くも私と妻はホテルニューオータニ東京の「鶴の間」で総務大臣より旭日中綬章を拝受しました。その後皇居に移動し「豊明殿」で天皇陛下よりねぎらいのお言葉があり、身に余る光栄でありました。
 これも、長い間、応援してくださった方々のお陰です。深く感謝し、余生は叙勲に恥じぬよう丁寧に過ごそうと思っております。ありがとうございました。

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全国から鳥海山春山スキー

2024年05月04日 | 日記

 山形県にある観光山岳道路「鳥海ブルーライン」と「蔵王エコーライン」は除雪作業が終わり全線開通となった。全国からどっと観光客が押し寄せ春山を満喫しているようだ。
 「鳥海ブルーライン」は遊佐町の国道7号線道の駅「ふらっと」の近く、海抜ゼロから鳥海山をのぼる山岳道路だ。一番高い海抜1100メートルの5合目に鉾立観光ステーションがある。そこを目指してドライブする。つづら折りの坂道で、変わっていく山の景色を楽しみながら進んで行くが、下る車やバイクツーリングが多く気の抜けないドライブでもある。
 四合目付近に大平山荘がある。ここに着く少し前にカーナビは「秋田県です」と県境を知らせ、山荘に着くと今度は「山形県です」になる。この山荘は遊佐町の運営で「鹿の角切」の神事もある。ここから少し進むとまた秋田県になる。鉾立は秋田県にかほ市の運営である。雪回廊はなくなっていたが、山の春スキー客でいっぱいだった。山荘駐車場はもちろんの事、道路に膨らみがあれば駐車だった。
 鉾立からの日本海、飛島、栗島、庄内平野の眺望はすごい。ここから秋田県にかほ市に鳥海ブルーラインは続いている。34.9キロメートルが全長だ。

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消滅可能性自治体に住んでいる

2024年04月27日 | 日記

 「人口戦略会議」は将来的に「消滅の可能性」があると見なした都市、744市町村を公表した。2020年から2050年までの30年間に子どもを産む中心世代の20~30歳代の女性が半数以下になる事をその根拠としている。その市町村を80%以上抱える県が青森県、秋田県、山形県の3県である。
 山形県には35市町村あるが、県都山形市を中心にした仙台に近い7市町以外は全てが将来消滅するとされている。私は消滅の可能性があるとされる人口10万人の酒田市に住んでいる。そこは、酒田市市街地に隣接し数キロ内に13の集落が存在する農村地帯で、かつては、北平田村だったが昭和29年の合併で酒田市となった。酒田市立北平田小学校があり、私の同年生は66人で1学年2クラスだった。しかし、子どもが減り続け平成25年に、同様な3地区が統合して酒田市立平田小学校となった。更に子どもは減り続け今年、北平田地区内で生まれた子供はひとりだったと聞いている。平田小学校すら存在も危なくなってくる。
 地区集落の自治機能も著しく低下している。地区内に5寺院あるが、4寺院は空き寺となっていて、集落の鎮守の神社の護持も役員のなりて不足で悲鳴を上げている。空き家、一人暮らしの増加はぞっとするぐらい怖いスピードで進んでいる。結婚しない青年が増え続けるのは何故なのか。日本国の存亡にかかわる課題に目を背けてはならないと思う。

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黄砂にかすむ満開の梨畑

2024年04月20日 | 日記

 桜の花が終ると、酒田市の北部に広がる広大な梨畑の花が満開となり、鳥海山を背景にしてカメラマンが喜ぶスポットがある。真っ白な梨の花は桜に負けない美しさがある。
 ところが今年は4月18日より黄砂が降り注ぎ、晴天にも関わらずどんより薄暗い感じなのだ。鳥海山が見えないどころか、梨畑の全容すら良く見えない状態である。昔から「春はおぼろ霞」と言われていたけれど、こんなにひどい黄砂は経験がない。視界6~7キロと報道され、遠くの山々は見えず、雲も見えない。わずかに差し込んでくる太陽の明るさで昼を感じる程度である。黄砂は遠い大陸の砂漠の土煙が、はるばる日本まで飛んで来る現象である。
 刈屋梨の歴史は古い。鳥海山の湧水を源にした2級河川、日向川と月光川の合流地点の広大な河川敷に梨畑が広がっている。特産品「刈屋梨」の歴史は古く120年前には栽培されていた。大地が肥沃過ぎて果実が腐ると言われ、長十郎梨の栽培が始まった頃から盛んになり、現代の多品種の梨へと引き継がれている。
 酒田の特産品として「刈屋梨」は全国に広がりを見せている。

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桜前線が北上

2024年04月13日 | 日記

 桜前線が北国山形県まで北上した。地形によっての多少の差はあるものの、今日あたりが満開と言っていい。地元紙の山形新聞は一面の巻頭に3段ぶち抜きで山形市馬見ヶ崎公園の桜並木をドローンのパノラマ写真で掲載しその美しさ伝えている。
 山形県の公園は桜の植栽も多いが、多くの河川の土手に植えられた桜が多く、それが一斉に咲き誇り県土全体に春の到来を告げる豪華さがある。桜の命は短く一週間程度で散ってしまうが、その後、遠くの山肌に山桜が咲き始め、その名残を楽しませてくれるのがありがたい。
 ニュースで気象庁の職員が開花宣言や満開宣言の様子を報道するが、桜の開花はそんなに瞬時の事なのかと思ってしまう。統計上ならあんな大袈裟な必要はないように思える。かつては、酒田にも測候所があり、標準木の正式な開化発表があった。行政改革で測候所は廃止され、開花宣言を市職員が代行しているらしいが正式な統計なのかは分からない。

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小1年の育てた「ひょうたん」を卒業生に

2024年04月06日 | 日記

 酒田市の北平田農産物愛好会(高橋辰雄会長)は地区の平田小学校一年生と一緒にプランターで「ひょうたん」を育てている。6月ごろに種をまき、8月下旬ころの収穫となる。実った「ひょうたん」を水に漬け中身を取り出し乾燥。きれいに磨いた後、色彩を施し、卒業生のひとりひとりの名前や子供たちが選んだ一文字漢字の「空」や「友」等を書き入れて仕上げる。きれいに仕上がった「ひょうたん」を、六年生の卒業記念にプレゼントする活動が続けられている。
 今年の卒業生は26人で、プレゼントされた中のひとり高橋君(12)は「自分も一年生の時にひょうたんを作った。6年生になってもらってうれしい。家に飾って大切にしたい」と話した。
 同愛好会は2004年頃から旧北平小学校時代に始まった活動だが、少子化で2013年に平田小学校として統合をきっかけに活動は中止していた。しかし、さらに進む少子化に、故郷の良さを認識するきっかけになればと2018年に復活させた。
 一年生と同愛好会が育てた自分の名前が入った労作を受け取った6年生たちに笑顔が広がった。

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スワンスケートリンクが閉鎖

2024年03月30日 | 日記

 山形県内唯一の屋内スケート場(スワンスケートリンク)は施設の老朽化やハザードマップで津波浸水想定区域内にあることなどから、今年度いっぱいで閉鎖することとなっていた。大勢の利用者から惜しむ声が上がって、対応が検討されている。
 スワ―トスケートリンクは最上川右岸の河口付近に、1972年に酒田市立体育館が建設され、20年後の紅花国体に合わせてた国体記念体育館が新に建設され、市立体育館の用途は各種イベントなどで利用されていた。その用途の一つに、1994年12月に冬場の屋内スケートリンクとしてオープンをした。
 市議会議員だった私が当時の大沼市長に提案して実現したスケートリンクで想い出がいっぱい詰まっている。閉鎖する前々日に視察に行ってきた。係員に「まだ使えそうだよね」というと「うん」と答えてくれたけど、経年劣化は専門家でないと分からない。時代は変わる。

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