山形県内唯一の屋内スケート場(スワンスケートリンク)は施設の老朽化やハザードマップで津波浸水想定区域内にあることなどから、今年度いっぱいで閉鎖することとなっていた。大勢の利用者から惜しむ声が上がって、対応が検討されている。
スワ―トスケートリンクは最上川右岸の河口付近に、1972年に酒田市立体育館が建設され、20年後の紅花国体に合わせてた国体記念体育館が新に建設され、市立体育館の用途は各種イベントなどで利用されていた。その用途の一つに、1994年12月に冬場の屋内スケートリンクとしてオープンをした。
市議会議員だった私が当時の大沼市長に提案して実現したスケートリンクで想い出がいっぱい詰まっている。閉鎖する前々日に視察に行ってきた。係員に「まだ使えそうだよね」というと「うん」と答えてくれたけど、経年劣化は専門家でないと分からない。時代は変わる。
日本海東北自動車道は新潟県から山形県を通って秋田県まで日本海沿岸を縦貫する幹線自動車道路である。全線開通すれば、北東北と近畿、中京圏への最短距離となり一歩遅れてるこの地域の創生に大きな役割が期待されている。秋田県と青森県はすでに繋がっている。問題はミッシングリンクの山形県側にある。
今日23日、山形県の酒田~遊佐間の開通式が行われ秋田県境まで日東道は繋がった。残る秋田県境をまたぎ繋がるのは2年後と公表されている。もう少しの辛抱である。問題は新潟県側とのミッシングリンクで、山形県側の温海温泉ICまでは繋がっているが新潟県村上市のまほろばICまでの40.8キロの工事進捗率は37%止まりとなっている。開通の見通しも経たない惨状が続いている。観光、物流、企業誘致へは計り知れないマイナスである。
横軸の高規格道路「みちのくウエストライン」酒田~石巻線の整備も進められているが進捗は遅い。高速道路から取り残されてきた庄内の悲哀は痛いほど感じている。
庄内海岸砂防林は日本海に面して南北に33キロ幅約2キロで、黒松が約500万本の人工林でスケールは日本一と言われている。飛砂を食い止め田畑を守り、安全な暮らしを願い約300年前ごろから植林作業は始まった。厳しい砂丘に耐えれるのは黒松と選択され今に至っている。
生活の近代化は黒松の枝やマツカサが燃料ではなく石油へ変り、松林の荒廃は進んだ。その頃、昭和50年代に西日本で松くい虫被害が猛威を振るい、やがてそれが庄内海岸にも確認されるようになった。それより先に、秋田県海岸はひどく、全ての黒松砂防林が松くい虫で枯れ木となった。車窓からの景色に鳥肌が立つ思いだった。
山形県は庄内海岸の自治体と官民が一斉に立ち上がって防除や整備活動に取り組んだ。松くい虫にやられると大木の黒松も一か月で枯れ木になる。国、県、市、市民ボランティアの活動も活発になり、一進一退の小康状態が続いていた。
ところが、昨年の猛暑と少雨の影響で過去最悪の松くい虫被害が発生。一昨年の二倍の被害木となり、切り残しの被害木がある限り被害はなくならないとされている。予算や対応する人員には限りがあり対応の難しさが顕在化している。
伐採予定の黒松には赤テープが張られ、その目印が痛々しい。
酒田は最上川の舟運で運ばれた莫大な米の集積地。ここから西回り航路の千石船で京都や江戸との交易を「西の堺、東の酒田」と呼ばれるほど賑わっていた。
伊豆稲荷が始まりと言われる「雛のつるし飾り」は江戸後期から始まったと言われている。雛人形の伝統は古いが、一部の裕福な家庭しか飾れない高価なものだった。一般家庭のお母さんやおばあちゃんたちは、自分たちの古着の切れ端を持ち寄り、女の子の健康と幸せの願いをこめた小さな人形を作った。それを紐でつないで「雛のつるし飾り」がはじまり、伝統文化として今に受け継がれている。
雛のさげ物の風習は全国にも珍しく、伊豆稲荷、九州稲荷、山形酒田は「日本三大つるし飾り」と称されている。私が子どもの頃、酒田のひな祭りはひと月おくれの4月3日だった。現代は3月3日から始まり一か月分余計に楽しめる事になった。
酒田ではつるし飾りを「笠福」と呼んでいる。酒田商工会議所女性会が失われつつあった「笠福」をわがまちの活性化と商売繁盛を願って吉祥柄の細工をたくさん下げて見事復活させた。
私たちの願いと文化の伝承は立派な街おこしとなった。
山形県は県内の特産物で消費が盛んなラーメンやそばを県のPRに活かそうと、キャッチフレーズ「ラーメン県そば王国」を特許庁に商標登録の申請をした。
山形県によると、人口10万人当たりのラーメン店舗数が日本一で、一人当たりの山形市のラーメン消費額が一昨年に引き続き日本一と総務省から発表された。さらに、昨年東京で開かれた「日本ご当地ラーメン総選挙」で厳しい東北ブロックを勝ちぬいて「酒田のラーメン」が初優勝を果たした。吉村知事は「本当にいい弾みになった。「ラーメン県そば王国」の商標登録を思い切って申請した。全国に誇る山形のラーメンとそばを広くPRし、観光資源の知名度向上につなげたい」と表明した。
「オランダせんべい」の酒田米菓では、新商品として従来の「オランダせんべい」にラーメン調理過程で出る大量の煮干しを再利用した新しい味の「にぼせん」を開発した。煮干しは「酒田ラーメン」の出汁に大量に使われる。その処分に「酒田のラーメンを考える会」や関係企業と協力して開発されたもので、煮干しの風味が香る「やみつきになる」煎餅として話題になっている。
大量に捨てられていた出がらしの煮干しが、再利用され商品化されることはSDGsの観点からも意義ある開発である。
酒田市美術館は「新田嘉一コレクション」の日本画を中心とした名作展示会で大勢の鑑賞客でにぎわっている。新田さんの所蔵する特別企画展は今度で3回目となる。今回は日本画の巨匠の作品16点が展示され、近くの美術館で鑑賞きることは何よりありがたいと思っている。
先ず目に付いたのは、丸山応挙の六曲一双の屏風「韓愈雪行図」の大作である。部屋いっぱいに展示された国宝級の気配を感じさせる大作は圧巻であった。海外流出の可能性を感じ取った新田さんが所蔵した作品と聞いている。馴染み深い近代日本画の巨匠横山大観や伊東深水の作品には食らいついて見つめた。
江戸時代の丸山応挙、鹿野探幽、鹿野常信、鹿野芳崖も展示されていた。丸山応挙の「福禄寿」は高齢化社会を見据えた高齢者の偉光を感じさせる作品に思えた。
スクールバスで子供たちが鑑賞しながら、鑑賞者のアンケートを取っていた。「中学生ですか」と尋ねると「小学生です」の答えにびっくりした。小学校の時から名画を鑑賞する学習に感動を覚えた。
2月10日に急逝した時田遊佐町長の家族・遊佐町合同葬儀が生涯学習センターで行われ、多くの町民や関係者が分かれを惜しんだ。
山形県で唯一、庄内だけが平成合併で五つの自治体に合併している。県庁との距離が遠く、全てのインフラは後塵を拝してる状態にある。高速道路はつながらず、新幹線もない。陸羽西線も今は運休となっている。その中で時田町長の仕事は群を抜いて庄内をリードしていた。
東北電力のバイオ発電は遊佐工業団地に誘致し間もなく開業する。洋上風力発電は遊佐沖が最終ステップの段階にあり詰めの作業が始まっている。一部の反対もあるが未来を見据えた遊佐町のできる事としてゆるぎなかった。「日沿道、酒田遊佐間の開通式が3月23日だよ」との電話が私への最後の言葉だ。
役場を木造の平屋に立て直した。「エレベーターもエスカレーターもいらない。歩いて回る役所は素晴らしい」と、いつもほめていた。鳥海山の開発は最高裁まで争って勝利を勝ち取った。
庄内を思い、遊佐町をこれほど自慢していた人はもういない。合同葬は立派でも代えがたい人材を庄内は失った。
山形県のJR酒田駅前広場に新たなガス灯が設置され市民の関心を呼んでいる。設置されたガス灯は5灯式で、駅前整備事業の計画段階から駅前広場の新たなシンボルにしたいとの強い要望があったため、酒田天然ガスが寄贈して設置されたものである。
駅前広場は約4千平方メートルの広場に、有料駐車場20台とタクシー乗り場、フリースペース等が整備され、駐輪場は屋根付きで400台の駐輪が出来る。そして、今までシンボルとなっていた高くにそびえていた大型ヨットのオブジェは交差点改良に伴って撤去される事になった。
JR酒田駅長は「素敵な駅前広場となり感謝します。酒田市と連携して賑わい創出に尽力したい」とコメントしている。ガス灯は夕暮れから最終電車まで点灯される。
今日3日は節分、明日から立春である。北国の恐れる大寒が明け「鬼は外。福は内」と全国から豆まきの声が聞こえる。季節の変わり目に起きやすい災害や病気を鬼に見立て、邪気を払う力があるとされる豆をまいて、追い払う昔からの行事である。我が家でも昔は豆まきをしていたが、子供が成人した頃には無くなったようだ。
例年、大寒の2週間は厳しい寒さにおびえてる生活だが、今年の大寒は穏やかである。吹雪もなく雪もない日中の気温が7~8度になったり穏やかな日々である。気象が異常なのだと分かっているつもりだが理解が出来ない。
天気に恵まれた先月の28日、庄内地域の味覚を楽しむ「第37回日本海寒鱈まつり」が酒田の中心部各地で開かれた。その中の中町モール会場には天気の良さも手伝って、長い行列が出来る盛況で、一杯800円の寒鱈汁は飛ぶように売れていた。「食の都庄内」親善大使のシェフ3人による寒鱈の特別料理や、ラーメン総選挙で初代王者になった「酒田のラーメン」の出品も加わり人気を集めていた。
日本海の幸は厳しい分旨さが詰まっている。
今年の「歌会始」に旧庄内藩主酒井家18代当主酒井忠久さんが「読師」を務めるとの報道があった。暗いニュースの中での朗報だった。「読師」の役目は、歌会始全体の流れを仕切る大事な役目と知り、なかなかの重責と分かった。当日、テレビ画面を食い入るように目を凝らした。最後は両陛下ひとりひとりの前に進み、御歌を拝受し読む役の講師へ運ぶ仕事である。緊張が伝わってくる。
旧庄内藩主忠久さんの父、17代目忠明さんが昭和29年の歌会始「林」のお題で佳作に選ばれている。山形県の和歌は「歌会始」に多くの作品が佳作に選ばれており、令和に入ってからも2年、3年、5年と続いて入選している。
私が興味を抱いたのは、平成7年お題が「歌」で山形県の大滝市太郎さんが入選した時である。「紙切れを幹に押し当て歌しるす 山人われに春は来にけり」が深く印象に残っている。農作業の合間にふと我に返って思い浮かべたのかも知れない。今はテレビで「プレバト」が高視聴率を上げている。日本語の奥深さが面白い。
今日から大寒、年間で最も寒い時期に差し掛かる。北国はこの頃に備えた冬支度を整える。北風の強い庄内は風囲いで家を守り、幹線道路はすべてに防雪柵で吹雪対策がとられている。雪は上から降るのではなく北風で舞い上がり横から襲い掛かるのである。しかし、今年の大寒はおかしい。雪もなく北風もなく気温は7~8度で晴天である。しかし、油断はできないとは思っている。
北風の強い今頃、私が子供の頃は凧あげをして遊んだものだ。もちろん手作りである。竹ひごで枠組みを作り、和紙に武者絵を描いた紙をはり、凧が上がる角度を調整して丈夫な糸を結ぶのがコツである。凧の上部を糸で引っ張り丸みを持たせる。その糸に和紙を張ると凧の鳴き声がブーンと響き、張り方で音色は変わる面白さがあった。
いつの間にかそんな遊びは消えたが、酒田凧を保存してくれていた「酒田凧保存会」(会長松田正美)が活動を続けて伝統を残してくれていた。酒田凧の歴史は古く江戸時代からと言われている。左官職人が冬場の仕事が無いとき、壁塗りの骨組みの竹を使って作っていたという。
その保存会の作品展示会が酒田市の「山王くらぶ」で開催されている。自分たちで作るだけではなく、市内のイベントで子供たちに凧作りの楽しさを教える等、後世に引き継ぐ取り組みも進めている、すばらしい活動である。
「政治と金」の問題は政治資金の管理を私たちと同じにするだけの事である。資金の公開も相続も特別扱いはおかしいと思うのが当然である。
酒田山居倉庫内・華の館で開かれている「酒田の印染(しるしぞめ)」が話題を呼んでいる。酒田市で3代続く老舗染物屋「斎藤染工場」の作品や手仕事が「酒田の印染・斎染とデザイナーが育む手仕事の温もり」と紹介されて、数々の作品コーナーは訪れた人の目を引いている。
斎藤染物工場は大正15年に創業し長い間、家紋や屋号を法被やのれんなどに印染めする「印染」を手掛けてきた。型枠に染料を流し込み、型紙を使って生地に染料を刷り込む「手捺染」の技法で、丁寧に生地の裏まで染め抜かれているのが特徴である。
展示はこれまで手掛けてきた消防団の法被や神社ののぼり、最近では「ピアノ柄てぬぐい」や「もっとかわいいあずま袋」などと合わせて40点ほど展示されている。
斎藤染工場の斎藤代表は「遠くから見ても分かるように鮮明に染められている所が印染の魅力」と語っている。印染の魅力は伝統技術と作者の意気込みの両立と思える。
新年あけましておめでとうございます。
ブログ「とうやのひとり言」へアクセス下さってる皆さんに感謝申し上げます。今年の正月は長男たちの帰省もなく、近くに住む娘たちは海外旅行とかで夫婦だけの正月となった。大晦日のテレビは何となく紅白歌合戦をみて、ゆく年くる年、さだまさしトークとだらだら付き合い、元旦は遅めの雑煮となった。終わったあとに抹茶が出てきた。初釜なので良い年であります様にと正座で頂いて祈念した。
ところが、夕刻にスマホのアラームが一斉に鳴り響き緊張が走った。しばらくして大きな揺れが来た。「これは大きい」と直感的に思った。テレビ画面が変わり能登半島の巨大地震と分かった。日本海には津波警報が出され、酒田市でも高台への避難が誘導された。海岸線の国道は全て通行禁止となり、テレビに映し出される残酷な映像に思わず手を合わせたくなる。
2日には羽田で飛行機の衝突事故があった。年頭にこんな惨劇の連続には参った。後は、善いことだけが残ってると思いたい。
今年もあと一日。月日が怒涛の様に過ぎ去るのを感じるのは歳のせいかもしれない。振り返ればスポーツ以外、あまり良いことは浮かんでこない年だった。少子化は止まりそうにもないし、世相は暗い方へとトレンドしているように見える。
地球沸騰と言われた猛暑の夏で生態系は狂った。人間の生活様式を変える始まりのようにも見える。60年間コメ作りをしてオール2等米は経験がない。来年が怖い存在に思える。
政治の劣化も同様に怖い。モリカケ問題に端を発した公文書の改ざん。桜を見る会の私物化。統一教会との深い癒着。極端な選挙買収事件。派閥パーティの乱発と裏金作り。いづれも長期政権だった安倍内閣時代に原点がある。国民の意思表示は投票率の低下で示している。
ロシアが軍事力でウクライナを侵略する。イスラエルがハマスをせん滅させるまで武力の行使は国連の無力さを痛感する。対話でなく、武力で勝負とはもはや人間ではない。
でも、門松をくぐれば新年は明ける。新年こそ未来に向けた新しい一歩を踏み出す年にしたい。
厚生労働省・人口問題研究所は2050年までの地域別の推計人口を公表した。20年との比較で東京都を除く46道府県全てが減少、平均で17%の減少率である。11県が30%以上の減少と見込まれ、東北では秋田・青森・岩手・山形・福島の順で宮城を除き全ての県で30%を超える。他に新潟、山陰、四国、和歌山などで超えている。
各県内の市区町村の格差はもっとひどい状態である。山形県の場合は35市区町村の内、22の市区町村で4割以上の人口が減少、その内半分を超えのが14市町村である。特に県全体で0~14歳までの人口は半減する。政治の原点はここにある。どんな国をめざすのか政治の出番である。政治不信は国を滅ぼす。
明日はクリスマスイブ。「酒田みなとライオンズ」では一足先にクリスマスパーティーを行った。子供たちも参加する家族例会でサンタクロースは子供たちへのプレゼントが仕事。ビンゴゲームに20人程の子どもたちも大はしゃぎ。全員にシクラメンのプレゼントがあり、楽しい一夜を過ごした。