国境の離島対馬は以外に大きい島だ。南北に83km東西18kmあり、9割が急峻な山岳地である。対馬の歴史は古く、九州本土と朝鮮半島を結ぶ海上交通の要所として栄えていた。豊かな漁場は漁師に恵をもたらした。新聞報道に「毎日一万円札を拾いに行くようなもんだった」と厳原漁業協同組合長のコメントがある。今はその面影はない。漁獲高は10分の1程度まで落ち込み、温暖化による磯焼け、まき網船団の荒っぽさは沿岸漁民を苦しめている。
ピーク時は7万人の人口も、今は3万人程度と過疎が進み、たった1本の曲がりくねった国道382号線も人の気配がない。そこへ韓国人観光客がどっと押し寄せ、一昨年は15万人、昨年は18万人に上り、日本人とのバランスを大きく欠いている。ホテルや空家が韓国人に買い取られる現象も現れた。朝見かけたホテルの宿泊客もほとんど韓国人だ。釜山までは約50㎞、高速艇で1時間の近さであり、船賃も安い。福岡対馬間の小型飛行機は17000円と割高の影響もあるのだろうか。韓国から最も近い島は危機にあるように見えた。
夕食に対馬選出の坂本県議、対馬市議3人を交えた懇談会は、対馬市の現状を知る絶好の機会だった。「国は国境の島で頑張ってる事を分かって欲しい。国会にお願いしている国境離島新法は、我が国の領海、排他的経済水域の保全、密航、密輸の防止、東アジアとの相互理解の国際交流などは、人が住み続ける事が最重要であり、定住促進、交流人口拡大は避けて通れない」と熱っぽく語ってくれた。まさに島が危ない。
ぴくぴく動くイカの刺身、サザエ、海草類など食材の鮮度。庄内の海鮮料理もうまいと思っていたが、対馬海鮮にはかなわない。
台風8号に刺激された梅雨前線影響で、9日未明から山形県南部に記録的な豪雨が発生。河川水位の上昇で、9市町に避難勧告、指示が出され、道路への土砂崩落などで4市町に孤立集落が発生した。農地1600haが冠水、農作物、農業施設にも甚大な被害が出た。
南陽市周辺は昨年も集中豪雨で、水路等の復旧工事を終えたばかりである。その白鷹町、南陽市の状況を視察した。復旧したばかりの白鷹町荒砥朝日水路は、断面1㎡級の大型三面溝が無残な姿で流されていた。設計や工法に問題が無かったのか検証の必要がある。それにしても再度の復旧工事となる。
南陽市宮内の吉野川厨川堰も同様に、今年3月に復旧したばかりが再度被災し、取水口、水路、サクランボ園地が流亡。急ピッチで仮設工事が始まっているものの水害の怖さを改めて視察した。白竜湖周辺農地の湛水状態はテレビニュースなどで知ったが、現在は通常に戻っていた。この周辺の排水は、水路による自然流下の構造であり、河川水位の上昇で逆流を防ぐ樋門閉鎖で冠、湛水が発生すると説明があった。「今年も又か」の思いが残る。
近年、豪雨被災が連日のように報道されている。異常気象を言い訳に使えない現実がある。「治山、治水は国の基」である。二度と同じ災害を繰り返さない根本的な対策が求められる。
政府の推奨する農業の企業化、大規模化を実践している鹿児島県志布志市の農業法人「さかうえ」を視察した。政府依存度の高い農業は、朝令暮改とも言える「猫の目農政」に振り回され、どうも腰が定まらない。国土保全、食料安全保障の観点から独立国として農業は存続させたいが、国際競争力に耐えうる産業でなければならないと農業改革を政府は唱えている。
農業法人「株式会社さかうえ」は平成7年に設立。現在50人の社員で500haを耕作。日本農業のモデルとして各賞を受賞全国的に知られている。経営の根幹は契約栽培である。食品会社などとの契約は、量、品質、安全基準、期間内納品を確実に提供する事が求められ価格の安定はあるものの、自然相手の作物は栽培技術などと合わせてリスクが多い。ポテトチップス用ジャガイモ、青汁原料用ケール、焼酎原料用サツマイモなどが主な契約栽培作物であるが、生産工程、投資、予算管理を「見える化」し、IT活用による工程管理システムを開発し契約主の期待に応えている。
デントコーンを大規模に栽培し、独自に開発したサイレージ加工の牧草飼料「サイロール」を販売、畜産農家の要望に応え、耕畜連携が出来上がっている。ずらり並んだ大型農業機械は圧巻だった。社長の坂上隆さんは「個人農家は所得、企業は利益の最大化にある」と語ってくれた。
農業とは何か。古代より開墾し続け、広がり引き継がれてきた農地は今、存亡の危機にある。NHKの「明るい農村」も今は放送されていない。「明るい山村」を取り戻す知恵が試されている。
国体予選と東北総体の予選選考を兼ねた、山形県相撲競技大会が酒田市相撲場で開かれた。相撲は国技であり、その歴史は古く日本全国、津々浦々で草相撲があった。小学校の一角には相撲場があり、化粧まわしをつけた子供横綱の土俵入りや、軍配を持った行司衣装の見事さも身近なものだった。勝ち抜き戦は、父兄の声援や子供たちの黄色な掛け声で盛り上がったものだ。
県議になってから、山形県相撲競技に関わって来たが、参加選手の少なさに驚いた。少年の部は、加茂水産高校4名、新庄神室高校2名、新庄北高校1名、酒田東高校1名の8名である。団体戦などはとても出来ない。成年の部は、登録選手が6名で、半分が棄権である。国体出場権は高校の部で5名、成人の部で3名にそれぞれ補欠選手を加えることが出来る決まりになっている。
驚いた私は、関係者に事情をきくと「昭和45年の岩手大会で、準優勝したこともある。今は山形県が東北でも最低だ。でも中学生に東日本で2位の子供がいるので、それを楽しみにしている」なんとも心もとなく思えた。大相撲に山形県出身力士の番付に関取がいない事と、報道関係者がいない事を尋ねると「大相撲枠は800人。子どもの将来を考えると迷ってしまう。でもスカウトの人はきてますよ。報道関係には連絡しなかった」と打ち明けてくれた。
このままでは、大会が開催できなくなるかも知れない瀬戸際にある山形県相撲連盟の現状である。かつては羽黒山、柏戸を輩出したわが県の相撲の隆盛を願いたいものだ。
酒田市障がい者スポーツ大会に出席した。以前は広い酒田陸上競技場で開催されていたが、最近は酒田市体育館で行われている。79名の選手に20名のボランテァが参加した、酒田市のパラリンピックとも言える。9月に天童で開催される県大会の出場予選も兼ねており、選手によっては県大会の優勝も狙っている。
競技種目も多彩である。カローリング、ダーツ、ターゲットボッチャ、輪投げ、アキュラシ―、スカットボール、ラダゲーム、RDチャレンジ、シューティングボール、魚釣りなど、新しい種目が取り入れられ、専門的で、あなどれないテクニックを要する。来賓として魚釣りに出場した。昨年は1位だった記憶があるが、今年は5人中4位だった。
カローリング種目の所で「やってみたら」と言われ、初めて挑戦した。カローリングはカーリングの陸上版の様な競技で、キャリヤのついたストーンを10mほど先の的に入れて得点を争う団体種目である。興味深いものだった。どうにかまっすぐは進ませる事は出来るが、力加減で行き過ぎたり、手前で止まったりで思うようにはならない。「チームを組んで参加したら」と言われたが、レベルが競技に臨めるものでは無いのでお断りをした。
ダーツも面白そうだった。各競技を回ってみたが皆さんの真剣さで日頃の練習振りを知る事が出来た。障がい者のノーマラゼーションは、その環境を作り上げて行く努力が社会の責任であると思う。
ASL協会山形県支部総会に出席した。それは一分間の黙とうから始まった。年間数人は亡くなられ、現在山形県のALS罹患者は129人で、85名の方が在宅で治療されていると報告があった。患者数は少ないものの重症度から見て、ALSは難病中の難病である。
総会は患者2名と家族関係者合わせて数十名。来賓は山形県健康福祉部障がい福祉課長、山形病院副院長、県議、国会議員代理秘書、障がい福祉課職員、各地域保健所職員だった。県選出国会議員秘書のほとんどが出席されており、前と比べて関心の高さを改めて感じさせられた。
総会の中で、二人の男女から配偶者の闘病報告があり「わが家は大家族ですが、私の生活は妻が中心です。妻が居てくれるから私も生きて行けるのです。代わってやりたくてもできません。私が健康に気を付けて生きて行けるのは妻のお蔭です。ALSが発症すると周りに迷惑がかかると思ってしまう人が多いと聞きますが、家族にとっては居てくれるだけで生きがいです。もっと介護がうまくなろうと頑張れます」同様に寄り添って闘病されている女性の方は「一緒にリハビリをしていると、昨日よりは少し良くなったみたいと思う」と夫婦の絆の深さに感動でいっぱいになった。
私はあいさつで「患者の皆さん、ご家族の皆さん、病院の皆さん、それを支えて下さっている関係者の皆さんに心から敬意と感謝を申し上げます。ALSを正しく理解してもらい、理解の輪を広げたい」と申し上げるのが精一杯だった。平成27年に施行される「難病患者に対する医療等に関する法律」に今日の声が反映されるように力を合わせて努力したいと思っている。
全線開通が急がれる日本海沿岸東北自動車道が期待通りの工事進捗が見えない。原因はベースになる予算が減額されている事にある。その理由は、どうやら復興予算に重点配分されている事と東京オリンピック関連工事のプライオリティの高さにある様に思える。
いつも後回しにされる日本海側インフラは、人口集積が少なく経済効果が少ないとデジタル数値がはじき出す結果、現状に甘んじる事に至っている。「鶏と卵」ではないが、沿線に暮らす住民は、明るい未来志向で、大都市との繋がりも発展の鍵と思ってる。地方の時代などとおだてる前に、国の責任で道路をつなげて欲しい。
そんな中、平成21年に整備計画が決定され、事業着手された「酒田みなと~遊佐」間12キロの工事現場を視察した。この路線は、庄内砂丘を国道7号線と併行して伸びる路線である。砂丘は先人が飛砂から暮らしを守るため植林された人工林である。風の通り道と指摘されていたこの箇所は、地元要望で70mのボックスカルバーとし、上に土砂を盛り植林をして、防風林を再現する事になっている。
保安林を守ることと、利便性の向上は難しい選択ではあるが共生の道を探りつつ一歩前に進めて行かなければならない。
山形県の森林面積は県土の72%、67万haと公表されている。森林面積は北海道が断トツトップで、岩手、長野と続き、山形県は8番目に位置する。しかし、人工林率はその28%と極端に低く、東北で最下位、それは急峻な地形に由来するものと思われる。
昭和20年、戦後復興に入った日本は大量の木材需要が起こり、国策として造林事業を進め、草地、広葉樹林を伐採してまで針葉樹の植林事業を進め、人工林は森林面積の40%にまでに達した。
一方、高騰する木材価格を抑えるため昭和26年に丸太関税を撤廃し、昭和39年には木材の貿易完全自由化となり、安い輸入木材が世界中から押し寄せた。昭和30年に95%だった国産材利用は50年後には18%まで落ち込み、木材価格はピーク時の3割まで下落した。その結果、林業が成り立たず現在は山林の荒廃、山村の崩壊現象に至っている。
戦後植林した木材は50年以上たち、木材を供給できる宝の山と変わっているのに、安易な自由化が林業と言う基幹産業を失った今、昔に戻る事は出来ない。しかし、山は育っている。山形県産材価値は4千億円とも推定され、伐採、植林の循環を取り戻す試みも始まっている。
県内最大の製材業者「株式会社 庄司製材所」の本社工場が真室川町にある。秋田県・山形県を中心に原木を集荷し、コンピューター化された製材作業設備で無駄を省き、全国のホームセンター等にジャストインタイムで納入できるシステムが出来上がっている。女性の社員も製材作業を行っていた。樹皮や端材はバイオマスボイラーで熱源に変換。外材に負けない県産材の作り手として頼もしい存在だ。
庄内三川町の公設庄内青果物地方卸売市場に丸果庄内青果株式会社がある。世界の青果物がここに集まり、庄内地方の消費者の需要に応える本来業務の他に、生産者、出荷者の委託を受け、独自の流通ネットを駆使した全国に販売するシステムポイントを農林水産常任委員会で視察をした。
農業の抱えている課題は多岐にわたり、高齢化、人手不足、生産者価格の不安定、設備投資資金などが先ず目先の課題である。この事の解消に佐々木社長を中心にした会社の営農戦略が芽を出しつつある。
先ず社長の第一声は「目先を変えれば農産品の需要は無限にある。厳しい規格農産物の概念を取り払い、形にこだわらず、そのまんまで受け入れてもらう仕組み作りが、新しい需要を生む」であった。
具体的に、キャベツプロジェクトでは、生産者手取り価格を㌔40円と設定、先ず生産者の収入見込み確保し、その他の経費や、リスクは会社が背負うというもの。昨年の10倍の200haで1000トンを目指し7月の収穫から始まる。
ニラプロジェクトは、廃棄処分されている一番ニラも収穫、年数回獲りで、5ミリカットをして-25℃で冷凍保存する。これも生産者手取りが㌔150円とし150トンを見込んでいる。
ネギは白根ではない葉ねぎが関西では主流である。土寄せが省略出来、年3回収穫できるというもの。庄内柿はS.M級の剪定なしを主力に、その現場にコンテナに入れて置くだけ。そのままで集荷、脱渋し消費地へそのまま輸送、商品となる。小ぶりだが激安の庄内柿を提供できる。重さや手数を省略するメリットは大きい。
ホーレン草は規格より2~3割長いもので集荷。収穫量が増大する。味、歯触りが同じであれば消費者のもうけになる。にんじんも土付きのコンテナ出荷。徹底した手間省きは、生産者の意欲向上を高める狙いがある。
消費者のニーズは多様である。高齢生産者にやさしい農業の生きる道かも知れない。
酒田の最大イベント「酒田祭り」は、今日が本祭りである。前祭、後祭を挟んで三日間続く。山車行列の起点となる、筑後町上日枝神社の例大祭に出席した。古式に則った神事は、心に沁みる厳粛さが感じられる。
そもそも酒田祭りは、上下日枝神社の例大祭「山王まつり」」として慶長14年(1609)から一度も休むことなく続いている。酒田大火の3年後、酒田大火復興記念として「酒田まつり」に改名され、行政も関われる祭としたものである。その時、赤黒対の大獅子が復興記念のシンボルとして作られ、山車行列の先頭で市民の無病息災、厄払い、生活の安寧を願っている。
子どもの頃の山王祭は、長い田植期間の中休みの日にして、町に繰り出したものである。日和山公園にはサーカスやお化け屋敷、見世物小屋などが所狭しと並んでいた。今では人権問題になりそうな「世にも不思議な奇形な人間がいるよ。お代は見てから」の呼び声に「見たい、見たい」とせがんで、叱られた記憶がある。露天も水鉄砲、機関銃、日本刀などで、目をきらきらさせた。大道芸は人垣で溢れた。「この薬ひと塗りで、ほくろが消えるよ」と怪しげな大道商人もいた。
日和山公園を下ったあたりに、戦争で手足を失った傷痍軍人がたくさんいて、白装束でアーコデオンやハーモニカを弾きながら、いくらかの寄付を願う痛々しい姿もあった。
時代の波を?みこみながらも「酒田まつり」は400年以上も続いてきた。これからを占うのは難しいが、「まつり」は市民の心が投影する軌跡となる。
周辺の田植がほぼ終わった。例年より2~3日前倒しされたのは育苗期間の天候と思われる。我が家の田植えも3日ほどで、無事終了した。自動化された田植機械での移植作業は、はた目では楽ちんと思われるかも知れないが、これがなかなかの重労働なのだ。育苗ハウスより苗箱をほ場に運び、並べる。一枚一枚大変な数である。それを田植機に移して準備完了となる。
いよいよ田植機動き出す。ほ場の底盤は凸凹があり直線的に植えつけるには高度なテクノロジーが要る。目印のラインを見つめ無心で小刻みにハンドルを調整する。いったん植えつけると元に戻ることは出来ない。やり直しが出来ないのだ。100m進んだ着地点で後を振り返る。多少曲がったり、蛇行が大きかったりで苦心の跡が軌跡として残る。それが、稲の一生の間、付きまとう運命になる。
空箱の始末もある。これも使った数だけ手に係る。機械の届かない隅は手作業で植える。朝の5時で作業開始し、夕刻は7時位まで作業が続く重労働である。日頃使ってない筋肉が痛い、おまけつきになる。米価は安いけど、これを夫婦でやりきる充実感はある。
今日は午後1時半より、霞城公園での反対集会がある。9時頃で作業を切り上げて山形へ向かった。TPPはボーダレスな国際分業を形にする条約である。その反作用は、光と影がくっきりと表れる事。それが日本になじむのか。長い歴史、伝統的考え方は、まあまあのグレーで暮らしてきた、わが世代には抵抗を感じる。日本の形、価値観を根底から変えようとしているTPPにNOと言う行動は必要だ。
4月27日にライオンズクラブ国際協会332-E地区第60回地区年次大会が酒田市の国体記念体育館で開催された。県内800人のライオンが集い盛大だった。来賓として吉村知事も駆けつけ、士気が上がった。
LIONSとはLiberty Intelligennce Our Nationns Sefetyの頭文字を取り入れたもので、直訳すると自由を守り、知性を重んじ、われわれの国の安全を図るとなる。モットーはWe Serve、われわれは奉仕するである。ライオンズの誓いがあり「われわれは知性を高め、友愛と相互理解の精神を養い、平和と自由を守り、社会奉仕に精進する」と例会毎に斉唱を繰り返し誓い合う仕組みになっている。
式典の後に晩餐会があり、ウイサーブで乾杯をして盛り上がった。アトラクションでのマグロの解体ショウがあり、100㎏程のマグロが入場すると会場は騒然となった。会場の中央付近でそのショウが行われると全員がそこを取り巻いた。人垣でマグロが見えない。やっとのことで見える場所に出る事ができた。さすが迫力満点である。
見事な包丁さばきで、みるみるうちに解体された。後で知った事だが、解体されたマグロを、その場で食べることが出来ないらしい。食品衛生上と推察するが、この大きさで寿司にすると千人分あると説明があった。マグロは貴重な魚となった。
鳥海山の種まき爺さんが姿を現した。最近は好天が続き、庄内平野一帯のハウス育苗も折り返し点を過ぎ、苗は硬化期の管理に移った。育苗管理は見た目より、なかなか大変な技術で適温温度帯が少なく、適温2~3℃の幅をハウスの開閉で調整する作業である。天気は気まぐれで、春は寒暖の差が大きい。それに、晴れたり曇ったりでハウス内温度が激変する。気の抜けない作業だ。あと二週間で田植になる。
田んぼには水が張られ、代掻きも始まった。のどかな田園風景が、これから先どう変わるのか。考える暇もなく、目先の忙しさに追われている。庄内平野の何処までも続く幾何学的ほ場と、灌漑インフラは他地区の人が驚いて感嘆の声を上げる。一週間ほどで広大な大地に水が張られ、その後一週間もすると田植で一面が緑に変わる。庄内平野は「水と緑」だと言った記者の言葉を思い出す。
今日、この辺一帯は村祭りである。わが神社にも神官が来て祝詞奏上をした。みんなと一緒にお参りをし、玉ぐし奉奠をした。お神酒も頂戴し簡単な大例祭は終わった。隣の村からは、祭囃子の音が聞こえ、賑やかである。長い伝統を引き継がれてきた努力は大したものである。遠くから山車行列をながめた。
祭りに合わせる様に山菜を頂いた。わらび、タケノコ、たらの芽である。好物の「ワラビ叩き」「たらの芽の天ぷら」「タケノコの煮しめ」で、わが家の食卓はいつになく豪勢であった。一杯の晩酌がのどに沁みとおった。
鳥海山の懐にすっぽりと抱かれた遊佐町中山地区。美しい家並のすぐ南側に、川幅3mほどの清流、洗沢川が瀬音ゆかしく流れている。その河川敷が公園として解放され、土手には現平成天皇が皇太子時に、ご成婚記念で植栽されたソメイヨシノ60本程が、今盛りと咲き誇り、桜の名所になっている。
新聞に連日、桜便りが紙面を賑わし桜祭りの様子が報道されている。わが地域のソメイヨシノも満開に近い。それではと、寸暇を惜しんで中山河川公園に出かける事になった。少々風は冷たいが快晴で絶好の花見日和である。到着するや交通誘導員がいて、臨時駐車場を案内された。土曜日の午後3時、河川公園にはカメラを片手に三々五々花見を楽しむ人の、のどかな風情が飛び込んできた。花は8分咲きだろうか。川幅いっぱいに張られたワイヤーに鯉のぼりが数か所で、風に泳いでいた。河川敷をゆっくり散歩し、振り返ると巨峰鳥海山が倒れ掛って来るように迫ってそびえている。絶景である。
河川敷を一通り歩いて戻る道すがら、川向うで洗濯物を取り込んでいるご婦人がいた。桝川鮭漁業生産組合長の奥さんかなと思い「尾形さ~ん」と呼んでみた。「は~い あら、今主人を呼ぶから寄って」と笑顔が帰ってきた。今は農繁期の最盛期、農作業の邪魔をしては悪いと思い「またね~」と手をふって帰路についた。
ひと時の豊かな癒し時間。冬が厳しい分、春は喜びに溢れる。
一人暮らしをする65歳以上の高齢者が急増する見通しを、国立社会保障・人口問題研究所が公表した。これは、10年の国勢調査を基に推計したもので、21年後の35年には全国平均で1,5倍に急増、高齢独居率約38%と推計している。加えて、75歳以上の一人暮らしの増加率は更に速く、深刻な社会問題になると思われる。
世帯主が65歳以上の高齢世帯が、41都道府県で4割を超えると見られ、家族構成が気になる所だ。山形県は3世代同居率が全国1位であることから、高齢独居率は全国平均を10ポイント下回り、唯一30%以下と推計されている。しかし、今後は全国平均を上回って進むと見られており、世帯主が75歳以上の世帯が3割になるとされている。
この事を身近に感じていた私は、建設常任委員会最後の質問で、山形県住生活基本計画の見直しについて尋ねた。「3年前策定された県住生活基本計画は、耐震性・省エネ断熱対策・県産木材使用に特化され過ぎているいるように思える。急速に進む高齢化対策に配慮した住宅政策も加えるべきではないでしょうか」と申し上げ「14年度に検討し、見直しを図りたい」との答弁を引き出す事ができた。
国交省はサービス付き高齢者住宅制度を3年前から本格化している。高齢者に不可欠な医療、介護のサービスを組み合わせた住宅政策で、山形県でも40件の稼働が始まろうとしている。公営住宅でも高齢化は進んでいる。交通の便や、外部との連絡、高齢者を孤独にさせない更なる配慮も求められる。居住地特例は全国規模で動きだしている。老いは誰にもやってくる。衣食住に安心できる山形県の姿を発信したいものである。