とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

セゾンファクトリーのこだわり

2014年04月05日 | インポート

Dsc00324 コマーシャルでおなじみのセゾンファクトリーを訪問した。高畠町にある新本社工場は昨年10月にオープンし、安物は作らない、手作りの高級食品として全国有名百貨店やデパート、ホテルなどに30店舗を展開して、年商33億円を超えている。
 そもそも高畠町は、寒暖の差が大きく良質の農産物の産地として知られている。その中でも果物は一級品の穫れるところだ。セゾンファクトリーの社長齋藤峰彰さんの家業は醤油屋だったが、大学4年生の時に倒産。学生時代に感動した「ぶどうジャム」を「高畠ぶどう」で作ろうと思い立ち、醤油蔵で試行錯誤を繰り返し商品化した事に始まる。やがて小さなジャム工場を設立、兄弟力を合わせて「明日は世界へ」を合言葉に20数年を経て現在に至った。県が現在、推奨している農産品の六次産業化である。
 初めてお会いした社長の印象は、柔軟な物腰の中に強い意志とカリスマ性を感じさせる方だった。「ブランドとして確立しぶれない。安売り絶対せずに、売り先を見つける。世界で戦う企業を目指し、英語、ドイツ語を使える社員を雇用する。素材の農産物の調達は、残念ながら県内産が3割、国内4割、海外4割である。自然豊かなこの高畠が何よりの誇りだ」と語ってくれた。
 セゾンファクトリーのこだわりは、人の手の力、素材へのこだわり、ガラス瓶へのこだわり、とある。加えて私は、ヘルシーへのこだわりも透けて見える。商品は「生姜紅茶」「アイス柚子ネード」「アルフォンソ・マンゴーのラッシー」など数えきれない。社員276名は大家族主義だと語った社長の言葉が印象に残った。

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まだ雪深い羽黒山

2014年03月30日 | インポート

Dsc00343 昨日 外気温が20℃。久々の陽気に誘われて孫2名含めて羽黒山に行くことになった。私が計画を発表した。「10時に家をスタート。孫たちは石段を歩いて頂上を目指す。社殿で家族のお祓いしてもらった後、昼食を適当にとる。私は車で頂上まで行き、お前たちの到着を待つ」と告げたところでブーイング、私がずるいと言うのだ。「それは適材適所であり、役割と言うものだ」と強引に決定した。
 春とはいえ、羽黒山は想像以上に雪深かった。いでは会館で「登れますか」と尋ねた所「五重塔までなら何とかいけるかも知れない。長靴を貸しましょうか」と言われた。車はおいて、行けるところまで皆で歩くことになった。祓い橋までの石段は除雪されていた。その先は雪道の一本道で、五重塔までは行くことが出来たがその先は無理である事が分かった。
 引き返し車で羽黒山頂を目指した。有料道路区間は短距離ながら往復400円である。羽黒山社殿には参拝者がちらほら、くつろいでいた。祈祷申込みをすると別室に案内され、祈祷が始まるまで神官から羽黒山の説明をお聞きした。4月29日までそれぞれが分担して石段の除雪と清掃をして、山開きになるのだと言う。これでも今年は雪が少なく有難いとの事。今年は山形DCで羽黒山は大がかりなライトアップで注目を集める事になる。
 10人ほどの方と一緒に祈祷が始まった。伝統の重さに身の引き締まる一瞬だった。代表して玉ぐし奉奠をし神事は終わった。帰りに記帳をして社殿を後にした。

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フル規格の新幹線実現の論理

2014年03月21日 | インポート

Dsc00304 山形県主催の「奥羽・羽越新幹線の実現に向けたシンポジュウム」が開かれた。基調講演は内閣官房参与の藤井聡氏である。講演はいきなり 「昭和48年に日本国を網羅した整備新幹線の基本計画が作られた。そのころの日本は惻隠の情があり国として大人だった。ところが40年たった今、青森から鹿児島までと新潟・長野だけであり、費用対効果とやらで止まっている。
 日本国は惻隠の情のないガキの国に成り下がった。新幹線先進国日本の20万都市で新幹線の通らない都市が20都市もある。後発のフランス・ドイツでは2つか3つの都市が
新幹線から抜けている程度である。都市間格差は新幹線の有無で決まってしまった。この費用対効果は国全体で唱える問題で、個々で計算するものではない。今では顧みることの無くなったこの計画に命を吹き込むことによって、日本が強くなり新しいステージに入る事が出来る。
 それは、日本をつなげよう、皆で強く豊かになろうというナショナリズムである。私たちはこれを無くし、今や日本は21世紀の「眠れる獅子」まで落ちぶれてしまった。私たちの技術力と財力を持ってすれば、日本各地の主要都市を新幹線でつなぐ事など、いともたやすい」
 分かりやすく、説得力がありまったく同感である。しかし現実は、公共事業性悪説にたつマスコミ論調なのだろうか、とかく費用対効果が幅を利かせている。この事は国全体でシェアするものだと以前から私も思っていた。もう一言いえば、それは山形県にも言えることである。県民をつなげよう。県民会館もサッカー場も天童イオンモールも県庁もミニ新幹線で庄内とつなげよう。山形県も大人になろう。そこから新しいステージが始まる。

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酒田市が「中心市宣言」

2014年03月15日 | インポート

002 酒田市本間市長が庄内北部定住自立圏形成に向け「中心市宣言」を行った。地形的に隣接する三川町、庄内町、遊佐町と連携して課題解決を図り、安心して暮らせる地域づくりを進め、人口流出に歯止めをかける狙いがあると思える。
 総務省が打ち出した「定住自立圏構想」とは、市町村の主体的取り組みとして、「中心市」の都市的機能と「周辺町」の農林水産業、自然環境、歴史、文化などそれぞれの魅力を活用して、企業や民間の担い手を含め、行政相互の役割分担と連携・協力により圏域全体で必要な生活機能を確保し、人口定住を促進する政策である。
 そもそも酒田市と遊佐町、庄内町は酒田地区広域行政組合として一部事務組合を構成し、消防部門とごみ処理の清掃部門を担ってきた歴史があり、自然の流れとも言える。それに巨大なショッピングモールを抱える三川町が加わる魅力は大きい。
 「中心市宣言」をした酒田市は、機能強化された酒田港が釜山港との国際定期コンテナ航路が三便化され、交易視点が世界に向いた。この事で、新しい企業立地の動きも出てきた。日本海総合病院の役割も大きい。これらを結びつける交通インフラは、酒田余目道路の開通は来年である。国道7号線の4車線化も三川町に届く。日沿道の遊佐町までの工事は順調に進んでいる。定住自立圏への形成は整いつつある。
 あとは各議会の議決が待たれる。各首長、各議員の連携に大いなる期待をしたい。

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居宅医療とサービス付き高齢者向け住宅

2014年03月08日 | インポート

Dsc00284 山形県議会難病等対策推進連盟6名は千葉県市川市の吉野内科・神経内科医院に吉野英院長を訪ね、代表的神経難病であるASL重度患者の在宅療養の取り組み事例を視察した。市川医師は、山形県難病連で講演するなど、神経性難病治療の第一人者である。
 お会いした第一印象は「やさしい方」の一語に尽きる。治療方法が確立していない患者に向き合い、患者に希望を持たせ、患者家族への負担をいかにして減らすか、医師としての強い使命感が伝わってくる。家族に迷惑をかけまいと、呼吸器装着せずに死を選ぶ患者が7割もいる実態の説明に、身の凍る想いがした。
 気管切開した患者は、1時間毎の喀痰の吸引と、褥瘡を防ぐための体位交換も同程度必要である。意思伝達手段も熟練度が要請される大事な要素である。この事の解決方法として、吉野内科・神経内科医院では、サービス付き高齢者向け住宅制度を活用し在宅医療施設つばさハウス(10床)、弐番館(30床)を日本で初めて導入した。
 1日数回の訪問看護や訪問リハビリの医療保険を適用、介護保険との組み合わせで、家族負担に偏重しない在宅療養が実現している。課題は家賃が高額(月14~19万円)になる事。居住特例の問題がある。患者が入居した際に居住地に住所を移すと居住地自治体の負担になり、他地域からの受け入れが困難になる。
 難病に限らず、高齢化時代に突入している。サービス付き高齢者住宅のニーズは拡大していくと思われる。対応のスピードが問われる。

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動き出した花王酒田工場

2014年03月04日 | インポート

Dsc00299 花王酒田工場を訪問した。紙おむつ工場を新設し、稼働が始まっている。先ずは乳幼児用のメリーズのスタートであるが、高齢化で需要拡大が見込まれる大人用の生産も視野に入れながらである。円高が是正され海外市場も好調なため、中国、ロシアなど新市場をにらんだメイドインジャパンの高機能品の輸出拠点となる。
 花王は09年からメリーズの輸出販売を始めており、現在はアジアを中心に8ヵ国に実績がある。価格は現地製品に比べて高いが、富裕層は「日本製」にこだわる傾向があり、酒田工場で生産した製品がグローバルに出回る日は近い。
 谷本工場長によれば、紙おむつ生産は栃木工場、愛媛サニタリープロダクツについで3番目になるが、海外輸出では酒田工場が一番有利。船便コストは京浜が安いけれど、陸送費コストの安さが決め手になる。材料輸入についても同様だ。生産量が増えると道路と製品ストック場所の心配はある。紙製品なので工業化に限界があり、製造技術のマンパワーが大切である事も付け加えた。
 酒田工場はすでに2期目の増築を決めた。更に30人の社員の募集もしている。世界とのハブ港、釜山港との国際定期便は3便化が決まり、いよいよ酒田港が重要港湾として本領発揮の時が来た。

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新しくなる難病対策

2014年02月22日 | インポート

Dsc00282 難病とは、発病の機構が明らかでなく、治療方法が確立できず希少な疾病で長期の療養を必要とするものと定義されている。そもそもは、スモンが集団発生したことにより調査研究の結果、原因が整腸剤のキノホルムであるとし、キノホルム販売中止以降新患者は激減した。その際、スモン患者の入院費用を負担したことにより、昭和47年に「難病対策要綱」が発表され、対策として8疾病を特定。その後特定疾病が拡大され、現在は56疾病に至ってる。
 治療補助を含めた特定患者研究事業費は平成13年度との比較で今年度は3倍の1千342億円であるにも関わらず、国庫補助は2倍弱の440億円と伸び悩み、都道府県への交付率は平成23年度は50%を切り、今年度にやっと65%になった現状である。
 消費税の値上げに伴い、今国会に難病患者に対する医療費助成を法定化し、その費用に消費税の収入を充てるようにする法案が出されている。多岐にわたる難病に対して、公平かつ安定的な制度の確立と調査研究、療養生活環境整備事業の実施などの措置を講ずるとしている。
 私たち難病議連の役員6人は、東京に出向き厚生労働省健康局疾病対策課 課長補佐 医学博士西嶋康浩さんと児童家庭局 母子保健課 課長補佐 火宮麻衣子さんより難病及び小児慢性特定疾病の新たな医療助成制度について伺った。
 難病56疾患を300疾患程度に拡大、小慢514疾患から600疾患程度と見込み、難病の国庫補助を現在の440億円から910億円に、小慢は130億円から160億円に引き上げる見通しであり、難病相談・支援センターの機能強化や、病状の程度に応じた取り組みを進め、人工呼吸器装着者の更なる負担軽減、現行の事業の対象者であった方については、3年間の経過措置をとる事などの説明を受けた。

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営農組合座談会が始まる

2014年02月15日 | インポート

001 農政の大転換を受けて、14年産米の作付座談会が各集落で一斉に始まった。18年度までの経過措置はとるものの、それ以降は農業、特に水田稲作の自立が求められている。土地利用型の稲作は、国土に与える影響が大きく、その方向によっては日本の根幹が崩れる危険性もはらんでいる。
 農水省が今年示した4つの改革がある。個別にみると先ず、飼料用米400万トンを主食用米と置き換えるとしている。根拠は飼料用輸入穀物は1000万トン。その450万トンはトウモロコシと置き換えられると見ている。家畜の餌は、当然肉質に大きな影響を与える。飼料用米をどの時期に、どの程度与えるかは畜産農家のマル秘に近い技術である。農水省の荒い議論は机上プランの粋を出ていない。
 水田フル活用交付金として、飼料用米作付に特化している。インセンテブを働かせるため、収量に応じた交付金の配分は、標準反収を基準に10a当たり8万円とし、増減収によって1キロ167円を変動させ、最低5万5千円から最高10万5千円としている。ただし、需要があっての計算である。
 飼料用米を400万トン生産するには70万haが必要になる。仮に10a当たり8万円の交付金が支払われると、5千6百億円の財源が必要で、継続性と農業他部門へのしわ寄せが疑問となる。主食用米の半分が飼料用米に変わる計算にもなり、産地形成も大きく変わる事になる。
 米以外の作物への誘導策や成功例推奨は相変わらずである。やっと出来た産地形成が、供給過剰で値崩れし、崩壊する愚策は厳禁である。農政の取るべき道は、海外も含めた市場開拓が必須で、需要さえ増えれば里山農業は守れる。日本の隅々まで血流が届く農村を期待したい。

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今帰仁村と酒田市の交流

2014年02月10日 | インポート

Dsc00221 今帰仁村は沖縄本島、本部(もとぶ)半島の北半分に位置し、人口9000人余りの「やんばる」と呼ばれる自然豊かな村である。世界遺産に登録された今帰仁城跡は、かつては奄美群島を文化圏に取り込んだグスク時代の繁栄を偲ばせるに充分な史跡である。
 ここと、酒田市が交流を始め「リゾート大学沖縄・酒田村」事業を始めたのが1978年。酒田の参加者が今帰仁村に民泊し、南国文化を学びながら交流を重ねてきた。その後、小学生を対象にした「ふれあい少年の翼」事業となり、今年で24回目となった。今月の8日には35人の今帰仁村の子供たちが酒田市へ民宿し、子供たち同志の交流会や、スキー教室などで交流を深めた。
 先月の18日、私は今帰仁村を訪問し今後の交流の在り方などで意見交換をした。土曜日にもかかわらず、3人の役場職員から出迎えて頂き丁寧な説明を受けた。市議会議員時代に公式訪問をしていた私は、今帰仁村との交流には特別な思いがある。特に食文化や伝統文化の交流は意義深いものと思っている。
 今帰仁村城址跡を案内して頂いた。周囲を川や谷の急斜面が取り巻いた標高100mほどの丘にある。高さが10mほどある外周1500mの石垣は、自然の地形に沿って張り巡らされ中国の万里の長城を連想させるものだった。
 「今帰仁村グスク桜まつり」の初日だった。もう桜が咲いていた。

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議論もない自民党酒田支部総会

2014年02月02日 | インポート

Dsc00252 注目の自民党酒田支部総会が昨夜開催された。自民党除名処分者を出し、整理がつかないままの総会だけに、支部役員選任の公平さに課題はあったものの、全会一致で高橋千代夫市議が支部長となった。特筆すべきは、平田牧場会長の新田嘉一さんが支部最高顧問に就任したことである。
 私はあいさつで
 「先の総選挙で、現職の県連会長が敗れた事実は3区有権者に大きな衝撃を与えました。
 この事を予測できた訳ではありませんが、私は加藤後援会幹部会の席上、ご本人を前にして、有権者の動向を申し上げ、丁寧な選出方法を取るべきである旨を申し上げました。県連の会議や、第3選挙区支部、支部長幹事長会議でも、同様の趣旨の発言を申し上げてきました。
 しかしながら、公募や丁寧な会議が開催される事もなしに、既成事実として総選挙に突入し、今日に至った経過であります。
 この事により、3区支部の混乱や酒田支部が多少混乱している事は、仕方がないことかも知れません。それにしても、酒田支部の一部の提言を受け、党員除名処分者を出してしまったことは、稀有な出来事であり、遺憾の極みであります。
 それに、酒田支部長が除名処分となり、その後の新支部長の選任手続きは、私どもの知らない密室の出来事でありました。それに加えて、新支部長が辞任されているのか、役員構成がどうなっているのか、私共には知らされていません。今回の総会の案内は、幹事長とした高橋千代夫さんの招集でした。
 公党である自民党は、国民に開かれた政党であります。納得できる開かれた手続きで、支部運営がされるよう希望するものであります」と述べた。
 マスコミ関係者が大勢の中、失言は許されないと思いペーパーを読んだ。一人の発言者もいないシャンシャン大会に未来は見えない。

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沖縄県知事公室基地対策課を訪問

2014年01月27日 | インポート

Dsc00215 1月17日に沖縄県知事公室 基地対策課を訪ねた。世界一危険とされる普天間飛行場を辺野古周辺に移設する政府案に、仲井間知事が苦渋の決断を下した後の事である。
 議会事務局を通して「私自身、基地問題に特別な私見を持ち合わせている訳ではありませんが、貴県の県民意識と国との違いを報道で知るにつけ、その経過など直接お聞きし理解を深めたい」と、お願いした所、快諾を頂いたのである。質問事項を列記して送った。
 1 尖閣問題も含め、安全保障上、地形的に日本及び世界戦略上、貴県の役割は不可欠と思われますが。
 2 普天間飛行場の移転は民主党政権を挟んで、3転する事態を余儀なくされました。その経過について。
 3 仲井間知事が苦渋の決断をされ、県議会の対応の見通しを全国が注視しています。ご説明できる範囲でお願いします。
 4 私たちが出来る事があれば言って下さい。
 当日は、沖縄県知事公室 基地対策課  長嶺祥副参事 那覇竜麻主事 地域安全政策課 山里永悟主幹 小濱史人主事の四人が対応してくれた。
 一通りの説明の後、のっけからフリートーキングになった。「今の軍事技術は沖縄だけが戦略地域ではない。地球儀で見て欲しい。日本全土に分散しても、戦力は落ちない」「尖閣で何か起こった時、海兵隊が手続きなしで行動は起こせない。大統領が判断し、互いの議会の手続きが必要となる」「基地移転問題は一貫性が必要、総理の交代劇は痛い」「今回の知事決断は、腹をくくったものだと思う。総論賛成各論反対だけではなく、貴県でもシグナルを送ってくれると救いになる」
 日本の安全保障は国民の存亡にかかわる大事である。自分自身の事としての真剣な世論形成が不可欠と思える。

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目に留まった「思郷通信」

2014年01月24日 | インポート

Img_2658 荘内日報に佐高信さんが「思郷通信」を連載して32回になる。佐高信さんが酒田出身で著名な評論家である事を知らない人は先ずいない。それに、酒田東高では私の一年後輩でもある。辛口の評論は数々の話題を提供し物議を醸しだす事もしばしばである。空港の待合室などで何度か話した事もある。「俺は故郷に嫌われているのかなあ」などとつぶやき、故郷への想いの強さも知った。加藤紘一さんを高く評価していた事も分かっていた。
 いつもは、ななめ読みする「思郷通信」なのだが今回は、どきっとした。作者の意図は荘内日報で全文を読んでもらうしかない。つまみ食いを許していただくと「竹中(平蔵)流の格差拡大主義者として酒田に事務所を構え、衆議院をねらってる女がいるらしい」 中略 「本物のニセモノであるこの女を、もし、わが故郷の人間が認めるなら、私は酒田市民であったことを恥とし、放棄したい」
 「野田聖子の刺客として岐阜で衆議院に立候補して敗れ、次に東京で立ってまた敗れ、参議院に鞍替えして、いま議員となっているこの女は、まさに小林旭の「昔の名前で出ています」の「流れ女」である。今度は新庄が故郷だなどと言ってるらしいが、岐阜や東京で立った時は山形をまったく思い出さなかったのか。岐阜や東京でダメだったから山形でというのは完全に山形をバカにした言いぐさだろう。山形を故郷とする者として、これほど腹の立つ話もない」
 これを知ってか、知らずか得意げに連れ回している県議、市議もいる事を
付け加えたい

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鹿児島市の「山形屋」と山形県

2014年01月13日 | インポート

Dsc00160 鹿児島市に老舗百貨店「山形屋」がある。店名からも、山形県と縁がありそうだと思わせたが、やっぱり縁はあった。読み方は「ヤマカタヤ」読むのだそうである。創業は宝暦元年鹿児島城下唯一の呉服店で、二百数十年前とのこと。創業者が近江商人の血を受け継ぐ庄内出羽の岩本源衛門で、北前船商人だったと一号館の壁面にレリーフが掲げられている。
 山形屋の「北海道の物産と観光展」は歴史が古く50回にもなる。北海道が主催する物産展では、13年連続の日本一であり、昨年は9億円もの売上があり、鹿児島市秋の風物詩として、しっかり定着している。
 私たちは、店名や創業者の縁を頼って、ここに「山形県の物産と観光を売り込みたい」との思いが今回県議団「山形屋」の訪問である。山形屋の前身が呉服店で紅花との縁も深い。南国と北国のコラボレーションは興味深いものがある。「山形屋」が山形県を認識してくれた事は有意義である。今後の展開次第では「山形県コーナー」も夢ではない。誠意ある売り込みにその成否がかかる。 

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平成26年の正月

2014年01月03日 | インポート
 

Img_0916_2  明けましておめでとうございます。
珍しく雪のない三が日だった。今年は東京から長男と孫娘の二人が帰省し、長女の家族も加わり久しぶりの賑やかな家族団らんは、夜遅くまで続いた。気がつけば、孫の成長は驚くほど早い。親離れが進み子供世界には踏み入る事は出来ない。せいぜい少額のお年玉で気をひくしか手はなかった。それでも、普通である事の有難さを実感できた。
 自治会の新年会にも招かれた。その度に、おとそ気分で「山形県第三選挙区支部の自民党はどうなってる」「農業はどうなるんだ」と迫られる質問はきつかった。自論は述べるものの自身も先は読めない。「皆さんの思いがウマく行くように」と逃げの一手だった。
 2日は宮野浦日枝神社に初もうでに出かけた。今年が良い年であります様にと祈願する人でいっぱいだった。二礼二拍の儀式にのっとり家族の安寧を祈願した。宮司からは一列づつならんで、金属性の梵天のようなもので低頭の上からジャラジャラと厄払いしてもらった。
 神社の壁に今年の運勢が貼ってあった。春漁は大漁、網漁は小漁、キス漁は中漁、夏漁は大漁、秋漁は小漁、底引き漁は大漁、稲作は上作、畑作は中作、水難なし、火難ありとあった。当たるかも知れないし、外れるかも知れない。神のみぞ知る事だ。良い年である事を願いたい。
 

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平成25年の大晦日

2013年12月31日 | インポート

Dsc00182 今日は大晦日、平成25年最後の日となった。明日は年が明けて新年の平成26年になるが、物理的に大げさに変わるものはない。されど、節目としての気の持ち方は違う。今年1年の忌みを払い、新たな気持ちで新年を迎えたいと思う。
 振り返ると、酒田は免れたものの異常気象によると思われる記録的な豪雨激甚災害が県内各地で発生した。庄内と内陸を結ぶ大動脈三本の国道が通行止めとなり、分断を余儀なくされた。村山広域水道が機能不全に陥り長期間の断水は、今後に教訓を残した。陸羽西線も止まった。災害に強い県土づくりは緊急の課題となった。
 知事、参議院、酒田はじめ市町議会の選挙もあった。自民党支持率の高い中の選挙は結果もその通りだったものの、投票率の低さは大きな課題を残した。特に酒田市議選の投票率は54%弱で、市街地では40%台の投票率で、これは前代未聞である。
 有効求人倍率が一倍を超え、先ずは選ばなければ、就職できる環境が整った事は朗報である。低迷していた酒田も「山形BPOガーデン」が操業開始となり、徐々にその成果が現れると思われる。花王酒田工場で新しく生産予定の「メリーズ」は、国内外の需要が旺盛で操業が急がれる。酒田港の活性化も含めて明るい話題である。マスコエンジ二アリング新庄工場が、トヨタ東日本の一次サプライヤーに一番乗りで契約された効果も大きい。
 我が家の門松も風習にならい飾った。行く年を思い、来る年に希望を持ちつつ、ブログご愛読の皆様、良い年をお迎えください。
 

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