とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

郷土の偉人大川周明博士

2009年10月17日 | インポート

Img_2230  日本を代表する郷土が生んだ思想家大川周明をたたえる大川周明顕彰会がさわやかな秋空のもと、山王の森にひっそりたたずむ大川周明顕彰碑の前で行われた。この会は、かれこれ30年間も継続されているという。初代会長は故和嶋茂男庄内証券社長で、現在は前田直己さんに引き継がれている。
 大川周明は、明治19年酒田西荒瀬藤塚に生まれている。庄内中学(鶴岡南校)から熊本5高、東京帝大インド哲学科を卒業し、イギリスの植民地下にあったインドの悲惨を知り、インドの独立運動を支援、独立運動に関わった。また、アジア主義の立場に立ちアジア各地における独立運動を支援し、欧米列強の動向に関して「復興アジアの諸問題」「アジア建設者」を執筆、アジア主義思想を確立した。太平洋戦争については「最後の瞬間までこの戦争を望まず」として日米開戦の前夜まで回避に奔走した。
 しかし、太平洋戦争終戦後民間人としては、ただ一人A級戦犯として東京裁判に出廷。水色のパジャマと素足に下駄履きの姿で現れ、東条英機の頭を後から音が出るほどたたくなどしたため精神異常として、裁判からはずれ米軍病院に入院させられた。
 その入院時に、コーランの全文を翻訳している。東京裁判終了後退院し、その後は、「瑞穂の国」を築くための農村復興運動にとりくんだ偉人である。この心意気に共鳴する皆さんの意義ある会である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする