復元北前船「みちのく丸」が酒田港に寄港した。歓迎式典は大勢の市民で賑わった。河村瑞賢が開いた西回り航路の起点であった酒田港はこの北前船で繁盛した。最上川が内陸の「紅花」を中心とした多量の物資を運びこみ、酒田港に集積され、それに庄内のコメも併せて京都、大阪等に送り込まれ、帰り荷には関西の物資や文化を載せて酒田港へと戻ってきた。これが又最上川を上り、内陸部へと広がるルートとして山形県に大きな影響を与える、いわゆる交易の要所として栄えた酒田である。
「みちのく丸」は想像以上に大きく、木造船とは思えぬ堅牢さである。全長32メートル、帆柱の高さが28メートルでわがバカチョンカメラでは映しきれないサイズである。約一か月前に青森港をスタートして、北海道を含めて10道県の14港に寄港し、新潟港を19日午前6時出航して、10時間後の午後4時に酒田港に到着した。舟運で物資が運ばれた時代は東の酒田、西の堺と並び称された港町酒田である。時代が変わり、陸路が便利となれば、舟運は衰退し町の賑わいも同じ運命をたどる事になる。交通の要所が賑わうのは自然の理である。日本海沿岸道路、酒田石巻の高規格道路がつながらない内に、世の中が変わってしまわないかと心配だ。