お盆の14日朝の6時は、菩提寺満願寺のご住職が先祖供養に来て下さるならわしになっている。連日の猛暑が、お盆に入った途端にさわやかに涼しくなった。今朝6時きっちりと、ご住職がお見えになった。
読経が終わった後に、ご住職と説法とも駄弁ともつかない会話が楽しみである。今朝は「仏教の根幹の教えは何でしょうか」と尋ねてみた。しばらく考えた末「全てに生かされているという概念でしょうか」との答えだった。なるほどとも思えるし、当たり前といえば当たり前である。
過去に教えて頂いた心に残っている事柄を思い出す。「お坊さんは何で剃髪なんですか」と聞いたことがある。「仏教に形から入れとの教えがある。形も整わない者に真実は見えない」と含蓄のある教えも知った。「弔うと言う漢字は、昔の風葬だった頃、親類縁者が屍を鳥や獣から守るため、弓矢で守った事からきているんだ」と教えてもらった。
「頂いたものは、頭上の上にあげて敬意を表し頂くものである。しかし、重いものは持ち上げられないので頭を下げることになるのです」私たちが日常何気ない仕草も、仏教に根差した心から伝承されている面白さに興味は尽きない。仏間に供える灯明は智恵を表し、花は慈悲の心だと言う。お盆がなければ、時の流れに流される毎日だけなのかも知れない。