ALSでご主人を亡くされた遊佐町の斎藤さんから分厚いお礼の手紙が届いた。東日本大震災で長時間停電の怖さを経験し、私に連絡があり、ご自宅を訪問しALS患者を知るきっかけになった方である。
11年間の長い闘病をご主人と共に闘った日々を幸せだったと述懐され、最後まで共に闘ってくれたドクター、介護師さん、ヘルパーさん達と食事会を開いて、ご主人の思いで話に笑ったり、涙を流したりしていると綴られていた。ここまで深い愛情に包まれたご主人は、ご満悦で旅立たれたのだろうと、勝手に推察してしまった。
齋藤さんは、ご自分の体験を活かして、新しい患者さんへの相談活動をしている様子も知らせてくれた。ALS患者家族の方が集まり、情報交換する井戸端会議が県内各地で開催されている。、一昨年の庄内の井戸端会議で、病院対応の批判をした事が、患者家族の不安を煽った事となり不用意な発言だったと気づき、ショックで相談活動をやめようかと後悔したと述べている。庄内では日本海総合病院と荘内病院だけがALS患者の通院先である。
気を取り直し、昨年12月の井戸端会議に出かけ、新しい4名の患者家族と語り合いました。異口同音に「不安で、不安で」の連発でした。遺族となった経験から、何も出来ないけれど、この方たちと寄り添うことだと思いました。
川口由美子著の「逝かない身体」を何度も読み返しながら、11年間意思疎通が出来なかった事を思い出し、涙がこぼれますと綴られていた。特別何も出来ないけれど、難病議員連盟が発足でき寄り添っていると感じて下さったのであれば有難いことだと思っています。