とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

後援会広報部と仲間たち

2016年04月16日 | 日記

 

 後援会の児玉昭俊広報部長が酒田市を離れる事になった。ご子息のいる仙台に転居して、孫の面倒を見ながら過ごすと決めたらしい。淋しい限りだ。
 児玉さんは、私が県議会に出馬を決めた時から広報編集の中心的存在で活躍して頂いた方で、あれからもう17年が経った。当時、前田製管の総務課長だった児玉さんは、社長に命じられて私の応援をする事になった様で、私との面識はなかった。「藤彌さんなんて知らない」と言ったそうで、しぶしぶの後援会入りをされたのだと思う。
 広報部は6名で、全員初当選から変わらぬメンバーである。それに私と印刷会社の社員を加えて会報作りをする。レイアウトや見出し、テーマは全員で意見を出し合う。児玉さんの校正は、気配りの一語に尽きる。私の文章も随分赤鉛筆が入った。ブログの発信も児玉さんに勧められ、現在まで書き続けている。
 会議が終わってからの政治談議が面白い。時には記者を入れての議論は、お酒も手伝って夜更けまで続いた。今でも広報部と交流している記者は複数いる。実際なかなかなもので、私も褒められた事はあまりないし、総じて政治家には辛い。盛り上がった会話の中でも児玉さんは冷静だった。諭すような話し方をするのが常だった。
 後援会役員と広報部の合同で児玉さんを囲んで送る会をした。最初はしんみりだったが、いつの間にか、いつもの調子に戻り盛会だった。定期広報は年一回で17号になった。その他に議会報告や3首長の座談会報、選挙用チラシにリフレット製作など、私の政治活動のコアな部分を支えてもらって有難い気持ちでいっぱいである。
 「広報部長の席は空けておこう。会報の校正で来てもらおう」と誰かが提案した。みんな名残り惜しいのは同じだ。

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