鳥海山の裾野に建つ山形県立遊佐高等学校は激しい時代の変遷を乗り越え、地域密着型の高校として生き残りを掛けて遊佐町と共に頑張っている。
昭和2年に遊佐実業公民学校として開校し90年になる。昭和23年に県立遊佐高等学校となり、昭和28年に通常過程設置となる。
昭和30年に農業科、32年に家庭科を設置したものの昭和42年に家庭科は生活科となり、農業科は昭和52年に募集停止となる。その後も昭和60年に生活科を園芸家政科に変更、63年にはその園芸家政科も募集停止となり、廃止された。
平成9年に普通科1学級減となり定員80名、更に平成25年に1学級減の定員40名となった。更に、平成27年に全日制の普通科を総合学科に変更。1期生19名の入学となり定員の半分以下である。2年続けて定員の半分以下となると、遊佐高等学校の募集は停止され、廃校となる。
そこから遊佐町を中心に関係者は「遊佐町に県立高等学校を残そう」と立ち上がった。きめ細かな支援策を展開、PRが功を奏して平成28年には入学者が40名に倍増。今年は39名の入学で、創立90周年を迎える事が出来た。
少子化による県内の高校再編が進む中、遊佐高校は地域に守られて元気に学んでいる。来年からは県外からも生徒募集が出来る。
疲弊する農山村、少子高齢化は小規模校を直撃する。時代に翻弄される地域の悩みは深い。