とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

山形新幹線庄内延伸の旗は降ろすな

2021年11月20日 | 日記

 山形新幹線はミニ新幹線と呼ばれ、福島駅で東北新幹線と連結し東京駅と結ばれている。故鹿野道彦代議士が奔走し、四年間の工期を経て、べにばな国体前の1992年に開業している。
 その翌年、高橋和雄知事は県、沿線自治体、民間団体による「山形新幹線新庄延伸推進本部」を立ち上げ、山形・新庄間61キロを繋ぐ作業に着手した。しかし、赤字路線のためJR東日本や国は消極的だった。高橋知事は外郭団体である山形県開発公社を経由して、建設費351億円を10年間据え置き、10年償還を無利子でJR東日本に貸し付ける事の合意で、JR東日本は開業を決定した。
 新庄延伸は、福島・山形間とは違い、国、JR東日本の支援が無く県内金融機関の協調融資と県単独事業として2年半の工期を経て、1999年12月に開業出来た。
 県内人口の4分の一を占める山形新幹線庄内延伸は道理である。当時の高橋知事は選挙公約として取り上げ、加藤紘一代議士も4年間で実現すると具体的に選挙公約で訴えた。沿線自治体は一斉に連動して「山形新幹線庄内延伸期成同盟会」を立ち上げ活動を始めた。
 だが、高橋知事は加藤代議士の押した斎藤弘知事との選挙で敗れた。斎藤知事は新庄延伸より、羽越線改良工事の方が費用対効果で有利として、陸羽西線の高速化への情熱は薄れていった。加藤代議士の声も庄内延伸には触れなくなった。
 しかし、沿線自治体は県土の一体感を訴え活動を展開し続けている。酒田市を中心に5万人を超える署名活動もした。酒田市と沿線自治体にとって根幹となる政治テーマである。未来の子孫に残すインフラとして有無の責任がある。
 阿部市長、本間市長と真剣に取り組んできた運動である。しかし、現丸山市長が「陸羽西線高速化促進市町村連絡協議会」を解散したと報道があった。議論もせず通告だった事も分かった。何をもって即断したのか納得できる説明を示して欲しい。
 「旗はおろすな」と心から叫びたい。

コメント
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