某月某日
どうしてまたPCレンズなんかを買っているのかというと、8x10カメラを使っている理由にもなるのだけれど、普通に撮れるからなんだね。
普通というのは、目で見たようにという事。
実際は目で見たようにと感じたというのが正しいのだろうね。
目で見るというのは、いろいろ脳が細工をして加工しているからね。
見上げて見ると、人間の目には先すぼみには見えない(感じない)けど、写真に撮ると尖って写るし、タテモノは傾いて写る。
それがイヤならカメラを水平にして撮影すればいいのだけれど、そうすると昨日arataさんがコメントしたように道路が半分写ってしまう。
それがイヤだからPCレンズを使っているのだし、8x10カメラも使っている。
また8x10カメラで撮った写真は、このあいだの写真展で観た人もわかるように、あれだけたくさん写真が並んでいると、きわめて普通に見えてしまう。
大きなカメラで撮影した写真はシャープで、描写が細かくて・・・などというのは「比べれば」の話で、みんな同じ大きさのカメラで撮った写真ばかり並ぶと、人間の脳はそれが普通に思ってしまい、どうこう感じなくなってしまうようなのだ。
まるで美人ばかりの集団と暮らしていたら美人だと意識しなくなるようにだ。
satoboが、自分で撮影した初めての8x10プリントを見た時に、「あっ、見たように写ってら」と思った。
この「見たように」というのは、先に説明した脳が勝手に補正したイメージなのだが、そのイメージのように写真が写っていて、「こりゃ普通で面白いワ」と思ったのだった。
普通に見たように写っている。
これがsatoboにとって大切なポイントとなったのだ。
目はものを見る時に、いろいろとポイントを移動して、それぞれのポイントで微細に凝視し、それを結合させて全体像をつくり出している気がする。
だから実際に全体を見ている限りでは細かいところまで見ていないのだが、ポイントでの凝視イメージを織り込んで、さも全体がハッキリ見えている気がしている。
同様に8x10プリントを見ると、いろいろなポイントを凝視し、全体像を把握しようとする際に、ポイント各点が細かいところまで描写されている事があたかも現実の景色を見ているかのごとく錯覚を抱かせるのだ。
また、多くの8x10写真のように全体にピントが合っている写真というのは、平面的に見えるようでいて、実は脳が勝手に補正して立体化している部分がある。
その助けをしているのが光線の加減なのだが、ベッタリした陰影のない光でない限り、パンフォーカスであっても人間が勝手に立体化した画像をつくり出しているようなのだ。
あれこれ理由づけしたけれど、見たように写るという事が心地よいために「あおり」のついたレンズやカメラを使っているのだから、逆に見たようでないのは好きじゃない事も自覚した。
パースをきかせた写真などもだし、美人に見えるように写したものもだし、大きく見えるようにしたものもだ・・・
どうしてまたPCレンズなんかを買っているのかというと、8x10カメラを使っている理由にもなるのだけれど、普通に撮れるからなんだね。
普通というのは、目で見たようにという事。
実際は目で見たようにと感じたというのが正しいのだろうね。
目で見るというのは、いろいろ脳が細工をして加工しているからね。
見上げて見ると、人間の目には先すぼみには見えない(感じない)けど、写真に撮ると尖って写るし、タテモノは傾いて写る。
それがイヤならカメラを水平にして撮影すればいいのだけれど、そうすると昨日arataさんがコメントしたように道路が半分写ってしまう。
それがイヤだからPCレンズを使っているのだし、8x10カメラも使っている。
また8x10カメラで撮った写真は、このあいだの写真展で観た人もわかるように、あれだけたくさん写真が並んでいると、きわめて普通に見えてしまう。
大きなカメラで撮影した写真はシャープで、描写が細かくて・・・などというのは「比べれば」の話で、みんな同じ大きさのカメラで撮った写真ばかり並ぶと、人間の脳はそれが普通に思ってしまい、どうこう感じなくなってしまうようなのだ。
まるで美人ばかりの集団と暮らしていたら美人だと意識しなくなるようにだ。
satoboが、自分で撮影した初めての8x10プリントを見た時に、「あっ、見たように写ってら」と思った。
この「見たように」というのは、先に説明した脳が勝手に補正したイメージなのだが、そのイメージのように写真が写っていて、「こりゃ普通で面白いワ」と思ったのだった。
普通に見たように写っている。
これがsatoboにとって大切なポイントとなったのだ。
目はものを見る時に、いろいろとポイントを移動して、それぞれのポイントで微細に凝視し、それを結合させて全体像をつくり出している気がする。
だから実際に全体を見ている限りでは細かいところまで見ていないのだが、ポイントでの凝視イメージを織り込んで、さも全体がハッキリ見えている気がしている。
同様に8x10プリントを見ると、いろいろなポイントを凝視し、全体像を把握しようとする際に、ポイント各点が細かいところまで描写されている事があたかも現実の景色を見ているかのごとく錯覚を抱かせるのだ。
また、多くの8x10写真のように全体にピントが合っている写真というのは、平面的に見えるようでいて、実は脳が勝手に補正して立体化している部分がある。
その助けをしているのが光線の加減なのだが、ベッタリした陰影のない光でない限り、パンフォーカスであっても人間が勝手に立体化した画像をつくり出しているようなのだ。
あれこれ理由づけしたけれど、見たように写るという事が心地よいために「あおり」のついたレンズやカメラを使っているのだから、逆に見たようでないのは好きじゃない事も自覚した。
パースをきかせた写真などもだし、美人に見えるように写したものもだし、大きく見えるようにしたものもだ・・・