事務所の撤収作業をサボって、麻布十番へ「8X10カメラな仲間たち写真展2010」を見に行ってきた。
この写真展には東京8X10組合連合会のメンバーも参加しているのだが、なにしろ初代の会頭というのがひどい人物で、さんざん引っ掻き回したあげくに失業して失意のうちに去って行ったのだが、そのあとを継いだ現会長が会を盛り上げてくれたおかげでメンバーは仲良く活動しているそうでなによりである。
総勢20人の参加者がそれぞれ好き勝手に撮影した写真を好き勝手に展示してあるのが何とも心地よい。
写真はこうあらねばならないという熱い想いは各自の心の中で好き勝手に思っていればイイワケで、紙切れ一枚に身を託したあとは見る人に評価を預けるしかないのだ。
今回お邪魔したのは、暇乞いのためであるけれど、考えてみればオヤジ系の出会いというのも、リアルからバーチャルへと変化していて、ネットで知り合った人と実際に顔を合わせるというのは年に何回もあるわけではない。
もちろんジョシ系と奇跡的に知り合ったりしたら嫌われる程リアルタイムを実施するのであろうが、そんな奇跡を待っていては死ぬまで可能性はない。
だから別に関西へ行ったとしても、そんなに顔を合わせる機会が減る事もないだろうし、増えもしないだろう。
その距離感のなさはネットでの出会いの特徴であろう。
そんな感じでみなさんと別れを惜しんでいたら、胸の振り子さんと話しているお方がいた。
振り子さんがsatoboを呼んだ瞬間に、その方が写真家のK納さんであることがわかった。
第一声で、これまでかけていただいた温情に御礼を言うとともに、これまでの失礼な言動のお詫びと、あまりにキムタクに似ているsatoboの容姿の出来具合にキムタク共々お詫びを申し上げた。
それから3人でココでは言えないあんな事やこんな事を話した。
初めてお合いしても、これまでのネットでのやりとりで自然と打ち解けた雰囲気になるのは不思議な経験である。
もちろんそれがジョシとであっても、すでにすべてを知りつくしたワケアリの関係であるかのような雰囲気になるのは単にsatoboの勘違いであるとも言えなくもない気がしないでもないような気がする。
こうして新たな出会いと別れの感傷を小さな傷つきやすい胸に秘め、会場をあとにして、雨の西麻布を一人歩く男の後ろ姿は、孤独という戦場に向かう年老いた兵士に見えたのはいうまでもない。
この写真展には東京8X10組合連合会のメンバーも参加しているのだが、なにしろ初代の会頭というのがひどい人物で、さんざん引っ掻き回したあげくに失業して失意のうちに去って行ったのだが、そのあとを継いだ現会長が会を盛り上げてくれたおかげでメンバーは仲良く活動しているそうでなによりである。
総勢20人の参加者がそれぞれ好き勝手に撮影した写真を好き勝手に展示してあるのが何とも心地よい。
写真はこうあらねばならないという熱い想いは各自の心の中で好き勝手に思っていればイイワケで、紙切れ一枚に身を託したあとは見る人に評価を預けるしかないのだ。
今回お邪魔したのは、暇乞いのためであるけれど、考えてみればオヤジ系の出会いというのも、リアルからバーチャルへと変化していて、ネットで知り合った人と実際に顔を合わせるというのは年に何回もあるわけではない。
もちろんジョシ系と奇跡的に知り合ったりしたら嫌われる程リアルタイムを実施するのであろうが、そんな奇跡を待っていては死ぬまで可能性はない。
だから別に関西へ行ったとしても、そんなに顔を合わせる機会が減る事もないだろうし、増えもしないだろう。
その距離感のなさはネットでの出会いの特徴であろう。
そんな感じでみなさんと別れを惜しんでいたら、胸の振り子さんと話しているお方がいた。
振り子さんがsatoboを呼んだ瞬間に、その方が写真家のK納さんであることがわかった。
第一声で、これまでかけていただいた温情に御礼を言うとともに、これまでの失礼な言動のお詫びと、あまりにキムタクに似ているsatoboの容姿の出来具合にキムタク共々お詫びを申し上げた。
それから3人でココでは言えないあんな事やこんな事を話した。
初めてお合いしても、これまでのネットでのやりとりで自然と打ち解けた雰囲気になるのは不思議な経験である。
もちろんそれがジョシとであっても、すでにすべてを知りつくしたワケアリの関係であるかのような雰囲気になるのは単にsatoboの勘違いであるとも言えなくもない気がしないでもないような気がする。
こうして新たな出会いと別れの感傷を小さな傷つきやすい胸に秘め、会場をあとにして、雨の西麻布を一人歩く男の後ろ姿は、孤独という戦場に向かう年老いた兵士に見えたのはいうまでもない。