Nonsection Radical

撮影と本の空間

私を通り過ぎっていった街

2011年03月12日 | Weblog
暇とお金を見つけてはいろいろな街を歩いてきた。
仙台、石巻もその街のひとつだ。
ただやみくもに街を歩き、そこがどんな街なのかを肌で感じて写真に撮るという行為をしていた。
今回、地震の被害にあった仙台、石巻もそうやって歩いた街だった。
だから多少はそこがどういう街であったかを身体で知っているのだけど、その記憶がすべて消去されるような被害の状況を見ると、自身の痛みとして伝わってくる。
特に東北地方を歩こうと思ったのは、不況の街を身に実感しようと思う気持ちがあったからで、この震災でさらに悲惨な状況へと進んでしまう事に涙が止まらない。
吹雪の中を進んだ仙石線が映像で見ると破断され、松島の風光明媚な景色が無惨な姿となり、石巻の街が、歩き回ったあの街が破壊された。
あそこで生活していた人々が今は困難な事態に陥っていると思うと、身体が震えてくる。
そして、いつもあたたかいコメントを寄せてくださった仙台のちえさんの街も被災した。
無事である事を願うのはもちろんだが、それでも被災した街で心身ともに受けたであろう被害を現在も持ち続けている事を想像するだけで何とも言えない気持ちが押し寄せてくる。
ある人を心配するというのは、その人自身の身だけでなく、その人の持つ環境文化人生を心配するという事だ。
それらが失われたという報道を知るたびに、その人を思う気持ちが言葉にならずに迫ってくる。
祈りはしない。
だけど少しでも悲しみが少なくなるようにと願っているし出来る事があればするつもりだ。
コメント (6)
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