Nonsection Radical

撮影と本の空間

素直に納得出来る事が正しい

2011年05月10日 | Weblog
地震が起きてから、色々な人が色々な事を言い、どれが正しい意見なのか自分で判断しなければならない状況となっている。
そこで何を判断基準にすればイイかが問題になるのだが、satoboの場合は腑に落ちるかどうかで判断出来そうだと考える。
明確に意識していたわけではないのだが、様々な人の説明を聞いて何も引っかかる事がない場合、あとあとまでその人の説明は破綻しない場合が多い事に気がついた。
逆に、何か引っかかる気がする時、腑に落ちない時には、あとで隠された問題が出てくる。
説明を聞いた時にはハッキリとその問題点が理解出来ない時でも、何がしかの矛盾や注意をひく部分があれば、なんとなく気にかかる事もあるようだ。
その可能性を信じて、なんとなく変だとか、納得出来るという感覚で判断をしても間違いがなさそうだとわかったのだけど、もちろんいつもいつも正しいばかりの人だけではないので、この部分は正しそうだとか、これはおかしいと、すべてを盲信せずにその都度判断を下す事も必要だろう。

そういう基準で説明する人を見ていくと、限定的な条件の場合だけ当てはまる事を条件をハッキリさせないで、ウソではないけど万全ではない確信的すり替えで、ある意図を隠して説明する人が多くいる事に気がつく。
satoboはイケメンである、という「真実」も、イケメンの条件を曖昧にしておけば「真実」になる(かもしれない)。
短小包茎早漏という場合も、条件次第では巨根むき出し遅漏と言い換えも可能である(かもしれない)。
かもしれないが、やはり感覚的に「それってヤッパ何かヘン」と思える事は正しくないのである。
コメント (2)
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