Nonsection Radical

撮影と本の空間

冬に着る服が

2011年10月14日 | Weblog
朝晩は半袖でいると寒さを感じるようになった。
朝出かける時には薄手の長袖ジャケットを着るようになったが、その下は半袖だ。
その年寄り臭い黄土色(死語)のジャケットも10年ものだ。
他に持っていないのだ。
だいたい着るものは10年単位で使用する。
流行などに左右されないのだ。
流行を追わないのだ。
流行に無頓着なのではない。
上着に求める機能はひとつだけで、ポケットが大きいという事だけ。
そこに、時にはデジカメ、本、時には札束を無造作に入れて歩ける事が重要なのだ。
当然、ポケットが縦や斜めに切ってあるのは論外で、正しく水平に口が切られていなければならない。
それは取り出しやすさと、落下しにくいからだ。
そういう点で最近の流行のジャケットがポケットが最小で、スタイル重視なだけで使いにくい。
ポケットが必要なためだけにジャケットを着る事も多いので、薄手の軽いものを昔から利用してきた。
一番便利だったのは中国の人民服で、機能的でポケットも大きく安かった。
しかし近代化とともに人民服など着る人もいなくなったようで、観光みやげの類いで中華街などで時々見かけるだけとなった。
次に目を付けたのはミリタリージャケット。
これは今でも利用しているが、若い人が流行で着ているのとダブって一時着づらい事もあった。
それ以外の安くてとなると、ユニクロなどだが、すっかりスリムなカットになってしまい、実用性の乏しいものとなっている。
一方、実用的である「作業服」なのだが、実は作業服には胸ポケットがあっても、腹ポケットがないもの、あっても斜めカットのモノばかりで、おにぎりやペットボトルが入るような実用性はない。
それは機械にポケットが引っかかって事故を起こさないためなのだが、利用価値は低くなる。

その黄土色のジャケットの中味と同様、寄る年波には勝てず、それ口がすり切れてきた。
ユニクロか無印で買ったと思うのだが、現在はその手の実用品は売っていない。
ミリタリージャケットでははばかるような場所に行く場合に重宝していたのだけれど、新たに買う事が出来ないのは痛い。



近江八幡市永原町Part2
コメント
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