Nonsection Radical

撮影と本の空間

納得出来る人だけが理解出来る話

2011年12月25日 | Weblog
堀井憲一郎の「ねじれの国、日本」新潮新書 を読んだ話は以前した。
そのあと、この本の「信憑性」を考えていた。
読んでいる最中に、この内容は岸田秀の「ものぐさ精神分析」だなと感じたのだけど、案の定、あとがきに影響を受けた事が書いてあった。
しかし、現在では「ものぐさ・・・」を読んでいない人もたくさんいるようだ。
また、書評を読んでいるうちに、どのようにこの本の内容をとらえたかを知るようになり、表題の言葉が浮かんできた。

どういう話の内容かというと、読んでもらうのが一番なのだが、日本論である。
日本は、内向きに安楽に生きていける環境があり、その中で固まって生きている限りは安泰であるのだが、7世紀頃から外部との交流によって「近代化」の波に飲まれる恐れが出てきた。
その「近代化」の波は現代にまで続いていて、度重なる来襲によって「内なる安泰」が脅かされてきた。
近代化をしなくても安泰であるのに、嫌でもそれに取り込まれる恐れ、影響を受ける恐れがあり、それをやり過ごすために、内なる守るものと、外なる取り繕うものの二面性を持つ事を考えだした。
外は近代化に従うふりをして、あくまでも内面の思い(近代化なんてしたくない)を守ろうとする状態を堀井は「ねじれ」と呼び、岸田は「分裂病」と呼んだ。
その状態は平時では上手くやれるのだが、更なる抗し難い近代化が押し迫ってくると内部の「正当性」が噴出する。
外面(そとづら)のいい人が、キレて地を出すわけだ。
それが危険だから、このまま「ねじれのまま」にしておく方が良いというのが堀井の考えである。

ところで、書評では論拠の元が示されていないなどと批評するが、岸田秀も堀井憲一郎も外から借りてきた理論を論じているのではなく、自分の考えで論じているので、証明のために他人からの引用も必要ないのだ。
批評は、それよりも肝心な部分に触れていないものばかりだと気になる。
我々がねじれて生きているかどうかなのだ。

その論が正しいかは、その論によってモノゴトが説明出来るかにある。
3月の震災によって、satoboは東北の人々のこれまでの「社会」(生活様式)が破壊され、「新たな」生き方を選ばなければならなくなるだろうと考えた。
ところが人々はそうしなかった。
元のままの社会(生活様式)を強力な復元力で「復興」しようとしているではないか。
あれほどいわれた新しい街づくりの声は消え、元の街を元のあり方で復元しようとしている。
日本全国で「絆」という言葉で内向きに生きる価値観(悪いと言ってるのでない)を再認識しようとしているではないか。
家クリスマスを過ごす人々ばかりではないか。
今年は「みんなで」という言葉が繰り返された。
何か外的な力が加わると、日本はこうして内向きに力が働いて「これまで」を守ろうとするである。
その一方で、対外的には「前進」する日本をアピール姿だけは示すのだ。
政府の原発対応もそうだし、財政問題もそうだし、経済政策、対外国政策、みんなカタチだけであるのが対外姿勢なのだ。
元々対外姿勢はカタチだけ示せば良いというのが、ねじれのカタチであるというのだから。
このような事例が堀井の日本論を根拠づけはしないのか。
今年の日本の動きは、そうやって説明出来るとsatoboは思うのだが。
現在の世の中の動きに堀井の論を当てはめて納得出来る人だけが、この本の言いたい事が理解出来ると思う。

そういう「ねじれ」によってやり過ごす事が出来なくなった場合に、「正当性」が噴出するとはどういう事か。
そのわかりやすい例が「プリンセス・トヨトミ」である。
大阪国だけで上手くやっていたのに、日本国という外敵が攻撃をしてきて、避けられない時にとった行動が「正当性」の噴出である。
あれは大阪論だけではなく、日本論だと思う。
堀井のこの著作と話がリンクしていて面白い。

問題は、これから若者が、どのようにしてこのねじれた状態のままで(ねじれたままで良いと言っているのだから)、世界の荒波をやり過ごしていくかだ。
所詮、今の日本は昭和のオヤジが作りだしたやり過ごし方だ。
どうやら平成のこれからは、このやり方では通用しないようだ。
どのようなやり過ごし方を見つけるかに、今後の内なる安定がかかっているのだ。
やり過ごせなくなると「正当性」の噴出が待っている。
もちろん正当性を噴出させたからと言って問題が解決するわけでもないのである。
しかし、そういう事の解答を、この本は答えてくれない。
それが不満だという書評もあるが、それは若い人が考えなければならないのだ。



神戸市中央区大安亭市場
コメント (4)
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