Nonsection Radical

撮影と本の空間

優先順位

2010年05月21日 | Weblog
某月某日
エレベータに乗り込んできた乳母車を押した母親に、混んでいるのだから、もう少し遠慮しろという話があった。

どんなに長い列が出来ていても、必ず片側を空けて「急いでいる人」に道を譲る「優しい心根」の、(混んでいるのだから状況を判断して両側に乗って混雑を避けるという融通がきかないボンクラども、とは言わない)日本人が、乳母車が乗ってきたら文句を言うというのが信じられない。
エレベータは、子連れや年寄り、身体が不自由な人、大きな荷物を持っている人が「優先」して利用すべきものだろう。
ところが、我れ先に、時には駆け足で、近くに階段やエスカレータがあるにもかかわらず、元気一杯にエレベータに乗り込む人が多い。
それが悪い事だとは思わない。
しかし、エスカレータでは「必ず」片側を空ける「マナー」をお持ちの「紳士淑女」なら、エレベータでも人に譲れよと言いたいだけだ。
子連れや年寄り、身体が不自由な人、大きな荷物を持っている人が乗り込もうとして乗れない場合はどうすればいいのか。
簡単だ。
中の人が降りて譲ればいいのだ。
何の問題があるのか。
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蘇らない金狼

2010年05月20日 | Weblog
某月某日
先日Gyaoで「蘇る金狼」を観た。
ずっと昔観た事があるんだけど、その時は風吹ジュンを観て、「やけに老けたなぁ」という印象を持ってガッカリした。
風吹ジュンはデビューの時から知っている。
彼女の歌も唄える。



テレビで唄った時はもっと音痴だった。
浅田美代子よりも・・・。
その音痴なのを真似るのがウマい。
いや、単に普通に唄っても音痴になるsatoboなのだが。

ユニチカ(satoboにとっては日紡)のキャンペーンガールになり、歌を出したのが22才の時。
蘇る金狼は27才の時だから、デビュー以来追っかけだったsatoboにとっては「老けた」という印象もまんざら間違いではなかったわけだ。

ところが、今回再び観た映画では、「若いなぁ」である。
この間の何十年間に何が彼女にあったのだ。
いや実際はsatoboにだが・・・
ハタチのダンシにとって50才はババア(冷汗;)だが、100才の爺様にとっては娘より若いピチピチ。
つまりsatoboが歳を取って、27才の風吹ジュンをヤングに思えるようになったのだ。
27才と言えば下のムスメと同じだ!

現在のsatoboは14才から58才までが「許容範囲」だが(58才は現在の風吹ジュンの年齢)、今後加齢して行くとともに60代、70代も若く思えて「許容」されていくのだろうか・・・
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やはりハヤリ?

2010年05月19日 | Weblog
某月某日
先日電車に乗っていると向かいの席にすわるオッチャンに目がいった。
白いエナメル調の靴、膝の上にポーターの小さなバッグ、左手にはロレックス・オイスターサブマリーナ(調)。
いかにも「業界関係者」(なんの業界やねん・笑)。
そして手首には数珠?
あれは数珠なんかね。
直径1センチほどの水晶調の透明な丸い玉と木(?)の丸玉のコンビネーション。
いかにもの格好に不似合いな(ダサさは同様)数珠?ブレスレット?
そういえば同じものをしている「おっさん」を以前見かけた事がある。
流行か?
なんの流行だ?
魔除け?厄よけ?お払い箱?
satoboはアクセサリー関係には弱いので、オヤジ系でそういうものが流行っているかは知らない。
ネットで調べようにも、検索ワードが思いつかない。
「オヤジ、ブレスレット」とかか・・・
そんなものを調べてもキモチ悪いだけなので調べないが。
そういえば若者の間で以前流行った「モモンガ」・・・じゃないな、・・・「ニニンガ」だと「シ」だしなぁ、そうだそうだ「ミサンガ」だ。
ミサンガは最近見ないなぁ。
オヤジ版ミサンガなんだろうか。
それにしてはあまり趣味がイイとは言えないな。
どう見ても数珠だよ。
ロレックスに数珠。
数奇な組み合わせだ。
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寝坊の効能

2010年05月18日 | Weblog
某月某日
目が覚めたら家を出る時間を過ぎていた。
慌てたがニャンコのノンビリ顔をみると、まあいいか、と思い少しユックリの朝を。
始業時刻の1時間前に普段は行っているので、電車2本30分(田舎~)遅らせても何も問題はない。
駅でのんびり電車を待っていると、いつぞや見たツンデレ美人のジョシを発見。
satoboと朝顔を合わせるのがイヤで時間をずらしていたんだなと被害妄想。
仲良く隣同士に立ち、ほぼ同じ空気をお互いに交換しながら過ごす。
見渡せばいつもとは違う車内の顔ぶれ。
こういう事も新鮮である。
しかしsatoboのいない2本前の電車では、satoboがいないと泣き叫ぶジョシや病気や事故ではないかと心配するレディで阿鼻叫喚の状態であったと想像出来るので、明日はまた元の電車に乗る事にする。
ツンデレ美人もそうしないかなぁ。
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爽やかな目覚めの朝に

2010年05月17日 | Weblog
某月某日
朝ラジオを聴いていたら、投稿で「爽やかな目覚めの朝にはこの曲が」とリクエストがあった。



シャーリーンのこの歌「愛はかげろうのように(I've Never Been to Me)」はsatoboも聴いた事がある歌だ。
聴いた事はあるが、外国の歌の歌詞など聴き取れないので、なにを唄っているのかは知らない(苦笑)。
英語の歌でわかるのはカムカム英語の主題歌だけだ(誰も知らねぇっつの)。
そこで検索してみたらこんなページを発見。
日本語訳(まあだいたい合ってる)と原詞がある。
爽やかな目覚めの朝の歌詞ではなさそうだ。
ちょっと保守的でいて悲しい歌だ。

で、湯中部で探していると岩崎宏美の唄う日本語バージョンがあった。



日本語では原詞のうわべだけを抜き出したような歌詞になり、今の幸せをかみしめている雰囲気がある。
たぶんラジオにリクエストした人も、日本語バージョンの歌詞をイメージして幸せをかみしめているのかもしれない。

外国語を訳詞するのは大変だけど、日本語になった歌は結構意味合いが違っている。
日本人の心情に合わせた歌詞になっている。
洋楽であってもココロは演歌なのだ。
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