以前買い置きしてあった備蓄食糧の事が気になったのは地震がきっかけだ。
そろそろ期限切れになっているだろう、いや、すっかり期限が切れているだろう。
それをどうしているのだろうと家人に連絡すると、すでに処分したという。
で、次の補充は?と訊くと、していないという。
補充してから捨てるようにといつも言っているのに、そんな事をした試しはない。
先日の”大雪”では、近所のスーパーの食糧が3日間配送されなかったという経験をしているのに。
で、仕方なくアマゾンで、以前からリストアップしてあった(!)備蓄食糧をクリック。
長期間保存の出来るパック御飯、水、ポーク缶、缶詰を買うが、セットの関係で36食、2日分にしかならない。
それでも1万5000円超の出費だ。orz
ポチったあとに、そういえば神奈川県平塚市に住んでいる下のムスメ夫婦にも買わないとなぁと思い出す。
一度行った事があるが、近所に店もない山間部の静かな陸の孤島だ。
きっと地震など来たら孤立するだろうと”親心”でムスメ用に更にポチッと。
追加で5000円。
こういうものはお金がある時に揃えようと思っても、お金がある時などないので、いつまでも揃えられない運命にある。
とりあえず物資は揃えたが、今度は支払うお金を揃えなければならないのだぁ。
で、本日家人から連絡があり、「備蓄食糧の件だけど・・・」というので、すでに手配したと答えると安堵するので、それ以外の食器や火気類、紙類などの備蓄の話をすると、まったくしていないという気のない返事なので、困るのはあなた達だから、どうぞご自由にと。
2011年3月からすぐは、どこでも備蓄食糧をとみんな心を引き締めていたが、現在はすっかり気もゆるみ、そのゆるんだ気持ちで地震対策や原発対策を考えるので、きっとゆるんだ対策しか行なわれないのだろうなぁと思う。
浜通り商店街 2
滋賀県高島市今津町今津
撮影 2013年12月28日 土曜日 14時40分
そろそろ期限切れになっているだろう、いや、すっかり期限が切れているだろう。
それをどうしているのだろうと家人に連絡すると、すでに処分したという。
で、次の補充は?と訊くと、していないという。
補充してから捨てるようにといつも言っているのに、そんな事をした試しはない。
先日の”大雪”では、近所のスーパーの食糧が3日間配送されなかったという経験をしているのに。
で、仕方なくアマゾンで、以前からリストアップしてあった(!)備蓄食糧をクリック。
長期間保存の出来るパック御飯、水、ポーク缶、缶詰を買うが、セットの関係で36食、2日分にしかならない。
それでも1万5000円超の出費だ。orz
ポチったあとに、そういえば神奈川県平塚市に住んでいる下のムスメ夫婦にも買わないとなぁと思い出す。
一度行った事があるが、近所に店もない山間部の静かな陸の孤島だ。
きっと地震など来たら孤立するだろうと”親心”でムスメ用に更にポチッと。
追加で5000円。
こういうものはお金がある時に揃えようと思っても、お金がある時などないので、いつまでも揃えられない運命にある。
とりあえず物資は揃えたが、今度は支払うお金を揃えなければならないのだぁ。
で、本日家人から連絡があり、「備蓄食糧の件だけど・・・」というので、すでに手配したと答えると安堵するので、それ以外の食器や火気類、紙類などの備蓄の話をすると、まったくしていないという気のない返事なので、困るのはあなた達だから、どうぞご自由にと。
2011年3月からすぐは、どこでも備蓄食糧をとみんな心を引き締めていたが、現在はすっかり気もゆるみ、そのゆるんだ気持ちで地震対策や原発対策を考えるので、きっとゆるんだ対策しか行なわれないのだろうなぁと思う。
浜通り商店街 2
滋賀県高島市今津町今津
撮影 2013年12月28日 土曜日 14時40分
昨夜(午前2時過ぎ)起きた伊予灘での地震は、現在寝起きしているところでは震度2の揺れであった。
絶世の美女に言い寄られて、あわや貞操の危機(嬉々かも)という場面で揺れを感じて目を覚ました。
小さな揺れが段々と大きくなり、どれぐらいの大きさになるだろうと寝ながら身構えていたが、震度2ぐらいの大きさの時にニャンコがsatoboの上から飛び降りた。
揺れは少し小さくなって、また少しぶり返して納まった。
震度2かぁ、震源地はどこだろう、東北の地震の時の揺れと比較してもそんなに大きくはないだろうなぁ、などと考えて、再び眠った。
朝になって伊予灘での地震と知ったのだが、仕事場に行って地震の事を話題にすると誰も気がつかなかったと言う。
関東に30年ほど住んでいたので、地震には敏感になっている。
震度もだいたい判断出来るようになっている。
だからか、寝ていても震度2もあれば瞬間に目も醒めて、揺れの判断をする。
経験したのは震度5までなので、それまでは判断出来る。
だからたいていは慌てずにいられる。
関西では、阪神淡路大地震などあったけれど、普段震度3や4という地震が少ないので、ある部分で敏感で、ある部分で鈍感なのを知った。
地震の事が話題になるとすぐに阪神淡路と言うのだが、今回のように小さな揺れには”おおらか”で目が覚めないという人も多い。
東北の地震の時にも、周囲で揺れに気がついたのはsatoboだけだった。
一方で、震度1や2程度の地震でも、番組を中断して地震情報を流したりする。
関東以北でそんなことをしたら、常に番組中断してしまうだろう。
東南海地震の事を「気をつけなくては」と言いながら、基本的には地震など来ないと楽観しているようにも見える。
このあたりの気持ちの違いに東西で差があると思う。
八条千本通 1
京都府京都市南区唐橋羅城門町,唐橋高田町,八条内田町
撮影 2014年2月22日 土曜日 14時10分
絶世の美女に言い寄られて、あわや貞操の危機(嬉々かも)という場面で揺れを感じて目を覚ました。
小さな揺れが段々と大きくなり、どれぐらいの大きさになるだろうと寝ながら身構えていたが、震度2ぐらいの大きさの時にニャンコがsatoboの上から飛び降りた。
揺れは少し小さくなって、また少しぶり返して納まった。
震度2かぁ、震源地はどこだろう、東北の地震の時の揺れと比較してもそんなに大きくはないだろうなぁ、などと考えて、再び眠った。
朝になって伊予灘での地震と知ったのだが、仕事場に行って地震の事を話題にすると誰も気がつかなかったと言う。
関東に30年ほど住んでいたので、地震には敏感になっている。
震度もだいたい判断出来るようになっている。
だからか、寝ていても震度2もあれば瞬間に目も醒めて、揺れの判断をする。
経験したのは震度5までなので、それまでは判断出来る。
だからたいていは慌てずにいられる。
関西では、阪神淡路大地震などあったけれど、普段震度3や4という地震が少ないので、ある部分で敏感で、ある部分で鈍感なのを知った。
地震の事が話題になるとすぐに阪神淡路と言うのだが、今回のように小さな揺れには”おおらか”で目が覚めないという人も多い。
東北の地震の時にも、周囲で揺れに気がついたのはsatoboだけだった。
一方で、震度1や2程度の地震でも、番組を中断して地震情報を流したりする。
関東以北でそんなことをしたら、常に番組中断してしまうだろう。
東南海地震の事を「気をつけなくては」と言いながら、基本的には地震など来ないと楽観しているようにも見える。
このあたりの気持ちの違いに東西で差があると思う。
八条千本通 1
京都府京都市南区唐橋羅城門町,唐橋高田町,八条内田町
撮影 2014年2月22日 土曜日 14時10分
昨日は”不評”な(苦笑)文章はなく、写真だけの掲載になったのは「俺だってこれぐらいの写真は撮れるんだぞ」という”自画自賛”のためではなく、疲れて頭が働かなかったから。
最近、仕事帰りに寄り道して街をブラブラしているんだけど、以前訪ねた時と比べて商店街が少し寂しくなっている事に気がつく。
シャッターが閉まったままのお店が続き、人通りも少ししかない通りが目立つ。
それでも昨日のお店たちのように、チラホラとオシャレなお店も確かにある。
薄暗い商店街の中にも、ポツリと場違いのように素敵なお店がある事もあり、そういうお店は若い人がやっていたりして、苦しいだろうけどそれなりに若い人のたまり場になっていたりしてホッとする。
確かにお店が連なっている方が人も集まりやすいだろうが、一軒だけでも若い人のお店があれば、そこに集まってくる若者も確実にいる。
また、お店を始めようとする若い人も確かにいる。
当然そういうお店のすべてが成功するわけでもなく、短期間で閉店する事も多いのだが、入れ替わり立ち替わり何らかのお店がある事が重要なのだ。
繁盛している商店街というのは、そういう新陳代謝があるのだ。
しかしシャッター街になっているところというのは、ひとつの商売が終わったら商店街としての生涯を終える感じがする。
何か新たな商売を始めるにあたっての障害がそこにあるからだ。
大きな原因のひとつは、住居と同じ場所で商売をしていて、商売をやめてしまっても、そこに住み続けていて”次”が入って来れないケースだろう。
商売にも流行り廃りがあり、あとを継いでも生活出来ないと店を閉じてしまう場合もあるが、そこで新たな商売を始めればまた街の彩りになる場所だってあるはずだ。
そこに住んでいなくて空間が開いているのに、権利関係が難しく賃貸出来ないというケースもあるだろう。
最近は自治体などがシャッター街活性化の手助けをしてくれるところもあるというが、自治体の働きで入居しやすいように手続きの手助けをしてくれるような事があってもイイんじゃないか。
現在シャッターが閉まってしまったお店の”元”御主人も、仕事を始めたときは若かったはずだ。
だから若い人が新たに商売を始めるというのは自然な事で、そういう希望を持つ人に”便宜”を計る事は悪い事ではないと思う。
そうやって新陳代謝が繰り返されるところだけが残っていくのではないかな。
ブラブラと商店街を徘徊しながら、いつもそう思う。
横沼町3丁目の街並み
大阪府東大阪市横沼町3丁目
撮影 2014年1月25日 土曜日 14時45分
最近、仕事帰りに寄り道して街をブラブラしているんだけど、以前訪ねた時と比べて商店街が少し寂しくなっている事に気がつく。
シャッターが閉まったままのお店が続き、人通りも少ししかない通りが目立つ。
それでも昨日のお店たちのように、チラホラとオシャレなお店も確かにある。
薄暗い商店街の中にも、ポツリと場違いのように素敵なお店がある事もあり、そういうお店は若い人がやっていたりして、苦しいだろうけどそれなりに若い人のたまり場になっていたりしてホッとする。
確かにお店が連なっている方が人も集まりやすいだろうが、一軒だけでも若い人のお店があれば、そこに集まってくる若者も確実にいる。
また、お店を始めようとする若い人も確かにいる。
当然そういうお店のすべてが成功するわけでもなく、短期間で閉店する事も多いのだが、入れ替わり立ち替わり何らかのお店がある事が重要なのだ。
繁盛している商店街というのは、そういう新陳代謝があるのだ。
しかしシャッター街になっているところというのは、ひとつの商売が終わったら商店街としての生涯を終える感じがする。
何か新たな商売を始めるにあたっての障害がそこにあるからだ。
大きな原因のひとつは、住居と同じ場所で商売をしていて、商売をやめてしまっても、そこに住み続けていて”次”が入って来れないケースだろう。
商売にも流行り廃りがあり、あとを継いでも生活出来ないと店を閉じてしまう場合もあるが、そこで新たな商売を始めればまた街の彩りになる場所だってあるはずだ。
そこに住んでいなくて空間が開いているのに、権利関係が難しく賃貸出来ないというケースもあるだろう。
最近は自治体などがシャッター街活性化の手助けをしてくれるところもあるというが、自治体の働きで入居しやすいように手続きの手助けをしてくれるような事があってもイイんじゃないか。
現在シャッターが閉まってしまったお店の”元”御主人も、仕事を始めたときは若かったはずだ。
だから若い人が新たに商売を始めるというのは自然な事で、そういう希望を持つ人に”便宜”を計る事は悪い事ではないと思う。
そうやって新陳代謝が繰り返されるところだけが残っていくのではないかな。
ブラブラと商店街を徘徊しながら、いつもそう思う。
横沼町3丁目の街並み
大阪府東大阪市横沼町3丁目
撮影 2014年1月25日 土曜日 14時45分