週末の3日間は寒い日から暖かい日へとつながり、着るものに困る天候のようだ。
10年一日のごとく着古したフィールドジャケットで出歩くのだけれど、最近のアウトドアウェアといえばユニクロは論外だが、生地、機能、デザインの進歩は著しくて、休日アウトドア派としてはついていけない部分がある。
生地、機能に関しては軽く、快適に過ごせて、過去のものに戻る必要はないと思うのだけど、デザインに関しては機能性重視すぎて本格登山など以外では使いづらい部分がある。
最近のはボディにフィットして、余計な凹凸はなくし、調整する部分を増やすという登山にとっては重要な部分が拡大されているので、旅など平地で着用するにはポケットが小さかったり、下にもっこりとセーターなどを着てゆったり羽織るには適さない。
最新の機能生地で、たとえばマウンテンパーカーなど作れば大変役に立つアウトドアアイテムになると思うのだけど、街なかや地方のフィールドを歩くだけでも本格山登りスタイルのウェアやザックしかなかったりする。
こういう外見の違いが、案外休日アウトドアのあり方を変えてしまったかもしれない。
昔なら「カニ族」などと言われたキスリング(死語)を背負って、日本中を旅する若者がたくさんいたのだけれど、現在ではスタイリッシュに地方のキレイな観光地だけをさっと通り過ぎる「都会派」(死語)だけになってしまった。
寝る場所にあぶれると、その辺でゴロリと野宿することに耐えられるような服装など現在のアウトドアウェアにはない。
そこまでいかなくても、各駅停車で各地を回るのに”耐えられる”便利なアウトドアウェアが復活すれば、また旅の姿が変わるかもしれないのに。
というわけで、明日からゆるい服装で旅に出ますので月曜日まで日記は更新されません。
何しろスマホやタブレットなど持たないものですから。
浜通り商店街 3
滋賀県高島市今津町今津
撮影 2013年12月28日 土曜日 14時45分
10年一日のごとく着古したフィールドジャケットで出歩くのだけれど、最近のアウトドアウェアといえばユニクロは論外だが、生地、機能、デザインの進歩は著しくて、休日アウトドア派としてはついていけない部分がある。
生地、機能に関しては軽く、快適に過ごせて、過去のものに戻る必要はないと思うのだけど、デザインに関しては機能性重視すぎて本格登山など以外では使いづらい部分がある。
最近のはボディにフィットして、余計な凹凸はなくし、調整する部分を増やすという登山にとっては重要な部分が拡大されているので、旅など平地で着用するにはポケットが小さかったり、下にもっこりとセーターなどを着てゆったり羽織るには適さない。
最新の機能生地で、たとえばマウンテンパーカーなど作れば大変役に立つアウトドアアイテムになると思うのだけど、街なかや地方のフィールドを歩くだけでも本格山登りスタイルのウェアやザックしかなかったりする。
こういう外見の違いが、案外休日アウトドアのあり方を変えてしまったかもしれない。
昔なら「カニ族」などと言われたキスリング(死語)を背負って、日本中を旅する若者がたくさんいたのだけれど、現在ではスタイリッシュに地方のキレイな観光地だけをさっと通り過ぎる「都会派」(死語)だけになってしまった。
寝る場所にあぶれると、その辺でゴロリと野宿することに耐えられるような服装など現在のアウトドアウェアにはない。
そこまでいかなくても、各駅停車で各地を回るのに”耐えられる”便利なアウトドアウェアが復活すれば、また旅の姿が変わるかもしれないのに。
というわけで、明日からゆるい服装で旅に出ますので月曜日まで日記は更新されません。
何しろスマホやタブレットなど持たないものですから。
浜通り商店街 3
滋賀県高島市今津町今津
撮影 2013年12月28日 土曜日 14時45分
なんとか準備が整った。
デイパックに着替え1組。
カメラはコンデジ1台にビデオカメラ1台。
コンデジという便利なカメラが出来たおかげでフィルムはいらない、交換レンズもいらない。
それでいて優秀な性能のおかげで必要以上にキチンと写る。
メモリーも8ギガという大容量で撮りきれない。
他に何がいるというのだろう。
大荷物なのはビデオカメラの方だ。
バッテリーとやはりメモリカード。
それでも合わせて1キロ以下なんだけど、軽いに越した事はない。
こだわったところでたいしたものが撮れるわけではないので、身の程を考えてかる~く行く。
いかに距離を歩くかだけを考えて荷物は選ぶ。
あとは腕前だけだ(汗;)。
八条千本通 2
京都府京都市南区唐橋赤金町,八条源町
撮影 2014年2月22日 土曜日 14時20分
デイパックに着替え1組。
カメラはコンデジ1台にビデオカメラ1台。
コンデジという便利なカメラが出来たおかげでフィルムはいらない、交換レンズもいらない。
それでいて優秀な性能のおかげで必要以上にキチンと写る。
メモリーも8ギガという大容量で撮りきれない。
他に何がいるというのだろう。
大荷物なのはビデオカメラの方だ。
バッテリーとやはりメモリカード。
それでも合わせて1キロ以下なんだけど、軽いに越した事はない。
こだわったところでたいしたものが撮れるわけではないので、身の程を考えてかる~く行く。
いかに距離を歩くかだけを考えて荷物は選ぶ。
あとは腕前だけだ(汗;)。
八条千本通 2
京都府京都市南区唐橋赤金町,八条源町
撮影 2014年2月22日 土曜日 14時20分
今、明治期の廃仏毀釈についての本を読んでいるんだけど、なんだかなぁと思う事がいろいろ浮かんでくるんだよねぇ。
さかのぼる事ずっと昔、日本に仏教が入ってきた時に日本人はこの新しい考え方に、どのように折り合いをつけようかと悩んだ末に、釈迦は古来(?)からの神の化身ということにして受けいる事にしたのが神仏習合なんだけど、それを再びわけて「神」だけを重要視して天皇制の背景にしようとしたのが廃仏毀釈だと乱暴に言ってみる。
その動きをウンヌンしたいのではなくて、そうやって1000年以上続いた”考え方”を制度として転換したら、あっさり”臣民”はそれを受け入れて、さも1000年以上前から日本は「神国」で天皇は現人神だと思っちゃうその精神性をウンウンしたいんだよ。
元々「帝(ミカド)」の存在など明治以前には都(京都の事ね)周辺ぐらいしか知れ渡っていないのだし、薩長や東国の田舎者(都人からみれば)なんかほとんど存在も知らなかったじゃないのさ。
もともと日本での「神」というのは、外国でいうような「神」ではなくて、どちらかというと「霊(りょう)」で、恨みをもって死んだ人などが災いをもたらすという考えから「鎮魂」して、更には慰撫することで災いから守ってもらうという考えがあると思うんだよ。
そういう考えだから明治期にも新たに神社がたくさん作られていくんだけど、その動きをウンヌンしたいのではなくて、そういう”考え方”があったはずなのが、いつの間にか西洋の神のような考え方で日本の神をとらえるようになったんだよ。
廃仏毀釈によって、明治以前と以降では神社というものの成り立ちがすっかり変わってしまったんだけど、現在はさも1000年以上前から現在の神社であったかのように日本人は思っているわけね。
神前結婚式なんてのも明治以降からの”人工的”なものなんだけど、たとえばお祝い金の包み方なんていうのがマナーの本で「これが正しい」なんて書いてあって、それを”守る”ことが正しいなんて思っているけど、そういう「正しいマナー」というのは年々新しく「正しいマナー」が生み出されているわけですよ。
偶数は割り切れるから縁起が悪いなんているけれど、じゃあ江戸時代に祝い金に二両とか二朱は縁起が悪いと言われていた証拠を見せて欲しいものだね。
そもそも夫と妻の二人というのが偶数で割り切れるから縁起が悪いはずだし、だからといって三人で結婚しろなんて言わないじゃない。
四は死につながるというのなら「市」も「氏」も「詩」も「師」も縁起が悪いだろうに。
21世紀になっても(これは西暦ね)、じゃあ紀元2674年になっても、「昔からのしきたり」なんて、その「昔」がいつぐらいの「昔」なんかも考えもせずに「伝統」とかって言葉を持ち出しているけれど、その一方であっさり古来からの事を変えてしまって、それを忘れて、新たにグチャグチャと新しい「伝統」を作り出しているのは、保守的なのかイイカゲンなのかわからんよ。
源氏物語で”妻”のもとへ通ってくる事に違和感を覚えず、一方で婚姻届を出す事を「入籍」などと意味不明な言葉で言い表したり、家族が一緒に暮らす事が「本来の姿」だとか言ったり、時それぞれに都合のイイ「伝統」を持ち出してくるのが日本人の「伝統」なんだろうかね。
長瀬駅前商店街
大阪府東大阪市菱屋西1丁目
撮影 2014年1月25日 土曜日 15時05分
さかのぼる事ずっと昔、日本に仏教が入ってきた時に日本人はこの新しい考え方に、どのように折り合いをつけようかと悩んだ末に、釈迦は古来(?)からの神の化身ということにして受けいる事にしたのが神仏習合なんだけど、それを再びわけて「神」だけを重要視して天皇制の背景にしようとしたのが廃仏毀釈だと乱暴に言ってみる。
その動きをウンヌンしたいのではなくて、そうやって1000年以上続いた”考え方”を制度として転換したら、あっさり”臣民”はそれを受け入れて、さも1000年以上前から日本は「神国」で天皇は現人神だと思っちゃうその精神性をウンウンしたいんだよ。
元々「帝(ミカド)」の存在など明治以前には都(京都の事ね)周辺ぐらいしか知れ渡っていないのだし、薩長や東国の田舎者(都人からみれば)なんかほとんど存在も知らなかったじゃないのさ。
もともと日本での「神」というのは、外国でいうような「神」ではなくて、どちらかというと「霊(りょう)」で、恨みをもって死んだ人などが災いをもたらすという考えから「鎮魂」して、更には慰撫することで災いから守ってもらうという考えがあると思うんだよ。
そういう考えだから明治期にも新たに神社がたくさん作られていくんだけど、その動きをウンヌンしたいのではなくて、そういう”考え方”があったはずなのが、いつの間にか西洋の神のような考え方で日本の神をとらえるようになったんだよ。
廃仏毀釈によって、明治以前と以降では神社というものの成り立ちがすっかり変わってしまったんだけど、現在はさも1000年以上前から現在の神社であったかのように日本人は思っているわけね。
神前結婚式なんてのも明治以降からの”人工的”なものなんだけど、たとえばお祝い金の包み方なんていうのがマナーの本で「これが正しい」なんて書いてあって、それを”守る”ことが正しいなんて思っているけど、そういう「正しいマナー」というのは年々新しく「正しいマナー」が生み出されているわけですよ。
偶数は割り切れるから縁起が悪いなんているけれど、じゃあ江戸時代に祝い金に二両とか二朱は縁起が悪いと言われていた証拠を見せて欲しいものだね。
そもそも夫と妻の二人というのが偶数で割り切れるから縁起が悪いはずだし、だからといって三人で結婚しろなんて言わないじゃない。
四は死につながるというのなら「市」も「氏」も「詩」も「師」も縁起が悪いだろうに。
21世紀になっても(これは西暦ね)、じゃあ紀元2674年になっても、「昔からのしきたり」なんて、その「昔」がいつぐらいの「昔」なんかも考えもせずに「伝統」とかって言葉を持ち出しているけれど、その一方であっさり古来からの事を変えてしまって、それを忘れて、新たにグチャグチャと新しい「伝統」を作り出しているのは、保守的なのかイイカゲンなのかわからんよ。
源氏物語で”妻”のもとへ通ってくる事に違和感を覚えず、一方で婚姻届を出す事を「入籍」などと意味不明な言葉で言い表したり、家族が一緒に暮らす事が「本来の姿」だとか言ったり、時それぞれに都合のイイ「伝統」を持ち出してくるのが日本人の「伝統」なんだろうかね。
長瀬駅前商店街
大阪府東大阪市菱屋西1丁目
撮影 2014年1月25日 土曜日 15時05分
昨夜からホテルの手配と列車の調整で大忙し。
ホテルが取れないと行けないので、まずはホテルの確保に走り、ようやくめどが立って駅へ行くと・・・
時すでに遅し、すでに希望の時間は満席。
昨日から花粉症に似た症状の風邪で頭がボンヤリしているので、どうすればいいのか判断がつかない。
今夜のところは早めに寝て、明日ジックリ考える事に。
そうしてまたチャンスを逃す事に・・・
奈良萬の小路
岡山県倉敷市阿知2丁目
撮影 2014年1月11日 土曜日 12時30分
ホテルが取れないと行けないので、まずはホテルの確保に走り、ようやくめどが立って駅へ行くと・・・
時すでに遅し、すでに希望の時間は満席。
昨日から花粉症に似た症状の風邪で頭がボンヤリしているので、どうすればいいのか判断がつかない。
今夜のところは早めに寝て、明日ジックリ考える事に。
そうしてまたチャンスを逃す事に・・・
奈良萬の小路
岡山県倉敷市阿知2丁目
撮影 2014年1月11日 土曜日 12時30分