Nonsection Radical

撮影と本の空間

視点を変えてみると

2015年03月06日 | Weblog
龍のかぎ爪 康生 岩波現代文庫
長い長い上下巻をやっと読了。
毛沢東の影の部分を支える男として中国共産党の歴史の中で暗躍した康生という男の伝記。
陰謀の限りを尽くして共産党内の権力闘争に勝ち抜いてきた男。
部下も仲間も上司さえも裏切り消し去って、序列を登りつめようとした男。
でも、全然理解出来ないんだよねぇ。
権力ってそんなに魅力的なものなのかねぇ。
だってどうせ死んでしまうんだよ。
ほんの何十年間かの活動でしかないんだよ。
実際、権力の頂上まであと一歩というところで病に倒れた。
なんのための人生だったんだぁ?
もっと楽しく生きれば良かったのに。
と思いながら暗い話を延々と読んでいたんだけど、ふと「”そういう”ことが楽しかったんじゃないのかぁ?」と視点を変えてみたときに、急に康生の生き方が輝いて見えてきた。
人と争い、勝つ。
常に勝ち続け、上を目指す。
こりゃぁ面白いなぁと思った。
そこには、どうせとか死ぬんだしとかの発想はない。
今を生きる。
それって趣味を楽しんで生きるのと、同じ事なんだぁってわかったら納得できた。
納得しつつ、人間の業って深いなぁと。
完全な指導者として君臨する毛沢東であっても、実際はただのオヤジ。
間違いも犯すし、嫉妬、羨望、妬みも抱く。
それを知れば、康生のような一流とは言えない人間であっても、トップを狙えるのではないかと妄想を抱くのも自然かもしれない。
それぐらい人間の世界って不出来なものなんだな実際は。
日本においても、プロフェッショナルな仕事なんて言っても、それがすべて100点満点なものばかりじゃない。
ほとんどがおおむね上出来ぐらいな程度だ。
それが人間のやることの実力なんだ。
ただそこに人間らしくベールをかけて、さも満点のように振る舞うだけだ。
そうやって毛沢東は権力を振るい、康生も追随した。
ただそれだけであって、現在の共産党幹部も同様であると。
そういう本筋とは外れた事を妄想しながら読むのが癖になっているのも、どうかと思うんだけどねぇ。



佐野町の街並み 2
滋賀県東近江市佐野町
撮影 2014年12月13日 土曜日 12時10分
コメント (2)
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フクシマ シミュレーション

2015年03月05日 | Weblog
原発の再稼働ウンヌンでなんちゃら審査とか言ってるじゃないですか。
あの審査ってなんやかんや言ってもハードに関して基準に適合しているかどうかって話でしょ。
それで基準に適合しているから、もう(想定した)事故は起きませんよって言いたいものじゃないですか。
でも、それってなんか違うよなぁってずっと思っていたんですよ。
ハードの問題だけじゃなくて、ソフトも問題でしょって。
事故が起こらないように最大限の対策はしましたよ、って他に、事故が起きた時にもちゃんと対応出来ますよ、って話も欲しいんだよね。
だから避難対策なんてのも項目にあるんでしょ。
だったらさぁ、非常に残念だけどフクシマの事故みたいな事が実際に起きたんだから、各電力会社がフクシマ原発の事故をシミュレーションして、我が社はこのように対応してメルトダウンさせませんでした、ってのをやって欲しいんだよね。
事故調査委員会でかなり詳細な状況が分析されたんだから、それを再びシミュレーションして、各電力会社が事故対応を時系列で行なって、東電のようにメルトダウンには至りませんでした。だから再稼働させてください、ってのが再発防止策ってもんでしょう。
シミュレーションした結果、やっぱりメルトダウンしますっていうのなら、それはマズいでしょ。
そうなると事故対応能力がないという事だから、再稼働は無理ってわかるでしょ。
それとも、同じような状況になって、同じようにメルトダウンして、国土が汚染されますけど、それでも再稼働しますって言うのかね。
対応してますからフクシマのような状況にはなりませんとは言えないのは、フクシマだってあんな状況にはなりませんって事故前には言ってたんだから説得力ないよね。
だから説得力のある方法、つまりフクシマ シミュレーションで対応出来たなら再稼働っていうのが現実的だと思うんだけどね。




サカエマチ2番街
大阪府池田市栄本町
撮影 2014年10月25日 土曜日 13時30分
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出来るはずの旅

2015年03月04日 | Weblog
いつも理想としている旅は、軽くて小さなバッグとコンデジ1台だけでさまようもの。
”普通”に考えれば出来るはずなのだ。
最近のコンデジは必要十分な性能があるし、事実それだけで満足出来るし、宿泊だってビジネスホテルに泊まればアメニティはそろっているし、最小限の下着(ウンチを漏らしたり、失禁した時のために)だけあれば何日でも暮らせる。
実際にビジネスホテルに宿泊すると、部屋に入るとシャワーを浴びて、着ているものを洗濯して、ホテル備え付けのガウンを着て過ごしているのだから、大丈夫なのだ。
なのにどういうわけか、出発準備をすると、あれもこれもと大阪のオバチャン状態になって、飴ちゃんとか時にはおみかんとか持って出ないと気が済まないのだ。
気がつけばバッグは重くなり、それが旅先で足を引っ張る。
そして結局使わなかったものが、そのまま持ち帰りとなる。
そうは言いつつ、飛行機に乗っても持ち込み手荷物で納まる程度だし、重さを計っても5キロもないし、こんなものかとつい持って行ってしまうのだけど、そんなのがイヤなのだ。
もっと身軽になって旅をしたいのだ。
出来るはずなんだよ。
でも出来ないのはなぜ?

答え 貧乏性だから・・・ orz



築地7丁目の街並み 3
東京都中央区築地7丁目
撮影 2014年8月11日 月曜日 12時55分
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飽食時代の食育

2015年03月03日 | Weblog
大阪市立中学校の給食で、「餌」だと言う発言に橋下市長が激怒という記事
まったくコドモは思った事を正直に口に出すから困ったものだ(笑)。
王様に向かって裸だと言ったり、冷たい給食がまずくて「餌やで」とオトナの事情を全然考慮しないんだから。
ネットでのコメントを見ると賛否はあるが、否定的なコメントは橋下市長の発言に沿うものだ。
一言で言うと「贅沢言わずに黙って食え」であろう。
市長は、飽食時代を象徴するもので、国が滅ぶと発言したとあるが、いったい、いつの時代の人ですか?
飽食なんて死語でしょ。
というより、そもそも大阪市が中学校給食を始めたのは、昼食にあまりにも貧しい状況があるので、向上させようという「食育」から始まったのではなかったっけ?
飽食だから質を下げようと始まったわけじゃないでしょ。

もうみんな忘れているかもしれないけど、給食が始まった当初から量が少ない、冷たい、まずいと言われてきたのですよね。
そういう報道があるたびに学校側はうろたえて「善処」するとしたんでしたよね。
それでも、”ふりかけ”騒動なんかもあったわけですよ。
マズいけどせめて”ふりかけ”でもかけて食べるかと生徒側は”歩み寄り”もしたんだけど、それに対しても塩分のとり過ぎがどうのと「食育」の観点から問題になったじゃないですか。
そのあげくが、今回の困ったちゃんの発言ですよ。
散々マズいものを食わされてきたのを、たまたま来たオトナに訴えたわけだね。
それに対して「贅沢は敵だ」と激怒したと。
これが大阪市の「食育」なんですよ。
何らかの目的を持って餌を与えるのは、牛や豚の場合は”食肉”として「育てる」のが目的で、生徒の場合は”食育”として「育てる」のが目的なんでしょう。
個人的リサーチしたところ、それでも「餌」という発言は許せないというおかあさんがいたけど、そもそもセンターで丹誠込めて作った食べ物を美味しく届けられないところに食べ物を大切にしていないシステムの欠陥があるんじゃないのかね。
レストランでも、せっかく作った料理が客席に届く前に冷めてマズくなっていたら、コックはガッカリすれども客に贅沢言わずに黙って食えとは言わないでしょ。
美味しい状態を届けようと給仕と相談するんじゃないですか?

こういう食育環境で育ったコドモが、将来「喰いだおれの街 大阪」を担っていくというのも噴飯ものだと思うんだけど。




平米町通り 2
富山県高岡市本町,大坪町1丁目
撮影 2014年9月6日 土曜日 14時45分
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やっと、まだ

2015年03月02日 | Weblog
正月休みに撮った動画が、やっと昨年末までの分が変換終了。
2ヶ月かけて100本足らず。
変換作業が終わらない限り、次の撮影には行けないのである。
まだ年明け分の変換作業が・・・
これが終われば晴れてお出かけが出来る。
さていつ終わる事やら。
出かけたい街は数々あるけど・・・
遠くへ行きたいなぁ・・・



カバンストリート 1
兵庫県豊岡市中央町
撮影 2014年8月2日 土曜日 14時45分
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