当時は共同炊事場のアパートって
普通にあったのかな~
私が5歳の時父親が病気で亡くなって
母一人子一人になって移り住んだ
アパートの事は良く覚えている。
ひよっこで見るような
なにかのサロンを想像させるような雰囲気じゃなく
戦場の台所って感じだった!
あっちこっちで練炭で火を熾して
ご飯の用意する人おばさん達がたくさん居たようだ。
洗い場の屋根があったか無かったかは記憶は無いけど
なにしろまだ6歳頃やからね~
冬場はほぼ外での調理が寒くて
七輪に火を熾し部屋で鍋ものをしていた時
いきなりアパートの管理人さんが入ってきて
部屋の中での煮炊きは禁止なのに
なにやってんや~!って
母がすごく怒られていたのを思い出す。
火事が怖くて禁止されていたんだろうか!?
それと関係あったのかどうか
そのアパートからすぐ引っ越しをした。
アパートからは映画館が近くて
母の仕事が休みの日よく映画を観に行った。
美空ひばりと、大川橋蔵が出る時代劇が大好きだった。
夏になると怪談物を観に行って
帰りは怖くて歩けない私を母は背負ってくれたな~
小学校に入る前だったけど私は身長があって
チビ助な母と変わらないくらいの背丈だった。
近所のおばちゃんが笑っていた。
仕事から帰る母を待つのに
アパートの隣にある小さな神社の境内が
お気に入りだったわ~
そこから離れるのは寂しかった。
次は普通の家の2階を間借り生活
よい思い出が一つも無かった。