Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【父子家庭の子どものための物語】 『窓の星』


父子家庭の子どもたちに読ませてあげたい物語です。日本にも、(世界ほどでないにしても)父子家庭に育つ子どもが結構います。父子家庭で育つ子どもの気持ちや父子家庭ならではの展開がとてもよく描かれた作品です。小学生向けの作品です。

窓の星(Der Stern im Fenster)

クリスマスまで、あと二週間しかありません。でも、アンナ・レナとペーターはちっともクリスマス気分ではありませんでした。全然そんな気分じゃありません。二人のお家も全くクリスマスっぽくありません。二人のお家には、クリスマスのリースも一個もありません。お家にあったのは、友だちからもらったアンナ・レナの天使の小さな人形と、プレゼントでもらったペーターの小さなサンタクロース人形だけでした。でも、ペーターのサンタクロースは一部欠けていました。チョコレートでできたサンタクロースだったからです。これで全部でした。

前は、24個の小袋のついたクリスマスカレンダーがありました。窓には、星がぶら下がっていて、リースが輝いていました。家中に、クリスマスのクッキーの匂いがしていました。ママがテレビの「夢の仕事」をもらったとき、こうしたことはしなくなってしまいました。ママはとても忙しくなり、いつもどこかに行っていました。

それはそうと、今は、二人には、全然クリスマスって感じじゃないんです。ママが子どもたちとお父さんを捨ててからもう二年も経つのですが、アンナ・レナもペーターも全然それに慣れないのです。いつかそれに慣れるときが来るのでしょうか。よくアンナ・レナのクラスメートが、「君のママはどこにいるの?」と聞いてきます。でも、アンナ・レナは、ママがどこにいるのかも知らないし、キッチンテーブルの上で手紙を見つけたあの日からママのことは何にも聞いていないので、その質問に答えるのがとても嫌でした。ママの手紙にはこう書いてありました。「もうお前の面倒はみれないの。自分の仕事を辞めるわけにはいかないのよ」、と。

どれくらいアンナ・レナとペーターはママが出ていった理由を考えたことでしょう。けれど、二人には分かりませんでした。もし二人に子どもができたら、二人とも絶対そんなことはしないでしょう。子どもを見捨てるなんて絶対にしません。少なくとも、子どもに会いには行きます。でも、どうして他の離婚家庭の子どもの家と違うのでしょう。アンナ・レナとペーターは、パパとママが離婚した友だちをたくさん知っています。でも、他の友だちの家は、ママが家に残っているのです。そして、週末にパパと会うのです。何人かの友だちは、一週間ごとにパパの家に行ったり、ママの家に行ったりしています。みんな、それを了解してくれます。時々、ペーターがアンナ・レナに言います。「僕はもうママなんかいらない。アイツはママなんかじゃない。自分の子どもを捨てたんだから!」、と。アンナ・レナも、「そう、大人はホントひどいわ」、と思っています。「大人って、最高にくだらないし、超バカ。最初にウェディングドレスなんか着て結婚して、子どもを作って、そしてそれから・・・」

パパは、いつも夜遅くに仕事から帰ってきます。パパは子どもたちを楽しみにしています。そして、「家をお前たちだけにしてしまうけど、お前たちはほんとよくやってくれている」、と褒めてくれます。それから、パパは新聞を手にとって、テレビをつけて、くつろぎます。パパがおやすみ前に二人にお話してくれることはめったにありません。してくれたとしても、前と同じで、とっても短いお話でした。それでも、ペーターは、「今日はいいなぁ。家みたい」、と言います。パパは苦笑いをします。

そんなわけで、アンナ・レナもペーターも、クリスマスが特別楽しみというわけではありませんでした。

ある日の晩、パパは新聞を読むこともテレビを見ることもしないで、アンナ・レナとペーターに聞いてきました。「ヒルダと一緒にクリスマスをお祝いしたいんだけど、お前たちはどうかな」、と。二人ともヒルダを知っています。ヒルダとは、これまでに何回か一緒にハイキングに行っています。それに、たまにパパが帰ってくるのが遅い時、パパ、まだヒルダのところにいると言っていました。ヒルダはとてもやさしい人でした。でも、クリスマスに? アンナ・レナとペーターは顔を見合わせました。「きっと、去年の時よりもずっとずっとにぎやかになるだろうなぁ」、とペーターは思いました。そして、二人ともパパの提案を受け入れました。「近いうちに、お前たちにヒルダから何か言ってくると思うよ」、とパパはニコニコしながら言いました。

次の日、子どもたちが学校から帰ってくると、ペーターが真っ先に見つけました。窓に掛かっている大きな金の星です! 玄関先まで、クッキーのおいしそうな匂いが漂っていました。キッチンに立っていたのは、ヒルダでした。そして、二人に嬉しそうに挨拶をしました。「この家もようやく少しはクリスマスっぽくなったんじゃないかしら?!」。子ども部屋にはそれぞれ、クリスマスプレゼントが置いてありました。「僕のは、パイポ男人形だ!」、とペーターは叫びました。そして、アンナ・レナの部屋のすみっこの方から、小さな明るいクリスマスソングが聴こえてきました。アンナ・レナは、「私のは、おもちゃ時計だわ!」、と叫びました。

その後、ヒルダがアンナ・レナとペーターと一緒にクッキーに糖衣をぬっていた時、「ねえ、私、ずいぶんと長らく、こんな風にクリスマスをお祝いしたことがなかったのよね~」、とヒルダは言いました。「君たちも?」。子どもたちはコクリとうなづきました。

クリスマスらしい小さく僅かな希望の光が家中を照らしていました。


Erika Meyer-Glitza "Ein Funksprach von Papa" 2003 SS.73-75

コメント一覧

kei
死別の研究もまだまだこれからって感じがしますね。たしかに。

ただ、スザンネさんが繰り返し主張していたけれど、死別と離婚による別れは、根本的に違うんですよね。

どっちがどうっていうんじゃなくて、死別とは違う別れが、離婚にはついてくる、と。

でも、どちらにしても、別れは別れ。

別れとどう向き合うか。

これはまだまだ語られていない領域かもしれませんね。。。

別れの克服のための条件とは?!

何だと思いますか?!
sahibuno
death education
keiは離婚家庭に目を向けているが、オレは死別のほうの研究の遅れに目がいっている。

できればこれを読んで欲しい↓。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=869795559&owner_id=139359
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