只今、細々と翻訳している『学校の歴史』の一節をご紹介したい。
僕らにとってとても当たり前にある高等学校(高校)。高等学校は、文字通り、高等な知識を伝達する学校で、本来的にはかなり水準の高い教育施設であった。
けれど、今の高等学校はどうだろうか。本来の意味の高等教育をやっているのだろうか。ほとんどすべての人が高等学校に通う今、高等学校の存在意義は何なのだろうか。高校生は何のために高等教育を受けようとしているのだろうか。どう考えてもネガティブな意味しか見えてこないのは僕だけだろうか。
そんな高等学校はそもそもいつ頃どのようにして成立したのだろうか。意外とこの問いに答えられる人は少ないのではないか。そんな疑問を抱きながら訳してみた。
ギリシャの裕福な家庭の若者たちは、14歳から18歳までの間、別の教育施設で教育を受け続ける。これこそ、ギュムナシオン(gymnasion)と呼ばれる施設で、公的資金で運営し、ギュムナシアルコス(gymnasiarchos;スーパーバイザー)という国家公務員の指導の下にある施設であった。ここには、練習場も浴場もロビーも図書館も併設されていた。さらに劇場も設置されているところもあった。そもそもギュムナシオンは肉体的な教育と軍人前教育のみ行う場所であったが、次第に市民的な傾向をもつようになった。とりわけヘレニズム期のギリシャ都市国家の独立が失われた後、軍人教育の意義が失われたときに、こうした市民的傾向をもつようになったのである。そうして、ギュムナシオンは知的教育(Schulung)としてかつてよりもより高度な教育が集中して行われる場所へと変貌したのであった。この時以降、文学が、とりわけホメロスの叙事詩が、ギュムナシオンの中心に置かれるようになった。彼の叙事詩の詩節の読みはすでに〔ギュムナシオン入学前に〕習得されている。ギュムナシオンでは、目的がはっきりと定められ、また文法的学習が行われた。そして、いわば後の修辞学の教育への事前学習としてレポートを書かされていた。それと並んで、数学的知識が重要な役割を果たしていた。ギュムナシオンでは、様々な思考学校(Denkschulen)の代表者たちが一堂に会して、青年たちは彼らの話をじっと聴くことで学んでいった。しかしながら、身体的教育、つまり、走り、走り高跳び、円盤投げ、槍投げ、ボクシング、レスリングといったいわゆる体操教育(gymnastische Ausbildung)の意義は相変わらず保持されていた。体操、ギュムナシオン-この語の中に、「裸の」という意味のgymnosというギリシャ語が潜んでいる。つまり、青年たちは服を着ることなく裸でスポーツの訓練に身をささげていたのだった。
遅くとも紀元前334年には、18歳以上の男子青年のために、いわゆるエフェボス(ephebos=青年)という高等教育をさらに行う二年の期間が設けられていた。このエフェボス教育は、とりわけ高等教育を楽しめなかった若者が受けなければならないものだった。この教育を受けた後ではじめて、市民権が授与されるのであった。ここではさしあたってまたもや、ある種の軍人前教育が重要視された。しかし、この教育がアテネを越えて植民地を経由してヘレニズム帝国にまで広まった紀元前二世紀の終わり頃から、エフェボスの中ではますます古典教科が高等教育として影響力をもつようになり、遂には軍事的専門能力が周辺教科になってしまうほどであった。エフェボスは、体操教育を18歳以上にまで延長することで、その体操教育と共に幾度となく打ち勝ってきたのであった。それから、もちろんこのエフェボスは義務でもなんでもなく、授業料を納付しなければならない貴族教育の形式をとっていた。
上の文章が示しているように、もともとは軍人前教育(肉体教育)が高等学校のねらいだった、というとちょっと意外だっただろうか。
後に知的教育が営まれるにせよ、もともとは力強い強靭な成人男性を育成する機関であったようだ。まさに体育会系の教育機関が高等学校であり、強靭な肉体作りが高等学校の本来のねらいだった(と、言い切っていいものか・・・)
昨今の凶悪な事件や悲惨な自殺事件などを見ていると、今こそ本来の高等教育が必要な気もしてくる。現代人は、ますます打たれ弱くなっているのではないか。スパルタ教育とまでは言わないまでも、がっつりとした肉体と精神を作る教育はもっともっと必要な気もする。
僕は縁あって、体育会系の若者に教える機会をもっている。彼らは、(お世辞にも)それほど文章力が高いわけではないが、かなりタフな精神をしている。肝も据わっている。彼らをみると、よく陶冶されているなぁと思う。礼儀もあるし、パワーもある。今の現代人は「頭」ばっかりがでっかくなっているようにも思える。
押しつぶされるくらいなら、やけになって暴走するくらいなら、叫べばいいし、わめけばいい。泳いでもいいし、走ってもいい。自転車にのるのもいいし、カラオケで歌いまくるのもいい。ゴルフの打ちっぱなしをやってもいいし、ジムに行って汗を流すのもいい。もっと肉体的に体を動かすことで、変な邪念をとっぱらってもいいのではないか。
もっと高等教育に肉体訓練を! ってことで。