映画『ひとくず』にすっかり魅了された僕。
この映画のDVDを購入し、ようやく(念願だった)講義でも学生に見せることができました。
この映画は「こども家庭福祉」や「社会的養護」の最高の教材だと僕は確信しています。
それから、ひとくずは、「これまでにない虐待児の助け方」の可能性が示されていて、僕的にはもう「最高の映画だ」って心から言える作品でした。
また、主演でもある上西雄大監督(今年で還暦?!)に惚れちゃいました💓
…
そんな『ひとくず』の続編のような映画が完成したんです。
その映画のタイトルは、
ヌーのコインロッカーは使用禁止
であります!
ひとくずは、「児童虐待」がテーマでしたが、、、
今度の作品は、「コインロッカーベイビー」と「発達障害(自閉症)」なんです。
もともと「障害児(者)」の支援と理論について学んでいて、その後、捨て子研究や赤ちゃんポスト研究の道に進んでいった僕、、、
これを見ないわけにはいかないじゃないですか!!
どんな映画かっていうと、、、
こんな映画です💓
僕的には、「ひとくず」よりも自分の研究テーマに近くなっているし、また、「ひとくず」以上に「福祉の教材」になりそうな映画だなって…。
そんな「ヌーのコインロッカーは使用禁止」がなんとなんと、、、
このGW中に、「劇場@下北沢」で上演されているんです!!
というわけで、やってきたんです!
という下北沢駅から徒歩4分くらいのところにある小さな劇場です。
(そういえば、その昔、当時の恋人さんと演劇を見に下北に来たなぁ・・😊💓)
はい! やっていました。
2023年4月26日~5月7日
の間、一日二公演、ず~~っとやってくれていたんです!
ちなみに本日5月6日の夜と7日のファイナルが「千穐楽(千秋楽)」でスペシャルVer.になっています。
ステージはこんな感じでした。
今回の作品のキーワードは『コインロッカー』。
僕も自分の本(『赤ちゃんポストと緊急下の女性』)で詳しく書きましたが、1960年代~70年代にコインロッカーベイビーと言われる赤ちゃんが多数いました。そのほとんどが死んで発見されました(一例のみ、生きて保護された赤ちゃんがいたと言われています)。
今回のこの作品では、奇跡的に生き延びた「ヌー」と黒迫和眞(上西監督)が出会い、その関係が深まっていく過程を描いた作品になっています。
クズ人間そのものである黒迫と、比較的重度の自閉症(おそらくカナー型)の純粋で心綺麗なヌー(那須叶)。(これは「ひとくず」にもつながる(いやそれ以上の)極限の対比(コントラスト)かな、と)
ヌーは、ひたすら「オウム返し」を繰り返すだけで、他者と目も合っていない。なので、カナー型のわりと重度の自閉症(という設定)だと思われますが、そんなことおかまいなしにヌーの世界に入り込んでいいくクズの黒迫。
(もうね、昔の僕を見ているような気持ちになりました。僕も、黒迫みたいに、ずっけずけと自閉症の人たち(子たち)に入り込んでいって、どんどん「友達」になっていきました…😂)
本編の詳しい話は(ネタバレになるので)しませんが、僕が上西作品に共感するのって、自分自身がこれまで大事にしてきたような関わり方がそのまま描かれているからかもしれない、、、って(今思いました…苦笑)
黒迫とヌーの関係って、「支援者」と「要支援者」の関係じゃないんです。どこまでもフラットというか、対等っていうか、、、。黒迫自体、クズなので、ヌーの障害の特性や困難さを完全に無視しているんです。その代わり、どこまでも「ヌー」を、「一人の人間」、しかも「素晴らしい才能をもった人間」としてストレートにかかわるんです。どこまでも「同じ人間」なんです。(だから、「親友」になれるんですね。僕もそこにすごくこだわってきました)
拙書『学びの実践学』でも書いたけど、僕は、「支援の専門家をやめて、支援の実践者になれ」と言い続けています。専門家は、知識をもっていて、その知識や専門家の倫理に基づいて(基づいてのみ)動きます。もちろん、それで救われる人も多々います。でも、それで救われない人もいます。そういう人には、これまでの知識や知見ではどうすることもできないんです。どうやってもうまくいくかどうか分からない状況に立たされるんです。その時に下す判断が「実践者としての判断」です。
黒迫は、そんな難しいことは知らずとも、どんどん実践的にヌーにかかわっていきます。(演劇だと、それがむちゃくちゃリアルに迫ってくるんですね)
ヌーはコインロッカーベイビーなので、実の母のことを知らないんです。母からの愛情を受けないで、施設で育った子ども~大人でした。自閉症の障害者という設定ですが、それでも、ところどころに「ママ」という言葉も出てきます。僕も昔、自閉症の子たちとかかわっていたとき、どの子もちゃんと「ママ」を「ママ」として分かっているんだなって何度も思いました(もちろんそうでなさそうな子もいたけど…)。
でも、それだけじゃないヌーの暗く重く苦しい過去も明らかになっていきます。
そして、次々にヌーを襲う悲し過ぎる現実、、、
その現実に共に抗おうと懸命になる黒迫、、、
笑いあり、怒りあり、涙あり、、、
慈悲と無慈悲が交互に錯綜しつづける展開…。
3時間30分ほど続く長い演劇ですが、もう「感情のジェットコースター状態」に…。
そして、最後の最後に大どんでん返しも?!?!…
この演劇、3時間なのに、本当にあっという間でした。もう3時間30分経ったの?みたいな。
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それも、やはりホンモノの役者さんたちのお力あってのことでしょう。
っていうか、「役者の表現の力」を改めて痛烈に思い知ることができました。
『ひとくず』にも登場している人も多々いますが、、、
なぜか、(われわれ世代ならみんな知ってる)なべやかんさんまで…(苦笑)
どの役者さんもすっごく「味」があって、「雰囲気」があって、魅了されましたね。
でも、なんといっても、主演兼監督の「上西雄大」がカッコよくて素敵で…😂
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あと、上西作品は、「曲」が本当に本当に良いのです。
今回も、ひとくず同様、吉村ビソーさんの曲が使われていました。
歌詞は上西監督と吉村ビソーさんの合作になっていて、歌詞もすごく素敵でした。
この歌詞、「赤ちゃんポストの子ども」や「内密出産の子ども」にも通じる歌詞になっていて、ぐっときました。
「貴方とつなぐ手は 温かいのでしょうか? 貴方の卵焼きは 甘いのでしょうか?」って。
また主題歌は、山崎ハコさんの「ヌー」という曲で、こちらも凄かったです。
この楽曲の良さもまた、上西作品の魅力というか強みになっている気がしますね。
ひとくずにのめり込んだ理由の一つがこの曲でした。
この曲を聴くと、鞠の悲痛な叫び声が聴こえてきそうで…😢
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どんな家庭で育ったかとか、血のつながりのある母に育てられたかとかって、それはそれで大事かもしれないけど、そうでなくたって、人は生きていけるし、歩んでいける。
その後の人生で、どんな人と出会うかで、その人生は大きく変わってくる。
第三者から見たら「クズ」と思われるような人であったとしても、その人に救われる人だっている。
逆に、まわりからみたら「まともな人」「真面目な人」と思われるような人であっても、実は「クズ」以上にクズなことをやっている可能性だってある。(そういうシーンもこの作品にはありました)
大事なのは、そういううわべのことではなくて、どこまでも目の前の「汝」を一人の仲間として、パートナーとして、そして共に生きる人間として、どこまで大事にできるかだよなって。
そうそう、この映画では、「金田正志(久光天志)」という愛くるしいキャラクターが登場するのですが、彼もまた(今でいう)発達障害(学習障害?)をもっているヤクザ者なんですけど、こういう人を包摂できていないのが今の社会の「闇」だよなって思いました。(宮台先生が指摘する「ヤクザ」における社会の包摂問題につながるかなって)
昭和の時代って、今みたいにいろんな「言葉」がまだなかった時代で…。そんな時代に、今でいう「障害児(者)」たちって、かなりの部分で、そのまま社会に包摂されていたんですよね。過去を美化する気はないけれど、今は、なんでもかんでも「障害名」が付いて、「支援」だ「援助」だ「治療」だ「ワーク」だとうるさいなぁって思います。
本当の意味での「ノーマライゼーション」とは?「インテクレーション」とは?「インクルージョン」とは? もっと生活世界に根づいた考え方で、福祉のことを考えるべきだろうなって、「ヌー」を見ながら考えさせられました。
いや、ぶっちゃけね、この作品、教育や福祉や保育にかかわる実践者・研究者・政策決定者たちに見てもらいたいですよ。で、考えてほしいですよ。「今のままでええんか??」って、、、。
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って語り出すともうきりがないので、この辺で。
本日と明日のみとなっています。(行くと、ちょっとビックリする何かがあるとかないとか…😊)
また、映画版は今後どんどん公開されていくと思うので、HPを✅しておいてください!
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PS