僕は政治的なことにはあまり強いこだわりはない。
なので、どこが政権をとろうと、誰がトップに立とうと、
正直なところ、僕の眼中にない。
けれど、これを一般社会に適用させて考えると、
いろんなことが言えそうである。
トップがコロコロかわるというのはいかがなものだろうか?
そのトップを選んだ集団(与党)はどうなのだろうか?
(トップを選出した人間の責任はどう取るのか?)
トップが固定されるのは、民主主義の日本ではあまりよろしくない。
トップの任期が決まっているのは、独占や独裁を防ぐためのものであり、
コロコロトップを変えるためのものではないはずだ。
トップが選出されたら、任期満了まではしっかりとサポートするのが、
その集団の使命であり、責任であろう。
いかなる批判があろうとも、自らが選出した人間を支えるのが、
やはり筋というものではないだろうか。
部下や従業員(国民?)もたまったものじゃない。
トップが変わるということは、実際ただ事ではない。
トップが変われば、その集団のカラーや雰囲気もがらりと変わる。
学校組織であれば、校長が変われば学校は変わるのである。
社長が変われば、やはり少なからずその会社の方向性も変わる。
トップが変わるということは、多かれ少なかれ、
下の人間(国民?)に影響を与えるのである。
(今の政権はそれをどこまで考えているのか)
現首相が一国の首相としてふさわしい人間かどうかは問題ではない。
(それは個々人が判断すべき事柄だ)
そうではなく、それを選んだ人間たちの無責任さが問題なのではないか。
僕ら国民は、残念ながら日本のトップを選んではいない。
(首相を決める人間を選挙で選んでいるので、間接的に選んでいるのではあるが)
現首相を選んだ集団の中で、その選んだ人間に反発したり、
生産的でない行動を起こしたり、罵倒したりすることに、
いったい何の意味があるのだろうか?
もちろんトップに問題があるからこそ、叩くのだろうけれど、
任期の間はやはりそれでもそのトップを支えて、
組織(日本)を支えていくのが、トップ機関(与党・内閣)の責任じゃないのかな。
この数年間の間に、3人トップが変わり、
さらに混乱を見せている。
もはやこのトップ集団に「トップ」にふさわしい人間がいない、と
思われても仕方ないところまできているとも言える。
(政権組織の中で最もトップにふさわしい人が首相に選ばれているのだから)
人材不足、マンパワー不足と言ってもいいかもしれない。
これからの日本社会ではいったいどんな人がトップにふさわしいのだろう?
これをもっと議論してもいいのではないか。
(特にサンデープロジェクトかなんかで♪)
やっぱりリーダーシップ論って大事かもしれないなぁ~
*本記事には政治性はありませんのであしからず。。。
*個人的には、安倍さんも福田さんも麻生さんも
お人柄的にとてもいい人で魅力的だと思うのですが…
(バックがもっと信頼してもいいんじゃないかな~)