Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

厚生労働省・内閣府の虐待防止のポスターに異議あり!!!!!

子育て支援を行う公共施設の一角に、どーんと貼られていたポスターです。

かわいい赤ちゃんですね。ちょっと僕の小さい頃に似てるかも、とアホみたいに思ったり、、、

これ、よーーーーく見てください。

多分、よーく見ても、何が問題なのか分からないかもしれませんが、、、

これ、すごい問題があると思うのです。

主唱:厚生労働省・内閣府、となっています。

つまり、このポスターは、行政(=国)によって作成されたものです。

行政=国家が作成したこのポスターには、大きな問題が潜んでいます。

その本題に入る前に。

ドイツでは、こういう問題は、厚生労働省じゃない官庁が管轄しています。「家族・高齢者・婦人・青少年省」という省庁があって、そこが管轄しています。日本の厚生労働省にあたるのは、「労働・社会省」になっています。

考えてみてください。厚生(=福利厚生→健康、社会福祉)と労働の官庁です。

社会保障、失業問題、年金問題はここでいいんでしょうけど、その性質上、家庭の問題、子育ての問題、虐待の問題は、どう考えても、「厚生労働省」が管轄すべき場所ではないはずなのです。

*「厚生労働省は、国民生活の保障及び向上を図り、並びに経済の発展に寄与するため、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進並びに労働条件その他の労働者の働く環境の整備及び職業の確保を図ることを任務とする」(厚生労働省設置法第三条)

基本的には、「経済活動の環境整備」と「社会保障及び公衆衛生」を担当します。

そんな厚生労働省の発想ですから、どうしても、家庭からの目線ではなく、企業目線になります。あるいは、お上目線になります。「子育て」という最も基礎的・人間学的な問題を、この省庁が管轄していること自体を問うことの必要性を感じているので、あえて、そう言わせてもらいます。単純な話、労働と子育て(あるいは社会福祉)を同じ省庁がやっている、ということはおかしいのでは?、と。

***

さて、本題です。

このポスターをじっと見ると、ここで訴えているのは、「虐待を見つけたら、すぐに通報してね」、ということ。つまり、虐待するほどに追いつめられている母親目線ではなくて、その追いつめられた母親の住む住居の近隣の人々(一般市民)に呼びかけているんです。

このポスターでは、母親・父親は、「悪者扱い」です。

悪人である前提で、これは書かれています。

これ、いったい、誰に呼び掛けているのでしょうか。

ぱっとみると、親ではなく、「一般市民への呼びかけ」に見えます。

「あなたの1本のお電話で救われる子どももいます」

そう、このポスターを見た「あなた」への呼びかけです。

その、「あなた」は、虐待する(あるいはその恐れのある)親とその子どもが暮らす住居の近隣の人たちです。

これ自体は、問題ありません。「児童虐待の防止等に関する法律」にのっとった呼びかけです。

児童虐待を発見した人は、児童相談所に通報することは、この法に基づき、義務となっています。

緊迫性を考えると、まずは通報。そして、保護。

そこに、異論はありません。

***

しかし、長年、福祉と教育のあいだをうろついてきた僕には、どうも腑に落ちません。

もっといえば、ずっと「匿名での母子支援」を考えてきた人間として、なんともいえない違和感を感じます。

「緊急の相談に真摯に応じます」、というような一言がありません。「困っていませんか」という呼びかけもありません。

通報の呼びかけは大きな文字で、どーんと書かれているにもかかわらず。

しかし、よく見ると、、、

ポスターの一番下に、小さく「児童相談所や市町村の相談窓口では、子育てに関する相談はなんでも受け付けています。出産や子育てで気になることがあったら、相談窓口にご連絡ください」、と書いてあります。

こんな適当で、愛のない言葉を見て、誰が相談するのでしょうか? むしろ、相談しないでね、というメッセージにさえ見えてきます。本来であれば、この文字が一番中央に来るべきです。しかも、「なんでも受け付けています」、という言葉に、何とも言えない「投げやり感」を感じます。

「なんでも」って何ですか? 「気になることがあったら」って何ですか?

虐待する親の気持ちを考えて、このポスターを作っていますか? 虐待している親がこのポスターを見たら、どう思うと思いますか? それこそ、「社会的想像力」をもって、このポスターを眺めてみてほしいです。

それとは対照的に、大きな文字で、ポスター中央に、「あなたの一本のお電話で救われる子どもがいます」、と書いてあるわけです。

ええ。確かに、通報によって、虐待からは救われるでしょう。そして、保護されて、児童福祉施設等に連れていかれて。つまりは、親と引き離されて生活することになります。日本は、里親制度が充実してませんから、ほぼ施設行きになります。里親の種類はいっぱいありますけどね…。

親から引き離されることを、そもそも望んで産まれてくる赤ちゃんがいると思いますか? たとえどんなに酷い虐待を受けても、子どもはそれでも(意識的・無意識的に)「親」を求め、「親的存在」を必要とします。実の親への憎しみはあったとしても、それに代わる人間(養育者)を必要とします。

その親への憎しみは、経験のない僕らには理解しえないほどです。

しかし、その一方で、虐待する側である親は、どうなのでしょうか。彼らもまた、虐待してしまうほかはない、という問題を抱えた人間でもあります。別の仕方が可能なら(虐待ではない仕方で子育てができるならば)、虐待には向かいません。

だから、虐待防止の法律が制定されている今、最も救わなければいけないのは、虐待してしまう親であり、ここで「加害者」と想定されている「弱者」ではないでしょうか。最も弱い存在であり、最も愛おしい存在である赤ちゃん・子どもに手をあげなければならないほどに、(自分が追いつめられていることさえ気づけないまま)追いつめられている親たちです。

そういう視点が、このポスターにはまったくない。親への愛情の欠片もない。

*[追記] もちろん、子どもの命を守ることが、第一優先であることは言うまでもありません。目下、虐待を受けている子どもの保護も言うまでも最重要なことです。ただ、このポスターでは、そのことを一般に訴えつつ、小さな文字でホンキを感じない支援を呼びかけている点に問題を感じるのです。また、このポスターに、見事に日本の支援の課題が示されているのです。

ただ、子どもたちが根本的に望むのは、虐待する親から引き離してもらうことではなく、親が虐待しないような人間になってくれることです。それ以外にはありません。昔のように、笑顔で自分に接してくれる「やさしいお母さん」、「やさしいお父さん」に戻ってくれることです。(やさしいお父さん、やさしいお母さんを嫌う子どもは、(反抗期の子どもを除いて)まず、いないと思います。)

また、本当に子どもを殴ったり、蹴ったり、罵倒したり、ネグレクトしたりすることを心からの喜びと感じている親がいたとしたら、その人は虐待する親ではなく、「マゾヒスト」であり、「常軌」を逸しています。でも、そんな「変質的な親」は、そうそういるものではありません。みんな、したくてしているわけじゃないんです。

(注:ここは注意深く示す必要があります。親子に限らず、常識的には、人を殴ったり、蹴ったり、あるいは無視したりすると、その後で嫌な気持ちになったり、反省したり、後悔したり、自分を責めたりします(DVも同じ構造か?!)。そういう意味で、「したくてしているわけじゃない」という意味を捉える必要があります。「したくてしているわけじゃないけれど、(じぶんでもよく分からないまま)してはいけないことをしてしまうことの苦しみ」、それが「虐待する親」と呼ばれる人の抱えている問題だと思います。ドラッグにも通じる部分があります。断定はできませんが、その最中(虐待している時)は「快」を感じており、その後に激しい「自己嫌悪」に陥るというメカニズム等。)

そういう視点で、こちらに注目してみてください。

相談じゃなくて、連絡は匿名で行えます、と。

ドイツの匿名支援を研究している身としては、もうびっくり仰天です。(ま、分かっている話ではありますが…)

「匿名相談」についてはこちらも是非

連絡=通報は匿名で行える、と。

でも、相談のところには、匿名と書いてない。

そう、これが、僕の違和感、府の落ちなさです。

あくまでも、「通報」に頼っているのが、この国の虐待対策の現状。(それはそれで大切なことです!)

ただ、母親(父親)の匿名での相談・支援については、このポスターを見る限り、ほとんど考慮されていません。

たとえ、考えていたとしても、匿名相談・匿名支援(それから匿名出産)については、全く議論されていません。

分かってもらえますかね?! 

日本のこの虐待防止ポスターは、通報の呼びかけはしているものの、本当の意味での防止(親が虐待しないようになること)への呼びかけにはなっていません。不十分です。

今後、最も訴えかけなければいけない相手は、通報してくれる人ではなくて、虐待してしまって苦しんでいる親たちであるはずです。(*しかも、深刻なのは、当の親たちが、その苦しみを苦しみと思っておらず、つまり、自覚しておらず、ブレーキさえかけられない状況下にある、ということです)

通報はもう既に法制化されており、周知されつつあります。

さらに、もう一歩、踏み込む必要があるのではないでしょうか。

 

最後に、ドイツやオーストリアのポスターを見てください。

地下鉄の車内に掲載されているポスターです。

妊婦さんへの呼びかけですが、目線が、親目線です。

「私たちは匿名で確実にあなたを助けます」、と書いてあります。

なんで、日本の厚生労働省は、こう、書けないのでしょう?! 

書けないとしたら、なぜ?!

さらに、もう一枚。

ウィーン市内を走る地下鉄の駅(ほぼ全ての駅)に掲げられています。

「あなたは望まない妊婦ですか?」、と書いてあります。

こちらも、目線はお母さんです。お母さんへの呼びかけになっています。

虐待のポスターも同じです。

「あなたは苦しんでいませんか? 匿名で相談に応じます」、と堂々と書きます。

なぜ、そういう愛のある言葉を、この国の行政は書けないのでしょうか?

 

だから、この国の福祉は、いつまでたっても、当事者目線にならないんだ、と思っています。

根本的に、「やってやってる」、という目線なんですよね。お上目線。

行政と市民がパートナー関係、友愛関係になっていない。

 

とりあえず世の中が「虐待!虐待!」と騒いでいるから、また作りましたっていう感じがまるだし。やっつけ仕事丸出し。

このポスターを作るのに、いったいどれだけお金を使っているんでしょうね?! 

もちろん税金です。

 

「こういうのを作っておけばいいでしょ?!」的な気持ちで作っていたとしたら、、、

僕はもう、今の政治には1%も期待していません(あえて言えば、、、)。

だから、官庁にはしっかりしてもらわないと、と思います。本当はもっと政治家のみなさんが、頑張ってもらわないといけないはずなのですけど。

 

 

少しでも、「このポスター、変だな?!」、と思っていただけたら幸いです。

 

PS

このポスターに出てくる赤ちゃんは、何にも悪くないです。ただ、内容が酷すぎます。

 

PS2

別記事のUnknownさんのご指摘を受けて、一部、修正いたしました。ただし、世の中のメッセージとして、適切でないと思われる表現の一部については残すことにします。(10/24)

コメント一覧

Unknown
募集要項
古いエントリーにコメント失礼いたします。

匿名のイラストレーターの立場からコメントさせていただきます。

この記事の影響かはしりませんが、2018年度のオレンジリボンポスター募集要項には、

「虐待をしている人に対して訴えるのではなく、一般の通行人に対して子ども虐待防止に関わる啓発を念頭にしてください。」

という一文があります。

また、近年の受賞作は「親も助けよう」と言ったメッセージも、暗にこめられているものが増えています。

ポスターというのは張られる場所やそこを利用する人間の傾向によって訴えるメッセージが変わってきます。
このポスターは少なくとも最初から「周りの人間に訴えること」を念頭に置いて作成してくださいね、と募集していることを知ってください。
役所などでは母親に向けたポスターはまた、別に貼られていますよね。

また「これを作るのに一体いくら使った」とありますが、コンテスト形式で、採用されれば賞金が出るタイプのものです。
この形式は、最初から有名なイラストレーターに頼むよりは遥かに価格は安くすむものです。最高額10万を高いと感じる人は、イラストやデザインというものを知らず、軽視している人でしょう。(採用されない人は案を無償で提供するのですからね)

www.orangeribbon.jp/info/npo/2017/11/2018.php

子供を大切にしたいがゆえに、訴えたいことはあったのだと思いますが、冷静に、多角的に、作成する立場からも見てみてください。
きちんと、書いてあるのです。

そして、記事の最後にこの赤ちゃんには罪はない、との旨が書いてありますが、
それこそご自分のおっしゃる「小さく相談してねって書いても、だめだろう」と同じだと思います。
少なくとも自分はもう、この記事を読んだことでこの赤ちゃんが二重の意味で「かわいそう」ですし、その気持ちは拭えません。
もちろんこの赤ちゃんの将来に何の影響を及ぼすものでもありませんが、このような記事に使うなら、赤ちゃんの顔だけでもぼかすなりの配慮は必要ではないかと感じました。
親です
「政府が親を敵とみなしているポスター」
この国の政府が親を敵とみなしているので
公然と「親が悪い」空気になるのだなと思いました。
このように書いていただきありがとうございます

今の日本は正直子育てしにくいです
泣き声あれば通報に脅え
少しの失敗も「ちゃんと見てなきゃダメだろ」という関係ない人からの叱責
手をさしのべてくれないのにダメ出しばかり受けなければいけない
子育てにおいてけなされても褒められることはほとんどない
普通に子育てしていてもそのように感じます

データを見ると虐待も通報ばかりが増えて
虐待死者数は横ばいで変わっていません
そして誤認保護が増えていて
普通の家庭の子供がたまたますり傷をしていただけで怪しいと思われれば連れていかれ
そのまま社会と隔離されるケースもあります
学校にも行かせてもらえない一時保護は子供を牢屋に入れるようなものです
死者を減らせず親子を引きはがし一般家庭をぶち壊しているのが今のシステムではないかと思います

虐待をしていない一般の親にしてみれば
いきなり犯罪者扱いされたうえに
痴漢冤罪と同じぐらい勝てない裁判に巻き込まれるのは恐怖です
せめていきなり子供を拉致して連れていくのではなく
親子共に保護監察される方が数倍マシです

子育てしているだけでリスクが高く
障害のある子供がいる我が家は誤報リスクも高いです
「迷子通報」からひざのすり傷を理由に最初から犯人扱いで執拗な取り調べをされたこともあります
うちの場合は何とか納得されて帰っていきましたが、同じ例そのまま保護され帰ってこなかった人もいます
保護前と後で子供の描く絵が全然違う例も体験談を検索すると多数出てきます

子供だけを社会から隔離するように離す今のシステムは新たな問題を生じています
せめて親子同時保護&監視で
冤罪であってもダメージが少ないようにしてほしいです

子育てしていると周りが味方じゃなく敵のように感じるのは
このポスターにあるように「親は敵」と見なす政府の目線が伝染していたのだと
この記事のおかげでそういう見方もできました

昔、援助交際が問題になっていた頃のポスターで「売春は犯罪です」というものがあったんですが
なんで女性だけが悪いという文章なのか?
素人買春する男の方を取り締まればそもそも起こらないのでは?だいたい声をかけてくるのは男じゃないか、と
当時女学生でおっさんに声をかけられる側としては憤慨したものですが
その時と同じ理不尽さを児童虐待防止ポスターにも感じてます
最初の敵認定がおかしいですよね

見るたびに子育てする親を責められているような違和感を言語化していただきスッキリしました。ありがとうございました。
長い文章のうえに過去記事にコメントしてすいません
Unknown
じゃあ、痴漢撲滅ポスターなんかは大変だね、痴漢する男だって苦しんでいるのにね、痴漢加害者専用の相談窓口も設けるべきだねwww
kei
Unknownさん

はじめまして。こんな古い記事にコメントをくださり、誠にありがとうございます。この問題はまだまだこれからも色々な形で議論されるべきものだと思います。それぞれの持ち場持ち場で色々と考えていけたらよいですね。

平尾さん

コメントありがとうございます。行政に頼らない支援の可能性がもっともっと増えるといいですね。市民の力、といいますか。市民の勇気、といいますか。
平尾政幸
どっちにしても!
母親をたすけられる文化力を持った行政の方がいるとは思えないです。
Unknown
いや、対象が違うのでは
ざっくり読んだ限り、通報される対象の虐待親とは、「虐待をしてしまって悩んでいる親」ではなく、子供を身体生命の危機に陥れても悪びれることのない、ある種の親であると思われますが。

世界の虐待親には、虐待をしたと自覚して悩む親と、虐待しても自分が虐待を加えた自覚すらないほどの悪辣な親の2種類がいます。子供が虐待死して新聞種になるのは概ね後者です。

彼らは差し伸べる手があっても、相談などしません。自分が悪いことをしたとも、態度を変える必要があるとも思っていないのですから。

筆者の方は、前者の親へのケアに関わり続けた結果、後者の親の存在を失念しているか、ご存知ないのではと拝察します。
kei
もふなもぶさん

コメントありがとうございます。

内容が「意味深」で、自分に理解できているのか、分かりませんが、何かをお伝えしてくれているようには感じます。

僕の印象だと、「虐待する側」からの何かのメッセージのように感じますが、合っていますでしょうか??

もう少し、詳しくお聞かせいただけると嬉しいです。

コメントありがとうございました。
もふなもぶ
恐らく、私はある種の弱みや痛みを
実感としては理解できませんから、
本当の相談の相手には向きません。
「その点では」私は無力なのです。
私の体の障碍の一部は防災活動時の
後遺症ですが、むしろその状態でも
また現場に向かってしまう事の方が
「断絶」になっている気もします。
心理的距離で言えば加害と被害の
間のほうが近いんじゃないですか。
そちらの方が「普通」だと思います。
普通の人が普通に幸せになる方法は
普通の人のほうが分かると思います。
問題の特定の時点が過ぎてしまえば、
異常者にできる事はもうないのです。
できないよ、と弱音を吐くだけです。
ただ、普通の子供に私の真似を
して欲しくはないだけです。
普通にいじめに関わり ※
普通に克服してくれればいいのです。
それは普通のことなんだと、
だから「普通のまま」克服できると、
私が言っても説得力がないからです。
※加害被害傍観その他…を問わず
もふなもぶ
例えば、子供時代などに、
事情不明で自分と関係の無い
攻撃されている相手の為に、
自分を危険に晒して
自分より戦う力に優れた者の攻撃を
自らの身を危険に晒して止めた者、
そんな者だけが発言しろ、とは
「私は」言いません。
むしろ倫理面も含めた
弱者や失敗者が助力を受けるべきです。
「サバイバーには弱みはありません」
問題のない所にアプローチしても
解決にも改善にもなりません。
対症療法も不可欠ですが、
原因を改善する方が実りは大きいです。
もふなもぶ
匿名で相談して受けられる十分なサポートは日本にはありません。
そのことを確認するのは簡単です。
それも確認しないで記事を書いた人に確認させるような人間が虐待助長者になります。
「被害者」であることは免罪にはなりません。
なぜなら虐待者の大部分もそうですから。

いじめ対策の放送もそうです。
いじめの被害者の大多数は自分もいじめる側に参加した事があります。
その中には傍観も含まれます。
非のない者よ相談せよ、じゃダメです。
kei
それはいいアイデアですね! そういうことをやれる人材を育成することも大切なことかな、と思いました。ただ、24時間体制の相談となると、一人ではできないですよね…。身体、壊しちゃいます、、、
ヘルパー
望まない出産、出産したけど想像以上に育児負担が大きく 家族 友人の協力も得られず 自分一人で解決しなきゃと悩んでる方、諦めて放置してしまう方 事情は様々あると思いますが そんな方達の目に触れる 所 産院やコンビニのトイレに 24時間匿名で相談できるチラシを置いたらどうでしょう?訪問はハードルが高いのでまずはTELから…
kei
ヘルパーさん

コメントありがとうございます。

虐待する親への「支援」については、色々と経験的な研究や書籍がいっぱい出ていると思います。

この問題は、専門家だけの問題ではなく、地域社会全体の問題だと思います。

そういう意味では、色んな立場の人が、色んな仕方で支援を考えられると思います。

ゆえに、資格等がなくとも、やれることはいっぱいあると思います。(通報だけではなく…)

具体的なプランや案はありますか??
ヘルパー
賛同
虐待をしてしまう 親を 支援していきたいが 糸口が わからない…
資格が ないと 支援できませんか?無資格でも できる ことはないか?
kei
みかさん

コメントありがとうございます。

この世の中、親だけじゃないんだよなぁ、と思いながら、読ませていただきました。

まさに、みかさんのおっしゃる「魔女狩り」みたいなものを感じていて、このを書いたつもりです。

最近は、「そもそも、この国では、子育てをする環境が劣悪すぎる」、と思っています。簡単に言えば、「働き過ぎ」。それによって、日本人全体の精神が狂っている、と。

と、同時に、親を追い込む社会に問題があると思います。

その改善のために、頑張っていきたいものですね。

コメントありがとうございました。
みか
わかります
虐待を、するまでに親を追い込んでいる社会に問題があると思います。
通報するなら、なぜ一言その家族に優しい言葉をかけてあげないのか。
子供達を守る協力をしていけないのか。
私は、虐待を受けていましたが、近所に親切にして下さる人々がいたので、どうにか生きて来られました。
よその子供になりたいとも思いましたが、周りの人の助けがあったので、行政のお世話にはならずに大人になれました。
今の社会は、まるで魔女狩りを楽しんでいるようです。
kei
ただじゅーさん

はじめまして。そして、コメントありがとうございました。中学生なのですか?? この記事、読みにくくなかったですか??

是非、ですね。色々と、ご意見などを色々と書いていただけるととても嬉しいです。

僕はもともと中学校の先生になりたいって思っていました(でも、なれませんでした)。今は大学生相手の仕事をしていますが、中学生の「声」には、真摯に耳を傾けたいと思っています。

保育士の夢、是非叶えてほしいと思います。養護施設はどこも人材不足だと聴きます。ただじゅーさんのような方が、養護施設で保育者として子どもと関わる、というのは、とてもいいことだと思います。もちろん、色々な面で、過去の自分と向き合わなければならないことも多いと思いますが、頑張ってほしいです。

そのためにも、視野を広げて、素敵な大人とたくさん出会ってほしいです。

コメントありがとうございました。
ただじゅー
同感です!
私は中学生のただの学生です。
私ごとですが、しょうろくのとき色々あり(親の事情)一週間施設に入れられました。
私がその時思ったことは「ママ早く迎に来て」でした。自分でも信じられませんでした。あんなこと言われたのになんでお母さんのこと待ってるんだろう。と。
なので、最後らへんの施設に入れることが子供にとって本当に良いことなのか。ってところで心がぐっと来ました。
私も自分がそういう体験をしてから、施設に入れることだけが良いことだとは限らない。ってことを多くの人に伝えたい。と思いました。
また、寂しい思いをする小さい子を減らしたいと思いました。
それから、私の将来の夢は24時間保育士になることです。
また、私は今度の美術の授業でかくポスターのテーマを幼児虐待にしようとおもってます。
その点であなた様の文をよんでとても考えさせられました。
多くの人があなたのような人ならいいのに。と、考えてしまいます。
長い文失礼しました。
kei
みなさま

貴重なコメント、貴重なご意見ありがとうございました。この記事は、ご承知の通り、実に多くの「賛否両論」がありました。

これを参考に、色々な場で議論して頂ければ幸いです。

子どものために、そしてその子どもが一番に拠り所にしている親御さんのために、最善の支援とは何か。それをみんなで考えていければ、嬉しいです。

本当にありがとうございました。
普通の人
考えすぎ
福祉や児童に関する仕事につかれる方はいつも難しいことばかり…、と思うことが多々。おかしいと思ったら連絡、いいじゃないですか?身近で問題が起き、やっぱりあのときと思ってしまい、ずっと心に残るようなことはいやだな。
それと、すぐに全く文化の違う外国となぜ比べるのか、わからない。国家の背景が違えば物事の意味も全く違うものになるのでは?
確かに親との同居も少なくなり、小うるさい近所のオバサンも少なくなり、孤立する確率も高いのかもしれません。しかし昔と比べるのなら、広告叩きするよりももっと地域にできることがあるのではないかと…。
少しでも子供が泣くことにオドオドしてしまう…。それは訪問する側にも改善する余地がありますよね。
問題提起にはよいかと思いますが、ワンサイド意見にみえます、みえてしまいます。
自民党官公庁しっかり働け
ふざけんな。厚労省。
つまりは、匿名で嫌がらせのために虐待だ、と通報しても良い、とも読めるポスターだと。それに関しては罰則もなく、単に通報だけで良い、と。バカバカしい。厚労省はクズですな。
アフロ
Facebookから記事を見つけ、拝見させていただきました。
私は乳児院で保育士として働いています。
まさに、乳児院にこのポスターが貼ってあります。
じっくり見てなかったです。
改めて考えさせられました。もう一度じっくりポスターを見て考えたいと思います。

ありがとうございました。
Lieruck
コメントのやりとりを眺めて
まず、エントリーの内容そのものに対するコメントではありませんので、差し障りがありましたら、削除願います。
当事者目線、大事です。
しかしながら、当事者だからこそ、同様の別事例に考えが及ばない事は多々あります。経験があるがゆえに、経験を外れた想定が出来ない。
Dr.keiさんを含め、ここに書き込まれた皆様のご意見は、どれも正しさを持っていると思います(正義ではなく、正確)。
最も重要なのは、自身の主張・思想にそぐわない意見を誤りだとするのではなく、「受容はできかねても許容はする」姿勢じゃないかと思います。「あなたのその考えを受け入れる事は出来ない。けれども、あなたがその考えを持つ事は受け入れましょう」という感じです。何だか上から目線に受け取れる書き方になって申し訳ありませんが。
ともあれ、様々な立場の方のご意見を拝見できて、大変勉強になりました。
わが家では、じきに里子の受け入れが始まります。まずは短期からですが、その子に寄り添う生き方ができればと思います。
turbo
祖父の言葉
最近では家庭を持つ資格のない人が家庭を持っているとしか思えません
祖父の言葉ですが、所帯も満足に出来ない人間に結婚する資格はないと言っていました。私も同感です。
だから私は結婚をしていませんし、今のところ子供を持つつもりもありません。私のような人間に子育てをする資格はありませんから。
この意見を読んでいて親を甘やかしすぎていると思います。子供を育てるというのは命を繋ぐ大切な行為です。それを分かっていないバカに親を名乗る資格はありません。子を産んだだけでは親とは言えません。
そのような親以下の畜生のもとで育てられるのなら施設で育てられる方が子供にとって幸せです。
もし虐待してしまう不安があれば子供を産まないか、産んでも育てなければいいのです。
子育てを軽く考えすぎです。
Unknown
当事者目線のことも大事かもしれませんが、ブログに書かれているような、悪者扱い、という視線で作られたものでないことは確かです。むしろブログを書いている本人や、ポスターをみている本人に虐待する親=悪者、という意識が内在しているから、このポスターに違和感を感じるのではないでしょうか?むしろ虐待を通報するということにためらわず、リスクの高い家庭の情報の窓口を開けておきますよ、というシンプルな意味です。それから厚労省の管轄枠組み云々とこのポスターの趣旨は関係ないですよね。縦割り行政の枠組み化をすすめると児童虐待対策なんて、ただ紙に書いた餅です。だからこそ、厚労省と内閣府が行う価値がある。上から目線だけでの意見ではないし、さらに、もっと何をしているのかを研究していただいてから、ブログに書いて欲しいものです。
としとし
どちらとも
皆さんのコメントを拝読させて頂きました。
様々な社会的問題にたいしては多角的な視点が必要だと感じました!
私自身が虐待をの加害者、被害者にもなったことはありません、私の周りであったのかも知れませんが関わったこともありません!
正直、何も分かりませんが、客観的にみればどちらとも必要だと感じました。
主観的になると、視野が狭くなり極論になりがちなので、ただそれも貴重な情報ですね!
kei
匿名さん

コメントありがとうございます。介護施設での虐待もまた、これからの僕たちの社会の大きな問題となっていくと思います。どうやって防げばよいのか。

親や親族からの虐待とは別に、「労働環境の改善」も喫緊と課題となるかと思われます。

虐待を未然に防ぐ枠組みをどうやって作っていくか。上の問題も、また施設内虐待の問題も、そこにかかっているのではないでしょうか。

その根本には、「暴力では何も解決しない」、という思想?の徹底しかないように思います。

これからも皆で考え、議論し、深めていかなければならない大きな問題ですよね。

コメントありがとうございました。
匿名
仰るとおりです
私は介護施設に勤務していましたが、度重なる虐待。そのたびに行政に通報しましたが、覗きに来ただけで、虐待傷提出、証言も数名でしましたが、結局何もしてくれませんでした。何の罪もない高齢者さんが毎日虐待を受け続け、何度も行政に出向いて訴えましたが「虐待も不正も調査しましたが、ありませんでした」で終わりでした。何度も虐待されて、そのたびに写メを撮り提出したのに虐待は、ありませんでしたって。税金が、職務全うしない人達に流れていくのですね。救えなかった命、力不足で申し訳ないです。
kei
拉致執行妨害さん

コメントありがとうございます。話の内容から、ずいぶんとこの話についてお詳しい方なのかな、と思いました。

この記事は、既にご察しの通り、痛烈な批判を受けました。「炎上記事」とも言われました。(削除したコメントの中には、とても辛辣なものも多々ありました)

それほど、「虐待する親へのバッシング」は相当のものだと教えられました。

拉致執行妨害さんが仰るように、児童相談所を含め、児童福祉、あるいは母子福祉を解体して、リセットするべきだと思います。

ただ、その道はとても険しく、法の改正を含め、相当の努力が必要かと思われます。

また、お知恵を頂ければ幸いです。

コメントありがとうございました。
拉致執行妨害
児相怠慢
コメ数が多く被っているかもしれませんが、厚労省も児相も、親なんて「袋叩き」が基本ですよ(笑)。ネット社会でも「子供の為に……」なんてフレーズ付けて、親を叩けば支持率がグンと上がるワケです。

シッターズ事件だって、一番悪いのはハンネを次々変えて2歳の男の子を殺した奴なのに、何故か世論は母親でしたよね。でも、私は、ハンネだけで無責任にセックスしちゃう大人がゴマンをいる社会にも問題あると思うんです。

日本の画一的な「長い者に巻かれろ」という価値観は、メンタルにも孤独な虐待親には適さず、私も主様同様に、個々のカウンセリングが必要だと考えますが、平穏無事に出世することしか考えていないような公務員や、票取り第一に励む議員に、何を期待しても無駄です。

なお、児相に関しては他でも色々とコメントしていますが、個人的には、一旦、解体してリセットするのがベターだと考えています。
kei
???さん

コメントありがとうございます。とてもよく勉強されているのが伝わってきました。

「自分の親、配偶者、配偶者の親からのプレッシャー、仕事のプレッシャー」、「自分の子供の人権というものを理解できない」、「出世のため、職場や外ではできるだけいい顔をしていたい、弱みを見せたくない、見栄のようなものがある、周りから何かを頼まれたらなかなか断れず、引き受けてしまう、嘘をついてうまく乗り切った者勝ちだと思っているから嘘を言うのは平気」…

そういう親に対して、「通報」以外に、何かできることはないか、と考えることもできると思います。

それと、上にも何度も書きましたが、「通報」と「相談」を同時に、しかも通報メインでポスターが作られていることに、違和感を覚えるのです。通報の呼びかけだけなら、僕もなにもここまで異議を唱えたりはしませんよ。

さやかさん

ありがとうございます。ブログも拝見いたしました。「虐待する心の仕組み」、是非どこかで発表していただきたいです。上で、当事者のことを一部批判的に書きましたが、その一方で、当事者だからできることもたくさんあると思います。ご活躍を祈念いたします!

Unknownさん

書き方は本当に難しいです。いつもはもっとソフトなのですが、今回は少し批判的に書きました。皮肉なもので、ソフトに書いても、誰にも読まれず、批判的に書くと、多くの人に読んでもらえる、ということも学びました。今回は、Unknownさんがご指摘されたように、あまりよい書き方ではなかったかもしれません。ですが、皮肉なことに、それゆえに、多くの人に読まれました。変な話です。

ただ、この記事は、公刊される書物の原稿ではなく、ブログ(開かれた個人の日記)ですので、こういう書き方でもありなのかな、とも少し思います。また、このコメントには批判的な意見も集まりましたが、想像以上に、はっとしてくださった方も多くいました。これも皮肉ですが、実感として、「こういう記事の方が読まれるんだ」、と感じています。

ご意見ありがとうございました。
Unknown
なんで、そんなに厚生労働省・内閣府のポスターが間違っているって言い切れるのかが私にはわかりません。

子供が虐待されている時に、隣人が匿名でも何でも通報できる環境にも、考えたくはないですが、通報がなければ、明日親に殺されてしまうかもしれない子供が助かるといったこともあるでしょうし。
これはこれで、私には、必要なことに思えます。いらないんだっておっしゃるんだったらそれまでですが・・・

おっしゃるような、両親に訴えかけるポスターは、根本的な原因を改善すると行ったような意味でも大事だと思います。

前者を批判するんじゃなくて、後者の観点が抜けてるから、政府は、両親を助けるような仕組みを作るべきであるといった、ポジティブな話をするんじゃないですかね?

例えば、ここで予算の都合といった条件が出てきた時に、初めてどちらを取捨選択すべきかという話がでてくるとおもいますが、そこで必要になるのは判断の助けになるデータなんではないでしょうか?

ドイツではこうだから~
といわれても・・・正直・・・
私も今海外在住ですが、見習うことも多々ありますが、日本の方が良いと思うことも多々ありますよ。
ドイツでは虐待は非常にすくないんでしょうか?ドイツのポスターを貼るようになって、劇的に効果があったんでしょうか?

確かに、記事の内容は非常に鋭い観点で、なるほどと思わせるものですが、逆に、人にそう思わせるだけに、物事の二面性を無視して、一方だけが100%正しいと思わせるような書き方をするのはやめた方がいいんじゃないでしょうかと思います。

前半のポスターの批判、本当に必要でしたか?そして、その批判が正しいと思いますか?手法として、政府は間違っているというと、非常にキャッチーですけどね。

全般的に非常に良い観点の記事だな~と思うものの、批判にも、その後のドイツのポスターの紹介も一理あるな~と思うけど、そこまで言い切れるほどじゃないだろ(物証もないだろ)というのが個人的な感想です。
さやか
スッキリしました
初めまして。
Facebookのシェアからきました。
素晴らしい記事に心がスッキリしました。

私の母も私も被虐待児で、そして
自ら虐待をする母となりました。

苦しんで苦しんで今、虐待する心の仕組みが
わかってきて、今は虐待をすることもなく
虐待をした母を責めることもなく
虐待をしてしまうお母さんを助ける活動をスタートしました。
もし、よろしければ読んでください。

http://s.ameblo.jp/sugar-sun38/entry-11939055772.html


わたしには専門的な知識はありません。
しかし、私は親に頭から地を流さされたことは何度もあり、そんな母も自分の義父からレイプサれていました。
知識はありませんが、それでも、幸せに子育ては出来ています。母を憎むこともありません。

なぜなら虐待のうらには必ず愛があるとわかったからです。私はそう気づいて幸せになりました。
その想いは押し付けるつもりはありませんが、私の経験は話していきたいと思います。


応援しています。

???
???
私の経験から述べさせてもらいます。
虐待をする親には人格障害を持った人間がいます。
人格障害を持った者は、自身の問題に自覚がない、あるいはあったとしても精神科に自ら出向くようなこともしません。もちろん、子供にとっては親と関係を改善することが一番でした。しかし、いったんこのような障害を持った人間を本当に根本から治療して仮に楽観的に考えて、改善すると考えたとしましょう。しかし、現実には、残念ながらそれをするには、かなりの時間、費用がかかります。子供なんて養っている場合ではなくなるでしょう。それが私が子供のときから悩みぬき、考えた結果、至った境地です。

虐待せざるを得ないほど追い詰めれた親、って、何に追い詰められているとおっしゃりたいんですか?あなたはどう思っているのか知りませんが、私が親についての経験から考えると、自分の親、配偶者、配偶者の親からのプレッシャー、仕事のプレッシャーがあったように思います。単に子供に対するしつけの気持ちや怒りであることはありません。ではなぜ子供に暴力を振るうのか。それはその親が自分の子供の人権というものを理解できない人間だったからでした。子供には人権など与える必要はない、自分の稼いだお金を使わせて足手まといになっている邪魔者だから。そして子供を作ったのは、周りからのプレッシャーがあったからだけ。私の知る虐待する親とは、出世のため、職場や外ではできるだけいい顔をしていたい、弱みを見せたくない、見栄のようなものがある、周りから何かを頼まれたらなかなか断れず、引き受けてしまう、嘘をついてうまく乗り切った者勝ちだと思っているから嘘を言うのは平気、子供は知能が発達していないから大人よりもっと簡単に騙せる、子供に暴力を働いても子供が大きな仕返しなどできないはずだし、所詮何をされたかなんて理解すらできない、そして子供は自分のお金と自由を奪う悪、と思っています。社会を最も畏れ、社会から受けたプレッシャーに対するストレスや怒りをぶつけても最も仕返しが来ないだろうと安心する子供にぶつけているのです。私の知っているタイプの人間で考えると、ここまでに社会を畏れる人間が、家族の外の社会に属する人間に自ら相談するとはとても思えません。そんなものに相談するのは馬鹿のすること、落ちぶれた者のすることだ、と思っていますよ。だいたい、子供との関係、うんぬんなんてことは眼中にありません。できるだけ邪魔な子供のことには時間なんて割きたくないのですから。

虐待をしてしまう親に呼びかけることを目的としたポスターで効果が期待できるのは、実際に虐待をする人間ではなく、虐待しちゃったらどうしよう、という不安症の方々だけが多くを占めるのではないか、と思ってしまいますが。または子供の人権に対する考えは持っているいるものの、いずれ親にはなりたかったけれども、予想外の妊娠で親となるまだ準備は整っていなかったような人ですね。

私には虐待を厳しくとらえて通報を目的とするポスターは必要だと思えてなりません。暴力は暴力です。理由が何であれ、正当化されるべきではありません。私はそれぐらいの強い意志でもって私は虐待の問題に取り組む必要があるのではないかと思います。

例えば、A国がB国に戦争をしかけている。A国がしたくもない戦争をするほどまでに追い詰められている。そこで、私は、C国として、そんな苦しい思いをしてきたA国を理解し、手を差し伸べてあげる必要があるのでは、なんて社会の人に呼びかけることなんてとてもできません。しかし、私にはそれに似たものをこの記事から感じてしまうのです。

Fumiko
ケチと理屈と軟膏は何処にでも付く
ポスターの目的が何なのかという問題じゃありませんか。このポスターの目的は観る人に身近にある虐待に気付いたら通報するよう促すことで、出産や育児に援助の必要な女性に手を差し伸べることではないでしょう。オランダには両方ありますよ、通報を促すポスターと望まない妊娠やいろいろな理由で育児のできない母親への援助に関する情報を広報するポスター。
kei
いけぶさん

コメントありがとうございます。

このご意見には、「納得」しました。「なるほど!」、と思いました。

日本人は「告げ口」が得意だから、その点を考慮して、「通報」というかたちで、いわば「相互監視的」に、虐待を抑止していく、と。

もし厚生労働省がそこまで考慮したうえで、このポスターを作っているとしたら、僕は反論できません。

日本人には相談は無理、と。


ただ、僕は「教育」という観点で、この問題を考えています。

「相談できない人」を、「相談できる人」にしたい、という願いがあります。苦しいときに、歯を食いしばるのではなく、「助けて!」といえる人間にしたい、という願いがあります。

「自己」、「個人」がないのが日本人の特徴かもしれません。けれど、日本人でも、強く生きている人は、「自己」、「個人」をもっています。

「助けて」と叫べる人間は強いです。

日本人のみんなが、苦しみを自分ひとりで抱えるのではなく、公に叫べるようになってもらいたいのです。

そういう点から考えると、「相談は無理」と、決めつけないで、「相談しよう!」と呼びかけたくなるのです。

(それとは別に、相談者のレベルの問題もあります。相談の理論的・実践的問題として。これは学術的な問題なので、ここでは触れません)


貴重なご意見ありがとうございました。
いけぶ
日本人
日本人
外国人とはだいぶ違うよ

日本人の親向けにだしても相談しないんじゃないかな?
恥を意識する人種だしね

逆に告げ口は得意
特に匿名でね

理想は親から断絶だけど、日本人というワクチンで考えるたら難しいかもね
Unknown
夜中、隣の子供が異常なくらいなき叫ぼうと、何もしない隣人。
コミュニケーションが希薄な共同体。
その中で、このポスターが防げる事故も、あったかも知れません。
ポスターそのものは、あって良いと思います。

虐待する側の親が苦しいというのも、分かります。その目線でも、ポスターやフォローする体制が作っていければ、良いですね。

全否定というものの書き方は、たとえそれが正しくても、人の心に響きません。
本文とコメントを読ませて頂いて、そう感じました。
若造
誤解を生むようなポスターは確かにできの悪いポスターでしょうが、ポスターのいととして「子どものことを見て見ぬ振りせず、社会地域で考えてよくしていきましょう」って意味だと思うのですが?それがそんなにおかしいとは思わないです。

あと、主観でものをいうと一番大切なのは「親の精神状態」ではなく「子どもの命」だと思います。
Unknown
あなたの「予防」が大事はわかりました。でも、「通報」も一つの方法とも思うのなら、その告知ポスターについて、揚げ足とりみたいな安易な批判はやめてほしい。この「通報」するシステムは必要なんです。あなたもそれはわかっているのですよね。なのに、この安易な親目線の視点からのいちゃもんが、せっかくの「通報義務」の機運に水を差しているのです。実際、シェアしている人たちの反応をみてください。地方のおばさん議員や幸せ母親たちが、「親に愛情がないわねぇ」とか言い出すんです。で、また通報する勇気を削いでる現実。誤報したら悪いわねという声。あの文月メイの「ママ」を思い出しました。前のコメントで「正義感ではなく批判です」と言っていますが、「正義感」という皮肉にあなたは気付いていない。
あなたの嫌いな厚生労働省が、「予防」のために親目線のあなた好みのCMも作っています。
この人のこうした意見も参考にしたらいかがですか。あなたも「正しい人」の臭いがブンブンします。
://createmedia.blog67.fc2.com/blog-entry-190.html
因みに、ドイツもいいですが、フランスもお調べになったらいかがですか?フランスは絶対「通報」重視です。

ブンブン
できる予防の第一歩
子供が叫んでいたら・・・が「できる予防」の第一歩でしょう。
少なくとも今までことさら関心を示していない方々にとってはとても大事なことでしょう。

「その時なにをする」では遅いのです・・・は一歩先、いや数歩先を進んでいるごく一部の方から見ればそう思うでしょう。でも、どんな場合でも、遅すぎる・・・はありません。
交通事故の現場で倒れている人を見て「そもそもの原因は君がね・・・」。
火事現場に遭遇して、通報しないで「火を消す前にライターの管理を・・・」と考える人がいないのと同じであのポスターはそれを訴えたいのだと思います。

ポスターから始まった議論。多岐にわたる内容を読ませていただきました。 
かかし
正しいけど
出来る予防ってなんだろう?なんか腑に落ちないのは通報する前にやれる事があるからと、通報システムを否定するのが分からない。全ての人を救うのは無理なんだからそこからこぼれ落ちたケースに対して通報があるんでは?もちろん理想は100%救うことだけど現実はそういかない。救う事に力をもっと入れろ、なら分かるけどポスター否定はしなくてもいいんでは?しかも管轄が良くないって政治的過ぎる。子に愛情が注げるようにするのは素晴らしいけど、現実問題それがどうしても出来ない人達も一定数いるんだから。議論が出尽くしてから正論を語るのは違う気がします。仰ってる正論は皆の大前提ですよ。
kei
ブンブンさん

コメントありがとうございます。

色々と思うことはあるのですが、一言だけ言わせて下さい。

このコメント欄にもありますが、虐待を受けた人は、受けていない人の想像をはるかに超える経験をされており、また、それを乗り越えることが極めて難しい、ということを伝えてくれています。

僕は、それを「叫び」として受け止めようとしてます。もちろん受け止めきれるものではありません。(僕は一言も、「あなたの気持ちが分かる」とは言っていません)

いわゆる虐待する親も、その過去を見ていくと、想像を絶する経験をしています。(たとえば、杉山春さんの『ネグレクト』等を読むと分かると思います)

僕が望むのは、そういう経験を根絶することです。これは、児童憲章の理念に合致しています。

「児童は、人として尊ばれる」
「児童は、よい環境の中で育てられる」

すべての子どもが人として尊ばれ、よい環境の中で育てられるように、関係者は尽力しています。

それを実現するためには、虐待される前に、なんとか、親を支えなければいけないのです。

きちんと子育てをしている人であれば、分かると思います。子どもにとって最も幸せな時間は、自分を一番愛してくれる人のそばにいることです。

やむを得ず、特別養子縁組に踏み切らなければいけない親というのもいます。また、やむを得ず赤ちゃんポストを使わざるを得ない親もいます。SOS子どもの村で育つ子どももいます。

それはそれで、どうしようもない事情ゆえのことです。

問題はその先です。親の下にいながら、親からの愛情を得ることのできない子どもをどう支えるか。

通報は、一つの方法でしょう。

けれど、その前にできることはあるはずです。親がしっかりと子どもと向き合い、関係を築き、大切にできれば、その子どもは、のちに苦しまないですみます。人生に苦しみはつきものですが、幼少期の苦しみは、なくすことはできるはずです。

親に愛されて、それを苦痛に思う子どもはいません(過剰な愛は問題ですが、ここでは割愛します)。

何万回、キスをしても、喜んでくれます。何万回、「好きだよ」と言っても、喜んでくれます。子どもは、どれだけ親に愛されても、それを「ウザい」とは思いません。

猛烈に愛されることで、自尊心を育んでいきます。「僕はパパとママに愛されている。だから、僕はこの世に存在する価値があるんだ」、と思うようになります。これが、エリクソンのいう「基本的信頼」だと思います。

僕が、すべての子どもに望むのは、この一点に尽きます。すべての子どもが、愛されて育つ権利をもっています。

それを実現するためには、虐待されてからの通報による保護では、遅すぎるのです。

虐待される以前に、支援が親に行きとどき、そして、親が子どもをしっかり専心(ケアリングの基本概念です)して、十分な愛情を子どもに注げるようにする必要があるのです。

だから、このコメントで、「通報」も「予防」も大事、という意見も多々ありましたが、僕の考えでは、予防こそが大切なのです。

殴られたり、けられたり、無視されたり、胸をえぐる言葉を投げかけたりする経験は、ずっとずっと引きずっていきます。心の傷となって、ずっと残ります。

そんな傷を、子どもに与えてはいけないのです。

とすれば、親がきちんと親としてその責任を果たせるように、支援を強く呼びかける必要があるんです。

今回の僕のメッセージは、それに尽きます。

虐待を受けた子どもの保護(=通報)以前に、子どもが虐待を受けないようにするために、もっと親に呼び掛ける言葉を叫んでくれ、と。それは、できるだろう、と。

電車やバスの中でもいい。デパートやスーパーでもいい。親が虐待してしまう前に、つながりをつくることを呼びかける努力をすべきだろう、と。

虐待する親は、ほぼ社会的に孤立しています。相談できるような友人や知人もいない場合がほとんどです。

孤立無援なのです。もちろん夫婦関係もボロボロであることがほとんどです。離婚、再婚家庭で起こることもしばしばです。

とすれば、まずは、できる予防を徹底する、ということが求められます。

分かってもらえるか分かりませんが、「その時何をする」では、遅いのです。

その前に、やるべきことが行政・社会にはあるはずなんです。

そのことを、この記事で、訴えたんです。


このコメントは、ブンブンさんだけではなく、すべての人に読んでもらいたいです。


長々とすみませんでした。

Unknown
当事者という脅し
前にもちょっと書きましたが妻による子への虐待をきっかけに家族がボロボロになった者です。最初にあるように虐待をする親を救わなければならないのも確かに事実だと思います。でも優先順位としては虐待されてる子供。まずは分離と保護。そしてそこには沢山の人達が関わります。虐待とは縁もゆかりもない人生を送ってきた人達も沢山います。僕も含めそういう人達が言われて悲しいのは「やられた者にしか分からないんだよ」という言葉。それは確かにそうかもしれませんが、それを言ってしまっては、、僕も何百回と言われました。そんな時に凄く無力感を感じます。少し落ち着いて、皆の目標は同じだと言うことを理解し、被害者と援助者の距離を遠くしない事も大事かと思います。でも子にはどんな親であろうと必要、とは思いません。
ブンブン
その時何する?
昨日の新聞。
御嶽山の噴火に遭遇した方。退避して、寒がっている隣にいた子供に自分の着ていたジャケットを着せてあげたと。二人とも亡くなったとの事。「その時できることをしたまで・・・。誰でもそうしたでしょう」とその方の親御さんの言葉。
子供の泣き叫ぶ声が聞こえたら、とっさに何をしますか?
このポスターはそれを伝えたく、行動を起こしてもらいたくて書かれたものと思っています。

何も考えなくていい。まずはそこからスタートです・・・。

管轄がどうだとかいろいろ議論されてますが、ポスターの伝えたいこととは次元が違うと思います。

今子供が泣き叫んでいる。その時とっさにあなたができることを喚起しているだけなんだと思います。

それから後は専門の方がすること、考えることです。
kei
はるさん

コメントありがとうございます。

この問題は、そんなに簡単に「ポジティブな結論」がでるような問題ではない、と思います。

議論もかみ合っていない部分もたくさんあります。

でも、それでいいんです。

ここまで、それぞれの立場から、(僕も含めて)ぎりぎりのところで、語っている場所ってあるのでしょうか。

書店にいけば、虐待の本はいくらでも出ています。けれど、ここまでつっこんだ議論をしている本は見たことがありません。

立場上、それこそ100冊以上の虐待関連の本を読んでいます。どれも、よくまとまっています。けれど、そこに、ここで生じているような「激しさ」はありません。

ここで、僕に投げかけてくれている人の言葉は、僕だけへの言葉ではないと思っています。

僕という、それこそ「何でもない人間」を通じて、多くの人に投げかけている言葉だと思います。

今回のこの記事での僕の主張は、「厚生労働省のつくったポスターには問題がある」、ということだけです。

それが、色んな形で解釈されることを通じて、別のさまざまな問題が見えてきました。

このコメント欄を読んで、二度、三度と考えを変える人もたくさんいました。

僕自身も、何度も、激しく心を揺さぶられました。

そういう「対話」こそが、実は一番大切なのではないか、と、今、痛烈に感じています。

まとまりませんが、お返事させていただきました。ありがとうございます。

kei
そういうことですね。

あなたは、あなたのやり方で、一人でも多くの人に手をさしのべてください。それを必要としている人はいます。

僕は、僕のやり方で、少しでも世の中に貢献できるように頑張ります。

今回のあなたとのやり取りで、分かったことがあります。

「被害者」と「弱者」は、決定的に違う、ということです。「する側」と「される側」とするから、話がおかしくなるんだ、と。

あなたにはあなたの「正義」があります。「被害者を守る」、と。

けれど、僕にも僕の「正義」があります。「被害者」を減らすため、出さないために、「弱者を守る」、と。


きっと、僕が何を言っても、あなたには届かないのでしょう。それでよいです。

あなたがどのような立場にある人で、どのような人なのかは分かりませんが、あなたも、人の力になりたいと願っている人だと強く感じます。

僕も僕で、自分にできることを探しています。

僕とあなたがたとえ分かりあえなくても、同じく、誰か他者のために生きていこうとしている、という部分で、重なり合っていると思います。

分かりあう必要なんてないんです。

けれど、分かり合おうとする努力はできます。あなたは、「自分が親なんていらないと思うまでにたいへんだったから」と書いてくれました。そして、「あなたが虐待されたのは親に都合があったからだなんて言われたくないんだ」、とも書いてくれました。

そういうことなんだ、と僕は思いました。あなたの「叫び」は、僕に届きました。

けれど、あなたはきっとそれでも、「オマエはわかってねーよ」、と言うのでしょうね。

それでよいです。

あなたは「治療」「防止」に取り組むのでしょう。それはとても大切なことだと思います。

僕は「予防」に取り組みます。

どちらも必要なことだと思います。

本当に、貴重なご意見ありがとうございます。
はる
議論について
初めまして。
どうしても気になってコメント書き込んでいます。
文章では伝わりづらい点が多く、限界がある中で、
失礼な表現がありましたら申し訳ありません。

私はブログの記事については、違う意見ではありますが、それはそれぞれの立場考えの中でのことだと思っています。
ただどうしても気になるのが、このコメントの議論を管理者さんがどう思っていらっしゃるか、ということです。
これも私の1意見ですので、それをもって批判としたい訳ではないのですが、私自身はこのコメント欄にあふれる意見を「良い場」とは思えません。
それはコメントを書く方々が人によっては強く傷ついているように見えるからです。議論、良い場であるならば、その後には何らかポジティブな変容が見えるようにするべきではないかと思います。
傷つくことも時には有効であろうし、人の心を揺さぶる文言も必要なときもあるだろうとは思います。
しかし結果としては、ポジティブな思いで終わっていないことは、プロセスとしては改善の余地があるのではないかと思います。

この私自身の文章も気をつけたつもりですが、それでも誰かにネガティブな感情を残してしまったのなら申し訳なく思います。

以上です。つたない文章失礼しました。
バカと言った自分
絶望する
ある程度予想はしていたけれど、これまでとは・・
ほんと、つらくなる。
A子さんの気持ちがわかるよ。
やっぱりあなたに虐待された子の気持ちはわからない。
わかろうともしていないし。
せいぜいオツム花畑の主婦や学生の前で、あなたの学とやらに基づいたデーターのもと、親も苦しんでいるんですと言い続けなさい。
その間、子供が「おかあさん、なぜ」と呼びながら殺されていくよ。
何も、虐待児が毒親を応援するからダメとか言って敵味方のようなことを言っているわけではないからね。
ましてや、毒親のサポートなんかいらないといっているのでもないから。
それは、強姦犯だってサポートはいるよ。
でも子は親が必要。親がいないと犯罪者にもなりかねないような(麻薬に走る)みたいな言い方、子はいつも親を待っているような言い方、あなたも教育者なら簡単に言ってはいけないよ。

根拠?
それは自分がそうだから。自分が親なんていらないと思うまでにたいへんだったから。でもそれはかわいそうなんかじゃない。

本当にそんな想像力もないあなたに、あなたが虐待されたのは親に都合があったからだなんて言われたくないんだ。

通報!犯罪者として通報!
その人のその前や後のことは、また違うところでやってくれ!
kei
バカと言った自分さん(以後、自分さん、と呼ばせていただきます)

コメントありがとうございました。

①自分さんは、そういう根拠はない、とお思いですか? その根拠はどこにありますか? 僕は動物行動学、心理学、教育学等の見地から書きました。事例等は、国内外を問わず、膨大に蓄積されています。また、「親的存在の欠如」が「親を過剰に求める」ために、犯罪や依存に向かわしめる、というデータは、犯罪心理学の研究によってかなり証明されています。親しい警察官も、「親の欠如ゆえに、それを求めて(あるいはその代償的存在を求めて)、犯罪やドラッグに手を出す」、と経験的に指摘していました。また、「親自身の生き方が変わり、子どもに向き合う結果、そういう犯罪や依存から抜け出せる」、ということも指摘していましたし、そういう事例はかなり多く報告されています。

②自分さんは、「弱者」をどのように取られておられますか? 僕は、ノーマライゼーションやインテグレーションやインクルージョン等の立場から、また伝統的な教育学的な立場から、この語を採用しています。この立場からすれば、「弱者」は叔父ということになります。「わたし」は弱者ではなくて、「被害者」となります(もちろん、日常的な意味において、叔父よりも身体的に力の弱い人間ではありますが、学的な意味での「弱者」にはならないと思われます。「弱者の支援」と「被害者の支援」は、似ている部分もあるとは思いますが、完全に同じとはいえないと思います。

③この点については、僕も「いない」とは申しておりません。「そうそういない」と申しただけです。変質か変質でないかの境目については、分かりません。教えていただけると幸いです。

以上です。

ありがとうございました。
バカと言った自分
では、表現を変えます。
先生様、質問があります。、

①先生様は「親から引き離されることを、そもそも望む子どもがいると思いますか? たとえどんなに酷い虐待を受けても、子どもはそれでも(意識的・無意識的に)「親」を求め、「親的存在」を必要とします。」

とお書きですが、虐待を受けても親を求めるというその根拠はどこにあるのですか?

また、「(実)親」を求めることと「親的存在」を必要とすることは同列に語られることではないように思いますがどう考えてらっしゃいますか?

②先生様は、その後に、「一番救わなければいけないのは、虐待してしまう親であり、ここで「加害者」と想定されている「弱者」です。」

とお書きですが、もしあなたが、親戚のおじさんに監禁され強姦されたとして、それでも一番救われなければならないのは強姦したおじさんで、おじさんは強姦されたあなたより弱者であると言えますか?

もし親とおじさんとは違うだろう。とおっしゃるなら何が違うのですか?親は「したくてしているわけじゃない」からですか。おじさんは「したくてしているから」ですか?

③先生様は「そんな「変質的な親」は、そうそういるものではありません。」とおっしゃいますが、今、虐待死している子の親は正に「そんな「変質的な親」なんじゃないですか。そしてこのポスターは、そんな「変質的な親」から子を守ろうとしているんじゃないでしょうか?そうそういるもんじゃなくても、いるんですよ。虐待親があなたの言う変質か変質じゃない境は、先生様はどこだというのですか。

先生様のご意見お聞かせください。
kei
先ほどからコメントを書いてくれている方へ

「バカ」、「アホ」といった言葉を書いているコメントは、「誹謗中傷」として、非公開にさせてもらっています。内容は決して悪くないのですが、管理者の判断で、公開を差し控えております。

どうぞ、人を誹謗する言葉を使わずに、どうどうと批判してください。批判は大歓迎ですので。
町田
途中で送ってしまったので
僕はあなたの意見を堂々と言えるその精神を大変尊敬致しております。

僕は日本の昔からある男尊女卑、男性が優勢に立つこの社会にうんざりしています。
このポスターにある虐待をしている人=悪
という書き方に怒りを感じます。

そりゃあ…子どもは守られる存在ですよ。
しかし、虐待をしている人は虐待をしなければいけないほどに追い込まれている。
真っ先に守らなければいけないのは追い込まれてしまっている人、虐待で言えば加害者の方ではないかと前々から思っておりました。

様々な意見がコメントに書かれておりますが、僕は日本が早く他の国々の所まで社会が追いつけば…と思います^ ^
kei
コメントをいただいた皆様。

本来であれば、一人ひとりの方にコメントをしたいのですが、あまりにも多く、また僕自身も仕事に忙殺されており、丁寧にお返事ができないことをお許しください。

皆様のコメント、すべて拝読して、色んな意味で心が震えました。賛否両論いろいろありました。厳しい意見もありましたし、同意してくださる人もいました。

「なるほど」と思う(批判的な)意見もあり、微妙にではありますが、記事そのものの内容も修正しています。その部分は、自分の言葉の足りなさを認めるものです。

まさか、ここまで多くの人の意見をいただけるとは思いませんでした。

それだけで、これを書いてよかったと思います。もちろん言葉は「ナイフ」になるものです。この記事を読んで、不快な気持ちになった人には心から申し訳なく思っていますし、この記事を読んで心を痛めた方も多数いました。

今回の記事で初めてこのブログを見た方は、とても「気持ち悪さ」を感じたと思います。ただ、僕の記事の内容は、ずっと僕がここで書いてきたことを、一枚のポスターの批判を通じて、(いつも通りに)述べさせてもらっただけです。なので、決して思いつきで書いたものでなければ、単なる感情的な怒りの表出から書いたものでもありません。

そうではなく、自分なりに問題提起をして、届くか分からない不特定多数の方に向けて、議論を求めたまでです。今回のこのような議論を、ネットでできたことに、僕は可能性を感じています。この問題は、僕たち「みんな」の課題です。なにも当事者や行政だけの話ではなく、この国に生きる全ての人の課題です。

誰が悪いとか、誰が正しいとかではなく、「これから何をどうやっていけばよいのか」、それを、行政まかせにするのではなく、僕ら一人一人が主体的にしっかりと考えていかなければなりません。上で、かかしさんは、「行動しろよ」と書いておられました。その通りだと思います。皆が、それぞれの立場で、考えて、行動する、それが大切だと思います。

ドイツでは、というとまた怒られそうですが、そのドイツでは、各々の立場の人が、率先して、自分たちの行動を起こしています。行政に頼るのではなく、自分たちで自分たちの問題を克服する、という強い自律的な意思を多くの人がもっています。

日本人も、これだけ多くの人が、言葉で、こうやって一つの問題を語ることができます。であれば、あとは、何をどうするか、です。

僕は一枚のポスターを通して、問題を提起しました。したのはそれだけです。この一連のやりとりを受けて、今後、どうやってこの問題にかかわっていくのかは、一人ひとりの問題となります。

自らの虐待経験をこの場で語ってくれた方もいました。心から敬意を表します。ありがとうございました。

その方々も、やがては「親」になり、「子」をもつことになるでしょう(絶対ではありませんが)。立場が変われば、見方も変わります。どんな過去があろうと、親になれば、子どもをきちんと育て上げる義務を負います。その義務は、子どもが成人を迎えるまでの20年、ずっと続きます。それは、どのような過去があろうと、全ての人にとって大変な仕事です。そういう意味で、皆が対等だと思います。

ですので、これで終わりにするのではなく、これからも、皆で、知恵を出し合って、よりよい子育て環境を創っていければ、と願っております。(厚生労働省の方に伝わったかどうかは分かりませんが、限りなくそこに近い数人の人に届いた、という確認は得ています)

「何を、キレイゴトを!」と思う方もいるかもしれません。確かにキレイゴトかもしれません。ですが、キレイゴトのない世界は、怖く恐ろしい世界でもあります。

以上、皆様のコメントを受けて、僕なりに考えたことを申し上げました。

こんな小さなブログの小さな記事を読んでくださり、感謝しています。

また、いくつか非公開にしてしまった記事もありますが、データとしては残っていますし、その意見も僕なりに受け止めるつもりです。お許しください。

kei
SK
私は最近、成り行きで児童虐待防止に関わる活動をすることになりました。そして、つい最近keiさんが批判をされているポスターとほぼ同じ内容の印刷物を作ってしまいました。。。

印刷物を作る過程で、私もkeiさんと同じように、「虐待を減らすには積極的に周りが通告すべき」ことへの啓発が重んじられていることに違和感を感じました。

しかし、仕事を進めるなかで、児童虐待に関する資料をたくさん読み、また、行政の方、虐待問題の撲滅に取り組む活動をされている方、虐待を受けてこられた方、児童養護施設の方、警察の方、いろいろな立場で虐待問題に取り組んでいらっしゃる方に話をお伺いし、考え方が変わりました。

児童虐待から起こる悲劇を減らすためには、大人が周りの子どもたちに関心を持つこと、虐待かも?と思ったときには通告することが非常に大切なことがわかり、keiさんが批判をされているのとほぼ同じ意図の印刷物を作ってしまった次第です。

でも、私なりに真摯に取り組んだ結果ですし、内容に後悔はしていません。
今回問題とされているポスターも恐らくですが、真面目に作られていると思いますよ。現場を見たわけでないので想像ですが。

私が最近仕上げた仕事をぼろっかすに言われたような気がして切なくなってしまったので書き込みました(笑)。

keiさんのおっしゃっていることもよくわかります。私の作ったものが「わかってねーなー」と言う気持ちにさせるものでありませんように!
ダンフ
考えさせられました。
記事拝見しました。
初めて親目線の意見を知り、ショックを受けています。
何の苦労もなく育てられ、また何の苦労もなく子育てをしてきた一般庶民の私に届くニュースは、何々県何とか市の何々ちゃん何才が亡くなり、死因は何とかで親がやったと…
そんなニュースを見る度に、この親に同じ事をしてやれ!と…どんなに苦しかったか!どんなに痛かったか!こいつにも同じ苦しみを与えてやればちょっとはわかるだろ!と思っていました。
この記事を読んだ今も思っています。
多分、私以外の多くの人はこんな考えではないのかな?と思います。
ただ、本当に虐待をしたくてしている親はいないとのご意見、全く気持ちは分かりませんが、これだけ多くの事件が相次ぐのは、
きっとそう言った原因があるんだろうな?と考えさせられました。
私に何ができるのかはわかりませんが、
もしまた、虐待の報道があり見てしまったとしても、もう少し冷静に見れる気がします。

ありがとうございました。

でもやはり私は、自分が死んでも子供は守る!
痛い思いはしていないか?困っていることはないか?と始終いらん心配をしているダメ親です。なぜ!自分の命よりも大切な子供に矛先をむけるのか?
理解できません…
Fliv
adla@albba.co
http://fliv.co.in
けれど、子供を「虐待」するような人間に、どんな立派な文句や写真を飾ろうが、所詮ぺらぺらのポスターごときで我に返って自ら電話相談するよう
Pちゃん
ところで・・・
このブログの内容を政府や厚労省へ直接申し立てしたのでしょうか? 

ブログで私たちへ知らせるよりも政府へ強く働きかけて、改善されたらブログで報告してくださったらいいと思います。



さるさ
いくら子供が親を求めても殺されてしまう結果になるのであれば、意味無くないですか?

親が無くても子は育ちます。

虐待をするほど追い詰められてる親を改善している間に最悪の事態になったらどうしますかね?また行政のせいですかね?

自分の経験から言わせて貰うと、糞みたいな親に育てられるくらいなら施設のほうが100倍マシでしたよ。
???
???
性善説もいいけれど、子供を「虐待」するような人間に、どんな立派な文句や写真を飾ろうが、所詮ぺらぺらのポスターごときで我に返って自ら電話相談するような素直な人間はいないと思いますよ。

いじめ問題で一番SOSを出しているのは加害者とかいう議論もありますけど、まさか、いじめ問題と同じレベルで論じていらっしゃるのではないでしょうね。
サバイバー
やめてくれ
このブログ主も虐待を病気に例えるその人もそうだけれど、虐待親は犯罪者だからね。
間違って通報されたらその親が傷つくとか。傷つく親はもうその時点でそんな可能性がきっとあるんだよ。

同じ例えるなら、誰か知らない女が子供ぶん殴ったり、監禁していると知ったらすぐ通報するでしょ。

やられてる子供にとったら、親も他人も同じですよ。でも、実際、親を庇ったりするのは、それ以外の世界をただ知らないから。生まれてからそういうすり込みが、あるだけ。

生まれたてのヒナが最初見たものについていくのと同じこと。

女子高生を、監禁強姦する人もその人なりの理由があるといえばありますよね。

だけど、こんな風に親にも親のって、なにを信じているのか。

家族ですか?母性でしょうか。血ってやつですか?

それは毒親のことを知らなさすぎ。

あんたの信じている親とは全く違うものと思ってください。

僕も親に殺されかけたけど、「お母ちゃん好き」と言っていました。

そして、そんな自分を思い返すだけで、死にたいぐらい恥じます。

生温わかったようなこの研究者とやら、お願いだから自分の生業に専念してください。あなたはわかっていない。

あと、このブログの場が公共の場じゃないというのなら、シェアとかさせないで。二万もこんなデマみたいなブログが広まってますます通報する人が減るかもと思うと本当にいやです。

隣で子供がガンガン泣いてたら、110番でいいです。間違ってもいいです。命を守るとは言わないまでも、親が冷静にもなったりします。
???
???
辛口になります。失礼を深くお詫び申し上げます。きっとこれを読まれても恐らくあなたには伝わらないだろうと思います。しかし、私のような経験をした人とつながりたくてこれを書いています。

私も子供の頃に虐待を受けました。あなたが書かれているような親への心配はとっくに子供のときに私もしました。親を気の毒に思い、必死で何があったのかを子供ながらに推測し、気持ちを理解しようとし、顔色を伺いながら気を使って、気を使って生きてきたんですよ。それでもああいう人たちは根本的に直りません。「虐待するほどに追いつめられている母親」??馬鹿にしないでください。だいたいそんなに自己コントロールできないような子供がどうして子供を産むんですか。子供を産むのは自己選択であり責任ですよ。「虐待」ですよ。ちょっと頭ゴツン、程度じゃないんですよ。こういう記事が世の中のちょっと子育てに疲れてブーたれたくなった甘ちゃんお母さまたちの共感を呼ぶんでしょうかねえ。苦笑してしまいます。どっちが子供なんでしょうかねえ。
ふみ
被虐待児にとって「虐待する親」は敵でしょうが、「虐待する親を支援する人」=「虐待する親」でもないし、「虐待する親を支援する人」が虐待そのものを容認しているわけではないですよね。
ですので、「虐待する親を支援する人」は被虐待児にとって敵というわけではないと思うのですけど、当事者にとってはそう簡単に切り分けができる問題ではないのでしょうね…。難しい。
やはり、虐待そのものをなくす(虐待に至る前に手を差し伸べる)支援の必要性を強く感じます。
Unknown
既に比喩表現が出ているようなので。

「病気になったら治療しよう」
「ちゃんと手術して、救える命を救おう」
「具合悪そうな人をみかけたら119(匿名で行えます)」
※救急車より緊急性が低くコストもそれなりに少なくできる手段でやってくるので、例えとしては質が悪い

というポスターを見て

「具合が悪いと思ったら病院に来てください、と小さく書いてあるだけだなんて…」
「健康診断とか、予防接種とか、病気を予防できる手段はいろいろあるのに啓蒙が少ない」
「好きで病気になる人なんていない、誰だって完治させたいはず」

と思い、炎上レベルの厳しい言葉で叫んたkeiさんと

「今目の前に死にかけている人がいる。大事なのは命」
「予防で100%防げるとでも思っているんですか」
「治らない病気だってある」

と既往の人、今病気である人、医療従事者が思っている

図(比喩)

どっちも間違ってない
杏仁水
↑の投稿の者です、名前を入れ忘れ匿名となってしまいました。
失礼しました。
Unknown
投稿もコメントも含めて、とても考えさせられました。
本当に色々な立場からの色々な意見があるのですね…
批判についても様々な意見がありましたが、批判による問題提起には間違いなく意義があると考えます。
社会全体で改善策を考えるきっかけとなったらと思います。
かかし
所詮、みんな口だけ、本気でそう思っているなら、行動しろよ。

みんな生きるので精いっぱいだから、仕方ないんじゃない?
Unknown
痴漢に対して「(加害者に)痴漢をやめましょう」だけではなく
「(被害者に)痴漢を訴える勇気を」「(隣人に)痴漢に困っている人に協力を」って言うようなもんでは?
悪いこととは思えない
Unknown
このポスターは、周りの人が気付けたのに…という惨事を減らすための「通報」側からの連絡を待っている、というだけでは?
物事の解決のために、多方面から多方面に呼びかけている。という事なのに鬼の首をとったように騒がなくても…
Unknown
全くそうですよね。
周りの人に通報を促す内容・・・
誤通報もありますよね
通報した方は「間違いで良かったわ」でしょう
通報を受けた方は「違うようで良かったです。近所の方はそのようにみていますよ。」となります
しかし、誤通報された方はなんともいえない気持ちでしょう。これからの育児にさえ自信をもてないでしょう。
一本の電話で助かる命もあれば傷つく両親がいるということまで考えてこのようなポスターを作って欲しいですね
名もなき市井の一私人
見事なご見識
国政への参加、お待ちしております。
tac
日本は日本のやり方
全て匿名で行えばいいというものではないでしょう。内容によりますが、緊急を要する場合ならどこかで身元を知らされないと親も子も救えないこともある。
ドイツなどの先進国(日本も先進国かもしれませんが)の例を引き合いに出されて、確かにそれはそれで素晴らしいものかもしれませんが、国民性があります。どういうアプローチの仕方が1番相談しやすいか、行動を起こしやすいか、ピンとくるか、それは国によって違うこともあると思います。「望まない妊婦ですか?」でしたっけ、インパクトはありますが私からすればこちらの方が断然冷たい物言いです。
虐待する親を悪者扱いする考えが根強いのなら、周り近所の目を頼りにすることも一つの方法だと思います。
どういう形であれ、知らせてさえもらえれば親のケアも出来るかもしれない、一時的に、あるいは永久的に親から引き離されたとしても子どもの命と将来は繋ぎ留められるかもしれない。虐待が起こるということ自体、親も子も地獄のようなことだと思いますが、なるべく早く兆候に気が付き、対応できるようにするための広告としては、これが精一杯のアプローチかなと私は思います。
厚生労働省の管轄というのも、じゃぁ他にどこの省がやるのか、新たに作るのか、それをやってる間に虐待死が増えていったら本末転倒だと思います。関連の薄い機関がやって、対応の仕方や仕事が素人かつ粗っぽくなっているなら問題ですが、捌き切れないほどの相談件数を受けている現状を見ればそれはないかもしれません。今ある日本では厚生省が妥当なんじゃないですか?
ポスターの赤ちゃんは…その赤ちゃん自身が虐待と関係ないことは見る側の国民も百も承知だと思いますが、あーそういえばあの家の赤ちゃんいつも泣いてるな、とか、思い出してもらうためのデザインなのかなぁ。この手のポスターのデザインはコロコロ変わるので、なるほど、これは感情に訴えられていいなと思うものもあります。
広告の仕方も相談体制も、改善の余地はあると思いますが、私はやっつけ感で広告しているとは受け取れません。日本は日本のやり方があっていいと思います。
kei
Mieさん

コメントありがとうございます。

内縁の親問題は、「再婚家庭問題」につながります。ドイツの話になってしまいますが、この再婚家庭(パッチワークファミリー)の出発時における課題が、かなりはっきりと提示されています。僕も、かつてそういう家庭の子どものための絵本を翻訳したのですが、どの出版社も取り合ってくれませんでした。
http://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/6e3d4eee147bea4ac0195c3dc5693d1e

今回のこの記事とコメントでの議論を通じて、個々それぞれの立場を超えて、「どうしたら親子が共に救われるのか」を考えていくことの大切さを学びました。

ただ、その道はとても険しいです。子どもの立場、親の立場、支援者の立場、一般の立場、行政の立場、さまざまな立場の人が、それぞれ「強い想い」をもっており、それぞれに「正義」があります。

誰かを守れば、誰かが傷つき、誰かを責めれば、また誰かが傷つき。

上にもありましたが、まずは子どもの「命」が最優先です。それに異論はありません。日本もしっかりやろうとしています。ただ、その命を守るためには、親が虐待をしてしまう前の「予防」をもっと徹底する必要があります。この点が抜け落ちている、と強く感じます。

それは教育かもしれませんし、ケアかもしれませんし、カウンセリングかもしれません。

そういう議論がもっと深まることを願っています。
kei
なぎささん

またのコメントありがとうございます。疑問点のみ。①ここはブログであり、学問の場ではないということ、②ブログは、支援の場ではなく、議論の場、と考えております。これだけたくさんの人からのご意見がいただけた、という意味でご理解いただければ、と思います。

通りすがりさん

ご意見ありがとうございます。仰せのとおりだと思います。なので、批判は批判として、受け止めたいと思っております。が、今回の僕の批判に対する批判にはなっておらず、批判の難しさを感じています。

かんなさん

長いコメントありがとうございます。しっかり拝読させていただきました。おおむね、同意します。が、最後の部分は同意できません。「正義感」ではなく、「批判」です。これは全くの別物です。それから、公共の場である前に、ここは個人のサイトです。一個人が個人のブログで意見を表明しただけです。公共的かもしれませんが、公共の場ではありません。これが他人が運営する公共のサイトであれば、問題かもしれませんが、この場所は10年間、僕個人が続けてきた言説の空間です。管理者も僕です。その点は指摘させて頂きます。それともう一点、現状の施設養護を是と見るか、非と見るかも、それぞれの立場に応じて異なってきます。「施設はいいところ」という意見もあれば、「施設なんて…」という(卒園生の)意見もあります。施設職員の中でも、双方の立場があると思います。それこそ、「いろいろ」ですよね。
Mie
難しいですね
虐待ゼロの世の中、
理想論だと言われても仕方がないです。
ですがいつの時代も何かを成し遂げよう
とするのに理想は必要だと私は思います。
それが限りなく夢に近くても。
ニュースで良く聞くのは
「内縁の親」による虐待。
内縁と言うと聞こえはまだ良くなりますが
要はただの恋人、同棲相手ですよね。
母親も一人の人間ですから新たに好きな人が
出来たり求めたりするのは仕方のないこと
だと思います。
ですが「母親になることの責任」や
「母親業の尊さ」を妊娠する前の女性、
結婚前の男性などにレクチャーすることも
多少は必要かと感じます。
大変意味のあるブログに対し浅はかなコメント
しか出来ませんが、
これからも理想を捨てずに頑張って活動されて
ください。
かんな
ちょっと違和感を覚えます…
児童福祉施設で働くものです。
普段、あなたの仰るところの、『親から引き離されてしまったかわいそうな子』たちと毎日過ごしています。

私は、A子さんのご意見に一番近いかな…
そりゃ、どうしようもない葛藤に苦しみ、精神をすり潰し、困窮して、やりたくもないのに子どもを心身共に痛めつける、虐待と社会から呼ばれる状態に陥って苦しむ親もいます。
でも、子どもなんてどうでも良くて、自分が楽しく男と遊ぶために、生まれるたびに子どもを施設にぽんぽん預ける母親もいます(そんな女を母親と呼称すること自体私は虫酸が走ります。同じ女として)
もちろん、自分も親からマルトリートメントを受けたために、子どもの愛し方そのものがわからないという人もいます。
また、生得的に能力に不得手なものがあり、愛情はあっても育児能力が足りない方もいます。

これだけではありませんが、本当にいろいろ、個々に様々な背景があるのです。

例えば同じマルトリートメントのために子どもの愛し方がわからない親御さんの場合でも、
自身が身体的虐待を受けたのか?
ネグレクトだったのか?
親が育児能力不足だったのか?
貧困家庭だったのか?
など…抱えている問題によって、支援の仕方は変わります。
ここでも様々なのです。

事実、施設と児相と関連機関が協力して、家庭を立て直して、家庭に戻すことができる子どももいれば、
子どもから逃げてきて、もうどうにもならなくて引き離し、そのまま自立を目指すケースもあります。
子どもの貯金目当てで引き取ろうとする親もいます。
一概に実親の元に帰ることが幸せの全てではないのです。子にとっても親にとっても。
また、距離をとっているからこそ良好な関係でいられる親子もいます。

個々の事例を挙げたらキリがありません。

主様のおっしゃりたいこともよくわかるのですが、たぶん、その決めつけるような口調が、この業界に関わる人間の反感を買うのではないでしょうか??
このポスターにしたって、「気付いたらためらわず連絡してね!」ってだけで、別に当事者の親を悪者にしてるようには私には見えません。
見方によってはそうも取れますけど、そこまで決定的ではないと思う…
心理学が専門なので、少々突っ込んだことで申し訳ないのですが、主様がそれほど過敏にこのポスターの文言に反応なさったということは、主様の中の琴線に触れるような何かがあったためなのでは?
主様自身の内的な問題や課題が、これほどの過敏反応をよんでいるように見えました。お気を悪くされたらごめんなさい。

とにかく、現状日本が育児に関わる支援やケアの制度で遅れまくっているということは、主様のおっしゃる通り、事実だと思います。
にも関わらず、施設より低予算だからと安易に里親制度を普及させようとしている無責任な行政であることも確かです。
そこはとても同意します。よくないことです。

でも…施設に連れて行かれることは不幸だーみたいに言われちゃうとね。
働いてる方は、日々なんのために頑張ってるのかなぁと、悲しくなっちゃうです。

子どもも、結構楽しくやってる子もいますよ?
帰りたがる子も、親の顔なんか見たくないって子も、いろいろです。
親も、こんな子どもはいらないって親や、子どもを児相に取られたって思ってる人も、いろいろです。

こういった、社会と当事者とが複雑に入り混じった問題、特にトラウマスティックな問題は、あまり断定口調で偏った正義感をもって語らない方がいいと思います。

ネットは、様々な人が目にするかもしれない、公共の場なんですよ??
通りすがり
うーん
厚生労働省を批判的に言うのは簡単。国のお役人とはいえ人間。誰しもが間違えた表現や言い方をする。批判するのではなく、どのような表現で、どれだけの人が救われるのか。前向きな意見を主張したほうがステキですよ。間違いを指摘するのは良いことです。厚生労働省に直接言いましょう。そして、対応が適切でなければ、声を大にすれば良いかと。批判する人間は必ず他者から批判されます。必ず批判から入りたがる人は少なくないですよね。僕もそうです。批判せず、上手に相手を納得させれたらステキですよね。
妻も被虐待児でかつ虐待加害者に。
うーん。
対人援助職の方のモチベーションの問題。例えば自分の正義や自己実現で対人援助をやれば失敗する。役所の所轄がどうのこうのはあまり重要でないと思う。「それでも子は親を必要とする」はアル中に置き換えてみて。例えは良くないかも知れないが泣きながら酒を欲している人に酒を飲ますわけにはいかない。こういう問題の大原則、それは自らの不幸を根拠として人を不幸にしてはいけないという事だ。そして僕が最も嫌いなのは動機が正しいのだからと人を傷つけても謝らない人。
なぎさ
お返事ありがとうございました
繰り返しになるかもしれませんが、おっしゃることの趣旨自体は理解できる部分が多々あります。その点についてはご理解頂きたく存じます。

しかし、「感情的なつもりはない」という点にはかなり疑問を感じます。社会的にある程度立場がある人間は、タイトルや語尾に多くの「!」をつけて主張をすることは通常しないからです。それは子どもやアマチュアの方法であり、その時点で扇情的と思われるても致し方ないと思われます。そして多くの人がそういった表現を好ましく感じないということも、同じく致し方ないと思われます。

>ただ、この「悪い書き方」をしたからこそ、多くの人に読んでもらえたと思っています。

この部分に関しても、非常に疑問を持ちます。そうとすれば露悪的な、いわば感情的な態度を取ったことを肯定している、いわば開き直っているということに他なりません。大袈裟な表現をすれば手っ取り早く読んでもらえる、という利点は確かにあるかもしれませんが、残念ながら所詮その程度と見限られる遠因にもなりかねません。また、そういったある意味独善的な姿勢があるからこそ、受け手によっては「上から目線」と感じられるのではないでしょうか。

keiさんの主張自体に相応に理解できる部分があるからこそ、はっきりお伝えすべきと思いました。今後のご活躍をお祈りしております。
Unknown
長すぎて、なにを言いたいのかよくわかりません。
人に訴えるのであれば、簡潔明瞭に表現することが大切でしょう。
また、問題意識を持つことは良いことですが、それだけでは意味が有りません。
行動が伴ってこそだと思います。
kei
補足

ゆえに、僕は、「当事者であること」に対して、あまり執着していないのです。

僕は、もともと「不登校研究」をやりたかったのですが、あまりにも自分に近すぎるので、やめました。挫折しました。

この不登校の問題と、今僕がやっている赤ちゃんポスト研究には、僕の中で、深いつながりがあります。

今回のこの記事の観点は、そういう色々な背景の中で、でてきたものです。決して、安易な気持ちで書いたわけではありません。

あなたの「戦う相手」は僕ではないはずです。これだけ美しい文章を書けるのだから。そのことだけはお伝えしておきます。
kei
A子さん

もうコメントはいただけないと思っていました。ありがとうございます。

伝わるかどうかは分かりませんが、最後に一つ聴いて下さい。

僕は、このブログでもすでに書いていますが、「不登校児」でした。その時のことは、誰にも話していません。これからも話しません。

だけど、僕は、人に対して、「不登校の気持ちを分かっていない!」とは絶対に言いません。経験していない人に分かるわけがないだけでなく、僕自身も、別の不登校児の気持ちは分からないからです。

それから、僕は「かつての不登校児」であり、「現在の不登校児」ではありません。

もちろん、過去の記憶のすべてが消え去ったわけではありません。時折、フラッシュバックします。でも、それはそれとして受け入れています。

A子さんと同じように、不登校についてあれこれ言われると、むかつきますし、えぐられます。けれど、誰かが語ってくれないと、問題は解決しません。

当事者の想いもとても大切ですが、当事者でない人が頑張ってくれているという事実も、僕は認めています。不登校児のために、頑張ってくれている人はたくさんいますし、そういう人を責めることはしません。たとえ、いじめっ子をかばうとしても。それはそれで、意味があるのだろう、と。

以上です。
A子
私が、あなたが嫌いなのではなく、怖いだけです。
あなたのこのブログでの無意識の言葉は、
虐待を受けたことのある人達の心をえぐっています。
あなたの文章で、どうして虐待をやめてもらえなかったのか、という事を思い出して怖いのです。
親は虐待をしているつもりはなかったんでしょうから、やめてもらえるはずがないんです。
このブログでの言葉と同じなのです。

それから
『僕は、「被虐待児」だからといって、幸せな未来がないとは全く思っていません。』
そんなのあたりまえです。
わざわざそんなことを書くこと自体が、失礼だと思います。

自分の言葉がどれだけの人を傷つけているか、考えてみてほしい。
まさまさ
非常に良い記事だと思いました
http://blog.livedoor.jp/info_business_jls/
シェアさせていただきます。

お役所(特に日本の)はお上的思考回路でいけない…
練馬
問題だとは思いませんでした。
そもそも、
強い立場のものが、
弱い立場のものを理不尽に苛めたりするのは、
簡単であり、道徳に反するのではと思いますが、
いつも何処でも有ること
パワハラと虐待は一緒ではと
そして見てみぬをするのは、それを行っている事と一緒であると。

だから、見つけたら、ノー と言えるようにしましょう!
kei
A子さん

先ほどのコメントは、削除ではなく、非公開にしました。僕には届きました。

が、個人的な誹謗中傷と受け取られ得るものなので、そうせざるを得ませんでした。

原則として、「反論」はOKですが、「個人攻撃」となるものは、申し訳ないですが、「削除」または「非公開」にしています。10年間そうしてきましたので。

それより、(余計なお世話なのは100%承知で)僕はあなたを心配します。きっと、僕のことを嫌悪していると思いますし、あなたのお力にはなれないでしょう。けれど、これからあなたがどう生きていくかは、あなたの問題だと思いますし、僕はあなたの未来を案じることしかできません。

一度、フランクルの『夜と霧』を読んでいただければ、と思います。僕は、「被虐待児」だからといって、幸せな未来がないとは全く思っていません。どう生きるか、どういう人生を生きていくかは、死ぬときまで、個人の自由に委ねられていると思います。

僕を嫌っても結構です。それでも、こうやってコメントをくださることに、心から敬意を表しますし、過去を乗り越えて、他人を憎むのではなく、愛する人間になっていただきたいと願うばかりです。

非公開にしたことをお許しください。
Unknown
親の気持ち…云々言ってる間に 子どもが死んじゃっちゃだめでしょ。
それとも 子どもが死なない程度に子どもに気晴らししますか?
気晴らしは子どもに向かって汁物ではありません。
苦しみや憎しみを子どもに向かって吐くものではありません。
子どもは親の所有物でもありません。
ろくでもない親からは引き離したほうが子どものためです。
だから 子どもを虐待する親は苦しみながら連鎖していくんでしょうよ。
真由美
うーん、ちょっと違うと思います。
初めまして。5歳と1歳の母です。
ポスターに対するご意見ですが、仰る事はよく分かりますが、そういった悩んだりつまづいたりしてる母親向けのポスターやメッセージも、ちゃんとありますよ。どこが出していたか定かではありませんが、妊娠、出産、育児をしている道中で必ず目にします。それは大々的に貼り出してなかったりしますが、ちゃんと母親たちの目に触れる所にあります。

ご指摘のポスターは、貴方様のような一般的や方が目にするように貼ってあり、目にした方が、『あ!そういえばあの子…』みたいなのに役立つんじゃないでしょうか。

私も、約一年前になりますが、訳があって躾として、長女を家から出した事があります。もちろん長女は爆泣き。近所の事などかまうわけもなく、ただひたすら玄関のドアを叩きながら『ごめんなさい。ごめんなさい」と。5分ほどして中に入れ、何故出されたのか…など、話をして終わりました。我が家ではごく自然な事でしたが、不自然に思われた近隣の方に通報されてしまい、3日後、児童相談所の方が訪ねて来られました。
経緯や育児について1時間ほど話をし、子供を見せて欲しいと保育園まで行って頂き、保育士さんの話や子供の様子を見て帰って行かれました。

私は虐待をする母親!?と、自分もびっくりしましたし、とんだ誤解だ!!と訴えたかったのですが、今の時代、この一本の電話で救われる命があるなら、この一連の作業は受け入れなければいけないと思いました。

このポスターをきっかけに救われる命があるなら、それがどんな所から出ていてもいいんじゃないかと思います。

母親本人はもちろん、周りのみんなで子供たちの命を守っていきましょう。
nao
同感です。
私も虐待された後の処理的なお役所仕事ではなく、虐待が起きる状況を減らす行政の努力が必要だと思います。(ドイツって素晴らしいんですね)一方的に親が悪い!と言っていてもなんの原因解決にも繋がらないので。親も苦しんでいる場合が多いと思います。
ひらやましょうこ
すみません…
原稿編集をしている途中で、送信されてしまうのでしょうか?
最後の投稿以外の消去をお願い致します。
不慣れで失礼いたしました。
ひらやましょうこ
難しい…☆です。
私も先月まで医療従事者として、二児の母親として…この問題に悩みました。
ただ今思うことは、責任追求をしていても、なにも変わらないのではないかと思うのです。
机上の論議では間に合わないと思うのです。
尊い命を守るのが先決だと思います。
過去に虐待の経験からくるのであれば、改善策を一緒に考えて下さるサポートシステムに頼ってていいのではないでしょうか。
子育ては母親一人ぼっちでするものだとも思えません。(ただし父親育ては一筋縄ではいかないことも覚悟してください)
うまれてくるこどもに責任はない…☆
これからの明るい未来を支えてくれるたからものだと思うのです。

もう誰も悪くない…そう思えたら気持ちが楽になりませんか?

あかちゃんは泣くのが仕事。
こどもたちは遊びのなかから社会性を身に付けていく→幼少期はうるさいのが普通なのでしょうか?
大人は自分達も通ったみち…☆と思い出してみてはどうでしょうか。
おとしよりは温かく見守ってくださると思います。
身近のかたに会釈すると…きっとやさしいことばがかえってくるのではないでしょうか。

すみませんゞ私自身もまだ子育て途中でして…
青少年の心がわかりません…☆
ただ、自身の息子たちは中高生のお兄様を尊敬し、大学生を羨ましく思っているようです。

子育ても虐待問題も家族も高齢化社会も…☆
皆さんのやさしさとつながり。
今できることを支援していくことで、改善されるのではないかなぁと思います。

私も医療従事者の一人として、支えられるように、mental強化に精進していこうと思ってます!
皆さまへ…ありがとうということばをおくります。
きっとやさしい気持ちになれますよ☆

長文にて失礼いたしました。
かもい
コメントを受けて
うまく伝わらなかったようで。。。私が言いたかったのは、論点がずれてるよってことです。
母親ケアも子どもを救うのも市民啓発も大事なはずです。母親ケアが足りないなら、そう書けばいいし、そう書いてある。とても勉強になりました。
なのに、それに加えて、厚労省じゃダメだ、上から目線、やっつけ仕事という言い方は、方法論の違いを認めず、しかもそのことで意見をぶつけるのではなく、「真剣度を批判」しちゃってるでしょ?
それがナンセンスだって言ってるんです。

厚労省のポスターは、待ったなしで子どもを救おうって趣旨。子ども目線、とにかく死なせるな。これ一番大事でしょ。それから市民目線。これも大事。市民の意識が高まる効果って大きいと。昔より路上喫煙やポイ捨て減ってるでしょ?
あ、監視しろってメッセージじゃないですよ?身近な相談者になって、みんなで考えようってことでしょ。

それに対しあなたは、虐待を未然に防ぐ、あるいは、小さいうちに改善するには、もっと母親ケアや母親目線のメッセージが必要だということですよね。もっともだと思います。一応、母親むけポスターもネットで探しましたよ。確かに数としては少ないし、民間団体のものが多いですね。(私はこれはこれで良いと思いますが)力が入ってないかどうかは主観による所が大きいですが。

長くなってすみません。行政に対してすべき発信すべきは、批判じゃなくて提案だと思います。児童虐待がなくなり、子どもも親も市民もみんな幸せな日本。は私達の共通の願いですもんね。

あ、「厚生」ってそういう意味だと思いますよ
Unknown
通報体験者
いまから約10年前、うちの娘(当時小学校低学年)の幼稚園時代のお友達がうちに遊びに来ました。
楽しく過ごして心がほどけたのか、その子が家に帰りたくないと言い出しました。
気になる様子だったのでいろいろ話を聞いていると、もう1年以上弁当屋のお弁当を食べて暮らしていてお母さんが料理していないこと、お父さんはただおとなしいだけで発言力がないこと、夜はお母さんのためにビールを買いに行かされること、争いが絶えないことなどを話し、最後にお母さんが床に包丁を突きつけた話をしたのと、この子が家に帰るのが遅くなって電話を入れてもお母さんはどうでもいいみたいな感じだったことが気になり、うちもその子もお世話になった幼稚園の理事が地域の子供を守る役をされていたので相談しました。
一応、その子の小学校に様子を尋ねはしたようですが、虐待の証拠がないとのこと、
その子が悲劇の主人公になりたかったのを私が聞いてあげるから好都合にしゃべらせたのだ、となんとお叱りを受けました。その子の虚言だろうとも。
それから2年、その子のお母さんは我が子の首をしめました。
子供に最後の力が残っていて、逃げて生き延び自力で交番に行ったのでいのちは取り留めましたが、
子供のお母さんが犯行に及ぶ直前に私に電話をくれた(みんなどうしてるの?元気?みたいなほとんど中身のない話)こともあり、私も警察の取り調べを受けました。


以前にきちんと通報していても、食い止めることができませんでした。

また、私自身、子供の訴えと犯行直前の加害者の声を聞いていたのに助けられなかったことは
悔いが残っておりますし、重く受け止めております。

再発防止につながれば。。。

1 やはり通報者の言葉を各機関は信じてしっかり受け止めてほしい。
その上で、出来れば近くで気づいた人が出来ることや取るべき態度をプロの視点で教えて欲しい。
2 そのお母さんと私の関係は、子供の幼稚園バスの停留所が一緒だっただけのそんなに強いものでな
く、犯行直前の電話も何年か振りの会話でした。
子供の首をしめようとする自分をなんとかしたくて最後に思いとどまりたかったのでは?と言われ
ていますが、何年も昔の知り合いしか電話する相手がいなかったなんて、彼女は孤独だったと思い
ます。
3 一番の被害者は子供です。しかし社会全体に温かさがあれば加害者は生まれにくくなるでしょう。
少なくともその子のお母さんはそんなに嫌な人間ではありませんでした。
すう
介護も
私は介護のことで相談したときすごく冷たい言葉を言われてもう2度と相談するものかと思いました。
ありがたいことに夫の理解があったので老人虐待には走らないで済みましたが。
nanako
確かにセンスのないポスターだと思います。
このポスターの「とってつけた感」にお怒りになるのはわかります。

でもその同じ記事内で他国の母子福祉の一部ポスターと比較し、日本の行政を批判するのはちょっと違うと思います。
同じような「虐待してしまう側だけの目線に立ったポスター」は日本にも多数存在しますから。

ちなみにですが、お母さんに向けて匿名でもできる相談を呼びかけるポスターやパンフレット,カードなどの広報は、私の住んでいる地域(神奈川、比較的田舎の方)でよく見かけますよ。
ショッピングモールや駅の女子トイレ入口、児童館、図書館、保健所、病院、役所の窓口、女性が多く利用するカフェなどです。
検診や子供会のイベントでも渡されたり、回覧板で回ってきたこともあります。
育児雑誌やWEBでも子育ての悩みを相談できるダイヤルの案内を見かけます。
厚生労働省のものでも平日7時間、土曜日5時間、自治体によっては365日24時間対応の場所もあります。
期間限定で3時間というのはキャンペーンにあわせて特別開設されたものでは?

発信する側も「お母さんやお父さんが利用する場面」を選んでいるというだけの話ではないでしょうか。

あなたがこのポスターに違和感を感じたのと同じように、
私はあなたの記事を読んで、このオレンジリボンのポスター一枚との比較で海外を持ち上げ、日本では「母親(父親)の匿名での相談・支援なんて、最初から考えていないんです。」と言い切っている点に気持ち悪さを感じました。

ところで、海外では虐待に対する目は日本よりもはるかに厳しい国が多く、匿名通報どころか、通報が法律で義務化されていて、罰則が設けられている場所もあることは当然ご存知だと思います。

ヨーロッパの福祉先進国でもテレビCMがばんばん流れていて、お母さんお父さんに向けられる社会的な目は、日本よりもはるかに厳しい。

「通報頼りの虐待防止」は海外でも同じこと。

「子育てにおいてお母さんが追い詰められている度合い」を数値化できたら、世界の中で日本だけが特別劣悪だという事もないように感じます。

それこそ何でもかんでも「この国のせい」に誘導する思考停止の論調こそ問題だと思います。
kei
岡田さん

コメントありがとうございます。きっと、岡田さんは、犯罪においても、「加害者なんて守るな。被害者のことを考えろ!」と、お考えになるのでしょうね。僕は、加害者を減らすためにも、加害者となる可能性のある人すべて(つまりは人間)のケアが必要だと考えています。虐待の件でいえば、加害者は「親」です。けれど、親にも色んな事情や背景があります。が、そこを丁寧に見ようとする動きはあまりありません。それから、僕は児童の保護を批判してはいません。「通報」を呼びかけておきながら、小さな文字で「支援」も呼びかけているその「問題」を指摘しています。ポスターそのものの内容についての異論であることをご理解ください。

なぎささん

コメントありがとうございます。僕的には、あまり感傷的には書いていないのですが・・・。あくまでも、これまで研究してきたことを踏まえて、いつもどおりに書いたのですが。ただ、この「悪い書き方」をしたからこそ、多くの人に読んでもらえたと思っています。また、多くの「実直な意見」もいただけました。この記事のやり取りそのものに、僕は大きな意義があったと思います。(それでも、やはり「する側(した側)」の意見は出てきません。「声なき声」をどう拾うか。これからも、僕も考えていこうと思います。

ゆきさん

貴重な助言、ありがとうございます。僕はもう10年ブログをやっていて、炎上は全く目的ではありません(目立つつもりもありません)。保健センター等のカードは知っていますし、そういう取り組みは全くないとも思っていません。けれど、あまりにも今回のようなポスターや言説が多すぎます。ゆきさんのいう「負のスパイラル」を断ち切るにはどうしたらよいのか、それが問題です。それに、僕はずっと「相談したくてもできない親」について、考えており、そういう論文も書いています。その立場から、このポスターについて批判しただけです。ゆきさんの言葉でいえば、このポスターのような「抑止力」もまた、当の親を追いつめるのでは?、と申したいのです。もちろん「通報」も必要な場合はあるでしょう。でも、それ以上にすべきことがあるのではないか、と思うのです。
kei
花子さん

コメントありがとうございます。親側からの意見ですね。けれど、あなたは「した側」ではない(と推測します)。虐待する親がどれほど追いつめられているのか、あるいはどれほど悲惨な過去を生きてきたか、あるいは、どれほど愛情に欠けていたか。その部分にも目を向けていただければ、と思います。「苦しんでる親が、どんな優しいことばのポスターでも、自分から相談してくることは、まずないでしょうね」と書きますが、そうは言いきれないものがあります。実際、ドイツではそういうポスターが大きな力を発揮していますし、日本でも僕がかかわる団体が呼び掛けるポスターで、多くの妊婦が救われています。
kei
かもいさん

その「する側」である「親」を本気で考えたポスターがあったら、是非教えてください。これまでずっと常日頃からチェックしていますが、そういうのを見たことがありません。一時的なキャンペーンで、力の入っていないポスターは見たことがありますが、相談は、1日のみ、しかも3時間以内、という粗末な内容でした。

太郎さん

仰せのとおりです。「表ポスターに対して、裏の意見で表が意味ないかのように書かれている点」に、問題があると思いました。僕は、被虐待児のケアは不要だとは少しも思っていません。そうではなく、一般に向けたポスターで、「匿名通報」の呼びかけをしておきながら、小さな文字で力なく支援の言葉を書いているところに、(その支援を考えている僕には)怒りを覚えました。ありがとうございます。
kei
通りすがりの者さん

コメントありがとうございます。最初は、このポスターを掲示しているところに指摘しましたが、何の効果もなく…。それと今回は、問題を自分なりにまとめて、述べてみたまでです。これだけ多くの人が読んでくだされれば、それでよかったかな、と。反論を含め。

A子さん

当事者側の意見、ありがとうございます。当事者の方の声も大事ですが、ここではなく、別のところで、当事者の声を反映させていただければ、と思います。ここで指摘しているのは、行政の「考え方」(思想)の部分です。あのポスターに潜むダブルバインドです。それともう一点、当事者の声には、二つあります。「される側」と「する側」です。上のポスターは、その両方を一つにして、しかも、「する側」への支援もちらつかせながら、「される側の保護」を、世の中の人に呼び掛けているところです。これは、虐待を受けた子どもがどうか、という話ではなく、一枚の紙における「暴力性」の問題に帰着します。このポスターそのものへの批判であることを、ご理解ください。
ゆき
炎上目的?
炎上目的でしょうか?
すごく気分の悪いブログエントリーだな、と思いました。

このポスター、十分抑止力になってますし、自治体によるかもしれませんが、匿名で相談しようと思えばできますよ。保健センターでカードをいただきました。

虐待する親のなかには、色々と感覚が麻痺している人もいます。
そこを気づかせてあげられるのは、本人以外の周囲からの影響力です。
悲しいですが、子を愛せない親もいるし、 毒になる親もいます。環境を強制的に変えないと、負のスパイラルに陥ることもあります。

もちろん、ドイツの福祉も素晴らしいと思います。でも、もう少し冷静に詳しく伝えていただかないと理解できません。家族省、なぜ発生したのか。なぜ日本にそれがないのか。冷静に書けませんか?
なぎさ
表裏一体に思えます
興味深く拝見しました。確かに、加害者や加害者予備軍である親、すなわち弱者へ差し伸べる視線は絶対に必要ですし、おっしゃることで大きく頷くものも多々ありました。1枚のポスターで2者へのメッセージを同時に発することは難しいですが、違う種類のポスターや、違う時期の啓発活動などもいいのかと思います。母子保健などでは、もう少しまろやかにアピールしていますよね。

記事を拝見するに、児童福祉の専門家とお見受けしましたが、気になるのは、厚生労働省がダメだと「上から目線」で一方的に、感情的に指摘していることです。なので、あなたの伝えたいメッセージも伝わりにくいとのだなと感じました。第三者から見て大人の物言いと思えない、ということは重要な点だと思います。そういう意味では厚生労働省と表裏一体に思えました。

素直に感じたことをお伝えしました。趣旨自体には賛同しておりますので、ご容赦ください。
岡田実穂
殺されるかもしれない子どもを前に
追記です。

お母さん、と泣くことよりも、保護をせずに殺された方が幸せだってことですよ。
淋しさはいつか癒えるときが来ても、命は戻りません。

親への有用なサポートの実状がないからといって、子どもを保護する体制を批判することは、意味がない以上に害悪です。別の話です。批判してる暇があるなら、厚労の予算で研究でもなんでもしてくださいよ。早く親のサポート体制作ってくださいよ。別の話ですから。

あなたの物言いは、親から逃げた私たちを最悪の物言いで貶めています。最悪です。当事者として、断固抗議します。
最悪です。
岡田実穂
訂正してください
以下の文について特に、怒りを覚えています。
一番に救わなければならないのは加害者?
ふざけるな、と、言いたいです。


>親から引き離されて、喜ぶ子どもがいますか? 現実を見てますか? どんなに酷い虐待を受けても、子どもはそれでも母親・父親を求めるものです。一番救わなければいけないのは、虐待する親であり、「加害者」と想定されている「弱者」です。
花子
虐待帽子ポスター
虐待する親の気持ち、とてもよくわかります。
私も6人の子供育て上げた親だから。
自分でも、どうしようもなくなる精神状態なのです。たからこそ、周りの人達が、少しでもおかしいと思ったら、通報してあげなくてはいけないのです。
それが、苦しんでる親と子供を守ること。
絶対にどんなことがあっても、暴力からは、子供を守らなければならないのです。
それが、親のためでもあるのです。
このポスター、全然おかしくないですよ…

苦しんでる親が、どんな優しいことばのポスターでも、自分から相談してくることは、まずないでしょうね、

だからこそ、周りの人達が、勇気を出して、救ってあげるのです。
何もわかってないのは、あなたの方ですよ…1019
太郎
感想
記事、コメント共に勉強になりました。
どちらか一方でなく、表裏、両方必要なんですね。

記事では、表ポスターに対して、裏の意見で表が意味ないかのように書かれている点がまずかったと思います。
A子
そう、
このポスターは別に悪いわけなんじゃなくて。
ブログ主さんにしてみたら「足りない」だけです。
それを「ひどすぎる」って、ただそれだけ決めつけて、
きつい言葉で批判をする。
そういう無意識が
事前に止められない虐待につながるんだと思います。

かもい
なるほどと?と。
大変興味深く読ませていただきました。
ドイツの話、初めて知りました。いろいろな国の良い所を取り入れられるといいですよね。
ただ、日本の行政批判には?でした。
急に「税金を使って意味のないことを」言う論調になってますが、地域のみんなで子どもを救おうって趣旨は良いと思います。
あのポスターがだめなんしゃなくて、親に気軽に相談をっていうメッセージも、別の場面で発信すればいいし、きっとしているんじゃないかとおもいます。それとも、そういうのは日本に全くないんですかね。
A子
親にも、虐待をしてしまう理由や原因や悩みがあるのかもしれないですけれど。
でも私は、親からはなれることができて、解放されて、嬉しかった。
虐待された子ども=私が望むのは
「やさしいお母さんに戻ってくれること」ではなくて
「この人ではない、もっと別の優しいお母さん」です。
違う人がお母さんだったらいいのにって何度も思いました。

「どんなに酷い虐待を受けても、子どもはそれでも母親・父親を求めるもの」
なんてそれこそ決めつけです。

「虐待してしまって苦しんでいる親たち」って、
全ての虐待をする親が苦しんでいるならばまだ救われるのかもしれないですけれど。
無意識とか、
親自身は子供のためを思ってやってると思っている虐待とか、
虐待には色々ありますよ?
「みんな、したくてしているわけじゃないんです。なんで、そんなことも分からないんだ、、、?」
って書いていますけれど、
すべての虐待をする親が追いつめられているわけではないっていうこと、
なんでそんなこともわからないんですか?

「虐待する親の気持ちを考えて、このポスターを作っていますか?」
と言っていますが、私もあなたに聞きたいです。
「虐待されている・されていた子供の気持ちを考えて、このブログを書いていますか?」
って。

多分きっと虐待されている子供の気持ちも、
一応あなたなりに考えて書いているのかもしれないけれど、
全然わかっていないです。
わかってくれていないです。
虐待する親はこう、されている子供はこうって、
あなたの中で思い込み、決めつけているだけです。

本当は違うのに。
もっと色々あるのに。

ポスターの内容で救われる子供もいるし、
あなたのブログを読んで傷つく子供もいます。
「どんなに酷い虐待を受けても、子どもはそれでも母親・父親を求めるもの」
「子どもたちが望むのは、虐待する親から引き離してもらうことではなく、親が虐待しないような人間になってくれることです。それ以外にはありません。昔のように、笑顔で自分に接してくれる「やさしいお母さん」、「やさしいお父さん」に戻ってくれることです。」
っていうのを見て、
私は、
『お母さんなんかいなくなればいいのに、そうしたらもっと楽しいのに、
○○のお母さんと変わればいいのに、って
ずっと思っていた自分はおかしいのかな?
こんな風に思う自分だから虐待されても仕方がないのかな?』
って思って、すごく苦しくなりました。
昔を思い出して呼吸が苦しくなりました。

あなたの書いた言葉がこうやって、
無意識のうちに虐待に加担していることもあるんです。
多分あなたは、普通の家庭に育ったから
虐待されたことのある人の気持ちをわからないんです。

「(親も子も)どちらも救われなければならない」って思ってくれているのならば
善意という言葉を振りかざした思い込みで
いろいろ書かないでください。
外から批判するのはとても簡単です。

通りすがりの者
そこまで言うのであれば。
こんばんは。マーケティングを仕事にしているものです。おっしゃることは、よく分かります。ただ、ポスターを作った側の苦労も想像できます。
なので、そこまで言うのであれば、
直接、担当者を探して、もっといい案を提案されてみてはどうでしょうか。担当者は、この投稿を読まれていないかもしれないので、これだけの批判を書く時間があるのなら、もっといい予算の使い方や、もっといいポスターを作って持っていってみてはどうでしょうか。あなたの意見とポスター案が今、必要とされているのなら、次回は、それを採用するんじゃないですかね。
私が担当者なら、ここで不満を撒き散らすよりも、直接、言ってくれた方が嬉しいです。
kei
あさとしさん

やはり、会話がかみ合いませんね。立場も状況も違うわけで、当然と言えば当然ですけれども。

虐待0が不可能でも、それを目指して頑張る、というのが、おそらく全ての支援者や研究者の願いだと思います。(世界どこも同じです)

ただ、「支援者」と「当事者」は違う存在です(理想的なのはそれが一致することですが)。

当事者(ないしは当事者に近い人)の声も、もっと大切にすべきですよね。ご意見、ありがとうございました。
あさとし
あと一つだけ
虐待0なんてありえないんだよ。それは交通事故が0にならないのと同じこと。
だけど、死者は0になるかもしれない。
殺す前に引き放せば。
理想を語っている間に子供が死ぬんだよ。
まずは子供を救ってから、いい親や社会作ってくれよ。
あなたが親に殺されかけたら、きっと自分の言っていることの甘さがわかるよ。
kei
あさとしさん

またまたのコメントありがとうございます。

「イメージとしてのお母さん」には、納得がいきました。たしかにそういう部分があるかな、と。乳児院だと、たしかに、「ママ」は、実親に限定されませんからね。

あさとしさんがどのような経験があったのかは分かりませんが、「疲れ果てている」ということは分かりました。とすれば、ますます、虐待される前に、未然に防ぐための策を考えるべきではないでしょうか? 

僕はずっと(ドイツ語圏の)赤ちゃんポストの研究(児童遺棄・児童殺害)をしていますが、同じようにたびたび批判されます。「なぜ、赤ちゃんを捨てた/殺した女性を守ろうとするのか!」、と。

けれど、やはり、「まずは親の支援の徹底」こそが、子どもを救うために、一番必要だと思うのです。なぜ、それがダメなのか、教えていただけると嬉しいです。
あさとし
おかあさん
施設の子供が「おかあさん」と言うのは、何も実母を呼んでいるのではありません。

イメージとしとの「おかあさん」なのかなんなのか。

自分も結構な歳ですが、ふと「おかあさん」と呟いてしまうことがありますが、それは何も実母を呼んでいるのではありません。

そういう施設で自分もあなたのような人に会ってきましたが、こっちはもう疲れはてているんだってことだけ忘れないでください。

その子の気持ちがわかると思った瞬間が一番その子を傷付けていると思うぐらいでいいと思いますよ。
kei
あささん

コメントありがとうございます。ポスターとしてはよくできている、ということですね。でも、その内容そのものとしては、同意できない、というのが僕の感想です。

enjoyさん

コメントありがとうございます。「命がけで産み育てている孤独な母親たちを正論で責めるのではなく、一緒に考えようと応援するメッセージのポスターが必要なのでは」という意見には、心から同意します。これからも、共に(?)頑張っていきましょう!

あさとしさん

貴重な反論ありがとうございます。とても考えさせられました(こういう批判はとても大切です)。ひとつだけお伝えしますね。虐待を受けた施設の子どもが、夜、泣きながら「お母さん」と呟く声を何度も聴いています(そういう報告もたくさん受けています)。ただ、あさとしさんは絶対に親が悪いんだ、ということですよね? どちらも「正しい」のだと思います。恐らく、虐待される子どもをなくす、という気持ちは同じだと思います。たとえ虐待をゼロにすることはできなくても、それを目指して、皆で知恵を出し合っていければ、と願っています。(また、僕は「SOS子どの村」なども支持しているので、家族神話の立場にはありませんよ) またご意見を聞かせていただければ幸いです。

あやぴよさん

コメントありがとうございます。あやぴよさんの文章拝読しました。あの駅での出来事には、胸を痛めました。なんで、「どうしました?」と声をかけられないのだろう、と。それが、今の日本の現実なんだろう、と思いました。できることからやっていきたいですね。

Unknownさん

コメントありがとうございます。とても色々とご存じの方ですよね? 質問の一つ一つがどれも的確で、「なるほど」と思いました。が、同意はできませんでした。地域にもよるかもしれませんが、僕が知る限り、児童相談所が、当事者の心理状況を考えた上で、適切な仕方で匿名相談にのっているとは思えません(一応、匿名の相談を受け付ける、といっている地域はありますが)。また、実際に「匿名では相談に応じられない」という相談所の声も直に聞いています。また、日本の法律の不備についても僕はずっと指摘している立場にあります。そもそも、僕は日本で使う「虐待」という言葉に対して、文献等で反対の立場を表明しています。貴重なご意見を頂いたので、僕なりに説明させていただきました。

色々と意見を頂き、やはり、「子どもをまず守るのか」、それとも、「親を救うのか」、という点で、意見が衝突することが分かりました。僕は、虐待が起こる前の段階で親を支援しよう、というドイツ的な立場をとります。日本では、逆に、虐待された子どもを保護しよう、という意見が根強くあります。ひとつ言えることは、(親も子も)どちらも救われなければならない、ということだと思います。それを実際にどうやるのか、それをもっとみんなで考えていけるようになることを願っています。
Unknown
厚生労働省(福利厚生・労働関係の専門家)が児童福祉に携わっているのではなく、児童福祉の専門家集団が厚生労働省の組織に組み込まれているのを知って記事を書いてますか?

虐待をしている親を吊るし上げるためではなく、虐待を受けて苦しんでいる子どもを救い出すための目的を掲げているのを知った上で記事を書いてますか?

匿名で通報ができるのと同じように、匿名で相談ができる事を知った上で記事を書いてますか?

そしてポスターは児童虐待防止推進月間に向けてのポスターである事を知った上で記事を書いてますか?

家族目線、親目線、子ども目線、いろんなタイプのものがある事を知った上で記事を書いてますか?

普段、他家に興味関心をもたない人に向けての啓発用ポスターを指して、そのような事を言われても腹立たしいだけです。

非難するなら、反論の可能性を全て検討し、反論の余地のない状態だと確信してから避難してください。

児童福祉法や母子及び寡婦福祉法、その他関連法や条例、制度。全て(歴史含め)を知った上で記事を書いてますか?

基本的な事で言っておきましょう。
オレンジリボンの、意味と歴史を知った上で記事を書いてますか?

上辺だけの知識と安っぽい正義感で語らないでください。
あやぴよ
全く同感ですっ(゜ロ゜)!!!
はじめまして☆

全く同感だと思ったと共に、私が知らなかった知識も知ることができ感銘しました!

私は、4ヶ月ほど前に、同じようなメッセージを伝えたくて、サイバーエージェントさんのバイラルメディア【Spotlight】にて、【児童虐待】について、2回コラム配信させて頂いたことがあります。

ちなみにコレです↓↓
http://spotlight-media.jp/article/34274718593986066
あさとし
あなたは、虐待を受けたことがありますか?
私は、あなたのようにわかったかのようなこという人が大嫌いです。

 どんなに酷い虐待を受けても、子どもはそれでも母親・父親を求めるものです。

誰が言ったの?求めなんてしないよ、引き離されてせいせいですよ。

虐待って痛いんだよ、死ぬ思いなの。救ってくれよですよ。ただ、それでも親をかばうのはその世界しか子が知らないから。刷り込まれているから。

親が絶対悪いんだ。

親を助けるとか言っているあいだにこが死んだらあんた責任を取れるのか。

毒親は犯罪者と同じなの。

この家族神話から早く離脱してください。
enjoy
同感
私は子育て支援の仕事をしております。仰るとおり、近所の住人へ見張りをしろと言わんばかりのポスターだと思いました。児童相談所=虐待110番 という認識となっている現在ですが、本来の児童相談所の役割は子育てに悩んで困っている親と子の相談窓口なのです。児童相談所=虐待という印象が根付き、世間体を気にし、相談に行けない方も多いと思います。母親たちは、子を少しでも泣かせてしまうと通報されると24時間怯え、窓も開けられないと訴えています。公園や保育園、幼稚園すら子どもの声が騒音と通報される社会。子育ては一人ではできません。命がけで産み育てている孤独な母親たちを正論で責めるのではなく、一緒に考えようと応援するメッセージのポスターが必要なのではと私も思いました。今の大人が子ども時代どのように過ごしてきたのか思い出し、在り方を再確認したいと私自身も考えさせられました。気づかせていただきありがとうございました。
あさ
うーん
通りすがりですみません。
興味をもって読ませて頂きました。

ポスターチラシを制作している側の立場で言わせて
頂くと、
このポスターはきちんとターゲット(虐待を見て見ぬ周りの人間)を決めてますね。目的がはっきりしていしていて伝わりやすく、このポスターは正解だと思います。
同じように、別ターゲット(虐待してしまう親)に向けたポスターも作っていれば、なお良しなんでしょうけどね。
kei
まるへいさん

僕も、すごく考えさせられました。一見、なんてことなかったんですけれど、読んでみたら、え?!って。僕は、日本の女性が(変な意味ではなく!)好きですし、日本の女性を大切にしないこの国の行政には、怒りを感じるのであります。

匿名希望さん

コメントありがとうございます。そうだと思います。色んな問題が積み重なった結果として、虐待や遺棄や殺害が起こります。単純に、過度な贅沢はよいので、日本で暮らすみんながそこそこの生活ができることを望みます。悲しい人の多い国にはしてはいけない、とも思います。
匿名希望
ドイツやオーストリアのポスターに比べて、冷たく感じるのは、隣に誰が住んでいるかわからない日本社会に、少し原因あるんじゃないかと思いました。過酷な労働時間、低賃金、他にも原因があるような気がします。
まるへい
「駄目ポスター」のおかげでこのエントリーが作成されたと思えば、
私の視野を広げる役にはたってくれました
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