子育て支援を行う公共施設の一角に、どーんと貼られていたポスターです。
かわいい赤ちゃんですね。ちょっと僕の小さい頃に似てるかも、とアホみたいに思ったり、、、
これ、よーーーーく見てください。
多分、よーく見ても、何が問題なのか分からないかもしれませんが、、、
これ、すごい問題があると思うのです。
主唱:厚生労働省・内閣府、となっています。
つまり、このポスターは、行政(=国)によって作成されたものです。
行政=国家が作成したこのポスターには、大きな問題が潜んでいます。
その本題に入る前に。
ドイツでは、こういう問題は、厚生労働省じゃない官庁が管轄しています。「家族・高齢者・婦人・青少年省」という省庁があって、そこが管轄しています。日本の厚生労働省にあたるのは、「労働・社会省」になっています。
考えてみてください。厚生(=福利厚生→健康、社会福祉)と労働の官庁です。
社会保障、失業問題、年金問題はここでいいんでしょうけど、その性質上、家庭の問題、子育ての問題、虐待の問題は、どう考えても、「厚生労働省」が管轄すべき場所ではないはずなのです。
*「厚生労働省は、国民生活の保障及び向上を図り、並びに経済の発展に寄与するため、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進並びに労働条件その他の労働者の働く環境の整備及び職業の確保を図ることを任務とする」(厚生労働省設置法第三条)
基本的には、「経済活動の環境整備」と「社会保障及び公衆衛生」を担当します。
そんな厚生労働省の発想ですから、どうしても、家庭からの目線ではなく、企業目線になります。あるいは、お上目線になります。「子育て」という最も基礎的・人間学的な問題を、この省庁が管轄していること自体を問うことの必要性を感じているので、あえて、そう言わせてもらいます。単純な話、労働と子育て(あるいは社会福祉)を同じ省庁がやっている、ということはおかしいのでは?、と。
***
さて、本題です。
このポスターをじっと見ると、ここで訴えているのは、「虐待を見つけたら、すぐに通報してね」、ということ。つまり、虐待するほどに追いつめられている母親目線ではなくて、その追いつめられた母親の住む住居の近隣の人々(一般市民)に呼びかけているんです。
このポスターでは、母親・父親は、「悪者扱い」です。
悪人である前提で、これは書かれています。
これ、いったい、誰に呼び掛けているのでしょうか。
ぱっとみると、親ではなく、「一般市民への呼びかけ」に見えます。
「あなたの1本のお電話で救われる子どももいます」
そう、このポスターを見た「あなた」への呼びかけです。
その、「あなた」は、虐待する(あるいはその恐れのある)親とその子どもが暮らす住居の近隣の人たちです。
これ自体は、問題ありません。「児童虐待の防止等に関する法律」にのっとった呼びかけです。
児童虐待を発見した人は、児童相談所に通報することは、この法に基づき、義務となっています。
緊迫性を考えると、まずは通報。そして、保護。
そこに、異論はありません。
***
しかし、長年、福祉と教育のあいだをうろついてきた僕には、どうも腑に落ちません。
もっといえば、ずっと「匿名での母子支援」を考えてきた人間として、なんともいえない違和感を感じます。
「緊急の相談に真摯に応じます」、というような一言がありません。「困っていませんか」という呼びかけもありません。
通報の呼びかけは大きな文字で、どーんと書かれているにもかかわらず。
しかし、よく見ると、、、
ポスターの一番下に、小さく「児童相談所や市町村の相談窓口では、子育てに関する相談はなんでも受け付けています。出産や子育てで気になることがあったら、相談窓口にご連絡ください」、と書いてあります。
こんな適当で、愛のない言葉を見て、誰が相談するのでしょうか? むしろ、相談しないでね、というメッセージにさえ見えてきます。本来であれば、この文字が一番中央に来るべきです。しかも、「なんでも受け付けています」、という言葉に、何とも言えない「投げやり感」を感じます。
「なんでも」って何ですか? 「気になることがあったら」って何ですか?
虐待する親の気持ちを考えて、このポスターを作っていますか? 虐待している親がこのポスターを見たら、どう思うと思いますか? それこそ、「社会的想像力」をもって、このポスターを眺めてみてほしいです。
それとは対照的に、大きな文字で、ポスター中央に、「あなたの一本のお電話で救われる子どもがいます」、と書いてあるわけです。
ええ。確かに、通報によって、虐待からは救われるでしょう。そして、保護されて、児童福祉施設等に連れていかれて。つまりは、親と引き離されて生活することになります。日本は、里親制度が充実してませんから、ほぼ施設行きになります。里親の種類はいっぱいありますけどね…。
親から引き離されることを、そもそも望んで産まれてくる赤ちゃんがいると思いますか? たとえどんなに酷い虐待を受けても、子どもはそれでも(意識的・無意識的に)「親」を求め、「親的存在」を必要とします。実の親への憎しみはあったとしても、それに代わる人間(養育者)を必要とします。
その親への憎しみは、経験のない僕らには理解しえないほどです。
しかし、その一方で、虐待する側である親は、どうなのでしょうか。彼らもまた、虐待してしまうほかはない、という問題を抱えた人間でもあります。別の仕方が可能なら(虐待ではない仕方で子育てができるならば)、虐待には向かいません。
だから、虐待防止の法律が制定されている今、最も救わなければいけないのは、虐待してしまう親であり、ここで「加害者」と想定されている「弱者」ではないでしょうか。最も弱い存在であり、最も愛おしい存在である赤ちゃん・子どもに手をあげなければならないほどに、(自分が追いつめられていることさえ気づけないまま)追いつめられている親たちです。
そういう視点が、このポスターにはまったくない。親への愛情の欠片もない。
*[追記] もちろん、子どもの命を守ることが、第一優先であることは言うまでもありません。目下、虐待を受けている子どもの保護も言うまでも最重要なことです。ただ、このポスターでは、そのことを一般に訴えつつ、小さな文字でホンキを感じない支援を呼びかけている点に問題を感じるのです。また、このポスターに、見事に日本の支援の課題が示されているのです。
ただ、子どもたちが根本的に望むのは、虐待する親から引き離してもらうことではなく、親が虐待しないような人間になってくれることです。それ以外にはありません。昔のように、笑顔で自分に接してくれる「やさしいお母さん」、「やさしいお父さん」に戻ってくれることです。(やさしいお父さん、やさしいお母さんを嫌う子どもは、(反抗期の子どもを除いて)まず、いないと思います。)
また、本当に子どもを殴ったり、蹴ったり、罵倒したり、ネグレクトしたりすることを心からの喜びと感じている親がいたとしたら、その人は虐待する親ではなく、「マゾヒスト」であり、「常軌」を逸しています。でも、そんな「変質的な親」は、そうそういるものではありません。みんな、したくてしているわけじゃないんです。
(注:ここは注意深く示す必要があります。親子に限らず、常識的には、人を殴ったり、蹴ったり、あるいは無視したりすると、その後で嫌な気持ちになったり、反省したり、後悔したり、自分を責めたりします(DVも同じ構造か?!)。そういう意味で、「したくてしているわけじゃない」という意味を捉える必要があります。「したくてしているわけじゃないけれど、(じぶんでもよく分からないまま)してはいけないことをしてしまうことの苦しみ」、それが「虐待する親」と呼ばれる人の抱えている問題だと思います。ドラッグにも通じる部分があります。断定はできませんが、その最中(虐待している時)は「快」を感じており、その後に激しい「自己嫌悪」に陥るというメカニズム等。)
そういう視点で、こちらに注目してみてください。
相談じゃなくて、連絡は匿名で行えます、と。
ドイツの匿名支援を研究している身としては、もうびっくり仰天です。(ま、分かっている話ではありますが…)
連絡=通報は匿名で行える、と。
でも、相談のところには、匿名と書いてない。
そう、これが、僕の違和感、府の落ちなさです。
あくまでも、「通報」に頼っているのが、この国の虐待対策の現状。(それはそれで大切なことです!)
ただ、母親(父親)の匿名での相談・支援については、このポスターを見る限り、ほとんど考慮されていません。
たとえ、考えていたとしても、匿名相談・匿名支援(それから匿名出産)については、全く議論されていません。
分かってもらえますかね?!
日本のこの虐待防止ポスターは、通報の呼びかけはしているものの、本当の意味での防止(親が虐待しないようになること)への呼びかけにはなっていません。不十分です。
今後、最も訴えかけなければいけない相手は、通報してくれる人ではなくて、虐待してしまって苦しんでいる親たちであるはずです。(*しかも、深刻なのは、当の親たちが、その苦しみを苦しみと思っておらず、つまり、自覚しておらず、ブレーキさえかけられない状況下にある、ということです)
通報はもう既に法制化されており、周知されつつあります。
さらに、もう一歩、踏み込む必要があるのではないでしょうか。
最後に、ドイツやオーストリアのポスターを見てください。
地下鉄の車内に掲載されているポスターです。
妊婦さんへの呼びかけですが、目線が、親目線です。
「私たちは匿名で確実にあなたを助けます」、と書いてあります。
なんで、日本の厚生労働省は、こう、書けないのでしょう?!
書けないとしたら、なぜ?!
さらに、もう一枚。
ウィーン市内を走る地下鉄の駅(ほぼ全ての駅)に掲げられています。
「あなたは望まない妊婦ですか?」、と書いてあります。
こちらも、目線はお母さんです。お母さんへの呼びかけになっています。
虐待のポスターも同じです。
「あなたは苦しんでいませんか? 匿名で相談に応じます」、と堂々と書きます。
なぜ、そういう愛のある言葉を、この国の行政は書けないのでしょうか?
だから、この国の福祉は、いつまでたっても、当事者目線にならないんだ、と思っています。
根本的に、「やってやってる」、という目線なんですよね。お上目線。
行政と市民がパートナー関係、友愛関係になっていない。
とりあえず世の中が「虐待!虐待!」と騒いでいるから、また作りましたっていう感じがまるだし。やっつけ仕事丸出し。
このポスターを作るのに、いったいどれだけお金を使っているんでしょうね?!
もちろん税金です。
「こういうのを作っておけばいいでしょ?!」的な気持ちで作っていたとしたら、、、
僕はもう、今の政治には1%も期待していません(あえて言えば、、、)。
だから、官庁にはしっかりしてもらわないと、と思います。本当はもっと政治家のみなさんが、頑張ってもらわないといけないはずなのですけど。
少しでも、「このポスター、変だな?!」、と思っていただけたら幸いです。
PS
このポスターに出てくる赤ちゃんは、何にも悪くないです。ただ、内容が酷すぎます。
PS2
別記事のUnknownさんのご指摘を受けて、一部、修正いたしました。ただし、世の中のメッセージとして、適切でないと思われる表現の一部については残すことにします。(10/24)