新しい総裁は福田さんに決まった。「影の存在」が「光の世界」に飛び出した。会見の際、かちかちに緊張している福田さんの姿が印象的だった。
福田さんは71歳。1936年生まれ。福田さんのお父さんもかつての総裁。福田赳夫(1905年~1995)さんも71歳で総理大臣になった。日本史上、親子での総理大臣というのは初めてだとか(このことは、いいことなのか、わるいことなのか分からないが・・・)ちなみに、福田父は東大出身で大蔵省の役人さん。
親子で総裁。。。
日本という国が「世襲制」になりつつあることを暗示しているような。。。麻生さんも政治家一家だった(彼の家系図には圧倒される!)。小泉さんも超政治家一家。政治家の家庭で生まれた子どもが政治家になる。ある点においてはいい面もある。が、これが結局は不平等を生みだすということにもなる。逆に言えば、政治家の家庭に生まれなければ、政治家(特に重要ポスト)になれない、ということでもある。
親の背中を見て育つ、というのは微笑ましいことであるし、素晴らしいことだと思う。親の仕事を誇りに思い、それに憧れて、同じ仕事をする、これはとても素晴らしいこと。でも、政治という仕事は、その人個人としてどれだけ力があるかということにかかっている。個人ペースで荒稼ぎする資本主義の論理とは違う論理がそこにある。
福田さんという人物にはとてもシンパシーを感じるが、その背景にあるもの、政治と家庭という点に注目すると、とても奇妙なことが起きているように思えるのである。
さて、今日の報道を聴いていて、デモクリトスの以下の言葉を思い出した。
国がよく治められるに、それに関することを、なかんずく、一番大事なことだと考え、公正に反して勝利を競うようなことも、公共の利益に反して、自分自身のために力を獲得するようなことも、してはならない。何故なら善く治められた国は最大の保護であって、万事はこれにかかっているので、これが健全であれば、万事健全であるが、これが台なしになれば、万事が台なしになるからである。(『初期ギリシャ哲学者断片集、p.82)
ここでの「自分」は、「自分の家系」と置き換えてもいいだろう。しかし、この部分は外からでは確認することができない。ただ、今回の総裁選を見ていると、福田さんの方が「自分自身の勝利のため」っていう感じがしなかったように思う。福田さんの言葉の背後に、「使命感」、「責任感」という二つの言葉が透けて見えた。今後71歳の新総裁の動向を注意してみていきたい。
最後に福田さんの言葉を引用しておこう。
これからの改革は経済合理主義でなんでも市場にまかせればいいというのではなく、世の中には社会的に弱い立場の人々、構造的に不況な業種の人々がいることに配慮しなければなりません。改革を進める中で、地域と地域の格差や大企業と中小企業との格差の実態から目をそらさず、地方で安定した生活が可能になるような社会をつくっていきたいと考えております。
是非、経済合理主義に支配された政治観から脱却して、新しい明るい日本を構築してもらいたい。特に地方の活性化は僕もすごく気になるところだ・・・ 日本中、どこでもでもそれなりに暮らせる国にしてもらいたい。正直、現在の若者は大都会を目指さないと仕事が本当にないのだから。。。
うちの学生で、千葉の中心から離れたところに住んでいる学生だと、実際地元で就職したくても、職場がないので(あるいは採用枠がないので)やむを得ず都会に出て、地元を離れて暮らしていかなければならない。これは政治だけの問題じゃないけれど、みんなでそれを考えていきたい。「都心ではなく地方で暮らせる権利」を!!!