ドイツ滞在も残りあと2日。
最後の休日(日曜日)です。
この日は、Sternschanzenparkに行こうと決めました。
http://de.wikipedia.org/wiki/Sternschanzenpark
シュテルンシャンツェンパルクは、赤ちゃんポストを創造したシュテルニパルクの名前の語源となっている公園です。
かつてシュテルニパルクを創立したモイズィッヒ氏が十数人の子どもの保育を始めた頃、この公園でよく遊んでいたそうです。
その時、子どもたちは、この公園の名前をうまく言えない。
シュテルンシャンツェンパルク…
僕らでも言うのが難しい、、、
その時に、子どもたちが、「シュテルニパルク」と呼んでいたことから、シュテルニパルクという名前に決めたそうです。
つまり、この公園こそが、シュテルニパルクの名前が生まれた場所なんです。
僕的には、ある種、「聖地」みたいな場所?!
違うかなー。
でも、わくわくしながら、シュテルンシャンツェン駅に向かいました。
こんな駅です。
Sバーンで、中央駅からふたつほどです。近い。
これが、シュテルンシャンツェン駅。
なかなか、レトロな感じです。こういう駅が身近にあるっていうのはいいですね。
うらやましい、、、
さて。
公園に入ると、いきなり、、、
サッカーコートが。。。
しかも、大真面目の試合が行われていました。
でも、プロとかじゃないと思います。が、なかなか迫力がありました。
サッカー、やりたいなぁー、、、(羨望)
サッカーコートを離れると、、、
広い広い公園に出会います。
きっと、かつてモイズィッヒさんたちは、ここで子どもたちと理想の教育に向かって歩んでいたんだろうな、と。
彼は、当時、かなり左寄りの進歩主義的な教育者でした。
あるいは、反権威的な教育思想の持ち主でした。
国家主導の教育に反対し、市民のための市民による教育を目指しました。
彼の好きな言葉は、「私は国家を愛さない。私の妻を愛する」、でした。
足元を見据え、身近な人を愛し、自らの意志で教育にあたる。
自律への教育を求めた熱い教育者でした。
楽しそうにバーベキューをする若者がいました。
いつの時代も、どんな場所でも、みんな、バーベキュー、好きですね。
僕は、若い頃、自分に必死過ぎて、こういう楽しみを全然してないなぁ、としみじみ。
そういえば、僕って、若い頃、若者が一般に楽しむような余暇活動、全然してなかったなぁ、、、
でも、だからこそ、今の自分がある、とも。
けど、彼らを見ていると、やっぱいいなぁって思いました。
(ただ、やったらやったで、「つまんねー」とか言いそうですけど、、、汗)
しかし、…
どこもそうですが、ドイツには、ゴミが多い。。。
平気で、こうやって公園にゴミを捨てていく。
面白いのは、それを誰も咎めない、ということかな。
掃除を仕事にする人がいる。その人に任せようという文化というか、風土がある。
日本だと、「ゴミは持ち帰ろう」とか「ゴミを捨てるのはやめよう」とかすぐに言い出すけど、、、
こっちでは、ゴミを捨てるのが当たり前とまではいわないけど、捨てる人は多い。
ただ、それを咎めない文化がある。
(ただし、ドイツはそれでも世界的には綺麗な国ですよ!!)
日本は、もしかしたら過剰なまでに綺麗さを求めているのかも…
公園は綺麗なんですけどね、、、
それにしても、ゴミが、、、汗
こちらが子ども用の公園。
子どもが脱走しないように扉がついています。
が、これは自由に開け閉めできます。
広くて、安全で、面白い遊具がいっぱいありました。
綺麗です。。。
風船。
こういう遊具は、日本もドイツも変わらないですね。。。
日曜日なのに、子どもが少ない、、、
雨だったからかな、、、
しかし、ここまでしっかり落書きしてますね。。。
この辺も、ドイツって、みんな、、、
落書きばっかり。
でも、奥の方に行くと、それなりに綺麗でした。
それにしても、街の中心なのに、どこまでも広い公園です。
本当に大きい。
こういう公園があるっていうだけでも、素敵だなぁ、と。
一応、ここの公園の看板。
しかし、ステッカーとかで、名前が見えない、という、、、汗
ホント、ドイツは自由な国であります。
これがちょっと離れたところから見たシュテルンシャンツェン公園です。
本当に大きくて、びっくりしました。
まー、日本にも大きな公園はあるけれど。。。
***
ここが、シュテルニパルクという名前の語源となった公園でした。
ついに来られました(涙)
これで、シュテルニパルクの研究のスタートラインに立てた気がする。
もちろん、シュテルニパルクを全面的に支持するわけではない。
むしろ、これからはシュテルニパルクから距離を取らなければならない。
シュテルニパルク万歳!では、研究にはならない。
ここから、僕の本当の研究が始まる。
いまから、僕の本当の研究を始める。
赤ちゃんポストそれ自体を語ることから、その意味や思想的背景の解明へと。
この一か月の研究活動の終わりにふさわしいひとときだった。
いよいよ、この研究の旅も終わるんだ…
少しさみしいな。
っていうか、一か月じゃ、本当にまともに研究なんかできない。
資料を集めて、人と会って、対話をするのでやっと。
腰を据えて研究するには、1年以上の滞在は必須。
本当にそう思った。
…けど、もうしばらくは無理かな…
でも、いつか、必ず、ドイツで長期滞在して、こっちの学会等で発表したいと思う。
そのためにも、もっともっとしっかり研究を頑張らないとな。
誰かの道をただ追うのではなく、自分の道を作っていくんだ。
ようやく、そのスタートラインに立てた気がする。
人よりも遅いけど、だいぶ遅れているけど、それでいいんだ。
僕は僕の時間で、僕の精神で、僕なりの仕方でやっていけばいいんだ。
頑張るだけだ。