Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

[メモ] 原発のこと

上野千鶴子さんのブログに、こんな文章が掲載されていた。


千年に一度の災厄の年が明けた。それも天災と人災とが入り交じった複合大災害だ。それが完全に「想定外」ではなかったことが、わたしたちの気持ちを一層暗くした。まだ喪も明けぬ今春は、おめでとうという気分にもなれない人たちが多かろう。

大津波は千年に一度、原発事故の確率は2万年に一度、と言われた。生きているあいだには起きまいという安心は根拠がないことが暴かれ、現にわたしたちはリスクとともに生きていることを腹の底から味わった。

識者の多くは「文明の射程を超える危険を抱えた原発をただちに停止するのは理論的に当然の結論」と主張する。直後の緊急出版が相次いだが、事故に直面して宗旨変えをした人々だけではなく、事故を予測した研究者たちも多い。そのなかには、何年も前の本を再刊したものもある。これらの書物には、「あれほど警告したのに」という苦渋がにじむ。

他方、世論調査にあらわれる民意は妙なねじれを示している。4月のある世論調査では脱原発を支持する人々は約4割。やがて事故や汚染のレベルが想定以上に深刻なことがあきらかになるにつれて、6月には7割が脱原発に回った。少なからぬ識者が、自明と見えた答えを支持しない人々の態度に不審を表明し、多数派に転じた後は民意が選挙に反映しないことをいぶかしんだ。

政権もまた迷走した。脱原発の旗幟を鮮明にした菅直人首相は不人気なまま職を去った。後任の野田佳彦首相は原発輸出に舵を切り、エネルギー政策については言葉を濁す。権力構造に伴う慣性が働けば、現状維持が続くだろう。既得権益集団はそれを狙っているようにも見える。

識者と民意と政治とのあいだにねじれと齟齬が起きているように見える。識者は民意を解釈しかねているし、政治は民意を反映しているとは思えない。誰もが変化を望みながらその変化の方向が見えない焦りを感じる一方で、現状追認と思考停止に利益を見いだす人々もたしかにいる。

それにしてもよくわからないのが、民意と言われるものがこんなにも短期間に変化することだ。もし原発事故がもっと早く収束していたら…民意は忘れたい過去をもっと簡単に忘れようとしたのだろうか。

民意は大阪で改革のヒーローを権力の座に押し上げもした。衰退と閉塞の日本をリセットしたい、そんな欲望が徘徊している。いっそ戦争でも起きればいいのに、地震でみんなチャラになればいいのに…そういう不穏な欲望だ。その願いどおり、千年に一度の災厄、2万年に一度の事故は起きた。

そして見よ、社会はリセットなどされない。日本は変わらなくてはならない。だがそれは思考停止と白紙委任とによってではない。自分たちの運命を自分たちで決める倦まずたゆまぬ日々の営みだけが、わたしたちの明日を築いていくことを忘れてはならない。

これだけの災厄を千年に一度、2万年に一度の転機にしないなどということがあってよいものだろうか。(結)

引用元
http://wan.or.jp/ueno/?cat=1


彼女の「そして見よ、社会はリセットなどされない」という言葉は、結構ずしんときた。「あ、そうだ」って。戦争待望論もなくはないけど、今回のことでよく分かったはず。混乱しても、リセットはされない、ということを。確かに、、、

そんな彼女が、評価しているのが、ドイツのラートカウさんという歴史研究者。この人、かなり原発史に詳しいお方らしく、興味がわいた。

そうしたら、上野さんのブログで、このラートカウさんがUstream TVの番組に出演していることが分かった。しかも、かなりドイツ語たっぷり。通訳もある。これは、是非見てもらいたいと思いました。ドイツ語の練習にもなります(苦笑)。

http://www.ustream.tv/recorded/20161038

原発はアメリカから買い、輸入によって作られた、とか、歴史的に反原発運動は押さえこまれていた、とか、「おお!」という話がいっぱい出てくる。ラートカウさんは、水俣病などを挙げて、日本が運動をしない国ではないと言い、原発においては、押さえこまれた、と。それから、ドイツで脱原発が成功した背景と、フランスで脱原発が失敗したことの背景も語られている。

宮台さんも、ニコニコ動画の番組で、「原発は、日本では、欧米と違い、反対できない、止められない社会システムになっているから、そこから変えなければならない」、と言っていた。

この話を綜合すると、日本には、原発を止められない何らかの大きな事情がある、ということらしい。だが、その事情については、ほとんど語られていない。

いったい、どんな事情があるのだろう。それが知りたいと思った。

原発推進派は、なぜゆえに、これほどの被害があったにもかかわらず、原発再稼働を訴えているのか。電力が足りないからとか、資源が乏しいからとか、そういう理由では、どうやらなさそうなのだ。国が動けば、国民の電力消費量は押さえられると思うし、そういう政策も考えられると思う。けど、電力を抑える努力をするのではなく、原発再稼働に向かう努力をしている(らしい)。

福島でこれだけの被害を出したのに、これからも何がどう起こるか分からないのに、さらにこの国は世界でも稀有な被爆国(広島・長崎)なのに、どうしてここまで原発にこだわるのだろう。(科学技術の維持だとか、核の平和的利用の可能性だとか、それは「タテマエ」に過ぎないと思う)

誰が、どんな理由で、原発を推進してきたのか。そして、今なお、推進するのか。

その隠れた理由を教えてもらわない限り、僕らはこの問題について語ることはできない気がしてきた。やみくもに、原発反対!と唱えても、ダメなような気がしてならない。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「あてどなき日々(日記)」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事