Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【赤ちゃんポスト】SterniParkの代表ハイジ・ローゼンフェルトさんの話

ドイツの「赤ちゃんポスト」(Babyklappe)を創設した代表的人物が、SterniParkのハイジ・ローゼンフェルトさん(Heidi Rosenfeld)。

彼女の話に耳を傾けてみたい。この文章はSterniParkのHPに掲載されているものです。訳してみました。

赤ちゃんポストはうまくいく
記者会見へのハイジ・ローゼンフェルトの立場表明

5年前に赤ちゃんポストを設置した時、わたしたちは、「もし来年のいつか、一人の子どもだけでも預けられるとしたら、すでに赤ちゃんポストの意味はあった」、と言いました。それから5年後の今、この赤ちゃんポストがかつてよりもよりその意味が増してきた、ということは周知のことと思います。ここゲーテ通りの赤ちゃんポストだけを見ても、2000年4月以来、実に19人の子どもたちが預けられてきました。また、直接母親たちとお会いし、さらに3人の子どもがわたしたちに託されました。ウィルヘルムブルクにもわたしたちの赤ちゃんポストがありますが、そこも三度ほど利用されました。合計25人の赤ちゃんが救われました。

わたしたちは今、さらによりはっきりとこう言うことができます。赤ちゃんポストはうまくいっている、と。極めて簡単な比較をすることで、このことをより明確にすることができます。1999年、ハンブルクでは、1年間で、3人の乳児が遺体となって発見されました。赤ちゃんポストが設置されてからのこの5年間でも、残念ながらやはり遺体となって発見された乳児が3人いますが、1年間ではなく5年間の間に3人です。統計的には、80%の減少ということになります。

しかし、初めてこのサイトをご覧になっている方のために、私はただ「赤ちゃんポストはうまくいっている」ということをお話するだけでなく、赤ちゃんポストがどのように機能しているかについて説明させていただきたいのです。

わたしたちの最初の赤ちゃんポストは、ゲーテ通り27番地にある建物の中にあります。高さ30センチ、横72センチの鋼鉄製の開閉式の扉があり、その奥に、常時37℃に保たれた温かい小さなベッドがあります。新生児を預けたいと思っている母親はその扉を開き、赤ちゃんをそのベッドに寝かせて、利用書を持って帰ります。母親が望むならば、その赤ちゃんの指紋や足紋を取ります。扉は一度閉じられると、再び開けることはできません。ベッドに向けたカメラを通じて、警備局(Wachdienst)に伝達されます。そして、その後にわれわれ救護局(Hintergrunddienst)に伝達されるのです。愛情深く赤ちゃんを出迎え、その子のあらゆることをさらに取り計らうために、救護局は赤ちゃんポストからわずか数分のところにあります。母親には、自分の判断をふりかえり、自分の子へと向かう一つの道を見出すための8週間の期間が用意されています。この期間、赤ちゃんは、愛情のある養護家族に預けられます。

わたしたちは、「自分の子どもを赤ちゃんポストに置いた母親は、8週間の間に自分の考えを改める」、ということを目のあたりにしてきました。合計7人の子どもたちが再び自分の母親のところに戻っていったのです。その母親の一人がこちらにいます。彼女は後に皆様に手短な報告をしてくれます。他の子どもたちは、新たな養父母に引き取られました。一人だけ例外がありました。ロッタです。彼女は、脳に先天性の重度の損傷を受けていました。しかし、母親に引き渡す時点で、そのことが知らされていなかったのです。もう一人います。ラスムスです。彼は、生まれた時に、手術で摘出せねばならない小さなくぼみをもっていました。彼は今、とても健康な子どもです。他の赤ちゃんポストに置かれた子どもたちは健康でしっかりと育っていました。母親たちはただ滞りなく出産がしたくて(とにかく円滑に出産だけは果たしたくて)赤ちゃんポストへの道を歩むのだ、ということを理解していただきたいのです。これが、われわれが病院施設で匿名出産(Anonyme Geburt)を行い、そして後に赤ちゃんポストを設置する病院が増えた理由の一つなのです。

養護家族、後援機関、その他の支援者の方々は、名誉職として捨て子プロジェクト(Findelbaby)のために働いて頂いています。もし赤ちゃんポストに関わるあらゆることに賃金を支払おうとしたら、このプロジェクトはすぐに破綻してしまうでしょう。

経営について:2000年から2002年まで、このプロジェクトは、ハンブルク市から助成を受けていました。当初は年間5万マルクの助成金でしたが、その後、4万ユーロにまで増えました。2003年以降は、完全に寄付金(義援金)で経営していかなければなりませんでした。明らかに人間の命を守ってきたし、今も守り続けているこの施設が、なぜ支援を受けられないのでしょうか。私には理解できません。いずれにせよ、われわれは、赤ちゃんポスト創設以前、ハンブルクで度々発見されたひどく恐ろしい発見物(遺棄児の死体)をハンブルクの警察官や消防士に見つけさせないようにしてきたのです。

赤ちゃんポストに預けられた子どもの統計は、本サイト、プレスマップで見ることができます。この統計から、昨年、われわれの赤ちゃんポストに置かれた子どもの数は減っている、ということがお分かりになるかと思います。われわれの見解では、この減少の理由は、無料の緊急電話サービス0800 456 0789を通じて、妊婦の方々がタイムリーにわれわれの捨て子プロジェクトに相談するようになったこと、と思われます。

皆様が、こうした母親の問題をよりよく理解できるために、もう一つ付け加えて述べておきたいことがあります。昨年、自分の子どもを死なせてしまったハンブルクの女性がいます。この事件の後、わたしはこの女性の支援を行いました。彼女は罰せられました。しかし、裁判所は彼女の刑の判決の際に、「彼女自身が困窮下にあった」、ということを認めたのです。現在、彼女は健康な一児の良き母として生きています。その当時は時期が悪かったのです。そして、彼女を取り巻く状況が悪かったのです。

ハイジ・ローゼンフェルト、2005年4月12日 (翻訳元はこちら

XのToshiも子どもたちの未来を切に願っている。僕もToshiと同じ気持ち。すべての子どもたちに幸福で豊かな幼少期を過ごしてもらいたい。赤ちゃんポストを作ったハイジさんも、やっぱり同じ気持ちなんじゃないかな、と感じる。もちろん肉親に育てられれば幸いだけど、肉親に育てられなかったからといって、100%幸福で豊かな幼少期が過ごせないというわけではないはず。よい大人、愛情のある大人、よい友だち、よいおもちゃ、よい食べ物などに囲まれて過ごし、しっかりと見守られて育つならば、やはりその子は幸福なのだ。肉親のすべてがよい大人であるわけではないし、子がその実の親に殺されたり、虐待されているという現実を考えると、「血のつながり」だけで子育て環境を捉えることには無理があるといわざるを得ない。まだまだ赤ちゃんポストから学べることはたくさんありそうだ。(kei)

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