もはや自分のライフワークになりつつある第四土曜日の会。
2015年7-8月、SUMMER SPECIAL VERSION、無事に終了しました。
今日は、いつもより少なくて、8人(出入りあり)でした。
けれど、その分、今回はかなり突っ込んだ議論ができました。
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今回は、僕の中で、一つ、ねらいがありました。
それは、『事例(Fall)』と、『考察(Fallstudie, Fallanalyse)』をつなぐ方法を探る、というねらいです。
自分が言うのもなんですけど、第四土曜日の会の参加者が書く事例は、かなり洗練されています。
非常に事実的(Sachlich)で、クールで、確かな洞察力を感じさせるものになっています。
あとは、この事例を、どう「料理」するか。
けど、あまりアカデミックな手法は使いたくない。
難しい学術用語で説明したり、解説したりするのも違うかな、と思う。
実践者ならではの「考察」を、真面目に考えたいんです。
実践者にできる「考察のスタイル」を考えたい、と。
「●●学」とかに基づかないスタイル。でも、研究者たちをも唸らせられるような考察。
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その手法を探るべく、今回は一つの実験?を行いました。
それは、「事例」を考える上で、もっともキーワードとなり得る「概念」を一つ見つけよう、という実験でした。
個々の事例の内容に即して、その内容そのものをより深く理解できるための「キー概念」、というか。
(ポイントは、予めキー概念をこちらで用意するのではなく、個々の事例の中からキー概念を考え、見出す、というところ。アカデミックな事例研究の場合、特定の学問分野の主要概念を予め用意していて、その主要概念から、事例を分析しようとする。でも、それは、実践的な研究ではない。あくまでも、事例=事象から、事柄の本質を見出していくべきなのだ、と)
今回は(極めて具体的な)三つの事例をやったんですけど、それぞれの事例に、(抽象的な)「キーワード」を探しました。
その結果、、、
①ミメーシス
②試し行動と愛着
③遊びとケア-看護の視点VS保育の視点-
というキーワードを見出しました。(他にも色々と出ましたが、、、)
ポイントは、個々の事例から、一般的に使用される学術的概念を見出す、ということです。
個々の事例の背後には、「大きな問題」=「大きなフレーム」が隠れています。
その大きな問題を見出して、その問題について少し学んでみる。
そして、その学んだことを踏まえて、もう一度、実践事例について考え直してみる。
もちろん、学者が言っていることは「参考」にする程度でよいんです。
鵜呑みにする必要はない。
考えるための参考にするだけでよくて、あとは、自分で考えればいい。
どこか特定の学問分野にこだわる必要もない。実践者なのだから。
そのつど、ケースと共に、そのケースにあった考え方やアイデアを借用していき、
そして、少しずつ、語れる語彙(学術用語等)を増やしていけばいいんです。
そういう「レッスン」を、今回、重点的にやりました。
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それから、最後に、いわゆる「モンスター対応」について少し議論しました。
今、教育界も、保育界も、本当に「(困った)保護者対応」に四苦八苦しています。
実際に、心無いモンスター的な親のターゲットになった時に、何をどう考えればよいのか。
実践者的には、「モンスター」がどういう人間なのかについての分析なんていらない。
そうではなく、「こじれた人間関係」の中で、どうそれと向き合っていけばよいのか。
これについては、僕らに対しても日に日に要望が増してきています。
「モンスター親のターゲットになった時、そして、心を砕かれそうになった時に、いったい(具体的に)どうすればいいのか」
この議論の具体的な中身については、ここでは書くのを控えます。
一つだけ書いておくならば、「対等にならないこと」、ということかな。
そして、「相互理解が極めて困難な他者」であることを認め、しかも、その相手は、自分よりも厳しい状況にある、ということを常に念頭に置いてくこと、かな。
モンスターというくらいだから、相手は一人二人じゃない。この腐りきった日本社会にゴロゴロいる。モンスターだから。でも、そのモンスターを生み出しているのは、当の本人じゃなくて、病みきったこの日本という国の「病理」なんだ。分かりやすく言えば、日本ほど、「消費者意識」、「お客様意識」が強烈な国はなかなかない。消費者やお客様には、とことん弱いのがこの国で、その状況を誰も、何も改善しようとしていない。そこに、この問題の根っこがある。…
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今回は僕もいっぱい頭を使いました。
『実践者による、実践者のための事例研究っていったい何なんだろう?』、と。
研究者の研究と違うのは、「研究」のために研究するのではなく、あくまでも「実践」のために研究するんだ、ということ。
もちろん「よりより実践のために」、という意味です。
そのために、誰かの言葉を引っ張ってきてもいいし、そのために、難しい概念について学べばいい。
実践者にとって重要な点は、「それを学ぶことで、自分の実践がよりよいものになるかどうか」、という点だけです。
大学の先生たちは、「研究のための研究」という視点からどうしても抜けきれません。
でも、実践者たちは、「自分の実践をよりいいものにしたい」という願いだけでいいんですよね。
この点は引き続き、考えていきたいなぁ、と思います。
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8月の第四土曜日は、僕がドイツに行っているため、なし。
次回の第四土曜日の会は、9月の第四土曜日です!
つまり、9月26日です!
発表するもよし、しないもよし。
自由に学んで、討論して、議論して、楽しみましょう。
よろしくお願いいたします。
*基本的に第四土曜日の会は「関係者のみ」の会です。
一般参加(関係者以外の方)は受け付けておりません。
あしからず。