今、某学会に提出しようとしている一つの論文を書いている。
その論文のテーマは、「シュテルニパルクの創設者」であるユルゲン・モイズィッヒに焦点を合わせ、彼の思想を捉えなおすことで、赤ちゃんポストの問題を今一度考えなおす、というもの。
今年出した赤ちゃんポストの本の最後の章でどうしても描けなかったモイズィッヒの思想的背景を捉えることで、なぜシュテルニパルクは、教育団体であるにもかかわらず、赤ちゃんポストなるものを産み出し、それを実際に保育現場に設置し、それを守ろうとしているのか、を明らかにしようと思っている。
今回の訪独で、また一つ、面白い発見があった。
それは、ユルゲン・モイズィッヒは、絵本の翻訳も行っている、ということだった。
彼がドイツ語に翻訳した本が、上の長いタイトルの絵本だった。
「無礼で反抗的でずる賢くて生意気でいつでもダンスをしたがるグエグエンスの物語」
な、な、長い、、、汗
ドイツ語訳は、「Die Geschichite des pespektlosen, aufmüpfigen, schlauen, spitzbübischen und immer zum Tanzen aufgelegten Güegüense」。ドイツ語タイトルも長い…汗
日本のamazonでは存在せず、ドイツのamazonでは入手可能だった。
この絵本が発売されたのは、1992年。つまり、まだモイズィッヒが赤ちゃんポスト問題、あるいは匿名相談問題に乗り出す前のことだった。
この絵本をなぜ彼は訳そうとしたのか。そこにはどんな意図があったのか。また、彼のこの本への関心は、赤ちゃんポスト問題とどうつながるのか。このことにも触れたいと思う。
絵本の翻訳は、他の翻訳よりも、より具体的に、かつ本質的に、その訳者の思想や理念を反映させてくれる。ようするに、「この絵本には訳す意味がある」というシンプルな動機が反映されており、同国の人にも読んでもらいたいと思うから訳すのである。
この絵本の中に、直接的な赤ちゃんポストとの関連性は見いだせないけれど、「グエグエンス」の存在は、どこか「緊急下の女性」につながる部分がある。あるいは、「ユダヤ人」につながる部分もある。この時期のモイズィッヒは、「アウシュヴィッツ以後の教育」を強く考えていた。「民族排除」、「弱者制圧」に反対する議論やメディアを求めていた。「暗く影なる存在」に光を当てて、その固有の意味を見いだそうとするその姿勢は、赤ちゃんポストの精神にもつながってくるはず。
なお、この物語は、中央アメリカにあるニカラグア(現ニカラグア共和国)で生まれた何百年も昔の物語で、自由に生きていたインディアンのお話である。歴史的には、スペインによって侵略された時代のニカラグアエリアのお話である。「ニカラグアには、私たちが今日インディアンと呼ぶ人間たちがとても自由に生活をしていた」。このインディアンたちのお話こそが、このグエグエンスの物語である。
この絵本は、連帯基金といわれるフェアアイン(団体)との共同で出版されたものであり、地域の民間の公共的な組織の支援を受けての作品だった。
YouTubeで、このグエグエンスのダンス、見られます!
https://www.youtube.com/watch?v=H22R1Uz4bTo
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なんか、ますますモイズィッヒは、自分と精神的にかなり通じるものがあるなぁ、と。